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  • 壇ノ浦の阿修羅への応援コメント

    切迫した状況の中で、海と面しながら問いを繰り返す時間。そのひとときが永遠に続きそうに思えるほど、静かな深さを感じました…。
    壇ノ浦の海や小島の浜での、人の事情に関係なく動き続ける波や風の気配がリアルでした。そんな中で、御厨良房という若者の、公人としてでなく等身大での語りがいっそうまっすぐ届くようで、凄く心に残ります。

    読ませていただき、ありがとうございました✨

    作者からの返信

    砂川緑さん、ありがとうございます。

    波がリアルだったというの、よかった。あそこに一番時間をかけたので。良房がどんな状態でも波は来て戻る。関係ない。その関係なさをちゃんと書けたなら、良房の小ささも出てるはずで、出てたなら書いてよかった。

    公人としてでなく、というのも正確で、そこを読んでもらえて嬉しかった。平家とか修羅とか、そういう言葉を全部外したところに良房はいる。二十二歳で、腕が少し痛くて、妹にああとしか言えなかった男。それだけを書きたかった。それだけで壇ノ浦を書けるかどうか、ずっとわからないまま書いた。

    問いが永遠に続きそう、というの、それが答えだと思っています。良房は答えを出さない。でも夜明けが来たらとりあえず動く。そこだけ信じて書いた。

    読んでくださってありがとうございました。

  • 壇ノ浦の阿修羅への応援コメント

    とても拝読したいと思っていた作品!
    これは又…深い。中将と良房との対比がまさに
    瀬戸内の暗い海と篝火の照らす白い濱の様で
    お見事…!この静かな禅問答には決して答えなど
    なかったけれども、時は流れて行く。波も又
    同じく 現象 なのだという事を思い知らされます。

    作者からの返信

    小野塚さん、コメントとともにレビューまで、ありがとうございます。
    壇ノ浦の夜というものをなんとなく思い浮かべていました。平家物語を読みながら、この物語には多くの語られていない人生があると感じていました。その名もなき者たちの神話に、少しでも光を照らすことができればと書き始めたのが『壇ノ浦の阿修羅』で、その同じ夜、同じ海を共有する魂として『壇ノ浦の槍』、『壇ノ浦の花びら』があります。どれも抗うすべのない無常を描きながら現代にも通じるものを描いたつもりです。もし通じていなければそれは筆者の力不足ですが、あの夜の光景を少しでも読み手に渡せればと願いながら書きました。

  • 壇ノ浦の阿修羅への応援コメント

    メタ視ですね👀
    トコトン、メタ視。
    そうなっちゃうんでしょうね。
    考えてもわからないことは、わからない。
    ふとしたときの、笑い。
    素の反応。
    ソレが、本当の感情、涙を誘ったのでしょうね。
    滅びを待つ日々。
    このシチュを淡々と書かれたお話。
    人は、いかなる状況でも、
    人なんだなと、感じました。

    ありがとうこざいました🤗✨

    作者からの返信

    宮本賢治さん、ありがとうございます。レビューまでいただいて。

    おっしゃる通りで、メタ視というか、もうそれしかできない人間を書きたかったんです。三位中将という身分も、平家という家も、戦の意味も全部剥ぎ取って、わからんしか言えなくなった人間、それでも夜明けを待っている人間、そういうただの修羅を書きたかった。古典文学なら合戦の前に一首詠むところだけど、そこは意地でも詠まなかった。詠んだら嘘になる気がした。

    笑いが涙を誘ったというの、それが聞けてよかった。ふとしたときに笑えるのが人間で、それが本当だと思って書いてた。修羅でも何でも、腹は減るし、飯はうまいし、五郎のいびきはうるさい。それが嘘じゃないと信じて書いた。

    死ぬ気で書いたのは本当で、アドレナリンがまだ抜けてなくて、でも言葉になる一歩手前のものが届いたなら、死ぬ気で書いてよかった。それだけです。ありがとうございました!

  • 壇ノ浦の阿修羅への応援コメント

    楠本ラリアットさまの、呪文系……!

    文体そのものが、波のうねり。
    船酔いしそうです。

    中将さんと主人公の会話が好きです。
    中将さんが、短く、簡単に答えてくれるのがいい。

    上司ってすぐいいこといおうとするから。
    この人は、そんなことないので信頼できます。

    またお邪魔します。
    ありがとうございました。

    作者からの返信

    直します。

    Sawatani-Asariさん、ありがとうございます。

    船酔い、よかった。させたかったので。

    中将は平家の中でもかなり高位の血筋で、歌の嗜みもあるはずなんですよ。でも歌わせなかった。極限状況で文学的饒舌を発揮できる人間なんていなくて、そういう場所では言葉は虚しいと思っていて、でもそこにしか本当のことはないとも思っていて、だから田村隆一みたいにリリシズムが一切出てこない、わからん、だけが残る、そういう人間を書きたかった。わからん、と言い続けた人間の言葉の方が、きれいに整えられた言葉より遠くまで届くことがある。そういうことを信じて書いています。

    またお邪魔します、て書いてくれてよかった。待ってます。