第12話
エレンと別れて迎えの馬車に乗って、窓から見える色づき始めた街路樹並木を眺めながら、ビアトリスはもうすぐ縁が切れるだろう婚約者を思い浮かべた。
ウォレス・フォーク・ブラウン。
ブラウン伯爵家の嫡男。三つ下に弟ローレルがいる。
明るい金髪の髪が肩の辺りでサラリと揺れて、柔和な面立ちには貴族らしい品が漂っている。
彼がもし自分に不足を感じるなら、若干ぼやぁっとした婚約者がいることと、父方の祖母に似た榛色の瞳だろう。ウォレスは茶色に近い榛の瞳をコンプレックスに思っている。
彼の周囲の人間は、殆どが高位貴族の子女である。最高峰のエリックは言うに及ばず、見目の整った面々が揃っている。髪色はアメリア以外は金髪で、瞳はブルーか翠。濃淡はあれど、皆美しい瞳をしている。
ビアトリスはウォレスの瞳だって深みがあって綺麗だと思っていた。気質は少しばかり鷹揚が過ぎるきらいはあるが、人としては善良な部類に入るのだろう。
だがしかし、それはアメリアが関わらない場合である。アメリアに没頭する彼はアメリア以外はゴミクズとでも思うのか、けんもほろろな扱いである。
三回に二回は茶会を放棄する、それはつまり三度に一度は対面するということで、会えば会ったで不快になるのがウォレスとの時間だった。
最初の挨拶はよい。
彼は後継教育を施された令息である。挨拶くらいはきちんとできる。
その後の会話が弾まないのも、まあよいだろう。ビアトリスも多弁な質ではないから耐えられる。
問題はその後である。
沈黙を楽しんでいるのかと思うあとに沈黙を破るウォレスの言葉は、十中九か十、アメリアへの賛辞である。
もしや今までの沈黙時間は、ずーっとアメリアを夢想していたのかとビアトリスは疑った。だが疑いはすぐに晴れた。疑いなんかではなくて本当にそうだとわかったからである。
「アメリアは」
嬢を付けたまえ。とは今更だから言わない。
幼い頃からの付き合いだからと言われてしまえばそうではあるが、ルーファスなんて学園に入る頃にはその辺はきっちり改めたぞ。
そう言えたらすっきりしたのだろうか。
ビアトリスも最初は頑張った。
ビアトリスにしても、ウォレスとは家も親しく幼い頃からの顔見知りである。友人とは言えないところはどうにもならないが、せめて婚約者として良好な関係を築きたい。
好きも嫌いも取り敢えず脇に置いて、貴族の約束事としてこの婚約を真摯に受け止めた。今なら思う、あの真摯な気持ちを返してほしい。
ある日ビアトリスは簡単な引き算をしてみた。
ウォレス-アメリアとはイコールはどうなるのだろう。
至極真っ当なウォレスとなら、未来に明るい展望が見つけられるのではないか。
だが、ウォレスの中にアメリアは、毛細血管のように抜き取り難く染み込んでいた。ウォレスからアメリアを引っこ抜いてしまったなら、ウォレスがどんなウォレスになるのか想像もつかなかった。
一度、ダメ元でウォレスに尋ねたことがある。
「ウォレス様はアメリア様を大切になさっていらっしゃるのね」
「当然だろう、私の気持ちは変わらない。どうにかしようなどと考えないでほしい」
無礼な言葉かそうでないのか、判断に迷うギリギリの表現である。ビアトリスはマチルダともウォレスの侍女とも視線を合わせて、「これってセーフ?内容的にはアウトよね」と想念で認識を確かめ合った。
あの時はギリギリセーフと判断したが、今から思えば完全アウトである。大体にして、婚約者との茶会で他家の令嬢の名を出す時点で反則だ。
馬車の速度が緩まって、邸の門扉が見えてきた。
父はとっくに帰ってきているはずである。あの日和見の父が重すぎる腰を上げたその意味を、ウォレスの両親も大事と受け止めてくれただろう。
「ああ、やっと解放される」
思わず零れた独り言は、実は既に打ち明けている人がいた。
日曜日の晩餐で、父がとうとうウォレスとの関係を限界と判断してくれた。話し合いの場を持つと言ってくれたことが嬉しくて、月曜日に学園に来て、ビアトリスは礼を言ったのである。
「ハロルド様。貴方の言った通りにしたの。婚約者とのお茶会をその日の朝にお断りしたら、色々あってその日の夜に父が破談にすると決めてくれたのよ」
ハロルドは驚いて、瞳を見開きビアトリスを見た。
「随分、急展開だね。ああ、でも物事ってそういうものかもしれないな。こうと方向が定まった途端、滑車に乗った勢いで進み出す。ビアトリス嬢、振り落とされないように用心することだね」
ハロルドの言葉に、つい先ほど交わしたエレンとの会話、全てがビアトリスの背中を押してくれた。
軽快に馬車を降りて邸に入り、自室で着替えて父の執務室に向かうまで、
「振り落とされないように踏ん張るわ。急転直下の出来事も、真正面から受け止めるから」
そう珍しくポジティブなことを一人呟いた。
「ビアトリス。父上のところに行くんだろう?」
ルーファスも珍しく同じ時刻に戻っていた。
「一緒に行こうか?」
「え?ついてきてくれるの?それならちょっとは心強いわ。何となくお父様って信じ切れない危うさがあるのよね」
ルーファス相手に大口を叩いたのだが、ビアトリスの予感は哀しい的中となってしまった。
父の執務室を訪れると、ルーファスが一緒なことに父は表情を硬くした。ような気がした。
ルーファスと並んで座り父と向き合うと、父はルーファスを見てビアトリスを見て、ビアトリスから視線を泳がせルーファスを見た。
それからようやく口を開いた父からは、残念なお知らせがもたらされた。
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