2026年6月19日 11:34
〜 また、迷子にならないように 〜への応援コメント
とても静かで、やさしい物語でした。 レンガは最初から、自分の欠けた角を恥じていません。 むしろ、その欠けたところがあるからこそ、となりのレンガと花壇のすき間に、ぴたりとおさまっていたという認識を持っています。 この部分がとても好きでした。 「欠けている」という言葉を聞くと、足りないものや劣っているものを連想してしまいます。けれど、このレンガは違います。 レンガにとって欠けた角は、自分を不完全にする傷ではなく、今の自分を形作っている一部ということ。 だからレンガは、自分を四角く削り直してほしいとも、新しいレンガになりたいとも願いわない。 ただ、自分の形のまま収まれる場所へ帰りたいと願います。 ここに、とても大切な考え方があるように感じました。 完璧な人も居るでしょうが、決してそのような人ばかりではない。 人もまた、誰しも何かしら欠けています。 苦手なことがあったり、人より不器用だったり、傷ついた経験を抱えていたり、自信を持てない部分があったりします。 けれど、その「欠け」があるからこそ人に優しくなれたり、誰かの気持ちを理解できたり、自分だけの居場所を見つけられたりすることがあります。 私自身の作品になりますが、『茜さす台所にて』第3話 火の洗礼 ― 混ざり合う熱気 における1シーンで蒟蒻を千切るところで、心に傷を負った経験があるからこそ、人の気持ちが分かる。そんなことを書きました。 欠けていることは、必ずしもマイナスではありません。 むしろ、その人らしさの輪郭を作るものでもあります。 この物語のレンガが教えてくれるのは、 完璧だから居場所があるのではなく、自分の形をそのまま受け入れてくれる場所があるから安心できる。 ということではないでしょうか。 欠けた角は消さなくていい。 無理に埋めなくてもいい。 その形を覚えていてくれる誰かや場所に出会えたとき、人は初めて「ここだったんだ」と思える。 そんな優しくて温かな肯定が、このレンガの姿には込められているように感じました。 特に印象的だったのは、男の子の描き方も素敵でした。 彼はレンガを見てすぐに「元に戻そう」とはしません。 まず、「きみ、どこから来たの?」 と問いかけます。 この一言が、この物語の核のように思えました。 普通なら、「誰が落としたんだろう」「邪魔だな」「危ないな」で終わるところを、 男の子はレンガの“来た場所”を考える。 つまりレンガを物としてではなく、何かの物語を持った存在として見ているのです。 だから彼は欠けた角も見逃さないし、花壇のくぼみにも気づける。 この場面には、相手を理解することの本質が描かれているように感じました。 終盤の補修の場面も好きです。 もし物語が「元の場所に戻れました」で終わっていたら、それでも十分美しい作品だったと思います。 けれど作者はさらに一歩先へ進みます。 男の子は戻すだけではなく、「また、迷子にならないようにね」 と言って、レンガを固定してくれる。 ここに深い愛情があります。 ただ願いを叶えるだけでなく、 その願いが続くように手を添える。 しかもセメントやモルタルを「いい感じのゆるさ」と表現しているのが童話らしくてとても可愛らしいです。 技術的な説明ではなく、レンガの視点から見た不思議な感覚として描かれているため、世界観が壊れません。 この物語は小学生の時に国語の教科書で目にした、レンガを擬人化した話でありながら、人の話でもあるということです。 誰にも見向きされなくても役割を果たし続けること。 自分では戻れない場所があること。 安全だけれど居場所ではない場所があること。 そして時々、「きみ、どこから来たの?」 と尋ねてくれる人が現れること。 そういう人生の感覚が、説教くささなく、静かに溶け込んでいます。 読み終えたあとに残るのは感動というより、じんわりとした安堵でした。 レンガが元の場所へ戻れたことが嬉しいのはもちろんですが、それ以上に、「欠けたままでも収まれる場所はちゃんとある」 という物語全体のまなざしが、とても優しくて温かかったです。 まるで夕暮れの花壇をしばらく眺めていた後のような、静かな幸福感の残る作品でした。
作者からの返信
kou 様「また、迷子にならないように」をお読みくださり、応援コメントに加えてレビューまで、本当にありがとうございます。レンガの欠けた角を「足りないもの」ではなく、今の自分を形作っている一部として丁寧に受け取ってくださったこと、とても嬉しかったです。『茜さす台所にて』の蒟蒻の場面で描かれていた、不揃いな面があるからこそ深く旨味を抱き込める、というまなざしにも、とても近いものを感じていました。悲しいことや傷ついたことは、できれば避けたいものですが、それがあるからこそ、誰かや何かの痛みに少し深く寄り添えることもあるのかもしれません。「きみ、どこから来たの?」という一文にも触れてくださりありがとうございます。レンガには声がありませんが、声の出せない小さなものにも、きっと来た場所や帰りたい場所があるのだろうと思いながら書きました。元の場所へ戻して終えてもよかったのですが、またいつ嵐が来るかわからないので、「また、迷子にならないように」少しだけ手を添えて終わらせてあげたいと思いました。レンガにも安心して自分の場所にいてほしかったですし、書いている私自身も、きっとその安心を欲しかったのだと思います。このお話は、『雨の夜に、少女は魔女になる』にあった、中庭のレンガに寄り添う一文から着想をいただきました。誰からも顧みられない古くて静かなものにも、その場所で過ごしてきた時間や願いがあるのかもしれない。そんなことを考えながら、レンガの気持ちを膨らませてみました。長い時間を生きていると、もう戻れない場所や情景もありますが、その嬉しさや痛みを知っているからこそ、ほかの痛みに優しくなれることもあるのかもしれません。心温まるコメントとレビューを、本当にありがとうございました。
〜 また、迷子にならないように 〜への応援コメント
とても静かで、やさしい物語でした。
レンガは最初から、自分の欠けた角を恥じていません。
むしろ、その欠けたところがあるからこそ、となりのレンガと花壇のすき間に、ぴたりとおさまっていたという認識を持っています。
この部分がとても好きでした。
「欠けている」という言葉を聞くと、足りないものや劣っているものを連想してしまいます。けれど、このレンガは違います。
レンガにとって欠けた角は、自分を不完全にする傷ではなく、今の自分を形作っている一部ということ。
だからレンガは、自分を四角く削り直してほしいとも、新しいレンガになりたいとも願いわない。
ただ、自分の形のまま収まれる場所へ帰りたいと願います。
ここに、とても大切な考え方があるように感じました。
完璧な人も居るでしょうが、決してそのような人ばかりではない。
人もまた、誰しも何かしら欠けています。
苦手なことがあったり、人より不器用だったり、傷ついた経験を抱えていたり、自信を持てない部分があったりします。
けれど、その「欠け」があるからこそ人に優しくなれたり、誰かの気持ちを理解できたり、自分だけの居場所を見つけられたりすることがあります。
私自身の作品になりますが、『茜さす台所にて』第3話 火の洗礼 ― 混ざり合う熱気 における1シーンで蒟蒻を千切るところで、心に傷を負った経験があるからこそ、人の気持ちが分かる。そんなことを書きました。
欠けていることは、必ずしもマイナスではありません。
むしろ、その人らしさの輪郭を作るものでもあります。
この物語のレンガが教えてくれるのは、
完璧だから居場所があるのではなく、自分の形をそのまま受け入れてくれる場所があるから安心できる。
ということではないでしょうか。
欠けた角は消さなくていい。
無理に埋めなくてもいい。
その形を覚えていてくれる誰かや場所に出会えたとき、人は初めて「ここだったんだ」と思える。
そんな優しくて温かな肯定が、このレンガの姿には込められているように感じました。
特に印象的だったのは、男の子の描き方も素敵でした。
彼はレンガを見てすぐに「元に戻そう」とはしません。
まず、
「きみ、どこから来たの?」
と問いかけます。
この一言が、この物語の核のように思えました。
普通なら、「誰が落としたんだろう」「邪魔だな」「危ないな」で終わるところを、
男の子はレンガの“来た場所”を考える。
つまりレンガを物としてではなく、何かの物語を持った存在として見ているのです。
だから彼は欠けた角も見逃さないし、花壇のくぼみにも気づける。
この場面には、相手を理解することの本質が描かれているように感じました。
終盤の補修の場面も好きです。
もし物語が「元の場所に戻れました」で終わっていたら、それでも十分美しい作品だったと思います。
けれど作者はさらに一歩先へ進みます。
男の子は戻すだけではなく、
「また、迷子にならないようにね」
と言って、レンガを固定してくれる。
ここに深い愛情があります。
ただ願いを叶えるだけでなく、
その願いが続くように手を添える。
しかもセメントやモルタルを「いい感じのゆるさ」と表現しているのが童話らしくてとても可愛らしいです。
技術的な説明ではなく、レンガの視点から見た不思議な感覚として描かれているため、世界観が壊れません。
この物語は小学生の時に国語の教科書で目にした、レンガを擬人化した話でありながら、人の話でもあるということです。
誰にも見向きされなくても役割を果たし続けること。
自分では戻れない場所があること。
安全だけれど居場所ではない場所があること。
そして時々、
「きみ、どこから来たの?」
と尋ねてくれる人が現れること。
そういう人生の感覚が、説教くささなく、静かに溶け込んでいます。
読み終えたあとに残るのは感動というより、じんわりとした安堵でした。
レンガが元の場所へ戻れたことが嬉しいのはもちろんですが、それ以上に、
「欠けたままでも収まれる場所はちゃんとある」
という物語全体のまなざしが、とても優しくて温かかったです。
まるで夕暮れの花壇をしばらく眺めていた後のような、静かな幸福感の残る作品でした。
作者からの返信
kou 様
「また、迷子にならないように」をお読みくださり、応援コメントに加えてレビューまで、本当にありがとうございます。
レンガの欠けた角を「足りないもの」ではなく、今の自分を形作っている一部として丁寧に受け取ってくださったこと、とても嬉しかったです。
『茜さす台所にて』の蒟蒻の場面で描かれていた、不揃いな面があるからこそ深く旨味を抱き込める、というまなざしにも、とても近いものを感じていました。
悲しいことや傷ついたことは、できれば避けたいものですが、それがあるからこそ、誰かや何かの痛みに少し深く寄り添えることもあるのかもしれません。
「きみ、どこから来たの?」という一文にも触れてくださりありがとうございます。
レンガには声がありませんが、声の出せない小さなものにも、きっと来た場所や帰りたい場所があるのだろうと思いながら書きました。
元の場所へ戻して終えてもよかったのですが、またいつ嵐が来るかわからないので、「また、迷子にならないように」少しだけ手を添えて終わらせてあげたいと思いました。
レンガにも安心して自分の場所にいてほしかったですし、書いている私自身も、きっとその安心を欲しかったのだと思います。
このお話は、『雨の夜に、少女は魔女になる』にあった、中庭のレンガに寄り添う一文から着想をいただきました。
誰からも顧みられない古くて静かなものにも、その場所で過ごしてきた時間や願いがあるのかもしれない。
そんなことを考えながら、レンガの気持ちを膨らませてみました。
長い時間を生きていると、もう戻れない場所や情景もありますが、その嬉しさや痛みを知っているからこそ、ほかの痛みに優しくなれることもあるのかもしれません。
心温まるコメントとレビューを、本当にありがとうございました。