遠い背中
――あのおばあちゃん、いつも駅のホームにいるよね。
私がそう言われるようになってから、もう何年経ったんだろうか。
「……」
ただ、ただ静かに駅のホームを見つめる。
春風の中でも、夏の日差しの中でも、秋の夕暮れでも――ただ冬はここ数年来れていないけれど。
「お婆ちゃん、やっぱりここにいたんだ」
「……あら、あんたもここに来たさね」
視線を向けると、セーラー服に身を包んだ孫娘がいた。
孫娘は今年で十四歳になる。そんな彼女は近くの売店で買ってきた氷菓子を口に運びながら、ペンキが剥げたベンチに座る私の隣に腰を掛けた。
老眼鏡の外側のボケた視界の端で、夏の夕暮れで溶け出す氷菓子を一滴も落とすまいと格闘しているよう。
そんな姿に愛おしさを感じながらも、再び戻った視線は駅のホームから外すことが出来なかった。
遠く蝉しぐれの鳴き声に混じって、カラスの声が聞こえる。もうそんな時間になっていたようだ。もう月日の流れの残酷さにも慣れてしまった。
「お婆ちゃん本当にこの場所好きだよね。でも電車には興味ないんでしょ?」
「そうさねぇ……私は、この場所にある『思い出』が好きなんさ」
「思い出?」
私は不思議そうな表情を浮かべる孫娘に、笑みを浮かべながら頷いた。
「そうさね。昔……あんたが生まれるうんと昔に、ここで『ある人』とした約束があったんさ。その約束の思い出を忘れてしまわないように、ここに来てるのかもねぇ」
「ふーん……あ、その『ある人』ってお爺ちゃんのこと?」
私はゆっくり首を横に振る。
「いんや、お爺に会うもう少し前の話さね」
「へぇ、それってもしかして初恋の人? それかお婆ちゃんの好きだった人とか?」
思わぬ孫娘の言葉に、私は変な笑い声を上げてしまう。
「へへぇ、どうかねぇ……昔のこと過ぎて、もうあんまり覚えてないさね」
「そんな言い方されたら気になる! ねぇねぇ、どんな人だったの?」
もう氷菓子は食べ終わったのか、グイッと体を私の方に寄せてくる。子供特有の暖かさが、皺枯れた肌越しに伝わってきた。
「覚えてるのは、あの人が東京の士官学校に行くっていうことと、生きて必ず帰ってくるっていう約束くらいさね。そして、生きて帰ってきたら……あぁ、それで――」
蘇ってくるのは、遠くなってしまった夏の記憶。
うだるような湿気と向日葵、麦わら帽子と二人乗りした自転車で頬を寄せた広い背中。あぜ道を歩いたときにしたくだらない話は、今はもう思い出すことが出来ない。
顔も、声も思い出せないけれど――でも、太陽に負けないくらい鮮やかな笑顔だけが今も私の脳裏に刻まれている。
「……お婆ちゃん?」
言葉が止まってしまっていたようで、心配した様子で覗き込んでくるこの子の顔で我に返る。私は目尻に溜まった涙を指で拭いながら、ごまかすように笑みを浮かべた。
「昼に食べたワサビのせいさね。へへぇ、年を取ると変なところで涙が出るんさ」
「そうなの? 私もそうなっちゃうかな?」
私は孫娘の頭に手を置く。
「あんたもその内なるさね。でも、もうずーっと先の事さね」
「じゃあその時までお婆ちゃんも生きててね?」
私は「それは無理な話さね」と言いながら立ち上がる。歩き出す私の背中を、慌ててあの子も歩き出した。
約束は――時に残酷だけれど、生きる勇気にもなる。
「はよぉ帰るさね。お爺に夕飯を作る時間さね」
「うん!」
孫娘の手を握りながら、夕暮れに染まったあぜ道を歩く。
ただそんな幸せを、私は掴めたよ――
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