眠れ眠れへの応援コメント
コメント失礼致します。
金魚が亡くなってしまっても、、捨てられない水槽。
結婚生活は何事もなく穏やかでばかりはいられませんが、そこに愛の誓いの指輪を入れたのなら、奥様にとっては失くしたくないものの象徴なのかな…なんて想像しました。
読ませて頂きありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます、幸まるさん。
「失くしたくないものの象徴」、その読み方で初めて気づいたことがあります。正直に言うと、水槽に指輪を沈めるというモチーフは、企画への参加でしたが、単純に絵として強いから置いたんです。水と光と屈折が綺麗だから。そこに最初から緻密な設計があったわけじゃない。
これはカーヴァーがよくやっていたことで、ミニマルに置いたものが読者の中で勝手に意味を持つ。作者はそれを後から回収することもできるし、できないこともある。今回は幸まるさんに回収してもらった、という感じに近い。
でもそのコメントを読んで、見えてきたものがある。
夫にとってあの水槽は愛の保存場所です。変質しないように、腐らないように、水の中に沈めて蓋をして。心斎橋の喫茶店でレベッカが流れていたあの夏ごと、時間を止めておける場所。指輪が底で光っているのは、彼にとって一九八七年がまだそこにある証拠みたいなもの。
でも妻は多分、愛が変容したことをもう知っている。だから指輪を外した。外したけど捨てられなかった。金魚の死んだ水槽に沈めた。それは喪失でも保存でもなく、変わってしまったものへの静かな承認みたいなものかもしれない。
夫は三十一年前を見ていて、妻は三十一年後を見ている。同じ水槽を、同じ指輪を、全然違う時間軸で見ている。二人とも愛していないわけじゃない。ただ愛の置いてある場所が、もうずれてしまっている。
それは書いた後に発見したことです。でも発見した瞬間から、本当にそう見えてきている。読者に教えてもらって初めてわかる自分の小説というのが、たまにある。今回がそれでした。読んでくださってありがとうございました。
眠れ眠れへの応援コメント
2000文字以内のお題企画にご参加ありがとうございます!
とても深い海の底にいるような感覚になりました
老いって静かでせつなくて寂しいですね
妻の言葉をちゃんと聞いてあげている主人公の優しさがまたつらくもあって哀しくなりましたです
最後の一文も胸が締め付けられました(。・_・。)
作者からの返信
クロノヒョウさん、さっそく読んでいただきありがとうございます。お題をいただいて書くのは初めてだったので徹夜するハメになりました。『水槽に沈めた指輪』というイメージが強すぎて物語が悲しい方向にベクトルが向いてしまう、それにいかに抵抗するか、そのことに一晩使ったのですが、学ぶことがたくさんあって勉強になりました。若さを失って足腰が弱っても、『水槽に沈めた指輪』を見るたびにプロポーズのときの「どうか勇気をください」というレベッカの歌詞で堪えられる、そういう物語にしたかったです。届いたかどうかは読者が決めてもらえればいいなと思っています。
編集済
眠れ眠れへの応援コメント
このような文章を書く人がいるなら、もうわたしは書かなくて良いのでは? と思います。
水の中にわざわざ指輪を沈めた奥さんの、それはSOSの形だったかもしれないですね。
主人公さんは、それをどうにかしようとはしない。何もしないから誰も傷つけていないわけではない。何もしないことが、傷つけあう、それが水に沈んだ指輪という美しい形をしている。
私の読解力の問題でしょうか。
奥さんは、起きろという。
暗闇のなか、懐中電灯で廊下を行く。
リビングでタバコを吸う。
戻ってくる。
奥さんはまだ寝ている。
自分も寝る。
起きろって、朝だからではなく?
奥さんの寝言?
起きなくていいの?
目玉焼きとベーコンのこと考えてたんなら、起きて、卵焼いてくれたらいいのに。
そうしたら、また淀川に自転車で行くのに。
と、思いました。
違いましたでしょうか。
なんだかその辺の分からなさも気になって、何度も読み返しました。
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すみません、1度投稿してからまた気になって読み直しました。夜中で、とにかく奥さんが起きろ起きろというからいうこと聞いてあげている旦那さん、なんですね……。
優しいのか。とても透明で辛い優しさ。
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主人公さんに、見捨てないで、と思いました。
でも、何もする気が起きない、これが忍び寄る老いなのでしょう。怖いです。
また、「ユニコーンと私」に、もったいないほどのレビューをいただき、ありがとうございました。
文章をかける人はレビューも凄いんだ……。
圧倒されます。
ありがとうございました。
作者からの返信
Sawatani-Asariさん、コメント、本当にありがとうございます。
この作品は文字数の制限と、『水槽に沈められた指輪』っていう窮屈な縛り、その二つが奇跡みたいに噛み合って、そこから滑り落ちるようにして生まれたものなんです。書き手である僕自身が、そこからまさかこんなに広くて深い、予想もしなかったような解釈の幅が溢れ出してくるなんて思ってもみなくて、ただ呆然と、驚愕するしかなかった。レイモンド・カーヴァーのあのそっけない、だけど心臓に直接刺さるようなテキストが証明しているみたいに、ミニマリズムっていうのは本当に、削ぎ落としたその表面のすぐ裏側に、底なしの深みを持っている。そういう恐ろしい表現なんだと思う。
そして『ユニコーンと私』。あの作品は、とにかく声でした。あの声に、僕は完全に魅了されてしまったんです。だからその声をこれからも大事にしてください。
それから、僕の文章をそんなふうに褒めてくれたこと、本当に感謝しています。
でも、人が小説を書く理由なんていうのは、きっとどこまでいってもバラバラで、千差万別で、小説という形式そのものを一様に定義することなんて誰にもできない。だけど、あらゆる書き手の胸の奥には、絶対に他人に明け渡すことのできない、頑固で、尖った、譲れない芸術性が確実に存在している。そして、それをただの記号じゃなく、本当の言葉として言語化するためには、途方もない、それこそ眩暈がするほどの時間がかかるはずなんです。
だからこそ、まずはこの時代に、どうして自分が小説なんていうものを書くことに突き動かされてしまったのか、その動機というか、内なる歪みみたいなものと静かに、だけど徹底的に向き合うこと。
そして、世界の巨大なノイズの隙間で、今にも消え入りそうになっている誰かの小さな声に、ただじっと耳を傾けること。
本当に、それだけです。それだけが、僕たち書き手にとって決定的に大事なことなんだと思います。