応援コメント

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  • フィンディルさま、
    この度は、素晴らし過ぎる感想を書いて頂き、本当にありがとうございましたー!!
    特に伏線の部分は、回収漏れが無いように慎重に仕上げたので「成長を感じます」とのお褒めの言葉に、心の底から歓喜しております!!わーいわーい!
    本作タイトルである十六夜の月の対比についても、「欠け」と「満ち」について、作者が展開上は意識しながらもうまく言語化出来なかったところをきっちり整理して下さって、本当に嬉しいです♪♪
    方角は、やはり真北ですよねえ。皆様の感想を拝読しても、自らの創作過程を思い返しても、最初から西ではなくストレートに北に向かったな、と思いましたw
    フィンディルさんも触れて下さっている通りで、私はどうしても、最後に「真相はこうです」をねじ込みたくなる性分のようで。頂いた感想を読んで、「そうか! オチを付けると、自分が安心するからか~!」と、妙に納得しました。正にその通りです。読む場合はオチ無しでも全く気にせず楽しめるのですが、自分が書く場合、無いとソワソワしちゃって。それは一つには、私が元来ミステリ小説好き、というのもあるかもしれません。無意識に「真相」を求める癖、みたいな。ちなみに、読者としてなら純文学も好きなんですが、方角企画で3回挑戦させて頂いた今、作者としてはかなり適性が薄いと自覚しました…。西向き、難しかった~💦
    それが「愛崎の欠点かつ長所」であること、我ながら深く納得です。「創作者としての自分を知る」との言葉。なんというか、無性に感動しました…。ド素人から始めて、今は自分の創作適性を自覚するに至る…鈍足ながらも、2年前より確実にレベルアップしている気がして、とっても嬉しいです!細々と続けて来た甲斐がありましたー!涙
    そしてその上を行く、もう一歩踏み込んだアドバイス。これは本当に、「うぎゃあ?!」と衝撃でした。リアルにのけぞりました。
    neutralとabnormalを、入れ替える。全く思いつかなかった構成に、全く異なる読後感。しかも、「愛崎らしさ」を考慮して下さったうえでの、超的確なお勧め。天才過ぎるアドバイスに、鳥肌が立ちました。そうなんです、実は私は「王道大好き!安心する~✨」なタイプなんです!意外性を追求すると、それもまた落ち着かなくて。そこをフィンディルさんにずばりと言い当てられて、「ほえーー!!凄すぎる!!」とビックリ仰天です!
    真相展開を入れた後の、もう1シーン。上記だけでも読み味がガラッと変わって、確かに「翔真やばっ」から「翔真…お前あほや」となる。圭太のシーンに、深みが出る。これは考えていませんでした。本当に、滅茶苦茶参考になりました。方角企画に参加して良かった…と心から思いました。今後も王道を追求しつつ、「あれっ、この作者の、ちょっと読み味が違うな?」という展開を心がけられたら、と思いました。愛崎の傾向に合わせたアドバイス、本当にありがとうございます。

    長くなりました。感想交流含め、大変学びの多い素晴らしい企画に参加させて頂き感謝です。作品を読み込み、これだけ密度の濃い感想を執筆なさるのは大変だと思います。暑い日々、どうぞお体ご自愛下さいませ。引き続き、企画楽しませて頂きます♪
    この度は本当に、ありがとうございました!!


  • 編集済

    >フィンディルの解釈では、本作の方角は南西です。北西と少し悩みました。

    作品を読んでくださって、感想を書いてくださって、ありがとうございます。
    北西と少し悩んだとしても、南西で、南があるということに安心しました。

    >本作は(南西帯ではあるけれど)西も南もほどほどで、そこまで強くないという印象をフィンディルは抱いています。
    南半球の作品は数が少ないので、精度は高くありませんけどね。

    そうなのですね。
    でも、南がある
    ということが嬉しいです!!

    >西の要素としては、願いが挙げられます。
    本作からはおめでたくてポジティブで明るいキラキラした感覚を受けとれるのですが、同時に、おめでたくてポジティブで明るいキラキラした世であってほしいという願いも受けとれます。

    個人的に、ポジティブという言葉が嫌いなので(わたしではない感じがして。そういうセルフイメージはいらないとは思うのですが)、自分からはあまり使わないのですが、

    思考を放っておくとネガティブなことばかり考えてしまうので、
    「すべてはうまくいっている」と心の中で唱えたり、
    「大丈夫、うまくいく」と心の中で唱えたりはしています。

    出かける時も、「元気に起きて楽しく着替えて食事をしてスムーズに目的地に行き、スムーズに楽しく家に帰る!!」という言葉を携帯のスケジュールや、紙に書いておきますし(その時の気分で書く内容は変化したりしますが、不安な時は特に、願いを書いておきます)、

    書いた時はスムーズなことが多いです。
    出かけている時も前向きでいた方が楽しいことが起こりやすいので、意識していたりします。

    言霊を大事にしているというのも、こういう部分があるからなのだと思います。

    意識して使っている時は、そうなのですが、

    作品としては、降りてきた言葉をそのまま書くことを好みます(物語を書く時は、映像や絵が降りてきて、それに意識を向けて書くことが多いです)。

    今回は、降りてきた言葉の中で、紙に書きたいと感じたものを選んで、書いていただけなのです。
    わたしの感覚的には。

    でも、春のわたしの状態? を知っている人は、「願い」や「いのり」だと思うだろうな
    とは思っていました。
    フィンディルさんにはちょこちょこと伝えていましたが、基本的に、
    あのようなタイミングでは、良いエネルギーにならないと思うので、
    紙にだとしても書かないのです。

    あの時は、2年ぐらい「南」が書きたいと思っていて、方角企画のエッセイ? の感想やコメント欄で、ずっと勉強していて、また参加したいと願っていたタイミングでした。
    なので、どうしても参加したいという気持ちと、わたしが「お守りにしている作品」だと他の方に伝えるぐらいに、
    エネルギーのある、強い作品だと感じていたのです。

    作品を書く時は、自分もしあわせで、読者さんもしあわせでいてほしいので、
    できるだけ縁起が良いとされている植物や動物を入れることはよくありますし、
    魔よけ効果を意識的に入れる時もあります。

    この作品には自然と縁起の良いものが入っていて、しかも多いなと思っていました。
    それだけ守りが必要なのか、とも思いましたが。

    そんな状態だったので、「願い」はある意味、正しくて、
    でも、「願い」とは「未来」のことで、
    この作品には「わたしの本質、ルーツ、過去」が入っているなとも思うのです。

    >作品のなかでポジティブなものを表現したというより、作品を通してポジティブなものを訴えた、というイメージですね。
    自分も社会も、このようであってほしい。そういう作者の意思や願いをフィンディルは感じます。

    そういえば、小学生のころに書いていた短歌や詩や作文は、「植物はすごい」「みんな仲良く手をつなごう。世界平和が大事」「命は大事」みたいなことでした。

    今は、わたしの心が平和であれば、世界は平和だと思っているのと、
    コントロールは愛ではないと思っているので、
    他人や世界(現実)をコントロールしようとしない。
    自分の運命(人生)と同じように、他人や世界のことも信頼する。
    ことを意識しています。

    (おいのりは趣味と言いますか習慣なので、すべての命と、たましいのしあわせをよくおいのりしています。それは自分がそうしたい&楽しい&好き&愛を伝えたいからやっているだけです)

    と書いても、感情的な幼い自分(インナーチャイルド)が強く出ている時もあるので、
    感情が暴れている時もあるのですけどね(そんな自分を眺める&愛の視点で見守るようにはしています。そして必要があれば、ダメなことはダメだと教えます)。

    7歳ぐらいからか、30歳までは世界が灰色だと感じていましたし、
    あの頃は、自然や植物や動物や絵や物語や詩が好き
    だとは知っていましたし、創作活動はしていたのですが、
    30歳の時に怒りの感情が出てきてからは、喜びや感謝やしあわせや満たされるという気持ちもたくさん感じられるようになり、
    世界が色あざやかに、美しく感じられるようになり、
    食べ物もおいしいと感じられるので、
    生きていてしあわせだなぁとは思うのですが、
    人間的に、気持ちが不安定になることはありますが、
    人間って素晴らしいなとも思うのです。

    創作活動が好きなので、創作のことを考えている時は、とても楽しい気持ちでいますし、
    この企画も、楽しく参加させていただいています。
    フィンディルさんのおかげです。

    それと、今は11歳の男の子になって「真西」を書いていて、
    彼のエネルギーを大事にしているため、「繊細で敏感な子で、思春期で、反抗期な男子一人称の言葉」をそのまま書いている感じです。
    なので、一般的な正しい言葉を使っている感じではないように思います。

    「真西」なので、それでいいと思っています。
    今は「真西」だと思っているだけです。

    自然も言葉も生きていると思っていますが、物語も生きているので、
    コントロールは、あまりしません。たぶん。

    この作品が春(植物がすくすく育つ季節)なら、今書いている物語は真夏なので、
    だいぶ違うなと思っています。

    今のところは、ですけどね。
    まだ、書き始めたばかりなので、どうなるかは、流れにお任せします。

    それでは、また。いつもありがとうございます。

    追記

    今までの方角企画やエッセイでも、「真西」について調べたのですが(作品は一作だけ、存在を確認できました。苦手なことが書いてあったので、作品を軽く読ませて頂いても、応援は押しませんでしたが。フィンディルさんの感想はすべて、読ませて頂きました。それは前もですが→読ませて頂いたのは、今書いている作品を書く前です)、

    『フィンディルの感想』でも、時々さがしています(今のところ、わたしが知らない「真西」は見つかりませんけどね。カクヨムで感想を読ませて頂いたものはありましたが)。

    今、書いている「真西」は、だいぶ書いたのですが、
    ちょっと丁寧に? 向き合いたいところがあるので、
    きちんと向き合おうと思います!!

    作者からの返信

    自分の気持ちや行動や目的を言葉にしておくと良いというのは、よく言われることですからね。
    前向きでいたほうが楽しいことが起きやすいというのも、その通りだと思いますー。

    降りてきた言葉(または映像や絵)をそのまま書くというのは、桜彩さんらしいなあと思います。
    それによって物語を構築するので、桜彩さんの作品は北西が多いのだろうと思います。
    北西作品が多いのは、桜彩さんの魅力のひとつだと私は思いますよ。

    ―――――――――――――――――――
    今回は、降りてきた言葉の中で、紙に書きたいと感じたものを選んで、書いていただけなのです。
    ―――――――――――――――――――
    の「紙に書きたいと感じたものを選んで」というのが、本作が(南ながら)南が強くない理由だろうなと思います。
    基本的に南では「選ぶ」という処理はしないので。
    それが合う合わないはあるでしょうし、「選ぶ」を経ているからこそ桜彩さんにとって本作が「お守りにしている作品」になっているのだろうなとも思います。

    真西の作品も楽しみにしています。
    真西は桜彩さんの適性を考えると十分書けるとは思いますが、実際に作品に落としこむにあたって口触り良くすることも桜彩さんは得意としている印象もあるので、どういう作品になるだろうという気持ちでいます。
    それで北西になることが多いのだと思いますが、やはりそれが桜彩さんの魅力のひとつだと思います。

  • この作品は南西なんですね。私は北西の判断をしたので、私自身の南への理解度がまだまだ低いことを痛感しました。

    >終盤では文章めいた箇所も出てきますが、これは作品の輪郭が北的にはっきりした(から北に寄る)というよりも、南の感覚の揺らぎとして輪郭のはっきりしたものも出てきた(から南のまま)、という捉え方のほうがそれらしいかなあ? という印象です。

    この部分、どう捉えるべきか気になっていたので、興味深く拝読しました。
    個人的には南方面の作品が増えて嬉しいです!

    作者からの返信

    (感想でも述べていますが)私も北西と少し悩みました。
    本作で北西判断をするのは、私はむしろ南への理解度の高さの表れなんじゃないかなあ? という気がします。

    私の認識するかぎり、参加者のなかで泡沫さんがもっとも南への熱量が高いイメージがあります。桜彩さんもそうですけども。
    なので「南の作品はこういう感じ」というイメージがしっかりとおありなのだろうと思います。こういう手触りのある作品が南だと。
    で、本作はその手触りそのままではなかったので、南と判断しづらかったんだろうなあと私は受けとっています。
    なので、南への理解度が高いがゆえの北西判断だという気がしています。

    泡沫さんはゲームがお好きなので伝わると思うのですが、終盤のくだりは、「ゲーム終盤に出てくる四次元的世界のなかにポンと出てくる遺跡の一部みたいなフロア」といったイメージでしょうか。
    じゃあその四次元的世界は三次元世界かというとそうではなく、飽くまで四次元的世界のなかに三次元世界の欠片が入ってきているだけであると。

  • フィンディルさん、ありがとうございます。
    方角については北西で安心しました。エンタメ的パッケージを整えて取っつきやすくしつつ、本質的には西らしいものが描けていたらいいなと思っておりました。
    思考による作品管理の「香り」を払拭するのが真西への鍵というお言葉にはとても納得感があります。それこそ作品管理の香りが濃厚に匂い立つのが北の「ならではの展開」なのかなと。

    筆致的人間性と設定的人間性の差別化が出来ておらず、設定をエンタメ的な「ならではの展開」に寄与させることが出来ていないように、一見見える。
    ただ、実はこの設定は「ならではのストーリー展開に寄与する」ためのものではなく、「あいとつみ」を問うための設定である、という整理をして頂いて、非常にありがたいです。
    展開のためではなく、テーマの為の設定。
    自分で言語化が出来ていなかったのですが、まさにそういうことなのです。

    例えば目の前で共食いをした「アイツ」自身は、罪なんて感じていないし、金魚が本能の赴くままに生殖行為をするときに愛も罪も感じない。でもそこに人間的感性をイレギュラーに得た「僕」が居ることで、それが発生する。でも「僕」は金魚の生を精一杯全うする。愛なのか罪なのか分からないまま、ただの「僕」として。
    みたいなイメージで描きました。
    描きたいのは、出自にかかわらず「その生物」として当然の形に至っていく過程と、それを観測する人間意識(『僕』と読者の)がどこに落としどころを見つけるか、というテーマだったのだと思います。

    「生物という対象枠に問うている」という部分がこの作品の面白い要素だというご感想には、目から鱗が落ちるようでした。

    私は人間以外の生物に筆致的人間性を与えるタイプの文章は、あまり書きたくないという感覚が元々ありました。
    「ある生物」の感覚は「ある生物」の感覚でしかない。日本語話者の脳内言語は日本語、英語話者の脳内言語が英語であるのと同様に、言語がない生物の脳内には当然言語がないと思うのです。そこに人間が倫理的に理解できるような思考回路を与えるということに違和感があった。
    金魚は共喰いをしたり、相性の悪い相手をいじめころしたり、生殖のために相手がボロボロになるまで追いかけまわしたりといった行動を当たり前に取っていて、そこには愛も罪もない。自分が産み落とした子供ですら食べてしまうくらいですから。
    でもそこに人間的感性を一粒落とすだけで、とてつもなく濃厚な「生死」への感情であったり「愛」であったり「罪」であったり「本能」や「倫理」みたいなものが発生するはずで、そこに、それらの概念の純粋な姿が現れるのかなという感覚で、この作品を書きました。
    その感覚的な部分を、完全に言語化して頂いたように思います。

    金魚を選んだとき、野生生物は過酷過ぎてテーマがブレるという思いは実際にありました。そして犬猫は「ペット過ぎる」。ここも汲み取ってくださって嬉しいです。
    また私自身が金魚飼育の経験がある事や、今もメダカを飼育していることもあり、魚の生態に人格を入れ込む想像がしやすかったというのもあります。

    だからこそ「アナカリス」は盲点でした。あまりに私の中に浸透し過ぎている単語で、特に考えなしに入れてしまっておりました。確かに、金魚に対して特に知識のなさそうな「僕」から出る語彙としては違和感があると思いました。キャラクターの解像度を高く保てていない証拠かなと。「せっちゃくざい」での課題と同様に、自分の生み出したキャラクターの個性をよく知る必要があると思いました。

    「頭をギンと冷やした」について。
    「転生の設定」は展開の為ではなく、テーマの為。金魚という体に収まっている以上は、何を選択するべきかが本能的に分かると思うんです。人間由来のまどろっこしい論理や倫理を経ずに、頭が直接シンプルに答えを出す。デカいやつに挑むなと。
    そして、誰よりもよく食べて生き延びようとする。生物として当たり前の行動を、当然選択する。そういうシーンですね。

    >この作者はこの作品で自分が描きたいことをよくわかっているんだろうなと窺える場面ですね。

    これが非常に嬉しかったです。
    描きたいテーマを作品の中でしっかり描くということに関しては、これからもしっかりと続けていきたいなと思います。

    この企画では色々と学びがあり、頭の中が整理される感覚が非常に楽しいです。
    私自身は早々に二作出し切ってしまいましたが、企画終了まで読者として引き続き楽しませていただきます。

    ありがとうございました!

    作者からの返信

    純文学の役割を仮に「探求の手続き」としてみると、作者がその作品を管理している香りって“探求の不足”に直結しうるものでしょうからね。「探求」と「管理」って対義関係に近しい気がします。
    「作品管理の香りが濃厚に匂い立つ」が北向きなのはそのとおりで、そしてそれは作品管理の香りの有無自体が重要というより、作品管理の香りに対する価値観の違いが重要な気がしています。
    北向きって作品管理の香りをさせることを基本的に奨励しているんですよね。隠すものではなく、むしろガンガン出すものだと思っている。
    作品管理はエンタメでは“おもてなし”に換言できると私は考えていますが、おもてなしって隠すものではなく、むしろガンガン出して得点を稼ぐものですからね。エンタメには「読みやすくするための工夫」「楽しませるための工夫」を隠すという発想が基本的にない。「良いものなのに何で隠すの?」と。
    そこの基本の考え方が、北と西とでは違うよなあと思います。



    言語論的な話ですよね。
    (その人が持つ)倫理や感性に基づいて言語が写しだされるのではなく、(その人が持つ)言語に基づいて倫理や感性が写しだされる。
    金魚は(人間で言うところの)言語は持たないわけですから、(人間の)言語に基づいた倫理や感性もまた持たない。
    しかし「僕」は人間の記憶および(人間の)言語を残している。
    よって、「僕」は(人間の)言語に基づかない環境で(人間の)言語に基づかない行動をとるが、その行動に対して(人間の)言語に基づいた価値評価を下す。
    この作品的手続きをすることで「生死」「愛」「罪」「本能」「倫理」といったものが、人間的な感性に塗れない静かで純粋な手触り、かつ、人間が理解しやすい“フリガナ”で表現されるのではないか。

    そこまでは私は解釈しておりませんでしたが、確かにその心は(本感想の)「生物という対象枠に問うている」という言葉に宿っているかもしれませんね。

    そのように本作を受け止めた場合、言語の有無を理由とした「人間は上等で、金魚は下等」の価値観がほとんど出ていないのは好印象です。本コメントでK.K.さんが仰った表現意図が悪目立ちしていない。
    人間は別に上等ではないし、金魚は別に下等ではない。生物間の“レベル”の勾配をほとんど感じなかったのは、とても良いと思います。

    一方、金魚を「言語を持たない存在」として描いているのは少し気になるかもしれません。
    確かに人間は言語を持ち倫理や感性はその言語の影響を受けているわけですが、じゃあ言語を持たない金魚はそこから全く解放されているのかというと、そこはどうなんだろうという気がします。
    金魚には金魚のコミュニケーションがあるでしょうから、そのコミュニケーションに金魚の倫理や感性は影響を受けているのではないか。言語だけが言語論の対象なのか。実際どうかは(私は金魚ではないので)わかりませんが。
    本作にて「僕」はそれなりに他金魚とコミュニケーションをとっていますが、それらは「人間の言語論的行動」か「生物の本能」のどちらかで処理されているような印象を受け、「金魚の(非言語の)言語論的行動」は特に見えなかったような気がします。
    そこの折衝はあってもいいのかもしれないな~と感じました。



    感想執筆当初は「人間から転生した『ならでは』がない」と同様「転生先が金魚である『ならでは』がない」という方向性で書いていました。だから北ではない、という論旨で。
    ただ理解を深めるなかで「いや金魚というチョイス、かなり考えられていて上手いぞこれ」となって、感想内容を一部変えたんですよね(割とあるあるです)。
    金魚というチョイス、かなり考えられていて上手いと思います。

    その上手さが作品管理の香りにつながるというのは、K.K.さん的に歯ごたえのある課題になりそうですね。

    アナカリスの話は、K.K.さんが重視されるPOV(視点表現)にど真ん中で入ってくるものだろうと思います。



    「頭をギンと冷やした」はとても良い言い回しだと思います。
    そんな自身の行動について「僕」がネガティブ評価をしたり引きずったりしなかったのも良かったですね。
    そのあとで「ああ――」と入れていますが、これが人間から転生した「僕」で出せるギリギリいっぱいの描写って感じでした。



    本企画を通して、K.K.さんがしていきたい創作の解像度が上がればいいなと思います!
    企画が終わったあとも、あれこれ関わってくださると嬉しいです!

  • 北の論理はむつかしいけれど、そういうふうに分類されるものなんですね。
    作者さんは、よっぽど生き物が好きで、じーっとじっと観ていたんだろうなああ、って思ってました。
    およそ作為的な何かを感じなかったのです。
    知っているけれども、知らない世界。
    金魚から観た生物界。
    K.K.さんは感想の返信で「金魚は野性に比べると」比較的安全な生き方ができるって言っていたように思います。
    充分魅力的でサバイバルだよと思っていました。
    フィンディルさんの感想で、きちんと整理整頓されると、ちゃんと計算があったんだ! と改めてK.K.さんのセンスに感じ入りました。
    完璧に入り込んで読めたので、北だと思ってました。
    北西……なるほど。
    没入感とカタルシスはそこから来ているのかな? と、またもや方向を間違えそうになります。
    K.K.さん、すごいなあ。




    れなれな3

    作者からの返信

    まさに「作為的な何かは感じないけど、そこにはちゃんと計算がある」というのが北西っぽいなと思います。
    これが真北だったら、もっと“生き物図鑑”っぽいアプローチで金魚を描いていただろうなと思います。そうではないもっと“生の生物”としてのアプローチは西っぽい。
    ただ(感想中でも述べたように)“生の生物”の作品表現ができるような最適な選択をしており、かつその香りが出ている点はそこまで西っぽくない。
    そんな印象です。

    K.K.さんは創作歴は短いらしいですが、現時点でも真北・北北西・北西を書き分けることは十分にできるだろうなと思います。そしてこれはおそらく水木さんが望む能力だろうなとも思います。
    ただK.K.さん本人としては北西・西北西・真西を書き分けられるようになりたいのだろうなーという印象を私は持っています。そのためにはブレイクスルーがひとつ必要になるだろうな、という印象も私は持っています。
    そして北西・西北西・真西の書き分けは(狙ってできるかはさておき)水木さんがけっこう得意とするところであり、創作って難しいなあと思います。

  • 感想、とても興味深く拝読しました。すごく好きな作品なので。

    作者からの返信

    嬉しく思います!

  • フィンディルさん!

    「性描写と方角」についての詳しい解説ありがとうございます。

    とりあえず、私が何故「性描写は西に向く」と考えたのかなんですが、昔読んだ何かの賞を取った作品の講評に「最後の三行は純文学」と書かれていたのが脳内に焼き付いています。これは方角で言うなら「真北作品だけど最後の三行は西向きでちょっと毛色が違う」って事だと思います。確かに、最後の三行が妙に美しかった記憶があります。

    性描写でも同じように、エンタメ的なものとそうでないものがあると気付いております。男性向け作品より女性向け作品の方が西を向きやすいのではないかとか、行為そのものより感覚や感情的な描写が西を向きやすいのではないかとか。もちろん、自分がそういう書き分けができるという訳ではないです。難しい。

    また、情景描写が西を向く事は知っていましたが、戦闘描写、残酷描写なども西を向く(北から離れる)との指摘に目から鱗が落ちた気がします。そして同時に、「性描写や戦闘描写は真北エンタメの枠組み」というのも納得です。

    次に、カクヨムのガイドラインに関しての見解は概ねその通りだと思います。性描写とは別のストーリーがあって、過激すぎず、具体的すぎないようなものが求められていると思います。運営はどこのどの表現がNGだとは教えてくれないので、経験上得られた条件となりますが、大体合っていると思います。

    さて、作品についてです。「簡易に真北ストーリー構成を組んでいるところ」の指摘はもう当たりすぎですねえ。その通りなのです。当初は月城視点でもう少しぼかして幻想的に書き進める予定でした。しかし、エロくなりすぎで没。女王視点にすると性描写は客観的になりエロさ加減が薄まってイイ感じになりました。しかし、性描写多めでストーリー性が希薄だと、物語をどう収めてよいのか分からなくなっちゃうのです。私にはそういうクセというか、そうしないと書けない能力的なものがあります。後半でやや駆け足的な感じがするのは、5000字で物語を終わらせるためのやっつけ構成ですね。北向きエンタメで行くなら前半の2話は不要で、月城とマリアンヌ、蜘蛛の女王だけで足りちゃうんですよね。それで5000字にするなら分量もちょうどいい気がします。

    蜘蛛の女王は日本各地に伝わる妖怪「絡新婦(女郎蜘蛛・じょろうぐも)」がモチーフになっています。西洋だとアルケニー(アラクネ)となるようです。女に化けて男を誘って性行為をして食ってしまうというのもそのまんまです。

    女王、指揮ユニット、疑似霊魂、機動兵器、コアユニットなどの詳細ですが、西向きならぼんやりでもいいという感覚でした。さすがにこれでは不親切すぎるって事で、概要欄に簡素ですが解説を入れています。これらを物語中に取り込むなら、相当な文字数になりそうで、ストーリー構成を文字数の関係をあらかじめ設計しておかなくてはと反省しております。

    この度は楽しい企画を開催していただきありがとうございました。

    作者からの返信

    性描写と戦闘描写はかなり近いと思いますねー。
    残酷描写やギャグ描写は散発的になりやすいので「文字数をたっぷり使う」という読み味にはなりにくいですが、性描写と戦闘描写は塊になりやすいので「文字数をたっぷり使う」という読み味を生みやすい。
    そのうえで真北エンタメの枠組みに入れられているので、なおのことやり玉に上げられやすいなあという印象があります。
    それでもまだ性描写は性描写を見るために読んでいる読者も少なくないでしょうが、戦闘描写は戦闘描写を見るために読んでいる読者は割と少なめでしょうからね。
    個人的には(性描写がそうであるように)真北エンタメの枠組みでない在り方としての戦闘描写も確立されてほしいなあという気持ちがあります。

    西を向くためにこれらの描写を用いるという観点なら、戦闘描写もアリかもしれませんね。
    性描写は西的な性描写が確立されているが、投稿サイト的な懸念がある。残酷描写もまあしかり。
    戦闘描写は西的な戦闘描写は確立されていないが、投稿サイト的な懸念はおよそない。
    なので難しいは難しいですが、別アプローチとしてはアリかもしれませんね。



    その執筆に5000字使うわけですから、5000字が合う物語を考えるのは当然ですよね。
    でも実際は物語濃度の非常に薄い性描写に2500字を使っているので、(物語のために)事実上として使える文字数は2500字。
    この匙加減は独特で、性描写や戦闘描写を入れる際には気をつける価値があるなあと思います。

    エンタメ構成なしに作品をどう着地させればいいのかわからないというのは、暗黒星雲さんにかぎらず多くのエンタメ作家が持っている癖だと思います。
    脚を組むのが癖になっている人は脚を組まずに椅子に座ることがもはやできない、という感覚に近い。むずむずしちゃうんですよね。
    息をするようにエンタメを書けるというのは、エンタメを書かずに息をすることができないという意味でもあります。
    これは暗黒星雲さんが認識されているとおり「欠点かつ長所」なんですよね。何を書いてもエンタメになってしまう欠点は、同時に、何を書いてもエンタメにすることができる長所でもある。
    なので改善すべきとかそういうことは全くない癖です。

    先述したとおりこの癖は多くのエンタメ作家が持っていると思いますが、暗黒星雲さんが違うのは、この癖をご自覚されていることですね。
    自分は何を書いてもエンタメになってしまうことを自覚しているエンタメ作家は実はあまり多くないと私は思っています。
    何がエンタメで何が非エンタメかわかっていないので「自分の創作は何でもアリだ。自分の創作は自由だ」と本気で思っているエンタメ作家はそこそこいるだろうと思っていますし、実際そういう人を見かけてビックリしたことがあります。それはそれで幸せなことですけどね。
    ただ私としてはそのくらいは自分を俯瞰しておいたほうが(本当に自由になる意味でも)良いと思うので、ここは暗黒星雲さんの優れているところだと思います。方角企画に触れるなかで養ってきた感覚などであれば嬉しい。
    何を書いてもエンタメになってしまう癖があるとしても、その自覚がある人とない人とはやはり何かが変わってくると思います。「欠点かつ長所」という認識を携えているのは大事なことだと思います。

    概要欄の登場人物説明、そういえばしっかり確認しておりませんでした。人型と昆虫型がいるわけですね。
    西向きならば設定面はぼんやりでもいいというのはその通りなのですが、それは西を指せているのならばという話で、真北を向いてしまうと(当たり前ですが)設定面がぼんやりなので良くないという評価になってしまいます。
    難しいところですね。北と西の関係性は厄介ですよね。

  • 丁寧なご感想をありがとうございます!

    一応、ネタが被らないように、過去企画の東向き作品を読み返してから構想に取りかかりました。
    ですので、知らずうちにフィンディルさんの作品に影響された可能性はありますが、発想の始まりは、縦書きと横書きを組み合わせて面白いことをしたいでした。習作を書くうちに、メッセージアプリにたどり着いた感じです。

    今回優先したのは、読みやすさです。もっと言うと、横組みであればスマホでもパソコンでもどの文字サイズ表記でも、作品のレイアウトが崩れないこと。
    横書きパートと縦書きパートの時間差や返信時間の処理なども、読みやすさを優先しつつどのように表現するべきか悩みながら書きました。そのため、1行8文字の文字数についても読みやすさを優先した結果、自然にそうなりました。
    初めて試みた手法ですが、ハード作りの点ではお褒めいただき嬉しく思います!

    そして、フィンディルさんがお気づきのように、今回の目標は「東を向く」でした。本作品は下書きなしで書いており、ストーリーも打ち込みながら考えた即興に近いものです。
    そのため、指摘されている、3ラインの面白みが欠ける点、北的ストーリーと東的構成の連携の弱さ。これは全く仰る通りです。
    東を向くという目標自体は達成できたわけですが、もう少し、東そのものではなく、北と東の関係性に目を向けても良かったかもしれません。
    北の面白さと東の面白さは違うからこそ、それぞれでそれぞれを引き立てられるのが、理想の東向き作品なのかなと感じましたし、それが更なる「面白さ」に繋がるわけですよね。

    私は東的な遊びをしている詩を何度も書いたことがあり、だからこそ、北と東の関係性について興味深く拝読いたしました(もちろん小説と詩ではまた違うと思いますが)。
    東向きを書く機会は今後もあると思いますので、その際には、今回のご感想を活かして書いていきたいです。


    ちなみに、今の私の興味は北東から離れて南東にあったりします。というのも、今まで北西、南西、北東方面を書いてきて、残されていると言えるのが南東方面だからです。
    南東はおそらく難易度がかなり高い方角だと感じています。個人的な感覚ですが、南と東は相性が良くないような気がして。
    ただ、ナツガタリの企画も気になっており、正直二作目を書くのは少し難しいかもしれない状況です。申し訳ありません。

    最後に。こちらの企画は、普段触れる機会の少ない作品に出会えるので楽しいです! 引き続き、他の参加作品を拝読していくつもりです。企画の運営は大変だと思いますが、どうかご無理のないように。

    改めてご感想をありがとうございました! 長文失礼いたしました。

    作者からの返信

    東向きの創作って基本的に読みにくいんですよね。北向きぐらい読みやすいものは大体北向きなので。
    だからこそ東向きにとって読みやすさは(北向き以上に)重要な要素で、そこに注力されているのはすごく良い判断だったと思います。高い適性を感じました。
    横書きと縦書きを同居させる“異常さ”はしっかり出しつつ、それにより生まれてしまう読みにくさはできるだけ軽減する。
    本作は読みやすい北向き作品よりも圧倒的に読みにくいわけですが、読みやすさのために費やされた技術と時間は(読みやすい北向き作品よりも)明らかに多いと思います。



    方角企画は方角の企画ですし、まずはその方角を向くことだけを楽しんでもいいのかもしれませんね。
    それぞれの方角を知ったうえで、より追求したいと思う方角の距離を伸ばすという順序でもいいのかもしれません。
    私はそれぞれの方角の良さや楽しさを知っているがゆえに、あれこれ言ってしまうわけですが、ちょっと急いでいる態度なのかもしれない。

    南東帯について、私は南と東の相性が悪いという感覚は特には持っていないですね。落ち着いた静かな環境で書けるイメージのある方角帯で、東を書くなら北東帯より南東帯のほうを好みます。
    また小説的文章を右脳で崩すのが南西帯なら左脳で崩すのが南東帯というイメージもあり、その「崩す」処理と東的処理は割と近しいイメージも持っています。

    南東帯の大事なポイントをここで述べておくなら、南東帯は人を出さなくてもいい唯一の方角であると考えています。
    北半球は「目的の創作」「変化の創作」であると考えているのですが、目的や変化を描くうえでは人(人相当の生物)がやはりうってつけである。生物以外に目的意識を持たせるのはなかなか大変ですからね。
    西半球は「人間そのものの創作」であると考えているのですが、人間そのものを描くうえでは人(人相当の生物)がやはりうってつけである。人間を出さずに(人間の)情緒を描くことも可能ですが、それは果たして人間を出していないといえるのかという話。
    北半球でも西半球でもない南東帯が唯一これらの縛りから解放されるイメージがあって、それが私が思う南東帯の好きなところです。「人(人相当の生物)を出さないといけない」って、よくよく考えると窮屈だなと。
    そういうイメージを持たれてみると取りかかりやすいかもしれません。
    次回の方角企画(開くかわかりませんが)では是非。



    追加で方角の話をするのであれば、真西・真東・真南は別個の方角帯として扱っていい印象があります。
    北西帯も南西帯も書けたからといって、真西が書けるとは限らない。東もしかり。
    過去の方角企画を振りかえってみても、真西や真東って実はすごく珍しい気がします。西北西判定や西南西判定はあるけど、と。

    北要素も南要素もほぼ入れず真西(真東)を書くのは、ちゃんとその方角の地力がないと難しい印象があります。思えば真北もそうですからね。
    もしかしたらこれも泡沫さんにとって興味深いかもしれません。

  • フィンディルさん、ありがとうございます!
    こんなにも丁寧に私の作品を読んでくださったこと自体がとても嬉しく、ニヤニヤしながら読ませていただきました。

    方角に関しては、かなり納得です。真西を志向する身としては、かなり伸び代を可視化させていただいたような心地で、とてもありがたい評価でした。

    そしてすごく丁寧に優子の人物像を掘り下げていただいて嬉しく思います。

    > 優子は「そのなかで優位の立場」かつ「何とも言いがたい立場」に自分がいることを性癖とする人間なのだろうと解釈しています。

    これ、一見した時、ちょっと違うような気がしました。ただ後述しますが、よく考えると、結果的にめちゃくちゃ合っていると思いました。

    フィンディルさんによる解釈と私の中の解釈を擦り合わせるために、一度ズラーっと、私の中の『優子とは』を出力しておきたいと思います。

    優子は、陽菜も晴人も、「性的な関係になってもおかしくないくらい好き。でも、現状が一番幸せ」という思いのままに、今の関係性を保つ選択を常にする。
    二人のことを特別下に見るつもりはないけど、無意識に上の位置から「かわいいなぁ」と愛でてしまっている。
    優子のことを好きでいてくれる二人も可愛いし、お互いのことを好きな二人も可愛い。
    物語当初の時点でその幸せな関係は既に完成していて、優子としてはその関係性を変えようとは思っていなかったけど、徐々に二人の依存が裕子に集まってきた。
    気づいたら陽菜と晴人は二人きりでは他人同士みたいになってしまうくらいに優子ありきの関係性になってしまっていて。優子としては狙っていたわけではないけれど、これ、めちゃくちゃ幸せじゃん……! みたいな笑
    優子は相手を害する意思がある悪人ではないけれど、自分が幸せになる選択をする時に、倫理観みたいなものを介在させないタイプの背徳者で、その自覚もある。自覚があるからこそ、当初無意識レベルでうっすら罪悪感は感じていて、だからこそ幸福をラベリングする心理が働いていた。
    でも途中からはラベリングするまでもないくらい明らかに幸せで、罪悪感はカケラも無くなってる(実はその点は優子も無自覚のうちに少しだけ変化してる)。背徳行動が内面化したというか。だから最後はすごく純粋なハッピーエンド(優子視点で)になってる。
    こんな感じのイメージです。

    これを踏まえた上でフィンディルさんの解釈と照らし合わせると、かなり多くの部分が一致することに気がつきました。
    私が一見した時に違和感を覚えたのは、優子自身は自分の性質を、「優位の立場」かつ「何とも言いがたい立場」に置きたいものであるとは思っていないからです。
    そこで読み進めていくうちに、「性癖」つまり「性質上の癖」という言葉で表現されていたことがすごくピタッと当てはまって、唸りました。

    優子自身の「性質」の自覚としては、「陽菜も晴人も好き。二人が私のことを好いてくれるのも、陽菜と晴人が両思いなのも全部好き。」だと思うんです。ただその「性質上の癖」として、「優位の立場」かつ「何とも言いがたい立場」に身を置きたがる。この深い部分は優子自身もハッキリとは自覚しておらず、作者の私もハッキリと自分の中で言語化出来ていなかった部分で、でも私の中の優子像の深い部分と、確かに一致しました。
    この「何とも言いがたい立場」に俗っぽいラベリング(接着剤系女子 笑)をされると萎えそうだなっていう分析もクスリとくると同時にすごく「そうだろうな」と思いました。

    > この感想を優子が読んだらもしかしたら萎えちゃうかもしれないなあ

    同意します。笑

    背徳者の罪の位置付けが深夜のラーメンというのも、かなりしっくりきました。
    そうなんです。自覚的な罪悪感がありつつ、その程度の罪悪感でしかない。そこが私の中の優子の、すごく本質的な人格だと思っています。

    少しだけ私の中の優子像とのズレがあった部分は、優子は「浮気のラインを踏み越えると一気に萎えてしまう」という部分。
    多分、萎えはしない気がします。でも、踏み越えない方が幸せだったなぁと思う気はします。
    それくらい、優子にとって二人はそれぞれが「大好きな人」であり、かつ二人の内心にストレスがかかることに関しては「あまり気にならない」のだと思います。

    > “解放”される必要があるのかというのも解釈次第ですけどね。

    これは、私自身書きながらすごく思っていた部分で、多分陽菜と晴人にとってもこの接着状態はある種の安定状態ではあると思うんです。
    A(陽菜)/B(優子)/C(晴人)
    の接着を剥離する方法は、A/B界面破壊か、B/C界面破壊か、はたまたB層の凝集破壊か。どの剥がれ方をしても、AとCがA/Cとはならない。有機溶剤をジャブジャブ使ってBを丁寧に溶かしでもしない限りは。

    さて。

    > 本作は「優子」を描いているんですか、「優子みたいな人」を描いているんですか。

    ここが今回の一番大事な部分ですね。
    私は「優子」を書いているつもりでしたし、「優子」に寄り添っているつもりでした。でもフィンディルさんの解釈が私に染み込むにつれて「優子みたいな人」を書いていたことに気がつきました。
    私が仕込んだ設定的な優子像。それを踏まえて優子が自覚的に自身を分析して得られる優子像。ここまでしか舞台にあげることができていなかった。いわば「関数」と「解の一例」の発表でしかなくて、それは手法としてすごくエンタメ的ですね。これ、もしかすると優子POVの副作用とも言えるかもしれないですね。。
    西でやるべきなのは「変数に代入を繰り返すこと」ですね。優子の解を積み重ねて、記号ではなく人間にしなくてはならない。その工程が出来ていなかった。分かりやすさとのトレードオフになるのかもしれませんが、私がやりたいことは、そちらの方向にある気がしています。

    ちょっと鳥肌だったのは、タイトルへの言及です。
    「せっちゃくざい」は、優子を接着剤たらしめようとして書いたわけでもなければ、接着剤という構造を最初から意識していたわけでもありません。

    最初は「やさしいこ」というタイトルで書き始めました。二人の間を取り持つ優しい子。だけど本当は、ただ欲望に素直な、自分に優しい子だった。みたいな。
    でも、私が目指したいのは真西ですので、これは途中で思い直しました。
    「こうだと思うでしょ? でも実は……こうでしたー!」っていうのはモロに北だなぁと思ったので。

    本編が完成した後にタイトルを考案し直しました。「かすがい」も考えました。「子は鎹」のかすがいですね。関係が冷えた夫婦も、子が鎹となって繋ぎ留める。それと同じ構造を再現しているのかなと。でもそれぞれの心理的構造が、それとは少し違う気がして、ボツにしました。どう違うのかはフィンディルさんによって言語化していただいた気がします。

    最終的に、粘着質にへばりついて、剥離しようとしても何処かが破壊されてしまう、接着剤。これが相応しいなと、神の目線でラベリングしました。つまりこのタイトルは、作品の芯となるテーマを表しているのではなく、すごく客観的な、他人事なラベリングでしかありません。
    優子にこれを発表したら、舌打ちされる気がしました笑

    総じて、とても非常に勉強になり、次作へのモチベーションになりました。
    ありがとうございました!

    作者からの返信

    「そのなかで優位の立場」かつ「何とも言いがたい立場」に自分がいることを好む性癖は、自覚しきらないことも性癖を満たす条件に含まれるような気がします。
    自覚できていないとか自分のことがわかっていないというより、自覚してしまわないよう自分のことをわかってしまわないよう気をつけているというイメージです。
    それは罪悪感から目を逸らすためというのもあるし、自分で自分のことをわかってしまうと萎えにつながりかねないから、というのもあると思います。

    優子って反芻癖があると思うんですよね。作中でも反芻していました。美味しい食べ物を一口食べたら、一回水を飲んで口の中をリセットしてから、もう一口いきたいタイプみたいな。
    なので自分の性質にもその反芻癖を適用しようと思えばできると思うんです。で、「自分ってこういう性癖があるな」と言語化しようと思えばできると思うんです。
    それをしないのは、言語化しちゃうのはつまらない気がすると無意識にわかっているからなんじゃないかという気がします。言語化の先の功罪まで見据えてそうで。
    なので「自分のことがわかっている賢い人」よりも賢い人である印象があります。自分のことがわからないようにしている、もっと賢い人。
    ということでフィンディル的には、事実上、優子は自分の性癖がわかっている扱いでいい気がしています。「自分のことをちゃんと自覚していない」のニュアンスが違うというか。確かに性癖の概容はわかっていないけれど、それ以上に性癖の本質がわかっている人。

    また優子の変化については、確かに変化はしているけれど、その変化も含めて背徳のワンセットな気がしています。
    たとえば背徳でいうと深夜ラーメンも、最初のころは「深夜にラーメンなんて良くないけれど、これが一番美味しいから/我慢が一番身体に良くないから/今日はここまで食べる量少なめだったからetc」みたいな思考を挿むんですけど、深夜ラーメンが習慣になるとそういうことも考えなくなってくるんですよね。
    それも変化といえば変化なのですが、ここまでが背徳のワンセットだなと思います。「背徳」という言葉にこの変化は織り込み済みというか。
    この背徳のワンセットにない変化があって初めて、北的な変化というか、あえて特筆すべき変化に挙げられる気がします。
    私としては本作では変化は描かれていなくて、変化も織り込み済みの背徳的性癖のワンセットが描かれているという受け止めです。



    「何とも言いがたい立場」についての優子の感覚について、K.K.さんと一致して嬉しいです。
    「そういうのいいから」とか冷たく言われそうです。

    基本的に優子って「こういうタイプ」に括られるのが好きじゃないんだろうなという気がします。
    食の好みみたいな割とどうでもいいことでも「あ、優子ってそう食べるの? そういうタイプいるよね~」と言われると、ちょっとだけモヤッとするみたいな。



    「浮気のラインを踏み越えると一気に萎えてしまう」は違うんじゃないか、というのはなるほど確かにと思いました。
    性癖へフォーカスしてばかりで、好意の観点が抜けてましたね。
    優子は好意と性癖の両輪でこの関係を回していて、そのどちらもが満たされている幸せを楽しんでいるのだろうなあと思いました。「好きなことを仕事にできて順調にいっている」みたいな幸せ。
    なので仮に性癖の車輪から空気が抜けてきても、好意のほうで関係を回し続けることはできるというのは確かにそのとおりだと思います。ハンドリングには若干の支障が生まれてしまいますが、と。



    暗黒星雲さんも言及されていましたが、単純に優子を引き剥がすのは良くないと思います。

    個人的に優子について、ステロイド配合の皮膚薬みたいなイメージを持っています。
    陽菜と晴人だけでは恋人関係に肌荒れが起きていたのを、優子というステロイド配合皮膚薬を塗るとさっと症状が落ち着いた。
    しかしステロイド配合皮膚薬は皮膚のバリア機能を(一時的に)肩代わりするような役割であったはずなので、長期利用すると皮膚本来のバリア機能が働く機会がなく衰えてしまう。陽菜と晴人だけで恋人関係を維持する機能が衰えてしまう。
    ここでステロイド配合皮膚薬の利用をやめると、バリア機能を果たすものが何もなくなるので肌が酷く荒れてしまう。のでそういう状態にならないように、ステロイド配合皮膚薬の連続利用は原則一週間程度までとなっている。
    陽菜と晴人は優子というステロイド配合皮膚薬を長期利用してしまっている状態なので、ここで優子を単純に引き剥がすと、恋人関係には(継続困難なほどの)酷い肌荒れが起きてしまう。
    そんなイメージを持っています。

    なのでもし優子を引き剥がすのなら、優子なしでも陽菜と晴人だけでやっていける状態に自然になってから、優子を引き剥がすのが適切なのだろうと思います。皮膚本来のバリア機能を回復させてからステロイド配合皮膚薬の利用をやめる。
    個人的には、二人に子供ができるなどして、二人ともが「この人と生きていくんだ」とぐっと覚悟を決めて奮闘していたら、いつの間にか優子と適切な距離感ができていた……くらいしか(引き剥がす場合の)ハッピーな顛末はないだろうなと思ってます。



    仰るとおりで、関数や公式がわかるとその登場人物のことがほぼ全て把握できます、というのはエンタメ的な作り方だと思います。
    というのも実際の人間はそんな単純ではないからです。ひとつの関数や公式で全ての解が求められるほど人間は単純ではない。
    それをあえて単純にすることでわかりやすい人物表現を可能にしているのがエンタメですね。

    西であえて関数や公式を持ちだすのならば、不完全な関数にするとか、すごく煩雑な関数にするとか、なのかなあと思います。
    代入を繰りかえすでもいいとは思いますが、それは関数を強化するためではなく関数を弱化させるため、というのが大事な気がします。

    K.K.さんが西を目指したいのであれば、その人物表現が西的なのか北的なのかを判別するためのオススメのチェック方法があるので紹介しておきます。
    その登場人物の名前を別の名前に機械的に置換したときに、作品が揺るがされる感覚があるかないか。あると西、ないと北、と簡易に見ることができそうです。
    本作なら「優子」を「洋子」に置換したときに、作品が変わる感覚があるかないか。
    もちろん(「やさしいこ」のように)名前自体に意味があるケースではチェックできませんけどね。北でも作品が変わるので。



    「やさしいこ」だと北っぽいというのは、全く仰るとおりだと思います。
    北を避けるうえで好判断だったと私も思います。
    そうなると「優子」というネーミングが宙に浮くわけですが、宙に浮いても何も問題ないので、その判断をとれたのはすごく良かったと思います。
    作品主旨に沿わないものならば(仮に上手かろうが)「削ぐ」という判断ができるのは優秀だと思います。

    仮タイトルをつけて執筆後により相応しいタイトルをラベリング的につける書き方自体は、何も問題ないと思います。
    本作の場合は優子の性質的にちょっと引っかかってしまいましたが、飽くまで個別作品と書き方の相性の問題。
    もちろん西を主にするのであれば、そのラベリングの輪郭は曖昧にさせるほうが無難だろうとは思います。



    本企画を楽しんでいただけているようで何よりです!
    K.K.さんは西向きを志向されているのですね。
    本企画・方角システム・フィンディルとの出会いが、K.K.さんの創作活動に長期的なプラスになるといいなと思っています。


  • 編集済

    フィンディルさん、『みつどもえ』への言及をありがとうございます。。
    ただ、とてもいいことを言ってくださっているらしいのはわかりますが。咀嚼できていませんので、わかることだけ書きますね。

    まず、お読みいただきありがとうございます。
    フィンディルさんのお言葉を、ちゃんと受け入れられるように頑張りたいです。
    次に、他参加者さんへの説明も、レベルが高いように思えて、作者としてまごまごしております。
    また、体力が戻ってきたときに、心のよりどころとして、じっくりと読ませていただきたいです。
    感想をありがとうございます。





    れなれな3

    フィンディルさん、比較的体調の良い時に拝読したら、おっしゃることがわかってきました。
    「北向きでないのだけれど、北を向こうとがんばってる」のがまるわかりな西作、ということですね。わたくしは、
    自分を出しすぎているのかもしれません。
    それは読者には押しつけになっているかもしれない。
    押しつけにならない自分を作るのがはやいかな、と思います。
    より良きように生きて、周囲をおもしろがらせるエンターテイメントな自分になれることを願って。
    改めて御礼申し上げます!




    れなれな3

    作者からの返信

    そうなんですよね。
    この感想には、水木さんに読んでもらうためというより、この作品の楽しみ方がよくわからない人に読んでもらうための箇所があります。
    そこは逆に水木さんにとってはよくわからない内容かもしれなくて、申し訳ないです。

    この企画は「作品の方角」を趣旨としている関係上、方角企画の主催者としての感想という傾向は強くなりがちです。
    方角が北を向いていない作品は「よくわからない」で終えられてしまうことが多いので、そこを繋ぎたいなという想いがあります。
    この企画でくらいは「よくわからない」で終わらずに楽しみ方を探してみませんか、という立場を積極的に取りたいなと考えています。

  • 「作品の方角」の詳細への応援コメント

    北を目指しているのだけれど、西要素が入ってしまう水木レナです。
    お久しぶりで、脳みそが覚醒するのを感じます。
    もう、下書きをすませているのですが、意識世界をそのまま表したものになりました。
    ここから手を加えて北に寄せるというのは、気弱になっているわけではありませんが、むつかしいと判断しています。
    下書きをうんと力を入れたせいか、はたまた悪文のせいか、どう手直ししたらいいかの分別がつきかねます。
    個性と思われるか、惰性と思われるか、意味不明になるかはわかりませんが、自分なりに新しいものに挑戦しました。

    本題はこれからなのですが、今、SUNOという音楽生成AIで曲を作っています。
    そして、キャラが作った曲としてそのSUNOのURLを本文中に貼るということは許されますか?
    読者があったとして、SUNOのページに誘導したいわけではありません。
    おまけとして、興味がわいた方に紹介したいのですが、その行為は可能ですか?
    ちなみに、SUNOは課金しているので著作権はわたくしにありますが、収益などありません。
    小説中にキャラが作った曲、という設定で新しい表現の場を求めています。
    可か不可かだけでも、お返事くだされば粛々と従います。
    お忙しい中、失礼いたします。
    どうも、水木でした。




    れなれな3

    作者からの返信

    良い質問ですね。ありがとうございます。

    基本方針としては「言葉の部分はAI利用NG、言葉でない部分はAI利用OK」としたいと思います。
    曲の場合は、タイトルや歌詞をAIで生成するのはNG、メロディー生成や演奏や歌唱をAIで行うのはOK、としたいと思います。

    生成AIによる小説執筆に積極的でない人も、自作にまつわるイラストは生成AIで作っていたりしますよね。それみたいなことですね。
    ただ曲の場合はタイトルや歌詞など言葉部分もあるので、そこは自分の頭で作ってほしいということです。

    なおその作品を投稿した際には、その作品ページの前書きなどに
    「作中で紹介した曲は生成AIを使って作成されていること」
    「その曲のタイトルや歌詞は生成AIではなく、作者(水木さん)自身により書かれたものであること」
    「主催者からの許可を得ていること」
    の三点を明記しておいてください。それで余計な物言いはつかないはずです。

    もちろんカクヨム自体やSUNO自体の規約に抵触するかどうかについて私は関知しておりませんので、そこのチェックもよろしくお願いします。

    近いうちに「想定される質問」に項目を追加しておきます。

    編集済