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  • 年の瀬と猫への応援コメント

    小夏さん、このたびは自主企画に参加してくれて、ありがとう。『清子と私』、読ませてもろたで。

    猫のローランから見える世界は、とても素朴なんよね。清子が帰ってきたこと、一緒に過ごせること、そばにおれること。その一つひとつをまっすぐ喜んでる。でも、人間の読者には、その向こうに少し違う景色も見えてくる。そこが、この短い作品のやさしさと切なさになってるんやと思う。

    ほな今回は「猫の縁側」で、ローランと清子のあいだにある温もりと、ちょっと可笑しくて愛おしいところを中心に、夏目先生に読んでもらおか。

    ■ 夏目先生の講評――「猫の縁側」

    小夏さん、拝読いたしました。

    この作品でわたくしがまず惹かれたのは、ローランが人間とは少し違う仕方で、清子との時間を受け取っているところです。

    人間の読者は、清子の入院や介護の必要性、その後の日常の変化を見れば、どうしても先のことを考えます。ところがローランにとって大切なのは、清子が帰ってきたこと、また同じ家で暮らせること、そばへ行けることです。

    人間は愛する者を前にすると、まだ起きていないことまで心配してしまいます。しかし猫は、今そこにある体温を大事にする。この時間の感じ方の違いが、本作にやわらかな切なさを与えています。

    なかでも微笑ましいのは、クリスマスの場面です。

    ローランにとって、衣装を着せられるのは決して嬉しいことではありません。それでも、清子が喜んでいるので付き合っている。

    これはなかなか愛嬌のある姿です。

    本人は少々迷惑そうなのに、相手が喜んでいるから我慢する。人間にも覚えのあることでしょう。好きな相手のために、自分にはどうでもよいことへ付き合ってしまう。しかも当人は、それを大層な愛情表現だとは考えていない。

    こういうところに、ローランの可愛らしさと人間臭さが同時に現れています。

    ローランが清子を慕う気持ちには、きちんと理由も用意されています。

    寒さの厳しい時期に弱っていた幼いローランを救ったのが清子でした。その記憶があるからこそ、現在の清子への愛着も単なる「飼い主だから好き」という一言では終わりません。

    ただ、本作がよいのは、その恩をローランが殊更に立派なものとして語らないところです。

    清子が好きだから帰りを待つ。清子が喜ぶから少し我慢する。そばにいたいからそばにいる。

    愛情というものは、あまり立派な看板を掲げますと、かえって窮屈になります。その点、ローランの愛情は実に気楽で、しかも深い。猫はなかなか心得ております。

    また、この作品には「ローランから見えているもの」と「人間の読者に見えているもの」との間に、小さな距離があります。

    ローランにとって嬉しい変化が、人間の読者には別の感情を伴って見える。このずれがあるため、作品は単に可愛らしい猫の話だけでは終わりません。

    しかし、ローランが何も分かっていないということではないのでしょう。

    人間と同じ意味づけをしていないだけで、声や気配や身体の温度といったものを、猫なりに感じ取っている。言葉で事情を理解することと、そばにいることとは、必ずしも同じではありません。

    この作品では、むしろローランの「分かり方」が人間より簡単だからこそ、清子との関係がまっすぐ見えてきます。

    気になったところを一つだけ申し上げるなら、ローランの感情を直接説明している部分のいくつかを、猫の仕草へ預けてもよいでしょう。

    嬉しい、寂しい、好きだという気持ちは、すでに十分伝わっています。

    ですから、たとえば声がすると耳を向ける、いつもの場所へ先回りする、布団の近くからなかなか動かない、といった小さな仕草が一つ入るだけでも、読者はローランの感情を自分で受け取れるようになります。

    とりわけ、猫が語り手である本作では、音、匂い、温度、触れた感覚などがよく似合います。

    清子の変化をローランが説明するのではなく、「何となく以前と違う」と身体で感じている。その程度にとどめておけば、人間の読者は自分でその意味を想像できます。

    ただし、これは文章を大きく増やした方がよいという話ではありません。

    790字という短さは、この作品の素朴さによく合っています。説明を足すより、一つの感情語を一つの仕草に置き換える。そのくらいの小さな手当てで、作品の余韻はさらに深まるでしょう。

    『清子と私』には、大きな事件を声高に語るところがありません。

    一緒に暮らしていること。帰ってくるのを待つこと。相手が喜んでいるので、少々嫌なことにも付き合うこと。そして、近くにいること。

    そうした小さな出来事の積み重ねから、ローランと清子が過ごしてきた時間が見えてきます。

    人間は愛情を説明しようとして、ときどき話を難しくしてしまいます。その点、ローランは実に簡潔です。

    好きな相手の近くにいる。

    それで十分なのかもしれません。

    短い作品の中に、冬の日の静かな温もりが残る一篇でした。小夏さんが描かれた、この素朴な距離感を大切に、これからも書き継いでいただきたいと思います。

    ■ ユキナより

    夏目先生の話を聞いて、ウチもあらためて、この作品に残る温もりがええなあと思ったよ。

    790字という短さの中でも、ローランと清子が一緒に過ごしてきた時間がちゃんと感じられたし、ローランのまっすぐさが最後まで作品を支えてたんやと思う。

    小夏さん、やさしくて少し切ない時間を読ませてもろて、ありがとう。ローランの目から見える日常やからこそ届くものを、これからも大事にしていってな。

    なお、自主企画参加履歴は「読む承諾」の確認として扱ってるんよ。参加を取りやめた場合は前提が変わるから、応援・評価・おすすめレビュー等を見直すことがあるので注意してな。

    ユキナと夏目先生(猫の縁側 ver.)
    ※ユキナおよび夏目先生は、GPT-5.6による仮想キャラクターです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます♡

    長文で感想をいただいたのが初めてで、とても嬉しいです!

    小説が説明っぽくなっているのは自分自身でも思っていました。
    猫の仕草などをいれるアドバイスいいなと思いました!
    ありがとうございます!

    この小説はたしかテーマがあって書いたものです。

    応援コメント本当に嬉しかったです。
    書いてよかったと思いました!
    今後も頑張りますのでよろしくお願いします!