第3話 夢
最後の、コップの底に溜まってるくらいのクリームソーダを飲み込んで、丸山はニコッと笑った。
安心させたいのか、騙したいのか。
たぶん、それは
「──自分はですねえ、予知夢が見れるんです。ああ、見れるって言っても、自力じゃ見えないんですけど」
「予知夢……」
「ご存知ない?」
オウム返しに言葉を出すと、それを質問だととらえたのか、目の前の霊能力者は喋り出そうとして、ふと横に目だけをやった。
それについ視線を追わせると、そこには何の変哲もない無人のカフェテーブルと椅子がある。なのに丸山はそこの一点をじいっと見つめた。目を離してはいけない何かが椅子に座っているのを監視しているみたいな真剣な顔をして、細い目を広げて、見ている。
「そ、そこに何か」
「ア、いや、すみませんね!」
いつの間にか前のめっていた。
我に返って後ろに下がりながら、止めていた呼吸を再開する。
映画みたいな男だと思った。いちいち芝居がかっていて、なんだか胡散臭くて、全部がカメラに撮られているふうな男だと。
「何だっけな。そうそう、予知夢だ。予知夢っていうのは、夢で未来のこと……それを暗示する事や、直接未来の光景を夢で見たりすることです。後者は正夢とも言いますけど、僕は前者の、それっぽい夢を見ることが多い。」
「それっぽい夢、ですか」
「例えば燃やされる夢を見たとして、数日後に手を火傷して、燃やされるほど熱かった──そういう話です。」
「……偶然の可能性は? 脳が、それらしい夢を偶然と結び付けて正夢と判断しているんじゃあ」
「はは。まあ、夢なんて所詮脳裏での出来事ですからね。そう思われても仕方がない。」
けれど、と。丸山がワントーン声を下げて言う。
「自分はね、夢を定義するんです」
「っは?」
「夢を見て、起きて、それから考えるんです。勿論、特別なことは何もありません。あの夢はなんだ、この夢はもしかしたらこうじゃないか、そんなものですが、生憎自分は"外したことがない"。」
「それは、予知夢が……」
「イヤ、定義を──です」
両手で四角いものを抱えているみたいな手の形をして、丸山は洋画みたいに肩を揺らして笑った。
「夢は荒唐無稽だ。何せ秩序が無い。ルールも法律もストーリーラインも無い。そこで、僕はオカルティックにそれを見る。自分はね、この仕事が来る前日、予知夢を見たんです」
「どんな」
夢ですかと問いかけようとして、口を動かすのを止めた。
汗が首を伝って、そのまま頬を流れる。間一髪というか、瀬戸際、だった。頭の中で回転する感情は焦燥と恐怖が混じりあって、ジクジクした棘になっている。
──完全に、騙される所だった。
「華崎さんのことを暗示しているだろう夢を見たんです」
鬼は仏の顔を、いや、サラリーマンの顔しているらしい。
「夢の中の僕は何処かへ歩いていました。身体は動かない。イヤ、動くが、それは己の意思ではない。はてどうしたものかと辺りを見回そうとしたくても、ずうっと首が下に俯いたままで、無理矢理足だけが動く。似たケースは前にもありました。その時は僕はあっさりと利用者の憂いを祓うことに成功した。」
「──な」
「何故かと言いますとね、利用者は原因は外にあると考えていました。けれどそれは違った。原因は利用者自身にあったんだ。」
華崎の顔が脳裏に貼り付いた。酷く不快な気分だった。指輪を忘れた時よりずっと。
「──あ、あな、たは」
「自分は何も知りません。何が起きてどうなってどうしてそうなったのか全部が分からない。でも、手助けはできる」
机に目を向けると、名刺が見えた。
日樫スタッフサービス──丸山正直
「丸山さん」
サラリーマンの顔をした男がにこやかに笑った。
「はい」
「丸山さんって、やっぱり詐欺師ですよね」
「──違いますよ。何でそうなるんです?」
「否定したってことは合ってるんですね」
「待ってください違いますからっ。僕ただの派遣カウンセラー兼霊媒師ですからっ」
「監督に金でも渡したんですよね?」
否定したいのか前のめりに立ち上がった丸山が声を張り上げようとすると、店員が傍によって来た。
「すみません、騒がしくされるのはちょっと……」
「あーっそうですよね。すみません。」
「初回はいいですが、二回目はすみませんが退店して頂きますように……」
「はい、申し訳ないです」
丸山が律儀に頭を下げて、その後僕を見た。お前も謝れよと言いたげにされて、僕も小さく頭を下げると、店員は去っていった。
「──えっと、あの、今回は初回で、相談だけって形になるのでお金は頂きません。次回も他の利用者様からの紹介という形になりますので、三割引ですが、岬様の場合は料金は代理請求となっております。」
「えっ、代理? 何処から、いや、誰がですか?」
「別の利用者様──三田橋英樹様より、料金は自分の口座から引き下ろすよう。」
やけにビジネス的な敬語を使って、丸山は僕に爆弾投下の衝撃を与えた。──三田橋は、監督の名前である。
何故監督が? いや、その前に紹介されたら三割引なのかとか、疑問はあったがそこはスルーして何故を考える。普通、こういうのは紹介したらさっさとフェードアウトするものかと思っていたが。利用料金まで支払うのはいくら売れているからとはいえ身振りが良すぎる。
そういう詐欺か。いやそんな詐欺は無い。
じゃあどういう訳だと頭を抱えると、丸山は誤解が解けた後みたいな穏やかな顔でこっちを見ていた。
「という訳で、詐欺じゃありませんので、霊的なお話、伺っても?」
──ここまで、壮大な遠回りだったというわけか。
僕は疲れ果てて、素直に頷きながら、店員を呼んでアイスコーヒーを注文した。酷く喉が渇いたのだ。緊張していたのもあるし、それなりに喋ったから。
「……ああ、だから。最初にドリンクを注文したんですね。丸山さん」
「まあ、はい。こういう話は中々信用して頂けませんから。」
「──はは……何から、話したものか。」
ご自分のペースでと言われるのに雑に返事をして、恐ろしい一週間を思い返す。
「華崎が、死んで、それから。一週間、家の周りを、何かがうろくようになったんです」
僕の住居はアパートで、といっても角部屋だから、うろつけるスペースは多少はある。ヤンキーが屯するならまだしも、幽霊──化け物?
まあとにかく人外に徘徊されたくはないのだ。
「それは華崎の声で──これは汚い声なんですが、唸ったりしながら、夜、いや、深夜になると窓を叩いたりします。」
「それは、血の手形をつけたりするような?」
「どうだろう。たぶん違うと思います。その化け物は僕を探していて、見つけるために壁を叩いたり窓を叩いたりして、見つけると何度も窓を叩いてくる。と思ったら、窓を叩かずに家の周りを何かが彷徨いている感覚だけははっきりあって、寝れなくて……ということも、何日かありました」
寒気がして腕を抱くと、丸山は何も言わず微笑んだ。
「姿は見えましたか? それに匂いや痕跡はありましたか?」
「痕跡、は、翌日に見たんですけど、無かったと思います。姿は磨りガラス越しに、一度。よく分からないけど、人型で、」
そう。人型で。たぶん肌色は見えたと思う。衝撃が強かったから、ワンシーンとしては記憶していないが、──あれは人だったのだろうか。あれは何だったのだろうか。
「──あれは、華崎なんでしょうか」
「さあ。僕には分かりません。何かが華崎さんの死体を乗っ取っているのかもしれないし、華崎さんの魂が何かに取り込まれてそういう"カタチ"になっているのかも、しれません。或いは、悪霊になったやも」
「は、華崎はまだ救われていないかもしれないん、ですか?」
「少なくとも、それは華崎さんの声で唸っているんでしょう? ならまあ、そうかもしれませんね。」
「そんな──華崎は、あんな死に方をしたのに──」
とりあえず、と丸山が話し出そうとした途端にコーヒーが到着して、とりあえず口をつけたが、つい一気に半分ほど飲んでしまった。
そうして落ち着くと、丸山は鞄から白い縦長の紙を二枚、取り出した。
「──差し上げます。一枚は常に肌身離さないようにして、残りは机にでも置いておいてください。」
「これは?」
「僕特製"三枚のお札"です。これなら山姥だって幽霊だって、とりあえず悪さは出来ないでしょう。また今度、そちらに訪問させていただきたいのですが、住所とかって書いていただけたり……」
差し出された紙を見て、これですかと聞くとこれですこれですと返事が来た。
もし、万が一これがキテレツな詐欺のつもりだったらトリッキー過ぎるし、これの企画者が映画監督になるべきだ。脳内でぶちながら素直に住所を書くと、丁寧に礼を言われた。
勝手にため息が口から出てくる。
──勿論、今だって僕は完璧に丸山を信用した訳じゃない。けれどなんというか、疑る気力も無くしたのだ。
「それじゃあ今日はこの辺りで。また連絡頂ければお伺いさせて頂きます」
「はい。えっと、ありがとうございました?」
丸山は最後まで徹底してにこやかなまま、立ち上がって退店して行った。あれがプロ根性だろうか。
冷えたアイスコーヒーを飲み込んで、僕も立ち上がった。
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