第3話 ノートが示す彼

 夜。

 俺は、机の上に置かれた一冊のノートを前に腕を組んでいた。


『倫理』というタイトルが与えられたノート。

 本当に倫理のノートなら、どれだけ良かったか。


「マジでわからん。なんでみんな倫理のノート探してるんだよ……」


 瀬名さんのものかと思えば、他にもノートを落としている人物が二人。


 謎のイニシャル『S』。

 朝、ノートを探していた瀬名さん以外、『S』という文字はつかない。

 もしかしたら、この文字は名前に関するものではないのかもしれない。


 誤った相手にもし、このノートを渡してしまったら、事件に発展しかねない。

 そんな危険性を孕んでいた逸品だ。

 それに三人とも全員がこれまでみたこともない狂気的な雰囲気を醸し出していた。


 誰だって持ち主になり得るのだ。


「クソッ。覚悟を決めろ!!」


 震える手を必死に抑え、自分を鼓舞する。

 俺が今やろうとしていることはノートの続きを見ること。


 昨日、見た1ページだけでは、これが誰のものか判断できない。

 みんな見たら、「◯すぞ」的なことを言っていた。(言ってない)

 だから怖いけど、持ち主を特定するにはそれが一番なのだ。


 こんなもの長く持っていたら、呪われそうで怖い。


「よし、行くぞ」


 俺は深呼吸を繰り返してから、昨日見た強烈な想いが書かれていたページの続きをめくった。


「………………っ」


 思わず、声が出そうになったのを我慢した。


 ◆


「ふぁ……」


 欠伸を噛み殺しながら、机に突っ伏す。

 ノートを数ページ見るだけでその日は体力を使い果たしてしまった。

 

「にしてもな……」


 昨日読んだ部分は、同じように想い人に対する想いを綴ったようなものだった。

 これがいつ書かれたものかは不明だが、人の気持ちを盗み見るのはあまり気持ちのいいものではなく、内容的にもかなりハイカロリーでじっくりと読む気には慣れなかったのが本音だ。


 ◇


 どうしてあの時、気がつけなかったんだろう。

 あなたがそばにいた頃の私はあまりにも鈍くて。当たり前にいることが、永遠に続くと思い込んでいた。


 離れてから、ようやく知った。

 胸の奥を焼き切るみたいな孤独と、あなたの存在の大きさに。

 誰と話しても、何をしても、埋められなかった。

 ただ、あなたがいないという一点だけで世界が色を失っていた。


 ……でも。

 私は帰ってきた。あなたのいる場所に。

 また一緒に過ごせるようになった。

 もう二度と会えないとおもっていたのに。笑って隣に座って、何でもない会話をして。

 あの頃と同じはずなのに、違う。

 今でも一秒一秒が宝石みたいに眩しくて、心が軋む。


 彼はいつだって、どこだって目立っていた。

 何をしても完璧な彼にいつの間にかみんなの視線が集まる。

 だからこそ、彼が誰かに向けるその一瞬の優しさが、私には全てを奪う刃のように見えるのだ。


 私はもう、見逃さない。

 あなたの言葉も、仕草も、吐息でさえも。

 全部、私の中に刻みつける。

 だって、また失うなんて──絶対に、絶対に許せないから。


 だからお願い。他の誰も見ないで。

 私だけを見ていて。

 そうじゃないと、きっと私……壊れてしまう。

 ⋮

 ⋮

 ⋮


 ◇


 一部抜粋。

 ポエミーだった。


 いつになったら方法が出てくるのだろうか。という疑問はさておき。


 『彼』に対する重厚な想いが表現されており、そして気になる箇所がいくつかあった。


 一つは彼と離れ離れだったということだ。

 どこかのタイミングで彼と会えなくなった持ち主は、そのタイミングで自身の想いに気がついたようだ。

 

 そしてもう一つは、ここに登場する彼は学校でもかなり中心的な人物、つまり人気者のようだ。


 そんな気になる『彼』とは一体誰なのか。


 俺には、その『彼』について心当たりがあった。

 そしてその人物の方へ視線を傾ける。


「ふぁ……眠……」

「もう! だから夜更かししないようにって言ったのに!」

「いや、いくら何でも10時前に寝れないって」


 朝の教室。

 瀬名さんが一人の男子生徒と親しげに話していた。


 男子生徒──進藤新しんどうあらたは瀬名さんの幼馴染である。

 中世的な見た目で爽やかな印象を受け、更には運動神経抜群、成績優秀と女子からの人気もかなり高い、ハイスペックイケメン男子。


「あっ、しんどー君、おはよ!」

「ああ、おはよう。ユキナ。今日は遅刻しなかったんだね」

「しんどー君に早く会いたかったからっ。あ、見て、これ。しんどー君と同じシャーペン買ったんだー」


 そこへやってきたのは、折原さん。

 親しげな様子で進藤に話しかけている。


「おはよう、進藤君。折原さん、朝から騒がしいからもう少し静かにしてくれるかしら。彼も困ってるわ」


 更には、黒江さんまで。


 そこには、一人の男子生徒元へ集う昨日の三人の姿があった。


 ノートに書かれていた『彼』にも符合する存在。

 何より、ノートを探している彼女たちと仲が良いのがその証左でもある。


 幼馴染である瀬名さんはもちろんのこと、女子の中心的存在である折原さん。

 更には、一年の時は、誰とも仲良くなろうとしなかった黒江さんとまで2年になってあっという間に仲良くなってしまったのがこの進藤とかいう男。


 周りの男子からは羨望の眼差しを向けられ、巷ではギャルゲーの主人公だと言われる始末。

 今のやりとりも含め、全く以ってその通りだと思うが、そのうちの一人は、爆弾感情を抱えているということをやつは知らない。


 選ぶ相手を間違えたら、バッドエンドを迎えるという、本当にギャルゲーみたいな状況に陥っているのである。


 ……そして過去に俺の片想いの相手と抱き合っていた男。

 つまり、何の因果か俺の憎き恋敵でもあるのだ。


 まぁ、本人としては別に俺から奪ったとかワザとそうしたわけじゃないと思うので単なる俺の逆恨み。しかし、あっさりと許してやれるほど心が広いわけでもない。

 おかげでBSSジャンルを見ると発狂しそうになる体質になった。


 そんな俺の事情はさておき、今の状況を見れば、ノートを探す全員が進藤と親しげな関係を築いている。

 

 それだけに持ち主を特定するのは難しい。そう、彼へのが綴られたノートならば。


 あの内容だけでも十分にお腹いっぱいだが、昨日読んだ部分には続きがある。

 それは日記のようなもので、彼と再会してからの取った行動だ。


 それが持ち主を探すための重大なヒントになるだろう。


 俺は再び、視線を戻す。


 進藤と仲の良い彼女たちではあるが、普段から彼女たち全員が進藤と常に一緒にいるわけではない。

 挨拶をした彼女たちはみな自分の席へと戻っていく。


 黒江さんは、俺の隣の席に座ると本を取り出し、読み始めた。

 基本的にいつも教室では一人でいるし、進藤以外とはほとんど話さない。


 折原さんも一緒になって行動したりすることもあるが、別グループのギャル集団と一緒にいることがほとんどだ。

 今はそちらに合流し、話に花を咲かせていた。


 一方で常に一緒にいるのが瀬名さんだ。

 彼女は、幼馴染として、身の回りの世話をしながら、進藤の友達グループと一緒にいることが多い。

 そんな彼女が一番可能性がある。


 中学一年のころ、転校した彼女は、ノートに書かれていた通り、進藤とも離れ離れになっている。

 そこで自分の気持ちに気が付いた彼女が、長年の想いを募らせた結果、拗らせてノートを書いた可能性が高い。


「はぁ……お腹すいたなぁ……」

「朝早く起きないからだよ? 朝ごはんまで準備したのに、食べないし……」

「いや、いくら何でも朝からフルコースはきついよ」


 他のクラスメイトが登校しており、教室はやや騒がしい。

 そんな仲で遠目に聞こえてくる会話に耳を澄ませる。

 どうやら進藤は朝ごはんを食べ損ねたらしい。


 朝からフルコースとは一体。


「仕方ないなぁ。はい、これ」

「お? ありがとう」


 そんな進藤に瀬名さんは『エネルギー速攻チャージ』と書かれたパウチ型のゼリーを手渡す。


 ……準備いいな。


 そんな感想を抱くころには、すぐにそのゼリーは進藤の腹の中に納まっていた。

 そして飲み干した後、そのゴミを流れるように回収する瀬名さん。


 彼女にとって、それは当然の行動のようだ。


「っ」


 と、そこで昨日読んだノートの一文を思い出す。



 ──また今日も彼が飲み終わったペットボトルを回収できた。これで5個目。嬉しい。



 ……いやいや、まさかね。


 その様子を伺っていると瀬名さんは、受け取ったゴミをジッと見つめた後、そのまま大事そうにカバンにしまった。


 あ、これ。コレクションにするつもりだ……。


 俺の懸念は見事に的中する。

 ノートに沿った行動。


 やっぱりあのノートは瀬名さんが持ち主か……。


「ッ!?」


 そんなことを思ったのも束の間。

 まるで糸を縫うように間にいる多くの生徒をすり抜け、視線が交差する。


 俺が見ていたことに気が付いた瀬名さんは少しだけ驚いたような焦ったような表情をした後、すぐに表情を戻し、今度は自身の口元に人差し指を当てた。


 そして小さくウインクして、微笑む。


 ──シーっ。


 ……怖いんですけど。



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