幕間 黒依の日常/クロエのメモ帳③
「バイトも、すっかり慣れたみたいだね」
夏休み最後の週末の日、私は〈純喫茶 猫〉のバイトに励んでいた。
テイクアウトカウンターからフロアに顔を覗かせた白亜が私に声を掛ける。
「うん、うん……。常連さんにも顔を覚えてもらったし……」
夏休みに入ったばかりの頃、怪我してバイトも休まなきゃいけなくなった時はどうなることかと思ったけど、復帰した時も知り合いのお客さんから声を掛けてもらったりもした。
私が胸をなで下ろしていると、白亜が軽く肩をすくめた。
「元々、店長一人でやれてた店なんだ。今はちょっと色気出してテイクアウトなんて始めてるけど。……まあ、こぢんまりした店だからね」
「そんな事言ったら、店長に怒られるよぉ」
カウンターのそばで白亜と冗談交じりに言葉を交わす
すると、厨房の奥からのっそりとフレンタが姿を現した。
「……聞こえてんぞ、ガキども」
フレンタの低い声に、私はびくりと背筋を強張らせ、白亜がぎょっと振り返る。
「黒依、三番テーブルのオーダーが出来てるから持ってけ。白亜、テイクアウトの方、客が来てんぞ」
そう不愛想に告げてまた厨房に引っ込むフレンタ。
彼女の姿が消えると同時に、私も白亜もいそいそと自分の仕事に戻った。
休日の昼間だから、いつも通りに客の入りは多い。
しかし、私の方も多少は余裕ができてきてうまく回せている感触がある。
(私も成長したもんだ)
成長というのは、日々のこうした積み重ねなのだな、と感じる。
思えば、私の初めての夏休みはそんな実感に満ちた日々だった。
やがて、ランチタイムの山を過ぎて客の入りが緩やかになった。
客がゆったりと談笑している店内をカウンターから見渡す。
そうして、洗い物が溜まっていたりお冷の水がなくなっていないか確かめていた。
すると、店内のドアベルが鳴ったので、すぐさまそちらへ向かう。
「いらっしゃいませ……あっ」
店内に入ってきた二人組に、私は思わず目を見開いた。
「こんにちは。偶然、近くを通りがかったものですから」
「……どうも」
淑やかに微笑む、暖かな春の花のような色合いの瞳の聖女。
そして、クールな素振りで小さく会釈をする、長身で細身の修道女。
マリーとロベリアの二人が、私を訪ねて店に来ていた。
〇
「あの、アレルギーとか、食べられないものとか……」
基本的にカレーしかないメニューを、テーブル席に着いた二人に差し出す。
私がおずおずと尋ねると、目立たずに異能の力を抑える為のものなのか、眼鏡を掛けたマリーが穏やかに微笑む。
「お気遣いありがとうございます。わたくしもロベリアも、食べ物に関しては皆様と同じ食事で問題ない戒律の宗派に属していますから、大丈夫ですよ」
「そうなんですね。よかったです」
私はにこやかに答えるマリーにほっと笑みを浮かべる。
〈大陸正教会〉は数多くの宗派に分かれていて、中にはかなり厳格な戒律を持つ宗派も存在する。
しかし、二人はその点に関しては寛容な宗派に属しているらしい。
「うち、食事はカレーしか出してないんですけど……本当に美味しいですから」
私は、先ほどから静かに目を伏せているロベリアを振り返る。
「是非、食べてってください」と、声を掛けると、彼女は凍った湖のような澄んだアイスブルーの瞳を向けて「そうなのですね」と小さくうなずいた。
彼女の態度に、私は少し面喰いつつも内心で拳を握る。
二人は、私が不在の間にメンバーに加わった仲間だ。
マリーとも言葉を交わしたことも数えるほどしかないし、特にロベリアとは打ち解けた態度とは言い難い。
(せっかくの機会だ……私の方から積極的に距離を詰めるぞ……)
私は二人のオーダーを厨房に通し、カウンターの前で密かに決意を固めた。
私にとっては都合のいい事に、今日は客のはけも早かった。
自然と、テーブル席に残っているのはマリーとロベリアの二人だけになる。
(うん……この、なんとももってこいの状況!二人と交流を深めよ、という〈方舟の主〉様の思し召しに違いない!)
私は盆に二人分のカレーを載せて、ふんふんと鼻息を鳴らしながら運んでいく。
「お待たせしました。二人とも、ごゆっくりどうぞ」
私が丁寧な手つきでテーブルにカレーのセットを給仕していく。
マリーが立ち昇るカレーの薫香に目を細めて息を吸った。
「本当ですね。スパイスの味に頼らず、全体の配合のバランスがいいのが匂いで分かります。群島連邦はどこもお料理が美味しいですけど、たまにはこうした大陸風の味も恋しくなるものですね」
マリーの方は気に入ってくれた様子で、私はうなずき微笑んだ。
そして、食前の祈りを捧げる二人の様子を、盆を抱えてじっと見た。
落ち着かないかな、と思ったけど──せっかくだし……。
「それではいただきます」
「……いただきます」
そして、二人が食事を始めて、スプーンを手に取り一口カレーを食べる。
「まあ……これは……想像以上に……」
「…………!」
二人とも気に入ってくれたようで、マリーは目を丸くし、ロベリアは無言でもう一口、カレーを口に運ぶ。私は「ごゆっくり」と、二人に微笑みかけて席を離れた。
ランチタイムもつつがなく終わりそうで、二人が最後の客になりそうだ。
二人が食事を終えた頃合いを見計らい、フレンタが淹れたコーヒーを持っていく。
「食後のコーヒーをどうぞ」
「ありがとう。……クロエさんもこの店に溶け込んでいるのね」
マリーがコーヒーのカップを片手に目を細める。
私は「それほどでも」と頬を掻いた。
「お客さんがみんな親切でなんとかやれてます。近頃やっと慣れてきて……」
私が頬をかいていると──
「……十分、立派だと思います」
後ろから、ぼそりと声が聞こえて私は目を見開いて振り返る。
すると、ロベリアが砂糖をコーヒーに入れながら、私を見ていた。
彼女は、窺うように私を見て、そっと目を伏せる。
「……そのエプロンも、よく、似合っていると思います……」
「かっ……わいい……ですっ」と、ロベリアはミルクを入れてかきまぜまだ熱いコーヒーを、火傷しないのだろうかと心配になる勢いで飲む。
「よかったわねぇ」と、向かいの席で目を細めるマリー。
私が首をかしげていると、マリーが不意に両手を叩いた。
「そうだ、ロベリア。クロエさんと一緒に写真撮りましょう」
「…………えっ!?」
マリーが提案すると、ロベリアが途端にびくん、と全身を震わせる。
(それは……願ってもない……展開だけど……)
私は、何か急にせわしなく視線をさまよわせ始めたロベリアを振り返る。
「まっ、まっ、ままままま……マリー!あなた、一体何を……!」
「いいじゃない。せっかく仲良くなるチャンスなのだから……」
スマホを取り出すマリーに、ロベリアがひどく慌てている。
あまり気乗りしていないのかな、と思ったけど──
(いいや!ここは、積極的に行くべき!)
「いいですね!撮りましょう、ロベリアさん!」
「は……?」
一瞬、ぽかんとしたロベリアの手を握って、私はぎゅっと彼女に身を寄せる。
そうして、マリーの構えるスマホのカメラにロベリアと共に向き直る。
「ロベリア―、魂抜けてる場合じゃないよー。笑って笑ってー」
そう、自分が笑いを堪えているマリーが、スマホで何枚か写真を撮るのだった。
〇
バイト終わりの帰り道、私は白亜と連れ立ってアーケード街を歩いていた。
「さっきの、ランチタイム終わりのお客さん、知り合いだったの?」
「〈大陸正教会〉の人っぽかったけど……」と、白亜が首をひねる。
「うん。〈大陸正教会〉は私も馴染みがあるから、ちょっと話をね」
「そうなんだ。……黒依も案外、顔が広いね?」
「うん!」と私はうなずいて、スマホの画像を見下ろす。
マリーから送られた、バイト先のエプロン姿の私と、どこか焦点が虚ろな瞳で強張った笑みを浮かべたロベリアが並んで映る画像がちゃんと保存されていた。
*****
クロエのメモ帳
〇〈アルカナ22アイス〉
大陸発祥の世界的に展開しているアイス専門のチェーン店。
タロットの大アルカナにちなんだ22種の基本的なフレーバーと、期間限定の数種類のフレーバーが味わえる。群島連邦でも幅広い世代に人気を博している。
フレーバーごとにちょっとしたタロット占いが受けられるのも女性客に人気。
私の好きなフレーバーは『悪魔のべりベリーショコラ』と『死神のブラックチョコチップ』、白亜が『星のポップインスター』で、天音が『皇帝のキャラメルリボン』と『愚者のホワイトバニラ』、風香が『運命の環のチョコミント』。
〇〈夢見島市営プール〉
〈夢見島〉市民に長年愛される市営の市民プール。
施設の老朽化によりリニューアルされたばかりで、屋内の温浴施設や子供用の浅いプールや水浴び広場などが増設され、より幅広い年代の客が訪れる、市民の夏の憩いの場に生まれ変わった。
また、広報活動にも力を入れており、市のゆるキャラ『ゆみっプル』が度々イベントを開いたり、『前までは、海水浴に客を取られてました……』という自虐フレーズが印象的なCMを放送したり、〈夢見島〉出身の人気俳優を専任の広報大使『ゆみプーおにいさん』に任命するなどしている。
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