1 少女の殺人(一) 五年前
呼び出された堤防に向かうと、彼女はすでにいた。
草の上に横倒しになった自転車があった。かごからは学校指定のスクールバックが飛び出していた。
私はその隣に自転車を停めて、スマートフォンを弄っている彼女に近づいた。
「間中、お待たせ」
「おう」
間中は片手を挙げて返事をすると、スマートフォンから顔を上げた。栗色に日焼けした頬にはガーゼが貼られていて、紫色の痣が透けて見えた。
「それ、大丈夫だった?」
触れられる距離まで近づくと、間中はそのぶん少しだけ距離を取った。
「別に、これくらい大したことねえよ。そもそも自業自得だし」
彼女は頬を掻いて私から目を逸らした。
「少し歩こうぜ」
返事を待たず、彼女は川沿いを西に向かって歩き出した。私もその後を追う。西日が強くて目を細めた。間中の背中が小さく見えた。
「間中はさ、怒ってないの?」
私が聞くと、間中は立ち止まってこちらを向いた。逆光で表情は分からなかったが、笑っているのだろうと何となく思った。
「さっきもいっただろ。これは、あたしが悪い」
「でもさ……」
「確かに殴るのはやり過ぎだけど、これであたしはもう出会い系もやめるよ。援交もしない。結果オーライだろ」
鼻を鳴らして、スマートフォンを取り出した。
「さっき退会手続きしてたんだ。連絡先も消したし、これで万事解決。だろ?」
確かに画面には退会完了の文字が表示されている。
「あたしみたいなのは一回殴られないとダメだったのかもな。いままで殴ってまで止めようとしてくれた人、いなかったし。親も教師も、みんなあたしのこと遠ざけてたからさ、こうやって殴られたのが案外嬉しいんだ」
太陽が一瞬だけ雲に隠される。ようやく間中の表情が見えた。頬が赤い。それが西日によるものなのか、羞恥によるものなのか分からなかった。
「もうすっかり秋だな」
間中はジャージのポケットから煙草を取り出し、慣れた手つきで火をつけた。
「カナも吸う?」
「いや、いらない」
父にバレたら何を言われるか分からない。間中も私の父のことは分かっている。それ以上は言わず煙草をしまった。
間中はまた歩き出す。私も黙って続く。私たちの真横をアキアカネがすいと横切った。
「このこと、なんも言わないのな」
間中は銜えた煙草の、火のついた部分を指さしていった。ここからだと煙草が黒い影になって、彼女の顔と同化して見えた。
「学校だったら流石に止めるけどね。でもここは人目がないから。それに間中が体を壊そうが、肺を痛めようが、私には関係ないもの」
「違いねえな」
間中はカラカラと楽しそうに笑った。私も少しだけ口角が上がった。
生い茂るススキを掻き分けながら歩き、やがて高架下までくると、間中は近くの岩に腰を下ろした。私はその対面の、コンクリートで鋪装された基礎の部分に座った。
「それで、なんでこんなところに呼び出したの? しかもわざわざ学校で声かけてきてさ。電話でもよかったじゃない」
「お前、あんまりスマホ触んねえじゃん」
間中は煙草をギリギリまで灰にすると、背後に流れるゴミだらけの川に投げ捨てた。
それから頭を掻いて、気まずそうにそっぽを向いた。
「急ぎの用だったから、直接の方がいいと思ったんだよ」
「急ぎの用?」
間中はおずおずと私の目を見た。
「その、さ。前に親と少し揉めたって話したじゃん。あたしが転校するかもしれないって。それの日にちが決まっちまった」
頭を殴られたような衝撃だった。
「嘘、でしょ……?」
「こんなつまらないことで嘘なんかつくかよ。今学期がこの学校にいられる最後だって。あと、二、三ヶ月くらいか。親父にも頼んだけど、どうにもならないって……。まあ、こればっかりはな」
間中は、いつになく聞き分けのいい子どもみたいな顔をしていた。
私にはそれが許せなかった。
「なんで?」
そんな言葉が飛び出した。
「なんで、そうやって間中は私から離れていこうとするの? 私たち友達じゃん。それにいままでの間中だったら、そんな簡単に大人のいうこと聞いたりしなかったのに……」
「今回は、そんな子どもみたいなこと言ってられねえんだよ。もう次の家も見つけてあるっていってたし……。あたしだって、本当は嫌だよ。でもしょうがねえんだよ。もう、どうにもならねえんだ」
「子どもみたいって……いまの大人のいうことに流されてる間中の方がずっと子どもだよ! 私は……私は、そんな間中見たくなかった!」
言っているうちに涙が溢れてきた。ぐにゃりと視界が歪んで、間中がいまどんな顔をしているのか分からなくなる。喉の奥が膨らんだようになって呼吸が詰まった。
「じゃあもういいよ。こんな話、カナにしたのが間違いだった」
冷たい声。霞む視界でも怒っていることが分かった。間中は舌打ちをして立ち上がると、来た道を戻ろうとした。
「行かないでよ!」
私はその背中に飛びついた。いつもの間中なら笑ってくれる。しょうがねえな、なんて言って、許してくれる。
けれど、そうはならなかった。
間中は鬱陶しそうに、私の手を振り払った。
「もう、そういうのいいから」
ぼそりと、小さな声だった。
「ちょっと待ってよ! 私は……私には、間中しかいないんだよ。中一の時からずっと、大切なのは間中だけなの。それなのに、私から離れてかないでよ」
彼女はどんどん遠ざかっていく。私はふらつく足でそのあとを追った。視界が悪い。涙がうっとうしい。
「間中だって、私のこと大切に思ってるでしょ? 転校して、その学校で、私以上の友達ができるわけないじゃない。間中のことを一番よく知ってるのは私なんだから!」
間中が大股になる。まるで私の声を振り払うように。私は小走りで追いかける。
「ね、ねえ、ならさあ、私も一緒に転校するから。それだったらいいでしょ? そうしたら、また一緒にいられるじゃん。うん、そうしよう? 私もお父さんに頼んでみるから。だから……」
そこでようやく間中が立ち止まった。袖口で涙を拭く。クリアになった視界で、間中が振り返る。
「前から言おうと思ってたんだけどさ……カナ、お前重いよ」
上がりかけていた口角が引きつった。
「あたしが援交始めたときもそうだったよな。ずっと止める側にいたくせに、終いにはついて行くなんて言い出してよ。そういうの、ほんと……うっとうしいんだよ」
間中は聞こえよがしに溜め息をつくと、舌打ちをした。
「……あたしはレズじゃねえ。お前にはあたししかいないかもしれねえけど、あたしにとっちゃお前はただの友達だ。……だからもう、付きまとうのはやめてくれ」
全てを見透かしたような発言に頬が熱くなる。足下が覚束なくなって、目の前がぐらりと揺れた。視界の端からじわじわと涙が滲み出してきて、息が苦しくなった。
「帰る。あたしらはもう他人だ」
……行ってしまう。
間中が離れていってしまう。
本当に、これで終わりなの?
好きなのに。愛しているのに。
こんな気持ち、間中以外には抱かないのに。
どうしたらいい、どうしたらいい、どうしたらいい?
どうしたら間中を笑わせられる?
どうしたら間中を振り向かせられる?
どうしたら間中を――
――私のものにできる?
その答えは、私の体が導き出した。
「待って!」
近くに落ちていた石を手に、間中に迫る。石は思ったよりも重たい。間中は振り返る素振りも見せない。ここには人目もない。
止めてくれるものは何もなかった。
だから、私が腕を振り下ろすと、間中の後頭部が割れた。
「がッ……!」
間中の体が前のめりに倒れ込む。
「ぅぅう……」
後頭部を庇うようにして手で覆っている。じわじわと血が流れ出ている。やめなきゃ、止まってくれたから、やめなきゃ。それなのに私の手は止まらない。
まるで自分自身を鳥瞰しているような感覚で、彼女の上に乗った私が、間中を殴り続けている。飛び散った鮮血が私の手を汚している。夕焼けが二人の中学生を濃い影にしている。私は笑顔で、彼女は苦しんでいて、それなのに手が止まらない。
ずっと愛して欲しかった。
それが無理なら殺されたかった。
多くを望んだつもりはない。でも、間中はどちらもくれなかった。
それどころか、離れていこうとした。だからこうなったのだ。愛しているから、殺すしかなかったのだ。
「これでもう、離れていかないよね」
ようやく私の手が止まる。
動かなくなった間中は返事をしない。
「ねえ、間中。好きだよ。大好き。愛してる」
……やはり返事はない。片頬が吊り上がる。
これで永遠に私だけのものだ。
間中を仰向けにし、血の滲んだくちびるに自分のくちびるを合わせる。血と煙草の味がした。
いつの間にか、間中は純白のドレスに包まれていた。
見紛うことなきウェディングドレスだ。
傍らには、丸眼鏡をかけた神父が立っていて、私たちを見て微笑んだ。
「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命尽きても、真心を持って接することを誓いますか?」
リンゴーン、リンゴーンと鐘が鳴っている。真っ白な鳩が飛び立っている。
「誓います」
私と間中の声が合わさる。
「では、誓いのキスを」
また間中とキスをする…………
そこで気恥ずかしくなって、陳腐な妄想を振り払った。
「結婚したら、次は初夜だよね」
妄想すら言い訳にして、私は間中の服を脱がしにかかる。すっかり熱に浮かされていた。まさかこんなことまで!
でも残念なことに……あるいは喜ばしいことに?……私に男性器はない。
そしてこれは本当に残念なことに、間中は初めてではなかった。すでに何人もの成人男性と関係を持っている。
だから、代用を考えた。
私は川に落ちていたそれを持ってくると、自分の股に当てた。
それから力の抜けた間中の足を広げ、まるで男性が女性に挿入するときのように、ゆっくりと腰を進めた。
持ってきたものが大きすぎ、抵抗があった。
それでも気にせず、彼女と体を重ねた誰よりも大きなものを、奥まで挿入する。
「……あはっ」
下腹部が熱っぽくふるえた。まるでそれが、本当に自分の体が繋がったようだった。頭が真っ白になって、体がしびれる。奥深くから押し寄せてきた快感が、心臓をきゅっと締め付ける。
しばらく、間中にのしかかったまま動けなかった。熱を持った肌は吸い付くようだ。
「間中、愛してるよ」
打ち震えながらキスをする。
ようやく間中と交われた。それだけが嬉しかった。
快感が落ち着き、ようやく体を起こす。やはり太すぎたのだろうか。無理やりねじ込んだせいで、未成熟な陰部は裂けてしまった。それを引き抜くと血が流れだした。まるで破瓜したように見えた。
そのとき電話が鳴った。
私のものだ。
画面には父の名前が表示されている。
私は溜め息をついて電話に応じた。ここで無視したら、帰ってから何と言われ詰られるか分かったものではない。いつも通り、声のトーンを上げて謝っていればいい。それに今は、間中もいてくれる。
目論見は成功した。
殊勝に謝り続けたおかげか、
『早く帰ってきなさい、いいな』
父は割合早く電話を切った。
私は作り笑顔をやめ、また溜め息をついた。
すっかり凪いでしまった。しかし、そろそろいい時間なのも確かだ。これから天気が崩れるのか、空の隅にぶ厚い灰色の雲も見える。
私は急いで帰り支度を整えた。
間中を茂みに隠し、脱がした服も一緒にまとめ、自転車とスクールバックは川に捨てておいた。不法投棄の多い場所だ。怪しまれはしないだろう。
思い出の品だ、彼女の股に挿入っていたそれを持って帰ろうか悩んだが、誰かに見つかると面倒だ。泣く泣く川に放り投げた。
「じゃあね、間中」
もう一度キスをする。間中が動いたような気がしたが、気のせいだろう。
私は帰路についた。
家に着く頃、雨が降り出した。どこか遠くで雷が鳴っている。腹の奥を殴りつけるような音が、ずっと聞こえている。
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