第4話 無垢なる檻の特別授業
木崎敦史を拘束した車両は、静かに地下施設へと到着した。
重厚な隔壁。幾重にも重なる電子ロック。
そして、その先にある白い通路。
国家出生支援センター。
木崎の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「や、やめろ……本当にここへ入れる気か……?」
玲が鼻で笑った。
「今さら怖なったん?」
「ふざけるな!!」
木崎は拘束具を鳴らしながら叫んだ。
「おかしいだろ! 現行犯でもないのに連れてくるなんて! 俺は殺人なんかしてない!」
「——誰も“逮捕”なんて言ってないわ」
静かな声が、白い通路に響いた。
通路の奥。
白い制服を纏った天宮篝が立っていた。
長い黒髪。
冷めた瞳。
けれど口元には、柔らかな微笑み。
「事情聴取よ、木崎先生」
篝はゆっくりと歩み寄る。
「仮にも教師であるあなたなら、多少の法知識はお持ちでしょう?」
木崎が息を呑んだ。
「事実確認をするだけ。そんなに怯えなくても大丈夫よ」
その声は穏やかだった。
だからこそ、恐ろしい。
朱音は無意識に息を詰めた。
昨日から感じていた“圧”が、再び胸へ重くのしかかる。
◇
取調室。
木崎の前に、大量の資料が並べられていた。
篝は一枚ずつ、丁寧に机へ置いていく。
「女子生徒A。現在も通院中」
「女子生徒B。不登校」
「女子生徒C。卒業後に自殺未遂」
木崎の額に汗が浮かんだ。
「……違う……」
「こちらは、同僚教師の証言」
さらに資料が置かれる。
『木崎先生は女子生徒への距離感がおかしかった』
『夜間に個別連絡を取っていた』
『以前から問題視されていた』
木崎が顔を歪めた。
「あいつら……っ」
その目に浮かんだのは、恐怖ではなかった。
怒り。
裏切られたという憎悪。
「許せない……」
木崎が低く呟いた。
「出たら覚えてろよ……あいつら……」
朱音の背筋に冷たいものが走った。
もしこの男が、また外へ出れば。
「……なるほど」
篝が小さく息を吐いた。
「やっぱり、あなたは何も分かっていないのね」
「っ……!」
「自分が悪いとは、少しも思っていない」
「俺は……そんなつもりじゃ……!」
「加害者は、皆そう言うわ」
篝は淡々と資料をめくった。
「あなたに“特別授業”と言われて呼び出された少女は、今も男性の声を聞くだけで震えている」
木崎の唇が引きつる。
「眠れない子もいる。学校へ行けなくなった子もいる」
篝の声は、どこまでも静かだった。
「性犯罪は、“心の殺人”なの」
「ふざけるな!!」
木崎が椅子を鳴らして立ち上がった。
拘束具が激しく音を立てる。
「こんなの人権侵害だ! 俺を勝手に拘束して、勝手に罪人扱いして! お前らの方が狂ってる!」
玲が一歩、前へ出る。
だが篝は片手を上げて制した。
「木崎先生」
篝は静かに、彼を見下ろした。
「あなたは、ずいぶん長い間守られてきたのね」
木崎の表情が固まる。
「……何のことだ」
「保護者からの苦情。同僚教師からの報告。生徒の相談」
篝は一枚の書類を取り出した。
「そのすべてが、なかったことにされている」
木崎の喉が鳴った。
「あなたのお母様が理事長だから」
「……母さんは関係ない」
「本当に?」
篝は小さく首を傾げた。
「あなたが呼び出した女子生徒の保護者が、学校へ抗議に来た日。担当した教師は、翌月には別の校舎へ異動」
また一枚。
「あなたの夜間連絡について問題提起した教師は、契約更新なし」
また一枚。
「被害を訴えた生徒の記録は、“進路相談上のトラブル”として処理されている」
木崎の顔が青ざめていく。
「……俺は、知らない」
「知らなくても、あなたは守られてきた」
篝の声は静かだった。
「あなたがしたことを、周囲が隠してくれた。あなたが傷つけた子どもたちよりも、学園の評判を優先して」
「違う……俺は……」
「違わないわ」
篝は、木崎の言葉を遮った。
「あなたは自分を被害者だと思っている。でもあなたは、ずっと“守られる側”だった」
取調室に沈黙が落ちる。
朱音は拳を握りしめた。
木崎のしたことは許せない。
けれど、今この場にいる篝もまた、彼を逃がさないために何かをしている。
法の外側で。
その時、篝は机の引き出しから一枚の写真を取り出す。
高級店の個室。
そこには、ある女性が若い男の腕に寄りかかる姿が写っていた。
木崎が写真を見た瞬間、顔色を変える。
「……お母さん」
「そう、理事長。あなたのお母さまですね」
篝は、もう一枚の書類を置いた。
学園名義の口座。
不自然な送金記録。
高額なブランド品の購入履歴。
そして、複数の飲食店やホテルへの支払い。
「学園のお金が、ずいぶん個人的な用途に使われているようだったわ」
「……っ」
木崎が震える声で言った。
「お前……母さんを脅したのか」
「脅す?」
篝は小さく首を傾げる。
「私は、事実をお伝えしただけよ」
そして、静かに続けた。
「私の知り合いに、とても優秀な記者がいるの」
「もしその人のもとへ、この資料が渡れば」
篝は写真へ視線を落とした。
「この学園は、終わってしまうかもしれませんね」
木崎の呼吸が止まった。
「だから理事長は、潜入捜査を認めてくれた」
篝は言った。
「あなたを守るためではないわ。これ以上、被害者を増やさないために」
「……そんなこと、許されると思ってるのか」
木崎の声は、もう怒鳴り声ではなかった。
かすれた、怯えた声だった。
「こんなの間違ってる……! こんな非道徳的なこと、認められてたまるか!」
篝は小さく首を傾げた。
「非道徳的……?」
その微笑みが、わずかに冷たくなる。
「仮にも“道徳”を教える教師が、子どもたちの心を壊したのは道徳的だったのかしら?」
木崎が言葉を失う。
篝は静かに資料へ視線を落とした。
「もし自由を望むなら——」
篝の視線が、ゆっくり下へ落ちる。
「あなたには“代償”を払ってもらう必要があるわ」
木崎の顔が凍りついた。
「ひっ……」
朱音の背筋にも、冷たいものが走った。
その空気は、あまりにも異様だった。
確かに木崎は許されない。
被害を受けた少女たちの人生は、簡単には戻らない。
けれど。
人を守るためなら、誰かの尊厳を奪ってもいいのだろうか。
その時だった。
篝がふいに朱音を見る。
「朱音」
「は、はい!」
「あなたはどう思う?」
突然の問い。
木崎の荒い呼吸。
篝の静かな視線。
白く冷たい取調室。
朱音は喉が渇くのを感じた。
脳裏に浮かぶ。
泣き崩れていた美咲。
怯える被害少女。
そして——国家出生支援センター。
「……私は」
ゆっくりと、朱音は口を開いた。
「女性を守ることは、必要だと思います」
篝が静かに微笑む。
だが朱音は続けた。
「でも……守ることと、人の尊厳を奪うことは、本当に同じじゃなきゃいけないんでしょうか」
空気が止まった。
玲が、わずかに目を見開く。
木崎ですら、驚いたように朱音を見ている。
篝だけが、静かに微笑んでいた。
「……やっぱり、あなたは優しい子ね」
その笑顔は、どこか寂しそうだった。
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