飛花落葉 -第一部-

北畠 逢希

一章 降り止まない雪の先で

 身も心も震える、豪雪の中。

 たなびいている雲のせいで、まるで隠れたように見える月の細い明かりを頼りに、ふたりの男女が奔っていた。その後ろには、松明を手に二人を追う男が十数人いる。


 それらから必死に逃げている少女は、少年の手を引きながらこう尋ねた。


「名は、何という?」


 少年はハジ、と答えた。

 少女は「そうか」と頷くと、木々が生い茂る森へと入る。


「私の名は、華純だ」


「かすみ?」


 少女は深く頷くと、腰に帯刀していた刀を抜き放った。

 それを見た少年は、何をする気なのかと尋ねたが、少女は何も言わなかった。


「——居たぞ!!」


 そうこうやり取りをしていた二人の元に、追手が現れる。

 少女は小さく舌打ちをすると、自身が羽織っていた黒い着物を少年に羽織らせた。


「いいか、ハジ」


 ハジ、と呼ばれた少年は、濃藍色の細い瞳を最大限に見開いて少女を見た。

 少女はハジの頬をそっと撫で、柔らかく微笑んだ。


「約束をしよう。必ず、生き抜くと」


「あなたは、」


 少女はハジの続きの言葉を聞かずに立ち上がると、刀を構えた。


「走れ、ハジ! そして逃げろ!」

「でも、」

「生きろっ!」


 ハジはぐっと言葉を飲み込むと、少女の背に「あなたも」と声を投げ、駆け出した。


 その場に残った少女は、立ち塞がるように向かってくる男たちに切っ先を向け、不敵に微笑んだ。


「——悪いが、この先には行かせない」


 そう呟くと、男たちに斬りかかっていった。



 名前を、呼ばれた気がした。

 誰なのかは分からない。なぜなら、その声が男なのか女だったのかすら分からないからだ。


 ぽたり、と頬に何かが落ちてきた。雪にしては水のようだなあと思って、重い瞼をこじ開ける。すると、目の前には知らない少年がいた。少年の焦げ茶色の大きな瞳に、死にそうな顔をしている私が映っていた。


「よかった……。生きてるね、君」

 

 生きてるね、とはどういう意味だろうか。まるで私の生死を確認していたようだ。


「……酷い血。これ、ぜんぶ君のもの?」


 少年は確かめていいのかな、と困ったように言う。その姿がなんだかおかしく見えた私は、薄く笑ってしまった。


 少年はぷう、と頬を膨らませると、「笑えないよ」と怒ったふうに言う。その姿もまたおかしく見えた私は、唇を横に引いた。


 こんなふうに心配されるのは、いつぶりだろう。こんなふうに私の身を心配してくれる人がこの世界にいたとは、私が生きていた世界はどれだけちっぽけなものだったのか。


「……見たところ、深い傷はなさそうだけど、体がすごく冷たい」


 温めなきゃ、と言うなり、少年が羽織を脱ぐ姿が、少し霞んだ視界に映った。


 私は否定の言葉を言おうと、唇を動かした。

 けれど、声にならなかった。なんにも声にならなかったのだ。何の音も発せなかったのは、唇が震えていたからだ。


 やがて、目に映るもの全てが、白くなってくる。

 そこで初めて、私は少年に抱きしめられていたことに気がついた。


 少年が、何かを必死に叫んでいる。馬鹿みたいに何を叫んでいるんだ、と聞いてあげたかったのに、私は何も出来なかった。


 酷い睡魔に襲われたような感覚になった私は、静かに瞼を下ろしていった。

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