第47話 想いの理由 雪那
美月と別れた俺は再び、展望台へ。
物憂げな表情で高台からの景色を眺めていた雪那は俺を見つけるとパッと顔を明るくし、駆け寄った。
「悪い。待たせたか?」
「ううん。ピッタリー! 一秒でも遅れてたら、泣いてたけど!」
「ま、間に合ってよかった」
普段と変わらない明るいトーン。
しかし、一秒という短い時間も許されない緊張感に彼女の重さを垣間見た。
とりあえず、泣かれずに済んでよかった。
「次はあたしの番だよね?」
「――ッ。せ、雪那さん……?」
「……」
急に抱き着いてきた雪那はそのまま固まった。
呼びかけても反応はなく、本当に身動き一つしない。
ちょうど頭の位置が鼻先にあり、昼間であっても綺麗な金髪から発せられるシャンプーのいい匂いが鼻腔をくすぐる。
女子ってなんでこんなにいい匂いがするんだろうか。
だ、ダメだ。他に意識を逸らさなければ……。
「すぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーぷはっ。あはっ」
「えっと……?」
「ちょっと静かなところ行かない?」
「え? ああ」
何か思い切り吸い込まれた様な気がしたけど……今のは一体何だったんだ……?
あまりに何事もなかったかのように振る舞う雪那は、俺の疑問を他所に袖を引いた。
一体その細腕のどこにそんな力があるんだ。そう思うくらいには、離さないという強い意志を感じる。
「せ、雪那。そんなに引っ張るなよ」
「やだ。……他の子に取られたくないし」
美月のことを言っているのだろうか。
そのことを深く言及はしないが、その行動自体が彼女の意思を物語っている。
そうして雪那に案内されるまま歩くと自然公園の奥にある小さな池にたどり着いた。
先ほどの花畑とは展望台を挟んで反対側。まだ行ったことのないエリアだ。
湖畔の周囲には人影がほとんどなく、水面だけが風にほぐされてきらきらと揺れている。
「あたし、こういう場所好きなんだ」
「意外だな。にぎやかな方が好きかと思ってた」
「ゆーくんと二人きりなら、どこでも好きだよ?」
「……反応に困る」
「あはは、冗談だってば。あたしってばこう見えて静かなところの方が落ち着くから。昔はめっちゃ陰のものだったし」
そう言って雪那は懐かしむように近くにあったベンチに腰掛ける。
そして座ることを促すようにその隣をポンポンと叩いた。
「──っ」
隣に腰を下ろすと自然と肩が触れ、雪那はさらにちょっと寄ってきた。
……ち、近い。
確実に距離を詰めてくる雪那。
風が吹くたび、雪那の髪が腕にかかる。甘い匂いがくすぐったい。
「今日のゆーくん。誰といても楽しそうだったね」
「まぁ、班行動だったしな」
雪那には楽しそうに見えていたのだろうか。答えたはいいものの正直、楽しんでいた記憶ないんだが。
どちらかと言えば、気苦労が絶えなかった方が多い。
主に進藤と君達で。
「でもさぁ……あたしのこと、ほとんど見てなかったよね?」
「……そんなことないだろ。雪那のこともちゃんと見てたぞ?」
「へぇ……じゃあさ。あたしが午前中にゆーくんの方を何回見てたか分かる?」
「…………」
わ、分かりません。
「ゆーくんはあたしのこと何回見てくれたの?」
「……いや、回数までは」
「ふーん。じゃあ、ゼロなんだ」
拗ねたように言いながら、袖を再び引いてくる。
その仕草が妙に可愛いのに、なんだか怖い。
だけどここで意を決する。
さっきも美月に聞いたものと同じ内容。
それを聞くならここだと思った。明らかに自分に向けて、嫉妬の感情を抱いているから。
「そのさ。聞きたいんだけど……雪那はなんでそんなに俺のこ――」
「恩人だからだよ」
間髪入れずに答えが返ってきた。
無表情なのに、声は甘くて、息がかかるくらいに近い。
「……恩人って、前に言ってた?」
「うん。その恩人」
「それって進藤じゃ――」
「んなわけないじゃん」
こわいよ。
また間髪入れず、食い気味な即答だ。
前は進藤が恩人かもという話だった。
それがいつの間に俺ということに?
つまり、あの日以来、俺のところに来るようになったのは俺のことを恩人だと思っているから?
確か恩人って妹を助けた人だったよな?
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 全然記憶にないんだけど……」
「それは……仕方ないよ」
「え?」
「ううん。なんでもないっ! でもちゃんと証拠もあるし」
「証拠?」
「実はこの前、ゆーくんのおうち行った時ね、タオル借りっぱなしで帰っちゃったんだよねー」
「あー」
そういえば、あの日、貸したな。無地のシンプルなタオルだったはずだ。何枚も同じものがあるので、減ったことに気づいてなかった。
「それが?」
「妹にね、匂い嗅いでもらったら、助けてもらった人と同じ匂いがするって言ってた!!」
犬か。雪那の妹は犬並の嗅覚なのか。
「当時とね。柔軟剤変わってたから、気づくの遅れたんだけど、やっぱりその家の奥底にある個人の匂いまでは変わらないんだなって!」
めっちゃ普通に話してるけど、結構怖い話してる。
「な、なるほど」
確か妹が助けてもらったのは中学の頃?って言ってたよな。 もしかしたら……。
当時の記憶を探る。思い出したくもないあの頃の記憶。
忘れてしまおうとしていたあの頃の記憶。
しかし、これで納得した。 雪那が急に俺に対して、好意のベクトルを向け始めた理由。
初め、話したときに聞いた恩人に向ける重たい想い。
恩人=俺。
その図式が成り立つのであれば、それを向けられていたとしても不思議ではない。
……あれ?
「じゃあ、あの日はなんだったんだ?」
「あの日?」
「家に来た日。なんか急に様子おかしくなっただろ?」
「あ、あれは……」
「てっきり倫理のノートを見たからだと思ったんだけど――あ」
独り言のように呟いた言葉。 それに気が付いてからは遅かった。
「ノート?」
マズイ……。
本能が先に訴える。見てはいけないものだったはずだ。
それが本当に彼女のものかはさておき。さっきまで独占欲を滲み出していた彼女が豹変する瞬間。
「ねぇ、待って。ゆーくん持ってないって言ってなかった?」
「い、いや……それは言葉の綾というか……なんというか……」
非常に良くない。この流れは良くないぞ。
「てことは見たんだ」
「……はい」
もうここまできたら正直に打ち明けるしかない。
「────……」
「せ、雪那……?」
雪那は放心して表情を変えない。
恐る恐る声を掛けたその瞬間。
「〜〜〜〜〜っっっ」
ボッと。
さっきまで重い一面を見せていた彼女は急に押し黙っていたかと思うとまるでお湯が一瞬で沸騰したかのように顔を真っ赤に染めた。
「み、み、み見たの? 倫理のノート! 本当に見たの!?」
「ちょ、落ち着いて……」
「──ッ!!」
肩を掴まれ、グラグラと揺らされる。
「あっ、ちょっ!?」
そして雪那はそのままベンチから立ち上がると慌てて走り去っていった。
失言だったか。追いかけた方がよかっただろうか。
いや、今はどちらも落ち着く時間が必要だ。
ドクンドクンと心臓が鳴っている。
美月も雪那も俺に悪意を向けているわけでないと分かり、安堵のため息をついた。
にしてもそんなに雪那の言うノートもそんなに見られたくないものだったということか。
「あ、そうだ。ノート!」
カバンに舞い戻ってきた倫理のノート。
それを思い出して、カバンから取り出す。
周りに誰もいないことを確認して、もう一度、そのノートを開いた。
「っっ」
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