心中お察しします

麻井照

少年の独白

 心中――その言葉の意味を最初に知ったのは、あれは僕が中学生の頃だった。

 きっかけは夏休みの読書感想文でたまたま読んだ太宰治。

 もともとライトノベルばかり読んでいた僕には、古くて固い小説はあまり好ましくなかった。

 それでも、彼の書く物語は僕の心を激しく揺さぶり、気が付いた時には外は夕暮れ。

 学校の図書室で借りた文庫本は、裏表紙をめくるのみとなっていた。

 時間が飛ぶという感覚が初めてで動揺したのを今でも覚えている。

 高揚感と悲壮感と倦怠感、そして喪失感がい交ぜになった。

 読み切ったという達成感と、読み終わってしまったという絶望感。

 もっとあの世界に浸っていたかったと心の底から願ったものだ。

 重く苦しい物語であった。もし、僕が彼と同じ境遇を辿ったとして、仮にその行動の結末を知っていたとしても、恐らくより悲惨な末路になることだろう。

 それでも現実の世界と比べれば、小説の中の世界はまだ救いがあるように思える。

 なぜなら、あの世界には作家という神様がいて、必ず終わりを迎えるからだ。

 それに、読者という理解者もいる。主人公の頑張りは認められ、たとえ物語の中で大成せずとも、見ず知らずの誰かから賞賛を送られる。

 毎日学校へ行き、筆箱や教科書をボール代わりに使われ、お昼はいつも独りぼっち。それでも仮病も使わず毎日ヘラヘラと生きている僕。

 誰からも称賛されず、誰からも尊敬されない寂しい人生。

 この物語の結末は果たして悲劇だろうか。それとも喜劇だろうか。

 僕は太宰治のように自らの手で命を絶つのだろうか。

 いつか来るその時、僕の側には誰か付いていてくれるのだろうか。

 心中――漢字だけ見れば「心」の「中」。綺麗で美しい素晴らしい言葉に思える。

 だが、その本来の意味は、中学生の頃の語彙力の少ない僕には、世界で一番醜悪な単語に思えた。

 いや、見方を変えれば人の心の内というものを真に捉えている秀逸な単語ともいえるだろうか。

 僕は、死ぬときは一人で死にたい。

 敬愛する先生方には申し訳ないが、僕には誰かと死にたいという感情を理解できなかった。

 だって、首吊りにしろ、入水にしろ、飛び降りにしろ。僕の最後の顔は、きっと世界一の不細工だろうからだ。

 それではきっと物語の終幕が、悲劇ではなく喜劇になってしまう。

 僕は悲劇の中で死にたいんだ。

 誰にも看取られず、誰の感情も揺さぶらず。

 こんな最悪な人生なら、最後まで最悪なまま死なせてほしい。

 何の未練も残さず。

 そうすれば、きっと来世は今よりずっと良い人生が待っているはずだから――。

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