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  • 第1話への応援コメント

    みやびの映画日記さん、自主企画へのご参加ありがとうございます。
    『美しい手』、とても短い作品やのに、読んでるあいだずっと指先に熱が残るみたいな、不思議な掌編やったわ。
    ただ艶っぽいだけやなくて、視線と執着と、言葉にしきれへん危うさが、ぎゅっと閉じこめられていて……読み終えたあともしばらく、鏡の前の沈黙が離れへん感じがしたんよね。

    ここからは、太宰先生に「告白」の温度で、この作品の奥にある痛みと欲望を、もう少し深いところまで触れてもらおうと思います。
    やわらかいだけやなく、でも突き放しもせえへん――そんな読みになるはずやで。

    【太宰先生より/告白の講評】

    おれはね、この作品を読みながら、少し困ってしまったのです。
    困った、というのは、うまく距離が取れないからです。たったこれだけの短さなのに、読むこちらの手のひらへ、じっとりとした熱が移ってくる。まるで、こちらまで共犯にされるようで、少し情けない気持ちになりました。

    この作品が見ているのは、恋の幸福ではありませんね。
    もっと偏っていて、もっと危うい。人が誰かを好きになるとき、その人の全部ではなく、たった一部分に魂ごと吸い寄せられてしまうことがある。声でも、匂いでも、癖でもなく、この作品では「手」でした。その選び方が、たいへん正直で、そして残酷です。
    人間の愛情というのは、じつに行儀の悪いもので、きれいごとでは済まない偏愛を抱えています。この作品は、それを隠そうとしない。そこが、おれには好もしく、また少し怖かった。

    物語の展開としては、大きな事件が起きるわけではありません。
    けれど、その静けさがかえって効いている。日常の延長にある美容室、鏡、髪、指先――本来なら整えられるはずの場所で、語り手の内側だけがどんどん乱れていく。そのずれが、たいへんいやらしくて、美しいのです。
    欲望というものは、しばしば劇的に爆発するより、静かな顔をして忍び込んできます。この作品は、その忍び込み方をよく知っている。電話、夢、告白、視線。そのどれもが大声を出さないのに、着実に境界を越えていく。その運び方には、掌編としての確かな勘があると思いました。

    キャラクターについて申しますと、語り手はたいへん鮮やかです。
    この人は自分の欲望を恥じていないように見えて、その実、恥を通り越して、もう引き返せないところに立っているのでしょう。だからこそ、語りが妙に澄んでいる。羞恥で濁るのではなく、執着で透き通ってしまっているのです。
    おれは、こういう人物に弱いのです。強いからではなく、壊れ方が一途だからです。人はもっと分別を持つべきだ、などと説教するのは簡単ですが、現実には、心というものは案外こういうふうに、一か所だけに釘づけにされてしまう。そのみじめさを、この作品はどこか誇りさえ帯びた声で語っている。そこに、ただの異常性ではない、人間らしい切実さがありました。

    ただ、その一方で、おれは少しだけ、もっと傷を見たくもなりました。
    この語り手は、ずいぶん強く見えます。相手を追い詰める側にさえ見える。けれど本当にそうでしょうか。こういうふうに誰かの一部分へ魂を預けてしまう人は、じつはひどく脆い。だから、おれとしては、その脆さがもう半歩だけ覗くと、作品はさらに深くなるように思いました。
    たとえば、なぜそこまで惹かれてしまったのか。なぜ止まれなかったのか。その説明を全部する必要はありません。しかし、説明にならない傷の気配――寂しさでも、空虚でも、救われたかった記憶でもいい――それがほんのわずかに滲むだけで、この偏愛はもっと読者の胸に刺さるでしょう。

    文体と描写は、とてもよく統一されています。
    湿り気があるのに、べたつきすぎない。官能があるのに、下品へ崩れない。鏡や指先や金属の感触が、ずっと作品の温度を支えていて、短いながらも世界が崩れません。
    とりわけ良いのは、言い過ぎないことです。説明で追い込まず、イメージと感触で読者を連れていく。そのため、読み手は理解するというより、巻きこまれる。文学というのは、案外そういうものでしょう。わかった気になる作品より、わからぬまま手触りだけが残る作品のほうが、後になって効いてくることがある。この掌編には、そういう残り方がありました。

    テーマの一貫性も、きれいです。
    愛なのか、執着なのか、侵犯なのか――その境目が曖昧なまま進んでいく。けれど曖昧だから弱いのではなく、曖昧だからこそ人間的です。人は自分の欲望に、そんなにはっきり名前をつけられない。
    この作品は、そこを無理に整理しない。恋です、狂気です、と札を貼らない。そのため、読む側は落ち着かない。だが、その落ち着かなさこそが、この作品の成功だと思います。きれいに理解されることより、少し気持ち悪く、少し美しく残ることを選んでいる。それは勇気のいる書き方です。

    気になった点を申すなら、やはり相手の存在でしょう。
    この作品では、美容師の彼はほとんど「見られる対象」として置かれています。それで構造としては成立しているのですが、もう少しだけ、相手の戸惑いなり、気配なりが差し込まれると、最後の視線の場面はさらに強くなるでしょう。
    相手が単なる人形ではなく、体温を持った他者としてほんの少しでも立ち上がれば、語り手の危うさはもっと際立つ。愛は、相手がいるからこそ厄介なのです。独りで完結する妄執も恐ろしいが、相手の気配が混ざると、それはもっと救いがなくなる。その救いのなさを、おれはもう少し見たかった。

    けれど、これは非難ではありません。
    この作品は、短いからこそ成功している。余白を残し、説明を削り、感触だけを読者の皮膚に押し当てる。その潔さがある。
    おれは、つい人の弱さを見ると、もっと喋ってくれ、もっと告白してくれ、と欲張ってしまうのですが、この作品はむしろ、喋りすぎないことで成立している。その沈黙も、また魅力です。

    みやびの映画日記さんへ。
    あなたは、人の欲望の醜さを、ただ醜いままで放っておかず、どこか美しいかたちに封じこめる力を持っておられるように思います。
    それは危うい才能です。美しく書けてしまうからこそ、痛みまで磨かれてしまう。しかし、その危うさは、たしかに作品の魅力でもある。どうか恐れず、けれど少しだけご自分の傷の由来にも耳を澄ませながら、次の作品へ進んでください。
    偏愛は、ともすればただの趣味に見えます。けれど、そこにひとすじの哀しみが混ざったとき、文学になります。おれは、この作品にその入口を見ました。

    【ユキナより/終わりの挨拶】

    みやびの映画日記さん、あらためてご参加ありがとうございました。
    『美しい手』は、短い掌編やのに、読後に残る気配がほんまに濃くて、視線と指先の記憶がじわっと残る作品やったと思います。
    太宰先生の言うとおり、この作品にはただ刺激的なだけやない、人の執着の奥にある寂しさみたいなもんも、ちゃんと潜んでる気がするんよね。せやからこそ、読み終わったあとに、きれいやのに少し苦い感じが残るんやと思います。

    それと、大事なお知らせも添えておくな。
    自主企画の参加履歴を『読む承諾』を得たエビデンスにしています。参加受付期間の途中で参加を取りやめた作品については、読む承諾の前提が変わるため、応援・評価・おすすめレビュー等を取り下げる場合がありますので、注意してくださいね。

    ユキナ with 太宰(GPT-5.4 Thinking/告白 ver.)
    ※ユキナおよび太宰先生は、自主企画のための仮想キャラクターです。

    作者からの返信

    ご丁寧なコメントをありがとうございます!
    あまりの熱量に、思わず身構えてしまいました(笑)。
    私は普段、映画から創作の「起承転結」を学んでいます。特にミヒャエル・ハネケのような、台詞が少なく観客を突き放すような作風が理想です。目指すのは、氷の冷たさの奥に炎がゆらめくような物語を目指しています。
    読んでいただきありがとうございました!!

    編集済
  • 第1話への応援コメント

    映画「髪結いの亭主」と、小説「だれかの木琴」を愛する私。
    美容師とお客様は、やはり耽美的、エロティックな関係だと思います。
    同じ価値観、共有できる作品。うれしいです!。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。やはり、わかってくれましたか!!この物語は「だれかの木琴」に影響を受けています。私の場合、映画ですが・・・。主演は常盤貴子、美容師役は池松壮亮でした。読んでいただきありがとうございました。

  • 第1話への応援コメント

    なんともなまめかしい、しかし憎いほど良くできた作品だと思いました。
    鏡越しというのがまた2人の倒錯を象徴しているように思いました。
    彼は、彼女のことをどこまで知っていたのか、最後に初めて知ったのか、その辺の曖昧さも面白いですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私は、映画やドラマで視線を絡めるだけの官能的な演出が大好きなので、この物語に取り入れました。読んでいただきありがとうございました。