第二部 VS AZ8

第一章 敵にも色々事情がある

第一話 新たな力は島を訪れる

 群島風家屋の縁側から、翅見立羽はねみたてはは自宅の庭を眺めた。


 木陰に、青く輝くような翅をゆらめかせて群れる蝶がいた。


 昔からよく見かける種類で見た目も美しいので立羽は子供の頃から好んでよく眺めていたが、どうやら群島連邦に属する島でも、翅見家のあるこの小島にしか生息していない珍しい種類らしい。


 昆虫学者が是非、採集して標本にしたいと願い出たこともあった。

 しかし、翅見家の現当主である父はやんわりとだが、こう答えた。


 ──この蝶は我々の暮らしを見守ってきてくれた、我々の一族も同然の存在なのです。どうか、生きたその姿を目で見て、愛でるだけに留めていただきたい。


 父は強い人だが同時にとても優しい人だ。

 その父と仲睦まじく支え合っている母親も、立羽は尊敬している。


 自分は幸せな家庭に生まれ、恵まれた環境で育ったと立羽は思う。


 そして、そんな両親が立羽によく言い聞かせている言葉がある。


 「『人の世に恩を返し、人を助け、人を愛しなさい』」


 立羽は幼い頃から聞かされたその言葉を口にして、胸に軽く手を置いた。


 翅見家の先祖は昔、大陸から逃れて来た少数種族だったという。


 人の世で暮らす間に姿形も人間に近くなったが、昔は人間と異なる姿をしていた。

 そんな先祖を、群島連邦の人々は温かく迎え入れたと伝えられている。


 それ故に、代々受け継がれてきたその翅見家の家訓なのだろう。


 立羽もその言葉を誇りに思っている。

 だから──


 「父様、母様、失礼いたします」


 予め自分から話があることは伝えていたので、立羽は父と母の待つ奥座敷の前で正座をし、声を掛けた。


 「入りなさい、立羽」

 「はい」


 父の声に応じて、立羽も障子を開き部屋の中に足を踏み入れた。

 床の間を背に普段は大陸風の装いを着ている両親が、群島風の正装に着替えて端然と座して立羽を待っていた。


 立羽も両親の前に、居住まいに気を付けながら正座してこうべを垂れる。


 「父様、母様、本日は折り入って頼みがあり、お願いに上がりました」


 普段、家族でいるときはしない改まった口調に緊張が高まった。

 父も母も覚悟を固めた様子でいるのに心苦しさを覚える。


 「……〈夢見島ゆみじま〉へ向かう件ですね?」

 「はい。〈AZテック〉より、再三のお誘いがありました故……」


 母が意を決して声を発し、立羽は顔を上げて膝の上にするりと手を置いた。


 「それは、我が家の家訓にも適うことであろうと、私は思うのです」

 「立羽」


 すると、父が深く息を吐いて立羽へ静かな眼差しを向けた。


 「お前、いくつになった?」

 「はい。今年の春で、十五になりました」


 立羽が告げると、父がかすかに胸を痛めたように顔をしかめた。


 「……私の言いたい事が分かるか?立羽」

 「はい。私はまだ、若輩の身で……」

 「お前は、そこらの大人よりよほどしっかりしている。赤子の頃から成長を見てきた私の目から見ても、それは確かだ」


 思わぬ父の言葉に、立羽は意表を突かれて正座する父を見た。

 父は懐手になり、改まった態度を崩して立羽へ穏やかな眼差しを向ける。


 「だが、そんなに急いで大人にならなくて、いいんだ」

 「父様……」

 「私がお前位の頃なんて、日がな一日朋輩ほうばいと遊び歩いたり、気ままに過ごしていたものだ。あの〈AZテック〉に誘われて舞い上がる気持ちは分かるが……どうにも、私はお前が一足飛びに大人になろうとしている気がしてね」


 「不憫ふびんなんだ」と、飾らず、構えず、素直な気持ちを吐露する父の声だった。


 「もっと信頼のおける大人たちに甘えて、子供として過ごす時間を大切にして欲しいと、私は思う。確かに、私たちの一族は……この島は、色々と特殊なのだが」


 父は、自分を心配しているのだと立羽にも分かった。


 「でも、お前が大人になるまでの時間を過ごすには十分恵まれた土地だと思うよ」

 「父さん……」


 思わず、普段の言葉遣いに戻ってしまって立羽は慌てて口を手で覆った。

 だが、父は相変わらず穏やかに苦笑して「いいんだ」と、軽く片手を挙げた。


 「母さんとも相談した。しかし、立羽の決意も固いと分かっている」

 「父さん、母さん……はい、ごめんなさい。私……」


 父と母の心遣いに感謝して、立羽はありのままの素直な言葉を発した。


 「自分がとても特殊な血筋だと分かった上で、色々と困惑することも多いだろうけど……外の異能者の方たちと接してみたいと思うの。小さい頃から考えてた事で、〈AZテック〉からのお誘いは、いいきっかけになるのではないかと……」

 「どうしても〈AZテック〉の実験に参加する形でないと駄目なの?」


 心配そうな母親が、袖からのぞく手を握ってつぶやくように尋ねた。


 「どこか別の島の学校への留学の許可なら、父さんと母さんが色々な方に頼めばもらえるかもしれないわ。もっと子供として、大人を頼れるような環境で……」

 「母さん」


 言い募ろうとする母を、父が静かに押し留めた。


 「立羽もよくよく考えて決めた事なのだろう。これ以上心配するのは立羽の思いを邪魔することになりはしないだろうか?」

 「ですけど……私……」


 「なんだか……不安で……」とうつむく母の手を、立羽は手に取った。


 「母さん、私、絶対に無茶な事はしません。何かおかしいと感じたら、すぐにやめて戻ってきます」


 立羽はそう言って、父と母を安心させるように微笑んだ。


 「だから、心配しないでください」


 〇


 ──「誰それ?あんたのとーちゃんとかーちゃん?」


 立羽は懐に忍ばせていた両親の写真に見入って物思いにふけっていた。

 すると突然、横から誰かがのぞき込んで、声を潜めてささやきかけてきた。


 驚いて顔を上げると、なんだか目がちかちかするような、サイケデリック──というのだろうか、ブルーの髪に鮮やかなオレンジやグリーンのメッシュを入れて編み込んだ、なんとも派手な身なりの少女が立羽の顔をのぞき込んでいた。


 「あっ、こっ、これは……」

 「私物、持ってるのが見つかっと取り上げられちまうよ」


 その少女は厚手のだぼついたパーカーのポケットに片手を突っ込んだ。

 もう片方の手で、編み込んだ髪をいじりながら立羽にささやきかける。


 「没収されたら、戻ってくる保証なんてない。嫌なら、見つかんないとこに入れて、絶対、人のいる所では出さないようにした方がいいぜ」

 「……あっ、そっ、そ……」


 立羽は、少女が前方から近づく〈AZテック〉の検査員を見ているのに気付く。

 慌てて両親の写真を、元の胸の内ポケットに入れておいた。


 先ほどの派手な身なりの少女は、いつのまにか素知らぬ顔で前を向いている。

 立羽、その背にそっとささやきかけた。


 「そうします。ご忠告、ありがとうございます」


 立羽が小声そう告げると、その少女が軽く息を吐く声が聞こえた。


 「……あんた見ない顔だと思ったら、ひょっとして研究所の外から来たの?」


 再び声を潜めてささやきかける少女に、立羽はうなずいた。


 「は、はい……。私はつい先日、外部からスカウトされて、〈夢見島〉に来て。しばらくホテルに滞在して、今日、研究所に初めて案内されて……」


 〈AZテック〉の検査員が近づいてくるのを見て、立羽は慌てて少女に告げる。


 「わっ、私は……立羽と申します。翅見、立羽……」

 ──「聞いてないよ」


 名前を告げようとしたら、後ろからぼそりと低い声が掛かった。


 立羽が驚き振り返ると、そこに、本当に小柄で線の細い、目を引くような真っ白な髪の少女が立っていた。立っていたと言っても立羽の胸辺りまでしかない、本当に小さな女の子だった。


 その何から何まで白い女の子は、ほうっと一つ息を吐いた。

 なんだか拘束衣を思わせるようなデザインの服を着た彼女は、血色の悪い目元を細めて自分の手を見下ろした。


 「名前なんて、ここで、意味ないし」

 「えっと、その……」


 立羽が困惑していると、前からさっきの派手な少女の咳払いが聞こえた。

 はっとして目を向けると、〈AZテック〉の職員が近づいてくる。


 立羽は慌てて背筋を伸ばし、口をつぐんだ。


 〇


 集められた異能者たちは、ぞろぞろと〈AZテック〉の研究所内を進む。

 全員一言も口を聞かない異様な雰囲気に、立羽は先ほどから困惑していた。


 自分たちの前後には、屈強な体格の〈AZテック〉の警備員が控えている。


 これでは──まるで──


 「……今から何処へ向かうのですか?」


 立羽はすぐ近く、先ほどのあの派手な身なりの少女と真っ白な小柄な少女が連れ立って歩いている背中に、そっと声を掛けた。


 すると、派手な少女の方が呆れ顔で振り返る。


 「……あんた、それすら聞いてねーの?えっと、タテハ、だっけ?」

 「えっと、そうです。ただ、ホテルに〈AZテック〉の職員の方が来て、研究施設の案内と、最初の試験を受けることになると車で案内されて……」

 「ふーん?」


 立羽が答えると、その派手な身なりの少女はしげしげとこちらを眺めた。

 それから、にっと目を細めて隣の真っ白な少女の頭に触れる。


 「……なあ、ミユキ、ぼく閃いちまったよ」

 「あなたの考えそうな事くらい、分かる。フィゼ」


 目元にクマの浮いた小柄な真っ白少女が横目に派手な少女を見やる。


 「私としても、異論はない」

 「っつーことでよ、タテハ。他にアテもなさそうだし、ぼくが色々教えてやるよ」


 願ってもない申し出に、立羽はきょとんと目を見開いた。


 「えっ?いいのですか?」

 「いーよいーよ。右も左も分かんないだろーし、こっから先は三人で行動しろって言われるだろーし、ひとまずタテハはぼくとミユキのそばにいな」


 気さくに話しかけるその派手な少女の言葉に、立羽はほっと胸をなでおろす。


 「よかったです。さっきから、どうにも心細くて……」

 「うんうん、だよなー。歳も近そうだし、なんも気兼ねする必要ねーぞー」 

 「あの、お二人は、なんとお呼びすれば……」

 「ん?あー、そーだなー」


 派手な身なりの少女は立羽が問うと、軽く首を捻った。

 しかし、すぐに「ま、いーか」と軽い調子でうなずいた。


 「ぼくはフィゼで、こっちの不健康そーなのがミユキ、仲間からそう呼ばれてる」

 「フィゼ様と、ミユキ様ですね」


 「よろしくお願いいたしします」と、立羽が腰を折って挨拶する。

 すると、フィゼとミユキの二人が顔を合わせてやや困惑の表情を浮かべた。


 立羽の方も困惑して、二人を見比べた。


 「えっと、あの……」

 「いや、さ、『外』ってそんな風に挨拶すんのがふつーなの?」

 「えっ?いえ、多少改まった挨拶ではあると思いますが……」


 立羽が首を捻ると「ま、いーや」とフィゼが手を差し出した。


 「よろしく、タテハ。ぼくたちを『上』へ引っ張り上げてくれよ?」

 「?……ええ、お二人には親切にしていただきましたし、私にできる事なら」


 立羽が内心首をかしげつつ手を握ると、フィゼが「しししし」と変な笑い方をして、その横でミユキが軽く息を吐いて肩をすくめていた。


 そんなわけで、フィゼとミユキの二人と連れ立って研究所の奥へ進む。

 更にエレベーターに乗って、地下へと潜っていって、立羽たちは、何か巨大な円環状の装置の前に立たされた。


 そこで待機させられた立羽たちの前に、〈AZテック〉の職員が近づく。


 「各々のガジェットが用意してある。さっさと装着しろ」


 研究員らしい白衣をまとった男性が命じる。


 「あーい」「……」


 すると、フィゼとミユキが進み出るので彼女たちの後に立羽も続く。


 「識別コード2094番」「識別コード1988番」


 二人がそれぞれ職員に告げると、何かの装置が渡された。


 フィゼの方には何かスノーボードの板に似た、出力機構の付いた装置。

 ミユキの方には拘束衣に似た服の上から被る何かの吹き出し口のような物が付いた、独特な形状をしたフード。


 立羽が困惑して立ち尽くしていると、別の職員が近づいてきた。


 「翅見立羽だな?お前にはこれだ」

 「えっ、あっ……はい……」


 そう言って自分に差し出されたものを見て、立羽は目を見開いた。


 刀だ。

 確かに……刀は、父との鍛錬で扱いを心得ているけど……。


 「どうした?早く手に取れ」

 「はっ、はい!」


 職員に急かされ、立羽は慌てて刀を手に取る。

 だが、これから自分たちが何をさせられるのか……無視できない不安が立羽の胸にきざした。


 「タテハ」


 すると、真顔になったフィゼが、あのボードのような装置を脇に抱えて近づく。


 「あの、これは……」

 「ここから先、職員の連中は親切に案内とかしてくんねーから……」

 「私たちのそばを、離れないで」


 フードのような装置を目深に被ったミユキが、フィゼと共に立羽に寄り添う。


 「あの……私たち、これから、何を……」

 「しっ、黙っとけ。……もう始まる」


 フィゼが険しい表情を浮かべて、あの円環のような装置を振り返る。


 始まるって、何が?


 そう立羽が問おうとした瞬間だった。


 巨大な円環の中にばちばちと火花が散ったかと思うと、円環の中の空間がまるで──


 唖然とする立羽の目の前が薄い虹色の油膜のように輝く空間が広がる。


 そして、その奥には──赤黒く不気味に揺らめく、異様な景色が見えた。

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