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  • フィンディルさん、感想をありがとうございます!

    しいたけちゃのお話は、霊感で書きました。(遊びまくった知識で書くのが魔法「みつどもえ」になります。
    いんちき霊能者ではありません。
    ある時、ピリッと神経が一本通った感覚があり、このようになりました。

    『すごく怖い夢を見た』のに『うまく説明できない』『誰にもわかってもらえない』だからわたくしはノートに書きます、という感じで直にカクヨムのページに書き込みました。
    今日はすごく不安に思うことが、いっぱいあったんだよという緊張感の真っただ中を表現しました。

    技術は「日記」と「作文」の書き方をきちんと踏襲しました。
    結果、北に必要な『メッセージ性』『お話性』『ドラマ性』が安い日常に堕ち、「女の無駄話」のように受け取られることもあったでしょう。
    しかし、エッセイは「ほうれんそう」ではないので、それ以上にも以下になってもいけない。
    エッセイに『メッセージ性』は不要と学んできました。
    ただの日常の中に、ゴロゴロと『物語性』や『ドラマチック』がないように。
    誰も目に着けないような小さなことに意味を見つける分野だと今思いました。直感です。
    ただ、読者を置いてきぼりにしがちな自分ではあるので、気をつけました。

    「できた!」と思ってからが長い作業になります。わたくしの場合はいつもそうです。
    というのはご指摘にあった通りのことなので。

    (実はコパイロットに本作の感想をもらったら、
    フィンディルさんと全く同意見であるようでした)

    それを受けて執筆態度を変えたかと言うと、そうではありませんでした。
    AIを使っての執筆は不可でしたよね。
    経験も不足しており、なにをどうケアしたらいいのかわかりませんでした。
    思考の中に突っこみが不在でした。
    学生時代、初めて書いた短編を父親に見せたところ「二度とおまえの文は読まない!」とつっけんどんに言われたので、自分の文章を他人に見せることをしなくなり、結果フィードバックを得られないということに……。

    メンタルはフラフラとし、軸が定まりません。
    しいたけちゃは、自己肯定感のオバケになって書いたので、ある程度自分に甘いのは感じています。
    その上で、
    フィンディルさんの感想を拝読し、「つるん」と丸のみしそうになったので、まずはほうれんそうをいたします。

    (以下)
    報告:コンセプトは北っぽい――について。
    おかしいな、こう書けば北になるはずだと思って書きました。まだ知見が足りません。
    報告:一方、筆致には西っぽさを感じ――について。
    学校の作文だったら、中二レベルで及第点になるはずと思って書きました。感想は、小説は作文のテクではできないらしいぞと思いました。
    報告:コンセプトよりも筆致の方が方角への影響は大きい――について。
    新たな知見を得ました。ありがとうございます。
    報告:その作品の創作性を決定づけるのは――文化・感性・価値観――について。
    フィン感にしばらくいて、わからなかったのはここなのでした。異文化コミュニケーションみたいでカルチャーショックでした。

    連絡:また「あつさ」「しいたけちゃ」を読んでいて、ちょっとパラドックスめいていて――について。
    またむつかしい。今回わたくしは自身をエンタメにふり分けようと意識して書きました。
    自分自身を変えようとしたのです。
    連絡:感想返信で――について。
    読まれている……! あの読み返したくない返信を……恥ずかしい! K.K.さんみたいに「どう読まれてもOK」とか思えたらいいんですが、今はAIでプロンプトがまずいと意図が通らないというのを痛感しており、人の見えるところで長々といいわけするのがためらわれます。
    思考の中に突っこみが介在するようになって、ようやく北だと言える気がします。直感です。
    連絡:自然な読み味――について。
    食らいつきますよ? うれしい!!! ありがとうございます! 次は読者さんに苦痛を与えない読み味を目指します。
    連絡:「水木さん自身の要素を入れないこと」をオススメしたのですが――の件について。
    あい。自分自身の要素を切り替えたので、それでいいはずだと思いました。直感です。
    連絡:指摘をするのであれば――の件について。
    ありがとうございます。(つるりとごっくん)。
    具体的で、すごくわかりよかったです。むしろこれでわからなかったら異常というくらいです。
    他の方も言葉を変えて、いろいろいじってくれたのですが、ここだけはもぞもぞと解決法が見つからなかった。そんな連絡です。

    相談:「ここは説明をせずに読者に感じてもらおう」「ここは説明をして読者にスムーズに読んでもらおう」の区別――の件について。
    このへんがルーズなところなのですね(つるりとごっくんします)。
    最後に相談ですが、本感想中の添削部分を丸々コピペしてもいいですか? AIも躊躇して、慎重に言葉を選んでくれましたが、今のわたくしに頼れるものは他にないのです。

    企画をありがとうございます! 返信をお待ちしております!!!
    (無理に急くつもりはなく、期待だけしてゆっくりお待ちしてます)




    れなれな90


  • 編集済

    フィンディルさん、まずはこのような素晴らしいご感想をいただき、ありがとうございます……!
    私はこのご感想を公開された日に読ませていただいたのですが、連載の方でバタバタしていまして……コメントが遅くなってしまいました。(ご感想の文字数にびっくりした、というのもありますが 笑)

    さて、感想の感想に移らせていただきますね。まずは方角ですが、やはり真東とのことで「ですよねぇ」と私も思いました。
    この作品は、とにかく私の「前展がやってみたい!」と「ラジオっぽいラジオが書きたい!」という主に二つの動機があって書いたものでして。他はあまり意識していなかったなぁと改めて思いました。真東を書こうと思って書いたというより、自然と真東になったというのが一番近い感覚ですね。前展の表現自体が東向きなので、それだけが残ったというか。

    作品の文字数については、自分でも物凄く悩んだところだったので、「とても良い長さ」とのお言葉をいただいてホッとしています。ルビも読んでいただくとなると、かなり読むのが大変だというか、読者さんの負担が大きくなってしまうかなぁと感じていたので……。これは私自身が、北向き創作をメインにしているから感じていたことなのだろうと、気付かせていただきました。
     
    「鮮度とインパクト」の話は、興味深く読ませていただきました。そもそも東向き作品と北向き作品では、前提が大きく違っていて、一つの物差しで測れるようなものではないのですね。知識としては知っているつもりでしたが、改めて具体的にご説明いただけて、より知識が深まったように感じています。ありがとうございます。
     
    また、「奇抜さ」と「自由さ」のところですが、まさにフィンディルさんの想像通りの作品作りでした。先にも書きましたが、何か奇抜なものを書こうと考えたというより、自分のやりたい内容(動機)を優先させた結果、こんな作品になったという形です。「こうしたらもっとリアルな通勤に近付けられるんじゃないか」といろいろつぎ込んでいくのが、楽しかったですね。……実際に書き始めた時に、その難易度の高さにひっくり返ったりしたのですが。これもまた一つの試練として頑張りました。
     
    そして「東の創作体力が豊富」とのお言葉は、ちょっと予想外でした。この作品は、実際のラジオ音声を聴きながら文字起こしする→ニュースや広告などを架空のものに作り替える→BGM部分に集中してラジオ音声を最初から聴き直す→BGMを文字に変換する、のような形で書いたので、同じような書き方をすれば誰でも書けるかな と思っていたので……。聴き直す手間はありますが、多分そういうことではない……?
    これについていろいろ考えてみたのですが、私にはおそらく「自分の書きたいところ(内容)に対しては文字数が爆発的に増えてしまう」というようなクセや特徴があるのかもしれないです。そしてこれがこの作品にも表れている、と。
     
    いただいた感想への返信にも少し書きましたが、この作品を書く前から、私には「ログではないラジオ音声を小説として書きたい」という思いがありました。これは「ラジオ番組のログっぽい作品」を書いた時に、もっとリアルな感じにしたらもっと面白いのではないか、と思ったからです。書くとしたら東向きになりそうだと思ったので、次の方角企画で書こうと思っていました。方角企画外で書いても良いのですが、あまり読んでもらえなさそうだと思ったので……。書きたい気持ちだけが、ただずっとありました。
    そんなところに、フィンディルさんと「前展」の話をさせていただいて、それもやってみたいと思いました。動機が単純ですが……これも方角企画で書きたいと思いました。
    そしてこの方角企画が開かれることになって、さてどうするかと少し考えたわけです。私としてはラジオも前展も書きたい。特にラジオの方はあたため過ぎてアイデアが泉のように溢れている……でも前展は熱いうちに書きたい……。で、じゃあくっつけたらどうだ!となったわけです。我ながら単純……。なんとなく前展に電車や車のイメージがあったのと、自分自身もラジオを聴きながら通勤していたことから、この作品の大枠が出来ました。
     
    話が散らかってすみません……。ですが、おそらく私の書きたい気持ちが暴発したため、文字数も爆発したのだろうというのが私の見解です。……このクセ、私の北向き創作にも良く表れているように感じています。こんなところに文字数割かなくても……みたいなところを書き過ぎてしまったり。自分では分かっていても、削りたくなくて長くなってしまったり……。だからこそ、どれだけ書いても受け止めてくれる自由さがある創作が、私は好きなのだろうな と思ったりしました。東向き創作には、そんな自由さがあるから、私も楽しいのだと。

    「二重の兼ね合い」の案、自分でも一瞬考えなくもなかったのですが、作業量がとんでもないことになりそうだと察知したので……やめました。この作品は息抜きのつもりで書き始めたのですが、その域をだいぶ超えてしまうくらい大変で……。車内での会話を入れる案を採用していたら、おそらく企画に間に合わなくなっていただろうと思います 笑 でも、一つの案としてはとても興味を引かれますね。再現可能な形で、別の機会に挑戦してみたくもあります。

    具体的ポイントについての言及も、ありがとうございます……!
    「車の運転時に見える交通状況」については、仰る通り私の中では映像がありますね。長さの調節のために、都度建物や交差点が増えたりしていましたが。頭の中でハンドルを回しながら、景色がどう流れていくか考えながら文章にしていました。運転手を主人公にしたくなかったのもそうですが、意図が見えにくい形にしたかったのも理由に挙げられそうです。「前展とはこういう表現で書くものだと思っていた」も理由になるかもしれません。なぜ断定ではないかというと、なんとなく書いていたからです……。とりあえず、見える景色を文章にしていくことだけを考えていて、他はあまり考えていませんでした。「左側はどんな景色? じゃあその時、右側はどんな景色?」というように頭の中で想像して、捌いていくような。ほぼ無意識でした。日頃の運転の経験が、そうさせるのでしょうか……? 何にせよ、大変でしたがシュミレーションゲームみたいで面白かったところですね。結果的に東っぽさに繋がっているようで、これもまた面白いです。
     
    「同作中時間同文字数」の話は、したようなしていないような……。でも、「一方その頃」を前展で表現する話はしたように覚えています。私としてはBGM表現も「一方その頃」の派生のように考えていたので、フィンディルさんもやっていたものだとばかり思っていました。ちょっとびっくりです。
    ラジオといえば後ろで音楽が鳴っているのが当たり前のようなものなので、ルビにすれば音量なども表現出来るかな と思って取り入れてみました。そして「こうしたBGMはループになっているものが多いな」「じゃあ似たような文章をいくつか作って流せばいいな」と。(考えてみれば「流す」は小説に使うのはおかしな感じですね)
    BGMが無くなる部分は自然と出来たのですが、表現としてお褒めいただき、嬉しく思います。こうした自分(作者)には気付いていないものも表現として考えられる、というのも方角企画の良さなのかもしれませんね。

    ルビが本文に出てくる部分は、ラジオっぽさを追求して書いてみたところでした。本文は(私が書いていて楽しかったので)なるべくラジオの内容だけにしたかったのですが、ここは譲れなかった。実際に自分がラジオを聴いていて好きなところだったから、リアルさを出したかったのです。楽器名が先なのも、フィンディルさんが触れて下さった通りです。読者の皆さんも気付いて下さっていて、嬉しく思っていました。
    ちなみにですが、私はここまで書いてきたように「上は車の運転を前展で表現」「下はラジオ音声を本文とルビで表現」と考えていました。フィンディルさんの言う「ひとまとまりの前展アレンジ手法」ですね。私のやりたいことで分かれている感じです。

    さて、ここまでで私の感想の感想も3000字を超えてしまいました 笑
    ご感想に加えて指摘と好きポイントまで、ありがたい限りです……!
    指摘の一つ、声楽曲のBGM表現についてですが、この部分は私ももう少し細かく表現出来たらなぁと思っていました。本文とルビで同じ「人の声」を表す時に、聴こえ方が聴く人によって違ってくるだろう、と。声楽曲に集中する人もいれば、パーソナリティの声に集中する人もいるように、大きく聴こえる方がBGMとは限らないというか。この辺りの表現がいま一つですね……。
    歌詞と本文のバランスは、ルビの作業を終えてから「もう少し歌詞がゆっくりの方が良いかも」と感じたのですが、「せっかく歌詞も全部考えたから、全部入れたい」と思ってそのままになりました。私のやりたいこととのバッティング、ですね……。
    声楽曲は声だけでなく、その後ろにさらに楽器のBGMがあるような形なので、ルビとして出てくる歌詞の部分に楽器のBGMを混ぜ込んでみたりするのもありかな と思いました。BGM表現の描き分け、次にやってみる時にはもっと頑張ってみたいです…!

    時間帯の点は、ハッとさせられました。私としては「いつも聴いている朝のラジオ」をそのまま書いた形だったので、読み心地が朝っぽくない、とのお言葉に正直びっくりしています。実際のお昼過ぎ頃のラジオはトーク番組が多いというか、ニュースはあっても朝ほど情報量は多くないイメージだったので……。天気予報の細かさは朝のラジオならではだと思っているのですが、それはラジオを良く聴く私だからこそ感じていることなのかもしれません。読んでいる誰もが同じ感覚ではないところもある、と気付かされました。ありがとうございます。
    前展表現と設定の相性なども考えて書けるようになったら、もっと遠くに行けそうな気がします。東向き創作を極めてみたいという思いもあるので、挑戦してみたいですね。

    そして、ルビについて。「山柴県」だけでも読み方が分かるようにする、というのは「あー!そうか!」となりました。ルビをルビとして使えないので、読み方までは表現出来ないというのは私も分かっていました。……これ、実はラジオの番組名が「Morning Moments やましば」だったりします。泣く泣く削った最初の部分……。どこかで一言でもパーソナリティに言わせられれば……なんて、言い訳ですね 笑「ルビ以外でルビを工夫する」ことも、より遠くを目指す上で必要になりそうですね。考えてみたいです…!

    好きポイントについては、挙げていただけることがまず嬉しいです。
    車の色は実際に白が一番多いらしいので、どんどん走らせました。同じ色でも車種が違ったりするので、まったく同じ車ではないのですが。ちなみに車種までは運転中に気にしないので、入れませんでした。決して考えるのが面倒だったとかでは……笑

    静花市、気付いていただけましたか。ふふふ。架空の都市を考えた時に、ふと思い付きまして。天気予報に出るくらいなので、静花市は割と大きめの市なのだろうと思います。こういった繋がりを考えるのは面白かったので、またどこかで別の都市が現れる……かもしれません。

    「シトラスライク」のサビ頭でエンジンを切るところ、これは緻密な計算……というよりは「サビ頭を入れたかったから、ここまで書いた」という感じでした。最初の声楽曲は広告なのでサビ部分だけだったのですが、この「シトラスライク」についてはAメロ、Bメロ、サビまで全部、歌詞を考えてみたのです。だから、可能ならサビ終わりまで入れたかったのですが……文字数を考えるとそれは難しいことが分かって、サビ頭で切ったという形でした。それが結果的に演出っぽくなったのなら、自分は感覚が良かったのかな と思ったりしています。車内の静寂が良いなぁと思うのは、私もそうですので…!
     
    そしてこれは作者である私くらいにしか伝わらなかったところなのですが……実は、会社に到着して駐車場に車が停まってから完全にエンジンが止まるまで、少し間が空いていたりします。エンジンを切らずに、車の中から周りの様子を見たりしているというか。この辺りはサビ頭を入れるための調節だったりするのですが、これはあくまでも作者である私の理由であって、運転手には特に意図が無いイメージです。「さてそろそろ出るか」とエンジン切ったタイミングがちょうどサビ頭だった、というような。
     
    また、ちなみに「Citrus Classmates」ですが、略称の「シトクラ」という形で「静花市コミュニティノート ぱれっと。」に登場していたりします。私としては、五人組男性アイドルグループのデビュー曲のイメージでした。あまりメジャーではないグループのようで、ファンもそんなに多くないような。……アイドル曲に詳しくないので、バンド曲に見える歌詞になってしまったようです……。バンドサウンド、ではない表現が必要だったかなぁ……。いや、むしろシトクラには五人組バンドとして売り出してもらった方が早いかもしれませんね 笑

    そして本当に誰得ですが、「シトラスライク」のサビ部分を、この場を借りて書かせていただきます。
    ―――
    シトラスライク 君の横顔
    光に透けて 輪郭が滲む
    シトラスライク 指先触れて
    確かめるように 名前を呼ぶよ
    僕らは今日も 未完成のまま
    青く熟していく
    ―――
    こんな感じの歌詞でした。アイドル曲というより、やっぱりバンド曲ですね……笑

    さてさて、素晴らしいご感想をいただいたので、私も張り切って感想を書かせていただきましたが……本当にありがとうございました……!
    私は、方角企画では東向き作品を書かせていただくことが多いのですが、それは参加者さんたちに楽しんで読んでいただけるからなのかもしれません。もちろん方角企画以外で書いても良いのですが、普通に書いて普通に公開しても、あまり読まれないというか……「なんだこれ?」と思われて最後まで読んでいただけないのではないか、と思ってしまうので……。
    私にとって「書いていて自分が楽しいこと」は一番大事なのですが、「楽しく読んでいただけること」も合わさると、もっと嬉しいというか。北向き創作がメインなのは、どちらもが満たされやすいからなのだろうと思っています。
    でも、東向き創作はまた別の需要(どれだけ書いても受け入れてくれる)があるので、定期的に書きたくなるのかもしれません。そうした意味で、方角企画の開催はとてもありがたいです…!

    終わりになりますが、細かなところまでご感想をいただき、ありがとうございました……! フィンディルさんも、たくさん考えていただいて、その作業量はすごかったことと思われます。お疲れ様でございます。他の参加者さんへの感想も、コメントへの返信もあるでしょうから、少し申し訳ない気もしています……。でも、こうしてしっかり感想をいただけるのはありがたいことですので、しっかりと受け取らせていただきます!
    これからもいろいろと作業があると思われますが、どうぞ無理せず、フィンディルさんのペースを大切になさって下さいね。私の方は、引き続き楽しませていただきたいと思います!
    改めまして、素晴らしいご感想をありがとうございました!

    作者からの返信

    東向きの特徴に無邪気さというものがあるのですが、本作はまさに無邪気な作品だなあという印象です。
    「前展がやってみたい!」と「ラジオっぽいラジオが書きたい!」だけを意識している作品であることはおよそ伝わりますし、それだけを意識していればいい作品だと思います。
    まあ東の無邪気さが突き抜けて目立つだけで、西も南も無邪気といえば無邪気なんですけどね。
    むしろ北の特徴に世間擦れというものがあるというほうが的確かもしれません。

    ・

    それこそ読者負担への配慮に執筆コストを割くと、方角としては東北東くらいにはなっていたかもしれませんね。
    文字数を短くするのはもちろん読者負担の軽減ですが、演出や展開を入れて変化を持たせるのも読者負担の軽減と言えます。「飽きるまえに終わらせる」と「飽きないよう続ける」はそんなに変わらないので。
    そう考えてみると読者負担に配慮して短く終わらせるのは、作品を北向きに傾けうる判断であると思います。それが良いか悪いかは別として。

    それとは別に「飽き=悪」という価値観は北的なものに過ぎない、という認識は広範に大事だろうなと思います。
    「飽き」の定義も簡単ではありませんしね。

    ・

    「奇抜さ」と「自由さ」のいずれを目的としているかは、その東作品の品質を大きく左右するだろうなと思います。

    脳内シミュレーションではそんなに難しくない想定だったのに、いざ実際にやってみると色々と大変だった。
    そんなDIYみたいな事態が発生するのも、東向き創作の特徴だろうと思います。“正規”でない書き方をするので、想定外の色々は起きやすい。
    ある意味ではそれも楽しさかもしれませんね。

    ・

    確かに、実際のラジオ音声をもとにされているのならば、そんなに大変ではないかもしれませんね。発想して数を用意する作業はあまり発生しない。そのような書き方をされているのは知りませんでした。
    ただ上の「車の運転時に見える交通状況」についてはそういう作り方はなかなか難しい気がします。

    書きたいと思ったものに対しては大量に書ける(書いてしまう)、というのは確かに北向きではネガティブに働きやすく、東向きではポジティブに働きやすいかもしれませんね。
    北向きでは多すぎず少なすぎずな「適量」が全てにおいて求められがちなので。それが読まれる意識というもので。
    その「適量」から解かれるのは非エンタメならだと思うので、非エンタメを知るのは大事なことですね。

    ・

    「一方その頃」の話はしましたが、それは同作中時間同文字数の表現とは全く別ですね。
    視点切替を多用したエンタメ小説(カットバック手法やクロスカッティング手法など)は珍しくないと思いますが、前展を用いればあれと同様のことをカッティングなしにシームレスに描けますよねということですね。上をAさん、下をBさんの視点にしてエンタメストーリーを展開するという塩梅です。泡沫さんの「おめでとう」がちょっと近いかな?
    なので作品の質感としてはエンタメ的なものだろうと思います。
    BGMをノーカットに全て流すなどの作品表現はそもそもエンタメ表現的な需要がおよそないので、全く別物の前展表現という認識です。

    「文章を流す」というのは小説執筆において通常はない執筆感覚だと思いますが、まさに「文章を流す」という感じですよね。面白いですよね。

    ・

    BGMとして作られた楽曲は(それだけをあえて聴くなどでないかぎり)およそ全てのケースにおいてバックグラウンド的に消化されるが、BGMとして作られたわけではない楽曲をBGMとして使う場合は必ずしもバックグラウンド的に消化されるわけではない。
    これはそのとおりですね。
    感想に書くか迷って書かなかったのですが、大半のリスナーにとって「シトラスライク」と「高速道路の状況」って実質どちらがバックグラウンド的なんですかというのは考えてみても良さそうですよね。

    ・

    朝っぽいと昼っぽいの話は、ちょっと齟齬があります。
    ラジオは確かに朝っぽいと思います。私が「昼っぽい」と言っているのは「つうきん」に対してです。この作品に対して。
    ラジオは朝っぽい。「つうきん」は昼っぽい。ラジオの聞き心地は朝っぽい。本作の読み心地は昼っぽい。
    ここがズレているので、ラジオを昼っぽくするか、「つうきん」を朝っぽくするのが良いんじゃないか、ということですね。後者の方が本質的です。

    ・

    「Citrus Classmates」はアイドルグループだったのですね。これはわかりませんでした。
    バンドでもアイドル的人気を博したバンドというケースもあるので、「シトラスライク」の曲内容だけではアイドルグループとバンドを表現的に区別するのは難しいだろうと思います。

    ただひとつ、案として挙げられそうなものがあります。
    アイドルグループは基本的に全員ボーカルなので、歌割りが発生するんですよね。逆にバンドは基本的に一人ボーカルなので、歌割りは発生しない。
    AメロBメロは歌割りが発生し、サビは全員のアンサンブル(あるいはハーモニー)。これを何かしらの方法で文章にて表現することができると、アイドルグループとバンドを表現的に区別することができるだろうと思います。

    ・

    エンタメと非エンタメを区別するものって結局のところ「その読者層に占める、その作品表現の面白さがわかる者の割合」であると思います。割合が高ければエンタメ、低ければ非エンタメ。
    このとき同割合を高めたい創作者ができることって、同割合の高い創作物を作るか、同割合の高い環境に身を置くか、の二つであると思います。
    なのでたとえばフィンディルみたいな人しかいない環境だと、東西南北の全てがエンタメなんですよね。少なくとも北という一方角のみがエンタメの名を冠することはない。

    なので「その読者層に占める、その作品表現の面白さがわかる者の割合」が高いとまでは言いませんが「その読者層に占める、その作品表現の面白さがわかろうとする者の割合」の高い方角企画において、真東創作をするというのは真っ当だと思います。非エンタメの「エンタメ」化みたいなことですね。

    またこれを考えると「同割合の高い環境に身を置く」には、「同割合の高い環境に移動する」と「同割合の高い環境を作る」の二パターンあることもわかります。
    方角企画については、夜桜さんは「同割合の高い環境に移動する」をしていて、私は「同割合の高い環境を作る」をしている。

    ・

    ありがとうございました!
    作業量が多いのは事実ですが作業量の多さを理由にして感想を簡素にするのは本末転倒ですし、それへの慮りから感想返信が簡素になってしまうのも寂しいので、しっかり返信していただいて嬉しかったです!
    それゆえ色々とお待たせしているのだけは申し訳ないです。


  • 編集済

    フィンディルさん、こんばんわ!

    呼ばれてもいないのに世に出てきたなどとはおっしゃらないでください。
    リアルでそれはきついのを知っています。

    夜桜さんの根気強さはまんま才能だなと。
    東方面の適性は絶望的な自分からみると、「ほえー! すごーい(まるのみ)」と言う感じになるのですが。
    フィンディルさんは、東方角の作品をよくお読みになるとのこと。
    そんなに東の方ってありますか?
    どういう世界なんでしょうか。自分は古文書を読んでいる気分がしました。
    主文を読み、ラジオを聴き、音楽を目にし、自分の中に何が残ったかと言うと、「読み切った!」という達成感と夜桜さんの世界を垣間見た不思議な共有感。
    純粋に楽しんだかと言うと、サバイバル感の強い読書体験でした。
    フィンディルさんの感想を拝読すると、あの後頭部にけだるい空気がまとわりつく感覚が蘇ります。
    学校では絶対に出会わない方角ではないでしょうか? それとも自分の苦手な古典に近いのでしょうか? 漢詩に近いのかな、レ点とか、(一)とか(二)とか。
    夜桜さんの作品を書き下し文にするのなら、それはもはや小説のかたちをとっていないかもしれません。心に残ったのは車の中でつうきんする主人公の、後頭部から前方を観ている赤子のような気分。
    それは小説ではなくて、誰しもが共有可能な映像の中にある気がいたします。
    フィンディルさんの前展作品もむつかしかった覚えがあります。
    うっかり縦に読んでしまったので、あっさり挫折しました。
    夜桜さんの作品を横に読めて本当によかった。
    コツコツ読む努力が、決して無駄ではなかったと思えるから。
    フィンディルさんも、きっと芸術面のみならずテクニカルな部分も評価していて、たくさん読まれているのだろうなと推測します。
    久々に中身の濃ゆい、フィン感の一部分に触れられて、とても懐かしく、いいものでした。
    ありがとうございます。




    れなれな8

    作者からの返信

    別に私は「東創作の作品をよく読む」とは言ってないですよ。
    「前展に慣れている」と言っているだけで。前展の考案者なので前展に慣れているのは当然ですよね。

    東創作は学校ではなかなか出会わないと思いますねー。
    前衛文学とかで探すと良いんじゃないかなーと思います。
    ただ私は「西創作≒純文学」と思っているのですが、同様に「東創作≒前衛文学」だとも思っています。近似ではあるが同じではない。
    どうも前衛文学は純文学の一種らしいですが(純文学という言葉の包含が強すぎるのかな)。

    東向きは水木さんにはあまり合わないかもしれませんね。
    (作品にもよりますが)論理パズルっぽさが少しあるので。

  • 更新お疲れ様です。コメント失礼します。
    こちらの作品に寄せた感想の中で、私は以下のように意見を述べました。

    ──────
    全体的にもう少しコンパクトにまとめても、新鮮さやインパクトがより鮮やかに読者に残るのではないかと思いました。
    ──────

    方角感のない新参者の意見で恐縮ですが、読書体験としてこの読ませ方は初見ではかなり負荷がかかること、加えて5000字以内の作品体感ではなかったこと等から、感じたことを申し上げました。
    実験的なことをされているのに、途中で離脱されてはこの作品が勿体無いと感じたからです。
    (解説中で魔法が解けるとお話されているところだと思います)

    ただ、こちらの解説を拝読する限り、北の価値観から差し出がましい意見を申し上げてしまったようで、作者さまには申し訳なかったなと思いました🙇

    作者からの返信

    せっかく実験的なことをしているのに、読書コストが高くて作品サイズが大きいために、読みきれずに途中離脱されてしまうのはもったいない。
    せっかく実験的なことをしているのに、(途中離脱されないために)読書コストや作品サイズへの配慮が重くなり、作品表現が半端なものになってしまうのはもったいない。

    これは(その作品内容や作品が置かれている状況にもよりますが)答えのない二択です。

    このとき感想や指摘を書く者にとって大事なのは「作品は“正しい解答”をしているか」ではなく「作品は回答をしているか」であると私は思います。
    AとBのどちらを回答したかではなく、AでもBでも(Cでも)いいので何かを回答しているか。

    その作品が回答をしているのなら、前提としてその回答を尊重したうえで、その回答の先にある品質を指摘的思考で見定める。Aを回答しているならAを前提にして、作品を見定める。
    その作品が回答をできていないのなら、自身がより良いと思う回答を織り交ぜながら、回答自体を促す。AもBも回答できていないのなら、AでもBでも(Cでも)いいので回答することを促す。

    これが感想コミュニケーションの基本であると私は思います。
    明らかにAを回答している作品に(いかに自分がBが“正しい解答”と思っていても)Bにしようと言うのは、ちょっとうーんという感じですね。
    人生の選択などに置き換えてみるとわかりやすいと思います。考えた末に何かしらの人生の選択をした人に「それはもったいないよ」と言うようなもの。

    そして本作はその回答をきちんとしている作品だと思います。作者が意識的か無意識的かは問わず、作品として回答がなされていると思います。
    真東という方角はその回答(を含めた様々な創作判断)の表出のひとつに過ぎません。

    なのでここで私が考えてみたいと思っているのは、途中離脱がどうとか作品表現がどうとか北や東の方角がどうということではなく、感想や指摘を書く際のコミュニケーションです。
    「せっかく実験的なことをしているのに、読書コストが高くて作品サイズが大きいために、読みきれずに途中離脱されてしまうのはもったいない。」は正しいと思います。藤葛さんは正しいことを仰っている。「誤っている」なんてとても言えません。
    しかしそれだけが正しいわけではない。
    「せっかく実験的なことをしているのに、(途中離脱されないために)読書コストや作品サイズへの配慮が重くなり、作品表現が半端なものになってしまうのはもったいない。」も同様に正しい。
    相反するような二つの「正しい」が存在するケースは(特に創作の場では)珍しいことではありません。
    そんな場合に、どんな感想コミュニケーションや指摘コミュニケーションをすると有意義か。

    私は(特に対作者としての)感想コミュニケーションというのは「読者(自分)の回答を言う」場ではなく「作品の回答を聞く」場であると思います。読者の話をする場ではなく作品の話を聞く場。
    「作品、長いなあ」と思ったら、「もっと短くしたほうがいいのに」と思って自分の話を言おうとするのではなく、「何で長いんだろ」と思って作品の話を聞こうとしてみる。
    そのためには、それが答えのない二択であることに気づくのも大事ですね。答えのある一択だと思うと、ついつい教えたくなっちゃいますから。
    これができると深みある感想コミュニケーションになりやすいんじゃないかなーと思います。

    なんて話を藤葛さんに一方的にしてしまっているのはどこか皮肉めいていて、説教臭くなってしまってないか心配で申し訳ないのですが、せっかくなのでひとつの機会にしてくださると嬉しいです。


  • 編集済

    あの作品を、これだけの情熱、といいますか、
    愛がすごいですね! 前展への。
    と、わたしは思いました。

    そして、読ませていただきながら、BGMの辺りで、浮かんだ世界があるのです。
    これは、北が得意な方なら「北東作品」として、表現できるのかな、なんて思いました。

    わたしはなんか、ちゃんとした型と言いますか、
    現実をそのまま、見ている世界をそのまま書くことは難しいなと
    20時ごろだったか、この企画のことを考えていた時に
    思ったのです。

    だから、真東は無理だな。と、そう思ったのですが、

    でも、南東帯は惹かれます。
    南が入っているからかもしれませんね。

    南東がなんなのかわからないのに、惹かれているのですから。

    わたしが南好きな理由は書いたことがないと思うのですが、
    枕を南に向けて寝ますし、机とノートパソコンも南向きなのです。
    南は創作系で、アイデアが降りてきやすい方角、
    というのもあるのですが、

    わたしの九星が「九紫火星」なので、九紫火星は南、
    と覚えているのです。

    それを知るずっと前から、子ども時代から、
    南を向いて勉強していますし、寝ていますけどねっ!!

    雨蕗空何さんの「いのちのおと」が、南東かなと思ってはいます。
    どうなのかな? って、ドキドキできる時間は楽しいですねっ!!

    わたしの作品は……だいぶ、自信がなくなっています。

    あっ、雨蕗空何さんの「いのちのおと」は、
    こういうのが好き、とは思うのですが、わたしの個人的な事情を考えると、
    言葉を変えるのは、不安があります。

    純粋に、音、として意識すれば……大丈夫なのか、
    それはわからないのですが。
    わたしが出した「真西作品」は、音は音として、表現したように思います。

    公開したら、気になっていたけれど、動かなかった現実が、
    大きく動き、結果的には、良い流れの中にいると感じています。
    わたしの感覚の話ですが。

    でも、現実を動かしたくて、書いた作品なので、
    これはこれでよかったと、そう思うのです。

    「真西作品」としての、自信は今は、ないですけどね。

    物語的な作品+音楽で、北東を目指した方が…目指すことになるのか、それがわたしに可能なのかはわかりませんけどね。
    (わたしが思っているものが本当に北東なのかも、今になって不安になっているのですけどね)

    この真東作品も、すごいなーと心から思える作品なのでした。
    そして、この感想も、すごいなぁと思いながら、読ませて頂きましたよ。

    感想書き、応援しています!!

    追記

    方角企画などの自主企画ではなく、ふつうの作品として「北」と「東」を意識した作品を書いた時の、読者さんの反応が気にはなるのですが、
    エンタメ好きさんが満足(文句を書きたくならない)作品にできるだけ近づけるつもりで、
    わたしが思う、「BGM的な東」を表現できたらすてきだな
    って思うので、練習と言いますか、
    ちょっと作品世界が勝手に育っているので、
    育ててみたいなと思います。

    ひとまず、プロットとして。

    フィン感に出せるのか、出したとして、感想をいただくことができるのか、
    は、分かりませんが、
    書きたい気持ちがあって、作品が育っているので、
    エンタメの勉強だと思って書いてみようと思います。

    「東」もあるイメージですけど、まずはエンタメに挑戦ですっ!!

    作者からの返信

    桜彩さんの二作目は(順番があるので)まだ読めていませんが、方角もそうですし、方角抜きでも楽しみにしています。
    真東がそうだったように、そして真北もそうであるように、真〇の方角は純度が求められるのでそこの難しさはあると思います。

    個人的なイメージでは、桜彩さんは南東と南西なら南西のほうが親和性ありそうかな?という感じはしています。
    南西と南東を分ける要素のひとつに人の香りの有無がありますが、桜彩さんの作品には人の香りがよくしていますので。

    桜彩さんの東はどうなんでしょうかね? 正直、あまりイメージはできておりません。
    それもまた楽しみですね。

    いずれにせよ、方角はその創作を肯定するためのツールに過ぎないので、自分に合う新たな創作を模索する際の足掛かりにする程度の認識でいいと思います。
    (こういう企画をしておいて何ですが)方角の精度というのはあんまり大事ではありません。
    狙う方角を指せたかどうかというより、その創作が自分の感覚に合うかのほうが大事だなと。

  • 私の名前もちょっと登場したので記念に笑

    >メインとなるラジオ音声がなくてBGMだけが鳴っている瞬間は、通常ルビであるBGMが本文に出てくる

    このMCの合間のBGMが優位になる時の感覚、めちゃくちゃリアルですよね。素直にすごいなぁと思いました。
    多分、全く同じ構造を踏襲して作品を書こうとしても、恐らく私は途中で諦めるだろうなぁと思うくらい、恐ろしく手間の掛かった作品で、くらはさんには尊敬の念を禁じ得ません。

    そして作品に負けず劣らずエネルギッシュなご感想、大変読みごたえがありました。
    引き続き、楽しみにしております!

    作者からの返信

    どの方角もそうですが、「やってみたーい」で強度ある作品が書けるほど創作って甘くないですよね。腰を据えて向きあう必要がある。
    そして東は鮮度とインパクトだけは抜群にあるので、そういう「奇抜さ」目当てで書かれてしまいやすい方角だなあと思います。
    にもかかわらず(絶対数が少ないので)そんな「奇抜さ」目当ての作品でも評価されてしまいやすいものでもある。

    K.K.さんは北西~真西を目指されている方だと認識しているので、東は読者として触れる方角なのかな?と思っています。
    ただそれでも刺激にはなると思いますし、刺激にする感性と能力をお持ちの方だと思うので、何かの糧にしてくださればと思います。


  • 編集済

    拝読していたところ、途中で私の名前が出てきたので、コメントを書きに来ました笑。一カ所だけだったと思うのですが、もし見逃していたら申し訳ありません。

    >東創作で文字数を出して長く書くのって、めちゃくちゃ創作体力が必要なんですよね。

    東向きは本当にその通りですね。試行錯誤している時間が圧倒的に長いですし、たくさん書いても、実際はそんなに文字数が多くないという事件が起こります笑。
    方角企画のように文字数制限がある場合、制限を超える心配がないのである意味良いのかもしれません。

    私は、色んな方角に手を出している人なので、東向き作品について夜桜さんほどのタフさはありません。
    なので、本作を書き切った夜桜さん、改めて本当にお疲れ様でした!

    フィンディルさんも三万文字近い感想執筆、お疲れ様でした(よく見たら簡単?になってるんですね)。引き続き作業があるかと思いますが、焦らずご自身のペースを大切にして下さい。

    作者からの返信

    感想中で泡沫さんの名前を出すのは、2024年の回でもありましたね。
    泡沫さんに反応してもらいたい気持ちがあるのかしら私は。

    意外かもしれませんが、小学生のころの私は読書感想文が書けない子供だったんですよ。
    何か書くことはないかと何とかひねり出しても文字数を稼げずに、原稿用紙二枚を埋めるのに苦労していました。

    文章活動を始めると(特に創作関連において)そのような苦労をすることはまずなくなります。多くの文章書きがそうだろうと思います。むしろ文字数を抑えるほうに苦労するはず。
    ただ東創作はそれでも文字数を稼ぐのに苦労するので、あのころの感覚を思いだす装置だなあなんて思ったりします。

    仰るとおり、それは文字数を抑えることに苦労しないという意味でもあります。
    北創作の5000字制限と、東創作の5000字制限とではまるで感じ方が違うなあと思います。同じ畳数でも、置くべき家具があるのかないのかによって広さの感じ方は違う。
    5000字なんて短すぎて収まらないよー! という方はぜひ東創作を試してみてほしいですね。南でもいいと思います。西もまあアリ。

  • フィンディル様、感想をありがとうございます。
    西に寄せたつもりでしたが、まだ北っぽさが優勢ですね。
    西っぽいところと北っぽいところを両方あげて頂き、とても参考になりました。

    登山コンテンツ理論、なるほどです。

    >これについてはオレンジ11さんのなかに確固とした理由があってそうしたというより、何となく描く気にならなかったんじゃないかな?

    ご推察の通りです。勢いに乗って書いて、あまり考えずに結末に至りました。

    これ↓も、その通りだと思います。

    >仮に起床から出勤までの調子で退勤から就寝までの様子を事細かに叙述するとなったら、おそらくオレンジ11さんはめちゃくちゃ不安になるだろうと思います。「これ、読んでて面白い?」と。起床から出勤までしか描いていない本作ですら不安なのに、と。

    きちんと勉強して今に至ったわけではないですけども、映画が好きなせいか、自然とエンタメ的にトリミングする癖があるようですね。
    「読んでて面白い?」は、言われて見ると、割といつも頭の中にあるような気がします。

    >方角はさておき、こうやって小説にして皆に読んでもらうことでオレンジ11さんがこの夏をもうひと踏ん張りできるであれば、それが何よりです。

    はい! おかげさまで、書いた時すっきりしましたし、皆さんに読んでもらってコメントなどいただきさらにすっきり&嬉しくなり、そしてフィンディルさんに丁寧な感想を頂いて前向きな気持ちになることができ、三度おいしい企画でした。

    さらにいえば、方角企画を楽しみながら夏を過ごせているので、この時期に開催していただいてとても良かったです。開催、ありがとうございました!


    作者からの返信

    オレンジ11さんは、北に寄せようと思っても西に寄せようと思っても北北西っぽい仕上がりになる性質があるような気がしますー。私が読んできた作品のかぎりでは、ですが。
    大田康湖さんにも同様の印象を持っているのですが。

    北北西って「エンタメ以外の作品の良さはよくわからないけど、エンタメエンタメした作品は苦手」という層の受け皿になっているイメージがあります。
    そしてこの層は(エンタメエンタメした作品を好む層に次いで)厚いイメージがあるので、活動をするうえでは安定しやすい気がします。
    何を書いても北北西っぽくなるのは方角企画では物足りない感触になってしまうかもしれませんが、間違いなくオレンジ11さんの良さであると思います。

    「読んでて面白い?」という自問自答はどの方角でもあると思いますし、どの方角でも大事だと思います。
    違うのは「読んでて」の主語と「面白い」のニュアンスだろうと思います。
    「多くの読者が読んでて」なのか「感性を同じくする少数の読者が読んでて」なのか「“私”が読んでて」なのか、これが違うと創作のあり方はまるで変わってきますので。
    「面白い」も、何をもって面白いとするのか、「面白い」にあたる別の評価語彙は何か、といったニュアンスが違うと創作のあり方は変わってくる。
    それらが違うだけで、「読んでて面白い?」に準ずるような自問自答はどの方角でも大事なんじゃないかな~と思います。

    涼しくなってきましたね。


  • 編集済

    フィンディルさんへ

    どこか舌ったらずというか、言葉に芯があるけれどミステリアスな人魚ちゃんが主人公で、「かわいいっ」としか思えなかった自分の感度に絶望です。
    フィンディルさんは指摘はなさいますが、あくまで利他的な目的でのもとなので、感度の低い自分にもすんなりわかりました。

    ただ、それでも芸術って神様からの贈り物的な側面があって、論理的に説明しづらい部分もあります。
    そこを論理的に語るのが北だと思っているので、自分はそこを目指します。

    で、今回のルルちゃんのお話は……やっぱり北と西の両面があるんだ! という感想です。
    読んでて気持ちがよかったのと、ルルちゃんがかわいいのが北属性+人魚として人間に出逢ってどうこうという物語の中でルルちゃんがどう生きるかに着目した西属性。
    こういう感じで、感じ取りました。

    そうか。
    フィンディルさんって、物語ひとつで作者の執筆過程まで想定できてしまうんですね。
    やっぱり恐ろしい方だ。
    これは経験の差なのかな。
    洞察力ってどう磨けばいいのかわかりません。
    長くなりました。
    ではまたー。




    れなれな9
    ===
    他作品への洞察力より大事なものってなんですか?
    北を目指すうえで西がさまたげになるような、なにかですか?

    作者からの返信

    芸術は神様からの贈り物的な側面があるというのはその通りだと思いますー。
    北向きエンタメはその贈り物を、緻密に作られた型に流しこんで形を整えますけどね。

    執筆過程については、私の想像と竹神さんの実際のそれは結構違っていたっぽいですけどね。
    違っていてもいいんですけど、違っていたということで。
    水木さんの場合は(他者の作品への)洞察力よりももっと大事なものがある気がします。

  • 感想を書いてくださってありがとうございます。
    緊張しながら読みました。笑

    全体的に私は方角の理解とは表現とか、そういうことがあんまりわかってないんだな、と改めて思いました。うっすら把握しているつもりでしたが、だいぶ違っているような気がしてきました。

    作品に関しては、こういうことを書いちゃうとよくないのかもしれないのですが、ルルに関しては「そうだったの⁉」とびっくりしました。何も調べてなくて、書いてて流れで名前を付ける展開になり、雰囲気がかわいいからルルにした程度で、深い意味はありませんでした。

    最後の展開も、むしろオチをつけた気になっていたので、トコトコ進んでいたとは……。このあたりの感度がまだまだ低いようです。

    いつも書く前に自分なりにしっかり考えてから書き始めるのですが、今回は書きたいように書いてみようとして、それなら西っぽくなるかな、という気持ちがあったのと、思うままに書いてみたらフィンディルさんにはどういう印象になるんだろう、という興味があってやってみたのですが。

    でも振り切るところまで行かずに、伝わるように書かないと、と数段くらい進んで整え始めたので、その中途半端なのが、その通りにそのまま出てしまったようです。

    なのでもう少し長く書いていくと、のところは、興味深かったです。というか、あの調子であれ以上長く書くことが自分はできるだろうか?という気持ちです。
    いつも考え過ぎて、面倒くさくなって投げてしまうので、もうちょっと粘り強くならないとな、と思いました。

    改めて、感想ありがとうございました!

    作者からの返信

    ふんふん、「ルル」という名前について特に意味は込められていなかったのですね。意外。
    ただおそらく(大切なものという意味の)「ルル」も響きで使われているんじゃないかと思うので、竹神さんの言語感覚が良いということなのかもしれませんね。
    全くの偶然ではありますが、全くの偶然で片づけるようなものでもない気がします。

    最後の展開の執筆意図も意外。
    書き方がもっとぴしっとしていたら寓話風の北になっていたかもしれませんが、個人的には書き方も含めて西っぽい印象でした。

    感想中でも書いたとおり「思うままに書く」と「物語として整える」が具体的にどういう処理を施しているのかにもよりますが、方角的に中途半端であることは何も悪いことではないので、本作には本作なりの良さがあると思います。
    本作の場合、物語を縮めるとより北向きになるし物語を続けるとより西向きになるだろうなというだけで、北北西程度の本作には本作の良さがあると思います。

    ただそれとは別に、確かに粘り強さについては鍛える価値はあるかもしれませんね。
    フィンディルの勝手なイメージとして竹神さんには、創作的感覚の高さと創作的体力の低さを感じるので、「もういいか」からもう少し粘れるともっと良いものになりそうな気がしています。
    竹神さんの長編作品などを読んでいるわけではないフィンディルの勝手なイメージなので、あまり参考にするものではないでしょうが。

  • フィンディルさま、
    この度は、素晴らし過ぎる感想を書いて頂き、本当にありがとうございましたー!!
    特に伏線の部分は、回収漏れが無いように慎重に仕上げたので「成長を感じます」とのお褒めの言葉に、心の底から歓喜しております!!わーいわーい!
    本作タイトルである十六夜の月の対比についても、「欠け」と「満ち」について、作者が展開上は意識しながらもうまく言語化出来なかったところをきっちり整理して下さって、本当に嬉しいです♪♪
    方角は、やはり真北ですよねえ。皆様の感想を拝読しても、自らの創作過程を思い返しても、最初から西ではなくストレートに北に向かったな、と思いましたw
    フィンディルさんも触れて下さっている通りで、私はどうしても、最後に「真相はこうです」をねじ込みたくなる性分のようで。頂いた感想を読んで、「そうか! オチを付けると、自分が安心するからか~!」と、妙に納得しました。正にその通りです。読む場合はオチ無しでも全く気にせず楽しめるのですが、自分が書く場合、無いとソワソワしちゃって。それは一つには、私が元来ミステリ小説好き、というのもあるかもしれません。無意識に「真相」を求める癖、みたいな。ちなみに、読者としてなら純文学も好きなんですが、方角企画で3回挑戦させて頂いた今、作者としてはかなり適性が薄いと自覚しました…。西向き、難しかった~💦
    それが「愛崎の欠点かつ長所」であること、我ながら深く納得です。「創作者としての自分を知る」との言葉。なんというか、無性に感動しました…。ド素人から始めて、今は自分の創作適性を自覚するに至る…鈍足ながらも、2年前より確実にレベルアップしている気がして、とっても嬉しいです!細々と続けて来た甲斐がありましたー!涙
    そしてその上を行く、もう一歩踏み込んだアドバイス。これは本当に、「うぎゃあ?!」と衝撃でした。リアルにのけぞりました。
    neutralとabnormalを、入れ替える。全く思いつかなかった構成に、全く異なる読後感。しかも、「愛崎らしさ」を考慮して下さったうえでの、超的確なお勧め。天才過ぎるアドバイスに、鳥肌が立ちました。そうなんです、実は私は「王道大好き!安心する~✨」なタイプなんです!意外性を追求すると、それもまた落ち着かなくて。そこをフィンディルさんにずばりと言い当てられて、「ほえーー!!凄すぎる!!」とビックリ仰天です!
    真相展開を入れた後の、もう1シーン。上記だけでも読み味がガラッと変わって、確かに「翔真やばっ」から「翔真…お前あほや」となる。圭太のシーンに、深みが出る。これは考えていませんでした。本当に、滅茶苦茶参考になりました。方角企画に参加して良かった…と心から思いました。今後も王道を追求しつつ、「あれっ、この作者の、ちょっと読み味が違うな?」という展開を心がけられたら、と思いました。愛崎の傾向に合わせたアドバイス、本当にありがとうございます。

    長くなりました。感想交流含め、大変学びの多い素晴らしい企画に参加させて頂き感謝です。作品を読み込み、これだけ密度の濃い感想を執筆なさるのは大変だと思います。暑い日々、どうぞお体ご自愛下さいませ。引き続き、企画楽しませて頂きます♪
    この度は本当に、ありがとうございました!!

    作者からの返信

    伏線関連については、明らかに上手くなっていると思います。
    愛崎さんが意識して慎重に仕上げて、その仕事が読者(フィンディル)にしっかり伝わった。これは愛崎さんにとって嬉しい出来事だったんじゃないかなと思います。
    前回の方角企画からの二年間を感じました。
    (愛崎さんは否定しそうな気もしますが)愛崎さんは努力家なのだろうと思います。

    ・

    方角企画って、色々な創作性を知るのはもちろん趣旨ですが、自分の創作性を知るのも趣旨であると思っています。
    西に傾けることができて「こういう創作もあるんだな~」と思うのも収穫ですし、西に傾けることができなくて「自分の創作ってこうなんだな~」と思うのも収穫だと思います。
    なかなかそんな機会はないですからね。

    ・

    感想中でも述べましたが、愛崎さんは「安心できる驚き」が合っているのだろうなーと思います。
    意外な展開・結末を入れないと安心できないけど、それが意外な展開・結末すぎても安心できない。
    ただ(これも感想中でも述べましたが)そういう作品ってけっこう多くて、もしかしたら愛崎さんとしても「ちょっと物足りないか?」「意外なオチをつけるなら、もっとすごいオチにしたほうがいいのか?」みたいなことを思ったことがあるかもしれません。
    ただ作者にとって気持ちのいい創作をするというのはすごく大事なことなので、愛崎さんに「安心できる驚き」が合っているのならそれを大事にするのが良いだろうと思います。
    そのうえで本感想で述べたようなことで、「それだけじゃないぞ?」と思わせるような何かがあると創作が次に進むのだろうと思います。
    ―――――――――――――――――――
    今後も王道を追求しつつ、「あれっ、この作者の、ちょっと読み味が違うな?」という展開を心がけられたら、
    ―――――――――――――――――――
    良いと思います。王道だけどどこにでもある感じではない、ですね。

    ・

    常連さんとしての参加、ありがとうございます!
    いつもテンション高く信頼してくださって嬉しいです。
    私としてはついつい調子に乗ってしまいそうになりますが、その信頼に甘えすぎず感想を書いていきたいと思います!


  • 編集済

    >フィンディルの解釈では、本作の方角は南西です。北西と少し悩みました。

    作品を読んでくださって、感想を書いてくださって、ありがとうございます。
    北西と少し悩んだとしても、南西で、南があるということに安心しました。

    >本作は(南西帯ではあるけれど)西も南もほどほどで、そこまで強くないという印象をフィンディルは抱いています。
    南半球の作品は数が少ないので、精度は高くありませんけどね。

    そうなのですね。
    でも、南がある
    ということが嬉しいです!!

    >西の要素としては、願いが挙げられます。
    本作からはおめでたくてポジティブで明るいキラキラした感覚を受けとれるのですが、同時に、おめでたくてポジティブで明るいキラキラした世であってほしいという願いも受けとれます。

    個人的に、ポジティブという言葉が嫌いなので(わたしではない感じがして。そういうセルフイメージはいらないとは思うのですが)、自分からはあまり使わないのですが、

    思考を放っておくとネガティブなことばかり考えてしまうので、
    「すべてはうまくいっている」と心の中で唱えたり、
    「大丈夫、うまくいく」と心の中で唱えたりはしています。

    出かける時も、「元気に起きて楽しく着替えて食事をしてスムーズに目的地に行き、スムーズに楽しく家に帰る!!」という言葉を携帯のスケジュールや、紙に書いておきますし(その時の気分で書く内容は変化したりしますが、不安な時は特に、願いを書いておきます)、

    書いた時はスムーズなことが多いです。
    出かけている時も前向きでいた方が楽しいことが起こりやすいので、意識していたりします。

    言霊を大事にしているというのも、こういう部分があるからなのだと思います。

    意識して使っている時は、そうなのですが、

    作品としては、降りてきた言葉をそのまま書くことを好みます(物語を書く時は、映像や絵が降りてきて、それに意識を向けて書くことが多いです)。

    今回は、降りてきた言葉の中で、紙に書きたいと感じたものを選んで、書いていただけなのです。
    わたしの感覚的には。

    でも、春のわたしの状態? を知っている人は、「願い」や「いのり」だと思うだろうな
    とは思っていました。
    フィンディルさんにはちょこちょこと伝えていましたが、基本的に、
    あのようなタイミングでは、良いエネルギーにならないと思うので、
    紙にだとしても書かないのです。

    あの時は、2年ぐらい「南」が書きたいと思っていて、方角企画のエッセイ? の感想やコメント欄で、ずっと勉強していて、また参加したいと願っていたタイミングでした。
    なので、どうしても参加したいという気持ちと、わたしが「お守りにしている作品」だと他の方に伝えるぐらいに、
    エネルギーのある、強い作品だと感じていたのです。

    作品を書く時は、自分もしあわせで、読者さんもしあわせでいてほしいので、
    できるだけ縁起が良いとされている植物や動物を入れることはよくありますし、
    魔よけ効果を意識的に入れる時もあります。

    この作品には自然と縁起の良いものが入っていて、しかも多いなと思っていました。
    それだけ守りが必要なのか、とも思いましたが。

    そんな状態だったので、「願い」はある意味、正しくて、
    でも、「願い」とは「未来」のことで、
    この作品には「わたしの本質、ルーツ、過去」が入っているなとも思うのです。

    >作品のなかでポジティブなものを表現したというより、作品を通してポジティブなものを訴えた、というイメージですね。
    自分も社会も、このようであってほしい。そういう作者の意思や願いをフィンディルは感じます。

    そういえば、小学生のころに書いていた短歌や詩や作文は、「植物はすごい」「みんな仲良く手をつなごう。世界平和が大事」「命は大事」みたいなことでした。

    今は、わたしの心が平和であれば、世界は平和だと思っているのと、
    コントロールは愛ではないと思っているので、
    他人や世界(現実)をコントロールしようとしない。
    自分の運命(人生)と同じように、他人や世界のことも信頼する。
    ことを意識しています。

    (おいのりは趣味と言いますか習慣なので、すべての命と、たましいのしあわせをよくおいのりしています。それは自分がそうしたい&楽しい&好き&愛を伝えたいからやっているだけです)

    と書いても、感情的な幼い自分(インナーチャイルド)が強く出ている時もあるので、
    感情が暴れている時もあるのですけどね(そんな自分を眺める&愛の視点で見守るようにはしています。そして必要があれば、ダメなことはダメだと教えます)。

    7歳ぐらいからか、30歳までは世界が灰色だと感じていましたし、
    あの頃は、自然や植物や動物や絵や物語や詩が好き
    だとは知っていましたし、創作活動はしていたのですが、
    30歳の時に怒りの感情が出てきてからは、喜びや感謝やしあわせや満たされるという気持ちもたくさん感じられるようになり、
    世界が色あざやかに、美しく感じられるようになり、
    食べ物もおいしいと感じられるので、
    生きていてしあわせだなぁとは思うのですが、
    人間的に、気持ちが不安定になることはありますが、
    人間って素晴らしいなとも思うのです。

    創作活動が好きなので、創作のことを考えている時は、とても楽しい気持ちでいますし、
    この企画も、楽しく参加させていただいています。
    フィンディルさんのおかげです。

    それと、今は11歳の男の子になって「真西」を書いていて、
    彼のエネルギーを大事にしているため、「繊細で敏感な子で、思春期で、反抗期な男子一人称の言葉」をそのまま書いている感じです。
    なので、一般的な正しい言葉を使っている感じではないように思います。

    「真西」なので、それでいいと思っています。
    今は「真西」だと思っているだけです。

    自然も言葉も生きていると思っていますが、物語も生きているので、
    コントロールは、あまりしません。たぶん。

    この作品が春(植物がすくすく育つ季節)なら、今書いている物語は真夏なので、
    だいぶ違うなと思っています。

    今のところは、ですけどね。
    まだ、書き始めたばかりなので、どうなるかは、流れにお任せします。

    それでは、また。いつもありがとうございます。

    追記

    今までの方角企画やエッセイでも、「真西」について調べたのですが(作品は一作だけ、存在を確認できました。苦手なことが書いてあったので、作品を軽く読ませて頂いても、応援は押しませんでしたが。フィンディルさんの感想はすべて、読ませて頂きました。それは前もですが→読ませて頂いたのは、今書いている作品を書く前です)、

    『フィンディルの感想』でも、時々さがしています(今のところ、わたしが知らない「真西」は見つかりませんけどね。カクヨムで感想を読ませて頂いたものはありましたが)。

    今、書いている「真西」は、だいぶ書いたのですが、
    ちょっと丁寧に? 向き合いたいところがあるので、
    きちんと向き合おうと思います!!

    作者からの返信

    自分の気持ちや行動や目的を言葉にしておくと良いというのは、よく言われることですからね。
    前向きでいたほうが楽しいことが起きやすいというのも、その通りだと思いますー。

    降りてきた言葉(または映像や絵)をそのまま書くというのは、桜彩さんらしいなあと思います。
    それによって物語を構築するので、桜彩さんの作品は北西が多いのだろうと思います。
    北西作品が多いのは、桜彩さんの魅力のひとつだと私は思いますよ。

    ―――――――――――――――――――
    今回は、降りてきた言葉の中で、紙に書きたいと感じたものを選んで、書いていただけなのです。
    ―――――――――――――――――――
    の「紙に書きたいと感じたものを選んで」というのが、本作が(南ながら)南が強くない理由だろうなと思います。
    基本的に南では「選ぶ」という処理はしないので。
    それが合う合わないはあるでしょうし、「選ぶ」を経ているからこそ桜彩さんにとって本作が「お守りにしている作品」になっているのだろうなとも思います。

    真西の作品も楽しみにしています。
    真西は桜彩さんの適性を考えると十分書けるとは思いますが、実際に作品に落としこむにあたって口触り良くすることも桜彩さんは得意としている印象もあるので、どういう作品になるだろうという気持ちでいます。
    それで北西になることが多いのだと思いますが、やはりそれが桜彩さんの魅力のひとつだと思います。

  • この作品は南西なんですね。私は北西の判断をしたので、私自身の南への理解度がまだまだ低いことを痛感しました。

    >終盤では文章めいた箇所も出てきますが、これは作品の輪郭が北的にはっきりした(から北に寄る)というよりも、南の感覚の揺らぎとして輪郭のはっきりしたものも出てきた(から南のまま)、という捉え方のほうがそれらしいかなあ? という印象です。

    この部分、どう捉えるべきか気になっていたので、興味深く拝読しました。
    個人的には南方面の作品が増えて嬉しいです!

    作者からの返信

    (感想でも述べていますが)私も北西と少し悩みました。
    本作で北西判断をするのは、私はむしろ南への理解度の高さの表れなんじゃないかなあ? という気がします。

    私の認識するかぎり、参加者のなかで泡沫さんがもっとも南への熱量が高いイメージがあります。桜彩さんもそうですけども。
    なので「南の作品はこういう感じ」というイメージがしっかりとおありなのだろうと思います。こういう手触りのある作品が南だと。
    で、本作はその手触りそのままではなかったので、南と判断しづらかったんだろうなあと私は受けとっています。
    なので、南への理解度が高いがゆえの北西判断だという気がしています。

    泡沫さんはゲームがお好きなので伝わると思うのですが、終盤のくだりは、「ゲーム終盤に出てくる四次元的世界のなかにポンと出てくる遺跡の一部みたいなフロア」といったイメージでしょうか。
    じゃあその四次元的世界は三次元世界かというとそうではなく、飽くまで四次元的世界のなかに三次元世界の欠片が入ってきているだけであると。

  • フィンディルさん、ありがとうございます。
    方角については北西で安心しました。エンタメ的パッケージを整えて取っつきやすくしつつ、本質的には西らしいものが描けていたらいいなと思っておりました。
    思考による作品管理の「香り」を払拭するのが真西への鍵というお言葉にはとても納得感があります。それこそ作品管理の香りが濃厚に匂い立つのが北の「ならではの展開」なのかなと。

    筆致的人間性と設定的人間性の差別化が出来ておらず、設定をエンタメ的な「ならではの展開」に寄与させることが出来ていないように、一見見える。
    ただ、実はこの設定は「ならではのストーリー展開に寄与する」ためのものではなく、「あいとつみ」を問うための設定である、という整理をして頂いて、非常にありがたいです。
    展開のためではなく、テーマの為の設定。
    自分で言語化が出来ていなかったのですが、まさにそういうことなのです。

    例えば目の前で共食いをした「アイツ」自身は、罪なんて感じていないし、金魚が本能の赴くままに生殖行為をするときに愛も罪も感じない。でもそこに人間的感性をイレギュラーに得た「僕」が居ることで、それが発生する。でも「僕」は金魚の生を精一杯全うする。愛なのか罪なのか分からないまま、ただの「僕」として。
    みたいなイメージで描きました。
    描きたいのは、出自にかかわらず「その生物」として当然の形に至っていく過程と、それを観測する人間意識(『僕』と読者の)がどこに落としどころを見つけるか、というテーマだったのだと思います。

    「生物という対象枠に問うている」という部分がこの作品の面白い要素だというご感想には、目から鱗が落ちるようでした。

    私は人間以外の生物に筆致的人間性を与えるタイプの文章は、あまり書きたくないという感覚が元々ありました。
    「ある生物」の感覚は「ある生物」の感覚でしかない。日本語話者の脳内言語は日本語、英語話者の脳内言語が英語であるのと同様に、言語がない生物の脳内には当然言語がないと思うのです。そこに人間が倫理的に理解できるような思考回路を与えるということに違和感があった。
    金魚は共喰いをしたり、相性の悪い相手をいじめころしたり、生殖のために相手がボロボロになるまで追いかけまわしたりといった行動を当たり前に取っていて、そこには愛も罪もない。自分が産み落とした子供ですら食べてしまうくらいですから。
    でもそこに人間的感性を一粒落とすだけで、とてつもなく濃厚な「生死」への感情であったり「愛」であったり「罪」であったり「本能」や「倫理」みたいなものが発生するはずで、そこに、それらの概念の純粋な姿が現れるのかなという感覚で、この作品を書きました。
    その感覚的な部分を、完全に言語化して頂いたように思います。

    金魚を選んだとき、野生生物は過酷過ぎてテーマがブレるという思いは実際にありました。そして犬猫は「ペット過ぎる」。ここも汲み取ってくださって嬉しいです。
    また私自身が金魚飼育の経験がある事や、今もメダカを飼育していることもあり、魚の生態に人格を入れ込む想像がしやすかったというのもあります。

    だからこそ「アナカリス」は盲点でした。あまりに私の中に浸透し過ぎている単語で、特に考えなしに入れてしまっておりました。確かに、金魚に対して特に知識のなさそうな「僕」から出る語彙としては違和感があると思いました。キャラクターの解像度を高く保てていない証拠かなと。「せっちゃくざい」での課題と同様に、自分の生み出したキャラクターの個性をよく知る必要があると思いました。

    「頭をギンと冷やした」について。
    「転生の設定」は展開の為ではなく、テーマの為。金魚という体に収まっている以上は、何を選択するべきかが本能的に分かると思うんです。人間由来のまどろっこしい論理や倫理を経ずに、頭が直接シンプルに答えを出す。デカいやつに挑むなと。
    そして、誰よりもよく食べて生き延びようとする。生物として当たり前の行動を、当然選択する。そういうシーンですね。

    >この作者はこの作品で自分が描きたいことをよくわかっているんだろうなと窺える場面ですね。

    これが非常に嬉しかったです。
    描きたいテーマを作品の中でしっかり描くということに関しては、これからもしっかりと続けていきたいなと思います。

    この企画では色々と学びがあり、頭の中が整理される感覚が非常に楽しいです。
    私自身は早々に二作出し切ってしまいましたが、企画終了まで読者として引き続き楽しませていただきます。

    ありがとうございました!

    作者からの返信

    純文学の役割を仮に「探求の手続き」としてみると、作者がその作品を管理している香りって“探求の不足”に直結しうるものでしょうからね。「探求」と「管理」って対義関係に近しい気がします。
    「作品管理の香りが濃厚に匂い立つ」が北向きなのはそのとおりで、そしてそれは作品管理の香りの有無自体が重要というより、作品管理の香りに対する価値観の違いが重要な気がしています。
    北向きって作品管理の香りをさせることを基本的に奨励しているんですよね。隠すものではなく、むしろガンガン出すものだと思っている。
    作品管理はエンタメでは“おもてなし”に換言できると私は考えていますが、おもてなしって隠すものではなく、むしろガンガン出して得点を稼ぐものですからね。エンタメには「読みやすくするための工夫」「楽しませるための工夫」を隠すという発想が基本的にない。「良いものなのに何で隠すの?」と。
    そこの基本の考え方が、北と西とでは違うよなあと思います。

    ・

    言語論的な話ですよね。
    (その人が持つ)倫理や感性に基づいて言語が写しだされるのではなく、(その人が持つ)言語に基づいて倫理や感性が写しだされる。
    金魚は(人間で言うところの)言語は持たないわけですから、(人間の)言語に基づいた倫理や感性もまた持たない。
    しかし「僕」は人間の記憶および(人間の)言語を残している。
    よって、「僕」は(人間の)言語に基づかない環境で(人間の)言語に基づかない行動をとるが、その行動に対して(人間の)言語に基づいた価値評価を下す。
    この作品的手続きをすることで「生死」「愛」「罪」「本能」「倫理」といったものが、人間的な感性に塗れない静かで純粋な手触り、かつ、人間が理解しやすい“フリガナ”で表現されるのではないか。

    そこまでは私は解釈しておりませんでしたが、確かにその心は(本感想の)「生物という対象枠に問うている」という言葉に宿っているかもしれませんね。

    そのように本作を受け止めた場合、言語の有無を理由とした「人間は上等で、金魚は下等」の価値観がほとんど出ていないのは好印象です。本コメントでK.K.さんが仰った表現意図が悪目立ちしていない。
    人間は別に上等ではないし、金魚は別に下等ではない。生物間の“レベル”の勾配をほとんど感じなかったのは、とても良いと思います。

    一方、金魚を「言語を持たない存在」として描いているのは少し気になるかもしれません。
    確かに人間は言語を持ち倫理や感性はその言語の影響を受けているわけですが、じゃあ言語を持たない金魚はそこから全く解放されているのかというと、そこはどうなんだろうという気がします。
    金魚には金魚のコミュニケーションがあるでしょうから、そのコミュニケーションに金魚の倫理や感性は影響を受けているのではないか。言語だけが言語論の対象なのか。実際どうかは(私は金魚ではないので)わかりませんが。
    本作にて「僕」はそれなりに他金魚とコミュニケーションをとっていますが、それらは「人間の言語論的行動」か「生物の本能」のどちらかで処理されているような印象を受け、「金魚の(非言語の)言語論的行動」は特に見えなかったような気がします。
    そこの折衝はあってもいいのかもしれないな~と感じました。

    ・

    感想執筆当初は「人間から転生した『ならでは』がない」と同様「転生先が金魚である『ならでは』がない」という方向性で書いていました。だから北ではない、という論旨で。
    ただ理解を深めるなかで「いや金魚というチョイス、かなり考えられていて上手いぞこれ」となって、感想内容を一部変えたんですよね(割とあるあるです)。
    金魚というチョイス、かなり考えられていて上手いと思います。

    その上手さが作品管理の香りにつながるというのは、K.K.さん的に歯ごたえのある課題になりそうですね。

    アナカリスの話は、K.K.さんが重視されるPOV(視点表現)にど真ん中で入ってくるものだろうと思います。

    ・

    「頭をギンと冷やした」はとても良い言い回しだと思います。
    そんな自身の行動について「僕」がネガティブ評価をしたり引きずったりしなかったのも良かったですね。
    そのあとで「ああ――」と入れていますが、これが人間から転生した「僕」で出せるギリギリいっぱいの描写って感じでした。

    ・

    本企画を通して、K.K.さんがしていきたい創作の解像度が上がればいいなと思います!
    企画が終わったあとも、あれこれ関わってくださると嬉しいです!

  • 北の論理はむつかしいけれど、そういうふうに分類されるものなんですね。
    作者さんは、よっぽど生き物が好きで、じーっとじっと観ていたんだろうなああ、って思ってました。
    およそ作為的な何かを感じなかったのです。
    知っているけれども、知らない世界。
    金魚から観た生物界。
    K.K.さんは感想の返信で「金魚は野性に比べると」比較的安全な生き方ができるって言っていたように思います。
    充分魅力的でサバイバルだよと思っていました。
    フィンディルさんの感想で、きちんと整理整頓されると、ちゃんと計算があったんだ! と改めてK.K.さんのセンスに感じ入りました。
    完璧に入り込んで読めたので、北だと思ってました。
    北西……なるほど。
    没入感とカタルシスはそこから来ているのかな? と、またもや方向を間違えそうになります。
    K.K.さん、すごいなあ。




    れなれな3

    作者からの返信

    まさに「作為的な何かは感じないけど、そこにはちゃんと計算がある」というのが北西っぽいなと思います。
    これが真北だったら、もっと“生き物図鑑”っぽいアプローチで金魚を描いていただろうなと思います。そうではないもっと“生の生物”としてのアプローチは西っぽい。
    ただ(感想中でも述べたように)“生の生物”の作品表現ができるような最適な選択をしており、かつその香りが出ている点はそこまで西っぽくない。
    そんな印象です。

    K.K.さんは創作歴は短いらしいですが、現時点でも真北・北北西・北西を書き分けることは十分にできるだろうなと思います。そしてこれはおそらく水木さんが望む能力だろうなとも思います。
    ただK.K.さん本人としては北西・西北西・真西を書き分けられるようになりたいのだろうなーという印象を私は持っています。そのためにはブレイクスルーがひとつ必要になるだろうな、という印象も私は持っています。
    そして北西・西北西・真西の書き分けは(狙ってできるかはさておき)水木さんがけっこう得意とするところであり、創作って難しいなあと思います。

  • 感想、とても興味深く拝読しました。すごく好きな作品なので。

    作者からの返信

    嬉しく思います!

  • フィンディルさん!

    「性描写と方角」についての詳しい解説ありがとうございます。

    とりあえず、私が何故「性描写は西に向く」と考えたのかなんですが、昔読んだ何かの賞を取った作品の講評に「最後の三行は純文学」と書かれていたのが脳内に焼き付いています。これは方角で言うなら「真北作品だけど最後の三行は西向きでちょっと毛色が違う」って事だと思います。確かに、最後の三行が妙に美しかった記憶があります。

    性描写でも同じように、エンタメ的なものとそうでないものがあると気付いております。男性向け作品より女性向け作品の方が西を向きやすいのではないかとか、行為そのものより感覚や感情的な描写が西を向きやすいのではないかとか。もちろん、自分がそういう書き分けができるという訳ではないです。難しい。

    また、情景描写が西を向く事は知っていましたが、戦闘描写、残酷描写なども西を向く(北から離れる)との指摘に目から鱗が落ちた気がします。そして同時に、「性描写や戦闘描写は真北エンタメの枠組み」というのも納得です。

    次に、カクヨムのガイドラインに関しての見解は概ねその通りだと思います。性描写とは別のストーリーがあって、過激すぎず、具体的すぎないようなものが求められていると思います。運営はどこのどの表現がNGだとは教えてくれないので、経験上得られた条件となりますが、大体合っていると思います。

    さて、作品についてです。「簡易に真北ストーリー構成を組んでいるところ」の指摘はもう当たりすぎですねえ。その通りなのです。当初は月城視点でもう少しぼかして幻想的に書き進める予定でした。しかし、エロくなりすぎで没。女王視点にすると性描写は客観的になりエロさ加減が薄まってイイ感じになりました。しかし、性描写多めでストーリー性が希薄だと、物語をどう収めてよいのか分からなくなっちゃうのです。私にはそういうクセというか、そうしないと書けない能力的なものがあります。後半でやや駆け足的な感じがするのは、5000字で物語を終わらせるためのやっつけ構成ですね。北向きエンタメで行くなら前半の2話は不要で、月城とマリアンヌ、蜘蛛の女王だけで足りちゃうんですよね。それで5000字にするなら分量もちょうどいい気がします。

    蜘蛛の女王は日本各地に伝わる妖怪「絡新婦(女郎蜘蛛・じょろうぐも)」がモチーフになっています。西洋だとアルケニー(アラクネ)となるようです。女に化けて男を誘って性行為をして食ってしまうというのもそのまんまです。

    女王、指揮ユニット、疑似霊魂、機動兵器、コアユニットなどの詳細ですが、西向きならぼんやりでもいいという感覚でした。さすがにこれでは不親切すぎるって事で、概要欄に簡素ですが解説を入れています。これらを物語中に取り込むなら、相当な文字数になりそうで、ストーリー構成を文字数の関係をあらかじめ設計しておかなくてはと反省しております。

    この度は楽しい企画を開催していただきありがとうございました。

    作者からの返信

    性描写と戦闘描写はかなり近いと思いますねー。
    残酷描写やギャグ描写は散発的になりやすいので「文字数をたっぷり使う」という読み味にはなりにくいですが、性描写と戦闘描写は塊になりやすいので「文字数をたっぷり使う」という読み味を生みやすい。
    そのうえで真北エンタメの枠組みに入れられているので、なおのことやり玉に上げられやすいなあという印象があります。
    それでもまだ性描写は性描写を見るために読んでいる読者も少なくないでしょうが、戦闘描写は戦闘描写を見るために読んでいる読者は割と少なめでしょうからね。
    個人的には(性描写がそうであるように)真北エンタメの枠組みでない在り方としての戦闘描写も確立されてほしいなあという気持ちがあります。

    西を向くためにこれらの描写を用いるという観点なら、戦闘描写もアリかもしれませんね。
    性描写は西的な性描写が確立されているが、投稿サイト的な懸念がある。残酷描写もまあしかり。
    戦闘描写は西的な戦闘描写は確立されていないが、投稿サイト的な懸念はおよそない。
    なので難しいは難しいですが、別アプローチとしてはアリかもしれませんね。

    ・

    その執筆に5000字使うわけですから、5000字が合う物語を考えるのは当然ですよね。
    でも実際は物語濃度の非常に薄い性描写に2500字を使っているので、(物語のために)事実上として使える文字数は2500字。
    この匙加減は独特で、性描写や戦闘描写を入れる際には気をつける価値があるなあと思います。

    エンタメ構成なしに作品をどう着地させればいいのかわからないというのは、暗黒星雲さんにかぎらず多くのエンタメ作家が持っている癖だと思います。
    脚を組むのが癖になっている人は脚を組まずに椅子に座ることがもはやできない、という感覚に近い。むずむずしちゃうんですよね。
    息をするようにエンタメを書けるというのは、エンタメを書かずに息をすることができないという意味でもあります。
    これは暗黒星雲さんが認識されているとおり「欠点かつ長所」なんですよね。何を書いてもエンタメになってしまう欠点は、同時に、何を書いてもエンタメにすることができる長所でもある。
    なので改善すべきとかそういうことは全くない癖です。

    先述したとおりこの癖は多くのエンタメ作家が持っていると思いますが、暗黒星雲さんが違うのは、この癖をご自覚されていることですね。
    自分は何を書いてもエンタメになってしまうことを自覚しているエンタメ作家は実はあまり多くないと私は思っています。
    何がエンタメで何が非エンタメかわかっていないので「自分の創作は何でもアリだ。自分の創作は自由だ」と本気で思っているエンタメ作家はそこそこいるだろうと思っていますし、実際そういう人を見かけてビックリしたことがあります。それはそれで幸せなことですけどね。
    ただ私としてはそのくらいは自分を俯瞰しておいたほうが(本当に自由になる意味でも)良いと思うので、ここは暗黒星雲さんの優れているところだと思います。方角企画に触れるなかで養ってきた感覚などであれば嬉しい。
    何を書いてもエンタメになってしまう癖があるとしても、その自覚がある人とない人とはやはり何かが変わってくると思います。「欠点かつ長所」という認識を携えているのは大事なことだと思います。

    概要欄の登場人物説明、そういえばしっかり確認しておりませんでした。人型と昆虫型がいるわけですね。
    西向きならば設定面はぼんやりでもいいというのはその通りなのですが、それは西を指せているのならばという話で、真北を向いてしまうと(当たり前ですが)設定面がぼんやりなので良くないという評価になってしまいます。
    難しいところですね。北と西の関係性は厄介ですよね。

  • 丁寧なご感想をありがとうございます!

    一応、ネタが被らないように、過去企画の東向き作品を読み返してから構想に取りかかりました。
    ですので、知らずうちにフィンディルさんの作品に影響された可能性はありますが、発想の始まりは、縦書きと横書きを組み合わせて面白いことをしたいでした。習作を書くうちに、メッセージアプリにたどり着いた感じです。

    今回優先したのは、読みやすさです。もっと言うと、横組みであればスマホでもパソコンでもどの文字サイズ表記でも、作品のレイアウトが崩れないこと。
    横書きパートと縦書きパートの時間差や返信時間の処理なども、読みやすさを優先しつつどのように表現するべきか悩みながら書きました。そのため、1行8文字の文字数についても読みやすさを優先した結果、自然にそうなりました。
    初めて試みた手法ですが、ハード作りの点ではお褒めいただき嬉しく思います!

    そして、フィンディルさんがお気づきのように、今回の目標は「東を向く」でした。本作品は下書きなしで書いており、ストーリーも打ち込みながら考えた即興に近いものです。
    そのため、指摘されている、3ラインの面白みが欠ける点、北的ストーリーと東的構成の連携の弱さ。これは全く仰る通りです。
    東を向くという目標自体は達成できたわけですが、もう少し、東そのものではなく、北と東の関係性に目を向けても良かったかもしれません。
    北の面白さと東の面白さは違うからこそ、それぞれでそれぞれを引き立てられるのが、理想の東向き作品なのかなと感じましたし、それが更なる「面白さ」に繋がるわけですよね。

    私は東的な遊びをしている詩を何度も書いたことがあり、だからこそ、北と東の関係性について興味深く拝読いたしました(もちろん小説と詩ではまた違うと思いますが)。
    東向きを書く機会は今後もあると思いますので、その際には、今回のご感想を活かして書いていきたいです。


    ちなみに、今の私の興味は北東から離れて南東にあったりします。というのも、今まで北西、南西、北東方面を書いてきて、残されていると言えるのが南東方面だからです。
    南東はおそらく難易度がかなり高い方角だと感じています。個人的な感覚ですが、南と東は相性が良くないような気がして。
    ただ、ナツガタリの企画も気になっており、正直二作目を書くのは少し難しいかもしれない状況です。申し訳ありません。

    最後に。こちらの企画は、普段触れる機会の少ない作品に出会えるので楽しいです! 引き続き、他の参加作品を拝読していくつもりです。企画の運営は大変だと思いますが、どうかご無理のないように。

    改めてご感想をありがとうございました! 長文失礼いたしました。

    作者からの返信

    東向きの創作って基本的に読みにくいんですよね。北向きぐらい読みやすいものは大体北向きなので。
    だからこそ東向きにとって読みやすさは(北向き以上に)重要な要素で、そこに注力されているのはすごく良い判断だったと思います。高い適性を感じました。
    横書きと縦書きを同居させる“異常さ”はしっかり出しつつ、それにより生まれてしまう読みにくさはできるだけ軽減する。
    本作は読みやすい北向き作品よりも圧倒的に読みにくいわけですが、読みやすさのために費やされた技術と時間は(読みやすい北向き作品よりも)明らかに多いと思います。

    ・

    方角企画は方角の企画ですし、まずはその方角を向くことだけを楽しんでもいいのかもしれませんね。
    それぞれの方角を知ったうえで、より追求したいと思う方角の距離を伸ばすという順序でもいいのかもしれません。
    私はそれぞれの方角の良さや楽しさを知っているがゆえに、あれこれ言ってしまうわけですが、ちょっと急いでいる態度なのかもしれない。

    南東帯について、私は南と東の相性が悪いという感覚は特には持っていないですね。落ち着いた静かな環境で書けるイメージのある方角帯で、東を書くなら北東帯より南東帯のほうを好みます。
    また小説的文章を右脳で崩すのが南西帯なら左脳で崩すのが南東帯というイメージもあり、その「崩す」処理と東的処理は割と近しいイメージも持っています。

    南東帯の大事なポイントをここで述べておくなら、南東帯は人を出さなくてもいい唯一の方角であると考えています。
    北半球は「目的の創作」「変化の創作」であると考えているのですが、目的や変化を描くうえでは人(人相当の生物)がやはりうってつけである。生物以外に目的意識を持たせるのはなかなか大変ですからね。
    西半球は「人間そのものの創作」であると考えているのですが、人間そのものを描くうえでは人(人相当の生物)がやはりうってつけである。人間を出さずに(人間の)情緒を描くことも可能ですが、それは果たして人間を出していないといえるのかという話。
    北半球でも西半球でもない南東帯が唯一これらの縛りから解放されるイメージがあって、それが私が思う南東帯の好きなところです。「人(人相当の生物)を出さないといけない」って、よくよく考えると窮屈だなと。
    そういうイメージを持たれてみると取りかかりやすいかもしれません。
    次回の方角企画(開くかわかりませんが)では是非。

    ・

    追加で方角の話をするのであれば、真西・真東・真南は別個の方角帯として扱っていい印象があります。
    北西帯も南西帯も書けたからといって、真西が書けるとは限らない。東もしかり。
    過去の方角企画を振りかえってみても、真西や真東って実はすごく珍しい気がします。西北西判定や西南西判定はあるけど、と。

    北要素も南要素もほぼ入れず真西(真東)を書くのは、ちゃんとその方角の地力がないと難しい印象があります。思えば真北もそうですからね。
    もしかしたらこれも泡沫さんにとって興味深いかもしれません。

  • フィンディルさん、ありがとうございます!
    こんなにも丁寧に私の作品を読んでくださったこと自体がとても嬉しく、ニヤニヤしながら読ませていただきました。

    方角に関しては、かなり納得です。真西を志向する身としては、かなり伸び代を可視化させていただいたような心地で、とてもありがたい評価でした。

    そしてすごく丁寧に優子の人物像を掘り下げていただいて嬉しく思います。

    > 優子は「そのなかで優位の立場」かつ「何とも言いがたい立場」に自分がいることを性癖とする人間なのだろうと解釈しています。

    これ、一見した時、ちょっと違うような気がしました。ただ後述しますが、よく考えると、結果的にめちゃくちゃ合っていると思いました。

    フィンディルさんによる解釈と私の中の解釈を擦り合わせるために、一度ズラーっと、私の中の『優子とは』を出力しておきたいと思います。

    優子は、陽菜も晴人も、「性的な関係になってもおかしくないくらい好き。でも、現状が一番幸せ」という思いのままに、今の関係性を保つ選択を常にする。
    二人のことを特別下に見るつもりはないけど、無意識に上の位置から「かわいいなぁ」と愛でてしまっている。
    優子のことを好きでいてくれる二人も可愛いし、お互いのことを好きな二人も可愛い。
    物語当初の時点でその幸せな関係は既に完成していて、優子としてはその関係性を変えようとは思っていなかったけど、徐々に二人の依存が裕子に集まってきた。
    気づいたら陽菜と晴人は二人きりでは他人同士みたいになってしまうくらいに優子ありきの関係性になってしまっていて。優子としては狙っていたわけではないけれど、これ、めちゃくちゃ幸せじゃん……! みたいな笑
    優子は相手を害する意思がある悪人ではないけれど、自分が幸せになる選択をする時に、倫理観みたいなものを介在させないタイプの背徳者で、その自覚もある。自覚があるからこそ、当初無意識レベルでうっすら罪悪感は感じていて、だからこそ幸福をラベリングする心理が働いていた。
    でも途中からはラベリングするまでもないくらい明らかに幸せで、罪悪感はカケラも無くなってる(実はその点は優子も無自覚のうちに少しだけ変化してる)。背徳行動が内面化したというか。だから最後はすごく純粋なハッピーエンド(優子視点で)になってる。
    こんな感じのイメージです。

    これを踏まえた上でフィンディルさんの解釈と照らし合わせると、かなり多くの部分が一致することに気がつきました。
    私が一見した時に違和感を覚えたのは、優子自身は自分の性質を、「優位の立場」かつ「何とも言いがたい立場」に置きたいものであるとは思っていないからです。
    そこで読み進めていくうちに、「性癖」つまり「性質上の癖」という言葉で表現されていたことがすごくピタッと当てはまって、唸りました。

    優子自身の「性質」の自覚としては、「陽菜も晴人も好き。二人が私のことを好いてくれるのも、陽菜と晴人が両思いなのも全部好き。」だと思うんです。ただその「性質上の癖」として、「優位の立場」かつ「何とも言いがたい立場」に身を置きたがる。この深い部分は優子自身もハッキリとは自覚しておらず、作者の私もハッキリと自分の中で言語化出来ていなかった部分で、でも私の中の優子像の深い部分と、確かに一致しました。
    この「何とも言いがたい立場」に俗っぽいラベリング(接着剤系女子 笑)をされると萎えそうだなっていう分析もクスリとくると同時にすごく「そうだろうな」と思いました。

    > この感想を優子が読んだらもしかしたら萎えちゃうかもしれないなあ

    同意します。笑

    背徳者の罪の位置付けが深夜のラーメンというのも、かなりしっくりきました。
    そうなんです。自覚的な罪悪感がありつつ、その程度の罪悪感でしかない。そこが私の中の優子の、すごく本質的な人格だと思っています。

    少しだけ私の中の優子像とのズレがあった部分は、優子は「浮気のラインを踏み越えると一気に萎えてしまう」という部分。
    多分、萎えはしない気がします。でも、踏み越えない方が幸せだったなぁと思う気はします。
    それくらい、優子にとって二人はそれぞれが「大好きな人」であり、かつ二人の内心にストレスがかかることに関しては「あまり気にならない」のだと思います。

    > “解放”される必要があるのかというのも解釈次第ですけどね。

    これは、私自身書きながらすごく思っていた部分で、多分陽菜と晴人にとってもこの接着状態はある種の安定状態ではあると思うんです。
    A(陽菜)/B(優子)/C(晴人)
    の接着を剥離する方法は、A/B界面破壊か、B/C界面破壊か、はたまたB層の凝集破壊か。どの剥がれ方をしても、AとCがA/Cとはならない。有機溶剤をジャブジャブ使ってBを丁寧に溶かしでもしない限りは。

    さて。

    > 本作は「優子」を描いているんですか、「優子みたいな人」を描いているんですか。

    ここが今回の一番大事な部分ですね。
    私は「優子」を書いているつもりでしたし、「優子」に寄り添っているつもりでした。でもフィンディルさんの解釈が私に染み込むにつれて「優子みたいな人」を書いていたことに気がつきました。
    私が仕込んだ設定的な優子像。それを踏まえて優子が自覚的に自身を分析して得られる優子像。ここまでしか舞台にあげることができていなかった。いわば「関数」と「解の一例」の発表でしかなくて、それは手法としてすごくエンタメ的ですね。これ、もしかすると優子POVの副作用とも言えるかもしれないですね。。
    西でやるべきなのは「変数に代入を繰り返すこと」ですね。優子の解を積み重ねて、記号ではなく人間にしなくてはならない。その工程が出来ていなかった。分かりやすさとのトレードオフになるのかもしれませんが、私がやりたいことは、そちらの方向にある気がしています。

    ちょっと鳥肌だったのは、タイトルへの言及です。
    「せっちゃくざい」は、優子を接着剤たらしめようとして書いたわけでもなければ、接着剤という構造を最初から意識していたわけでもありません。

    最初は「やさしいこ」というタイトルで書き始めました。二人の間を取り持つ優しい子。だけど本当は、ただ欲望に素直な、自分に優しい子だった。みたいな。
    でも、私が目指したいのは真西ですので、これは途中で思い直しました。
    「こうだと思うでしょ? でも実は……こうでしたー!」っていうのはモロに北だなぁと思ったので。

    本編が完成した後にタイトルを考案し直しました。「かすがい」も考えました。「子は鎹」のかすがいですね。関係が冷えた夫婦も、子が鎹となって繋ぎ留める。それと同じ構造を再現しているのかなと。でもそれぞれの心理的構造が、それとは少し違う気がして、ボツにしました。どう違うのかはフィンディルさんによって言語化していただいた気がします。

    最終的に、粘着質にへばりついて、剥離しようとしても何処かが破壊されてしまう、接着剤。これが相応しいなと、神の目線でラベリングしました。つまりこのタイトルは、作品の芯となるテーマを表しているのではなく、すごく客観的な、他人事なラベリングでしかありません。
    優子にこれを発表したら、舌打ちされる気がしました笑

    総じて、とても非常に勉強になり、次作へのモチベーションになりました。
    ありがとうございました!

    作者からの返信

    「そのなかで優位の立場」かつ「何とも言いがたい立場」に自分がいることを好む性癖は、自覚しきらないことも性癖を満たす条件に含まれるような気がします。
    自覚できていないとか自分のことがわかっていないというより、自覚してしまわないよう自分のことをわかってしまわないよう気をつけているというイメージです。
    それは罪悪感から目を逸らすためというのもあるし、自分で自分のことをわかってしまうと萎えにつながりかねないから、というのもあると思います。

    優子って反芻癖があると思うんですよね。作中でも反芻していました。美味しい食べ物を一口食べたら、一回水を飲んで口の中をリセットしてから、もう一口いきたいタイプみたいな。
    なので自分の性質にもその反芻癖を適用しようと思えばできると思うんです。で、「自分ってこういう性癖があるな」と言語化しようと思えばできると思うんです。
    それをしないのは、言語化しちゃうのはつまらない気がすると無意識にわかっているからなんじゃないかという気がします。言語化の先の功罪まで見据えてそうで。
    なので「自分のことがわかっている賢い人」よりも賢い人である印象があります。自分のことがわからないようにしている、もっと賢い人。
    ということでフィンディル的には、事実上、優子は自分の性癖がわかっている扱いでいい気がしています。「自分のことをちゃんと自覚していない」のニュアンスが違うというか。確かに性癖の概容はわかっていないけれど、それ以上に性癖の本質がわかっている人。

    また優子の変化については、確かに変化はしているけれど、その変化も含めて背徳のワンセットな気がしています。
    たとえば背徳でいうと深夜ラーメンも、最初のころは「深夜にラーメンなんて良くないけれど、これが一番美味しいから/我慢が一番身体に良くないから/今日はここまで食べる量少なめだったからetc」みたいな思考を挿むんですけど、深夜ラーメンが習慣になるとそういうことも考えなくなってくるんですよね。
    それも変化といえば変化なのですが、ここまでが背徳のワンセットだなと思います。「背徳」という言葉にこの変化は織り込み済みというか。
    この背徳のワンセットにない変化があって初めて、北的な変化というか、あえて特筆すべき変化に挙げられる気がします。
    私としては本作では変化は描かれていなくて、変化も織り込み済みの背徳的性癖のワンセットが描かれているという受け止めです。

    ・

    「何とも言いがたい立場」についての優子の感覚について、K.K.さんと一致して嬉しいです。
    「そういうのいいから」とか冷たく言われそうです。

    基本的に優子って「こういうタイプ」に括られるのが好きじゃないんだろうなという気がします。
    食の好みみたいな割とどうでもいいことでも「あ、優子ってそう食べるの? そういうタイプいるよね~」と言われると、ちょっとだけモヤッとするみたいな。

    ・

    「浮気のラインを踏み越えると一気に萎えてしまう」は違うんじゃないか、というのはなるほど確かにと思いました。
    性癖へフォーカスしてばかりで、好意の観点が抜けてましたね。
    優子は好意と性癖の両輪でこの関係を回していて、そのどちらもが満たされている幸せを楽しんでいるのだろうなあと思いました。「好きなことを仕事にできて順調にいっている」みたいな幸せ。
    なので仮に性癖の車輪から空気が抜けてきても、好意のほうで関係を回し続けることはできるというのは確かにそのとおりだと思います。ハンドリングには若干の支障が生まれてしまいますが、と。

    ・

    暗黒星雲さんも言及されていましたが、単純に優子を引き剥がすのは良くないと思います。

    個人的に優子について、ステロイド配合の皮膚薬みたいなイメージを持っています。
    陽菜と晴人だけでは恋人関係に肌荒れが起きていたのを、優子というステロイド配合皮膚薬を塗るとさっと症状が落ち着いた。
    しかしステロイド配合皮膚薬は皮膚のバリア機能を(一時的に)肩代わりするような役割であったはずなので、長期利用すると皮膚本来のバリア機能が働く機会がなく衰えてしまう。陽菜と晴人だけで恋人関係を維持する機能が衰えてしまう。
    ここでステロイド配合皮膚薬の利用をやめると、バリア機能を果たすものが何もなくなるので肌が酷く荒れてしまう。のでそういう状態にならないように、ステロイド配合皮膚薬の連続利用は原則一週間程度までとなっている。
    陽菜と晴人は優子というステロイド配合皮膚薬を長期利用してしまっている状態なので、ここで優子を単純に引き剥がすと、恋人関係には(継続困難なほどの)酷い肌荒れが起きてしまう。
    そんなイメージを持っています。

    なのでもし優子を引き剥がすのなら、優子なしでも陽菜と晴人だけでやっていける状態に自然になってから、優子を引き剥がすのが適切なのだろうと思います。皮膚本来のバリア機能を回復させてからステロイド配合皮膚薬の利用をやめる。
    個人的には、二人に子供ができるなどして、二人ともが「この人と生きていくんだ」とぐっと覚悟を決めて奮闘していたら、いつの間にか優子と適切な距離感ができていた……くらいしか(引き剥がす場合の)ハッピーな顛末はないだろうなと思ってます。

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    仰るとおりで、関数や公式がわかるとその登場人物のことがほぼ全て把握できます、というのはエンタメ的な作り方だと思います。
    というのも実際の人間はそんな単純ではないからです。ひとつの関数や公式で全ての解が求められるほど人間は単純ではない。
    それをあえて単純にすることでわかりやすい人物表現を可能にしているのがエンタメですね。

    西であえて関数や公式を持ちだすのならば、不完全な関数にするとか、すごく煩雑な関数にするとか、なのかなあと思います。
    代入を繰りかえすでもいいとは思いますが、それは関数を強化するためではなく関数を弱化させるため、というのが大事な気がします。

    K.K.さんが西を目指したいのであれば、その人物表現が西的なのか北的なのかを判別するためのオススメのチェック方法があるので紹介しておきます。
    その登場人物の名前を別の名前に機械的に置換したときに、作品が揺るがされる感覚があるかないか。あると西、ないと北、と簡易に見ることができそうです。
    本作なら「優子」を「洋子」に置換したときに、作品が変わる感覚があるかないか。
    もちろん(「やさしいこ」のように)名前自体に意味があるケースではチェックできませんけどね。北でも作品が変わるので。

    ・

    「やさしいこ」だと北っぽいというのは、全く仰るとおりだと思います。
    北を避けるうえで好判断だったと私も思います。
    そうなると「優子」というネーミングが宙に浮くわけですが、宙に浮いても何も問題ないので、その判断をとれたのはすごく良かったと思います。
    作品主旨に沿わないものならば(仮に上手かろうが)「削ぐ」という判断ができるのは優秀だと思います。

    仮タイトルをつけて執筆後により相応しいタイトルをラベリング的につける書き方自体は、何も問題ないと思います。
    本作の場合は優子の性質的にちょっと引っかかってしまいましたが、飽くまで個別作品と書き方の相性の問題。
    もちろん西を主にするのであれば、そのラベリングの輪郭は曖昧にさせるほうが無難だろうとは思います。

    ・

    本企画を楽しんでいただけているようで何よりです!
    K.K.さんは西向きを志向されているのですね。
    本企画・方角システム・フィンディルとの出会いが、K.K.さんの創作活動に長期的なプラスになるといいなと思っています。


  • 編集済

    フィンディルさん、『みつどもえ』への言及をありがとうございます。。
    ただ、とてもいいことを言ってくださっているらしいのはわかりますが。咀嚼できていませんので、わかることだけ書きますね。

    まず、お読みいただきありがとうございます。
    フィンディルさんのお言葉を、ちゃんと受け入れられるように頑張りたいです。
    次に、他参加者さんへの説明も、レベルが高いように思えて、作者としてまごまごしております。
    また、体力が戻ってきたときに、心のよりどころとして、じっくりと読ませていただきたいです。
    感想をありがとうございます。





    れなれな3

    フィンディルさん、比較的体調の良い時に拝読したら、おっしゃることがわかってきました。
    「北向きでないのだけれど、北を向こうとがんばってる」のがまるわかりな西作、ということですね。わたくしは、
    自分を出しすぎているのかもしれません。
    それは読者には押しつけになっているかもしれない。
    押しつけにならない自分を作るのがはやいかな、と思います。
    より良きように生きて、周囲をおもしろがらせるエンターテイメントな自分になれることを願って。
    改めて御礼申し上げます!




    れなれな3

    作者からの返信

    そうなんですよね。
    この感想には、水木さんに読んでもらうためというより、この作品の楽しみ方がよくわからない人に読んでもらうための箇所があります。
    そこは逆に水木さんにとってはよくわからない内容かもしれなくて、申し訳ないです。

    この企画は「作品の方角」を趣旨としている関係上、方角企画の主催者としての感想という傾向は強くなりがちです。
    方角が北を向いていない作品は「よくわからない」で終えられてしまうことが多いので、そこを繋ぎたいなという想いがあります。
    この企画でくらいは「よくわからない」で終わらずに楽しみ方を探してみませんか、という立場を積極的に取りたいなと考えています。

  • 「作品の方角」の詳細への応援コメント

    北を目指しているのだけれど、西要素が入ってしまう水木レナです。
    お久しぶりで、脳みそが覚醒するのを感じます。
    もう、下書きをすませているのですが、意識世界をそのまま表したものになりました。
    ここから手を加えて北に寄せるというのは、気弱になっているわけではありませんが、むつかしいと判断しています。
    下書きをうんと力を入れたせいか、はたまた悪文のせいか、どう手直ししたらいいかの分別がつきかねます。
    個性と思われるか、惰性と思われるか、意味不明になるかはわかりませんが、自分なりに新しいものに挑戦しました。

    本題はこれからなのですが、今、SUNOという音楽生成AIで曲を作っています。
    そして、キャラが作った曲としてそのSUNOのURLを本文中に貼るということは許されますか?
    読者があったとして、SUNOのページに誘導したいわけではありません。
    おまけとして、興味がわいた方に紹介したいのですが、その行為は可能ですか?
    ちなみに、SUNOは課金しているので著作権はわたくしにありますが、収益などありません。
    小説中にキャラが作った曲、という設定で新しい表現の場を求めています。
    可か不可かだけでも、お返事くだされば粛々と従います。
    お忙しい中、失礼いたします。
    どうも、水木でした。




    れなれな3

    作者からの返信

    良い質問ですね。ありがとうございます。

    基本方針としては「言葉の部分はAI利用NG、言葉でない部分はAI利用OK」としたいと思います。
    曲の場合は、タイトルや歌詞をAIで生成するのはNG、メロディー生成や演奏や歌唱をAIで行うのはOK、としたいと思います。

    生成AIによる小説執筆に積極的でない人も、自作にまつわるイラストは生成AIで作っていたりしますよね。それみたいなことですね。
    ただ曲の場合はタイトルや歌詞など言葉部分もあるので、そこは自分の頭で作ってほしいということです。

    なおその作品を投稿した際には、その作品ページの前書きなどに
    「作中で紹介した曲は生成AIを使って作成されていること」
    「その曲のタイトルや歌詞は生成AIではなく、作者(水木さん)自身により書かれたものであること」
    「主催者からの許可を得ていること」
    の三点を明記しておいてください。それで余計な物言いはつかないはずです。

    もちろんカクヨム自体やSUNO自体の規約に抵触するかどうかについて私は関知しておりませんので、そこのチェックもよろしくお願いします。

    近いうちに「想定される質問」に項目を追加しておきます。

    編集済