観覧車の頂上から回らない時間


 観覧車のゴンドラに一人で乗るのは、それなりの覚悟がいる。

 由香は観覧車の前で大きく息を吐いた。

 彼女は今夜も、この観覧車に乗るためだけに遊園地に来ていたのだ。


 地元にある寂れた小さな遊園地は、この日も閑散としていた。カップルの笑い声も、家族連れのはしゃぎ声もしない。

 照明が淡い光を放つだけの静かなゴンドラは由香ひとりを乗せ、きしんだ音を出して動き出す。


 目の前の座席には、当然のように彼が座っていた。


「今日はどんな一日だった?」


  彼は微笑む。


「特になにも。変わりない日々だよ」


 由香はいつものように、ため息混じりに答えた。


 ゆっくりと上昇していく観覧車の中で、彼女の記憶がざわつき始める。

 

 ──忘れもしない。

 

 数年前、この観覧車に彼と一緒に乗った日。

 仕事で待ち合わせに遅れて来た彼に、由佳は激怒した。


「私と仕事、どっちが大事なの!?」


 悪気なんてない、若さ故の言葉だった。

 今なら彼に寄り添って「お疲れ様」と笑顔で迎え入れられる。

 けれど。

 

 当時、社会人になったばかりの彼は憔悴しょうすいしきっていた。ブラック企業と呼ばれる場所で仕事をしていたと後で知った。

 その時は、それすら知ろうともしない、身勝手な女の子だった。

 だから、この日の彼の様子がおかしかったことなんて気にも留めてなかった。


 そして観覧車の中、彼は最後の言葉を吐く。


「ごめん。俺じゃ由香を幸せにできない」


 なにを言っているのか理解できなかった。


「もう限界みたいだ。ごめん。幸せになって」


 観覧車の頂上。恋人同士ならキスをして愛を誓うのだろう。

 ただ彼は何度も謝って、そして夜景が一番綺麗に見える瞬間に身を乗り出して──自ら命を絶った。


 


 由佳を乗せた観覧車は、また頂上に近づいている。

 目の前の彼も、当時を思い出しているようだった。

 

「由香には笑っていてほしかったから、つらいことも全部黙っていた。でも、俺が馬鹿だった」

「ほんとだよ。……でも、私も馬鹿だった」


 由香はその言葉を今も心の中で繰り返し続けている。

 沈黙が続いたあと、彼が静かに呟く。


「もう終わりにしないか」

「終わりにしたいよ。でも……」


 そう口にしたと同時に、彼の姿が消えた。

 観覧車が地上に戻ってきたからだ。



 由香は再び係員にチケットを見せた。


 彼女はまた覚悟をし、ゴンドラへと乗り込む。

 次こそは彼に何かを伝えられるのではないかと、叶わない希望を胸に抱きながら。


 ゴンドラは再びゆっくりと上昇を始めた。

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