第2話 飛躍と反動

 「士季。量子的飛躍りょうしてきひやくというのはご存じかな?」


 「なんだよ唐突に…」


 「人間は時に人智を超えた能力を発揮することがあります。眼前で起きた事象に対して精神的・肉体的な縛りを超越し、本来人間には出すことの出来ない行動が取れるようになることを…」


 行方不明事件の話をしたかと思えば、今度はミステリアスな話を披露しだした綺羅に対して士季は我慢ならなくなった。


 「悠長ゆうちょうに話している場合かよ?」


 「まあ、聞きなさい」


 そう制した後、綺羅は鞄からスマートフォンを取り出した。士季の立ち位置からだと画面が少し見える。何かのニュースサイトを閲覧えつらんしているようだった。目的の画面を映し出すことができたのか、何か納得したように小さく頷き、士季に手渡した。


 「先日、南アジア沖で発生した巨大地震はご存じかな? なんの偶然か、こういった時にこの記事と出会ったのもタイムリーです。ご一読を」


 綺羅の突拍子とっぴょうしもない行動は今に始まった話ではない。この秀才しゅうさいは時として意味不明な言動をとる。秀逸しゅういつな人間は得てして曲者くせものが多い話は有名であるが、その要素は綺羅にも内包ないほうされている。今は分からなくても後々、点と線が繋がったように理解できるようになることは今までの経験からも既知のこと。士季は嘆息たんそくし、画面に映し出された記事を見ることにした。

 ニュースの主要点は、地震でビルが倒壊し瓦礫がれきの下敷きになった少年を救いだした男の子の話だ。感動的な救出劇を取り上げたニュース内容なのかと思いきや実はそうではない。士季はスクロールし、下に書かれている本文を黙読もくどくする。


 “男の子は下敷きになった友人を救いだそうと鉄筋コンクリートの支柱を持ち上げ救出した。幸いなことに彼らは一命をとりとめた。しかしこの事件の異質な点は、驚いたことにその子の年齢が10歳であったことだ。子供がなぜ自分の体重よりも何十倍以上もある鉄筋コンクリートの支柱を1人で持ち上げることができたのか?

 にわかには信じがたい話であるが目撃者が多く、彼らの証言は同一、克明こくめいであったことから信憑性しんぴょうせいが高いと言われている。

 果たして真偽しんぎ如何いかほどのものであろうか?”


 摩訶不思議まかふしぎな話ではあるが特段なにを思う訳でもない。むしろ活字が苦手な士季にとって長々と羅列られつされた文章を読むのは苦行くぎょうに等しい。

 中段落をスクロールで飛ばし末尾まつびを読み始めた。


 “いずれにしても人間は時に人智を越えた能力を発揮することがある。友人を救いたいという一心が今回の事象を発生させたとあらば、我々も強い願望を抱きそれを実現させる力があるのではないか? もし現実に定められたがあるとしても、それを変える力が我々には備わっていると証明しているように筆者は思う”


 読み終わりスマホから顔を上げ、対面に座っている綺羅へと視線を移す。


 「感動的なストーリーだったな」


 わざとらしく思ってもいないことを言う。


 「士季、肝心なところを読んでいませんね。俺が欲しているのは感想ではありません。共通認識の方です」


 「そんなことを言ったってどうする。この話が今回の行方不明とどう関わるっていうんだよ?」


 「面倒くさがりな君のことです。どうせ話の主要点をスクロールで飛ばしているのでしょう?」


 どうやら綺羅にとって伝えたかった部分は士季に伝わっていなかった。彼らの意思疎通いしそつうはこういったかたちで平行線を辿るのがお決まりのパターンである。

 綺羅も回りくどい伝え方をするものだ。伝えたい主要点があるならば先に言ってほしい。聡明そうめいな綺羅だからこそ答えを自分で導き出す手法しゅほうを相手に取らせるのだろうが士季はハッキリとダイレクトに伝えて欲しいタイプだ。士季は何度目かの嘆息をもらしながら、さきほど恣意的しいてきに読み飛ばした中段落の文章を黙読する。おそらく綺羅が最も伝えたい部分はそこにある。


 『そういえば支柱を持ち上げた少年はどうなったのだろう?』


 そんなことが頭によぎったが、ことの顛末てんまつはなんとも呆気あっけがなかった。

 そこにはこう書かれてあったからだ。


 “しかし3ヶ月を経過した現在、彼は病院へ搬送された。瓦礫を持ち上げた身体へのダメージが今になって発症したのである”


 “なぜ今さら発症したのか?鉄筋コンクリートを持ち上げた時ならいざ知れず、少年はその3か月間無傷のまま過ごしていたという。それどころか痛がる素振そぶりさえも見せなかった。ある日をさかいに、それは唐突に、予告なく、まるでせきを切ったように体の内側からダメージが急速に広がっていったのだ。そのタイムラグの正体とは…”


 「それを、ある界隈かいわいでは量子的飛躍による反動といいます」


 「どういうことだ?」


 士季はさきほどとは異なり、焦燥しょうそうしきった様子で綺羅を見た。不吉な予感。そう瞬時に感じさせた。


 そんな士季とは裏腹に、綺羅は呑気のんきに生徒会室の窓を開け、夕暮れの街並みを一望いちぼうしながら悠然とした口調で語り続ける。


 「人間というのは、自分自身の段階レベルというものがあります。今、自分の身の周りで起きている事象や、身を置いている環境。そして健康状態や肉体の限界点も、それらは自分の意志によって構築こうちくされたものです。我々はそこから学び、様々な経験を通してレベルを上げて人生の段階を踏んでいきます」


 「今の自分の現実は、自分自身が作り出した結果とでも言うのかよ?」


 「ええ。例えば、いま自分が不遇ふぐうな人生を辿たどっていると感じるならば、それは外部的な因子いんしによってもたらされた事象ではなく、自分の思考と意志によって構築された産物ということですよ。それは仕事や人間関係、健康、金銭事情など、あらゆる面でも。一番分かりやすいのが『類は友を呼ぶ』ということ。自分の周りには自分と同じレベルの人達しか集まってこないということです。周りの人間関係に不平があるならば、それは自分自身も相手と同じ精神レベルということです。つまり我々は各人かくじん分相応ぶんそうおうなレベルに身を置いていることですね」


 「それが今回の話とどう関わるというんだ?」


 「今回の場合、少年はもともと自分の体格よりも遥かに大きい瓦礫を持ち上げるほどの体力など持ち合わせてなどいなかったのです。現実的に考えてありえない話ですからね。少年は世間一般的な男児とほぼ同じくらいの体力しかなかったことでしょう。ですが、実際には持ち上げることに成功した。つまり今の自分のレベルから瞬時に飛躍したということです」


 綺羅の話は長ったらしく分かりずらい。同居している身としては、こういった難しい会話は特段珍しいことでもない。だが毎回この調子だと辟易してしまう。士季は頭をかかえ、話についていこうと必死だった。せめて、こっちを見ながら話して欲しいものだ。


 「もっと分かりやすく頼むよ、綺羅」


 「貧しかった人に宝くじが高額当選したようなものですよ。降ってわいたようなラッキーを享受きょうじゅした。けれど数年足らずで使い果たして元通り貧乏に。それどころか、もっと悪化した人生を送ることになってしまった。本来の自分とは分不相応なレベルだったにも関わらず足を踏み入れた結果です」


 綺羅は窓から目を放し、士季を一瞥いちべつして笑みを浮かべる。


 「常日頃からマネーリテラシーが高い人や、自力で働いて億単位を稼いだ人ならば事情が違います。それは長い時間をかけてそのレベルまで到達したプロセスがあるからです。ですがもともと貧しかった人が、棚から牡丹餅ぼたもちで今の生活から裕福な生活へと瞬時に飛躍した場合はどうでしょう? 人の性質や性格はそう簡単に変わりませんからね。今までと同様な思考と行動のもと、お金を使ってしまえば、すぐに底を尽きるのは目に見えています。だから高額当選者は破綻はたんする人が多いのです。今の自分から瞬時にかけ離れたライフスタイルへと飛躍した。その反動は壮絶そうぜつなものでしょうから。俺が言っているのはこの『反動』のことです」


 「………」


 士季は憮然ぶぜんとした表情のままだった。そんな士季を意に介さず、綺羅は元のデスクチェアに腰を下ろした。


 束の間の沈黙。

 外ではカラスが鳴いている。


 士季は数十秒遅れで話を理解しているようだった。無言で屹立している今も、おそらく情報処理に時間がかかっている様子だ。綺羅が言いたいのは、人間には本来自分にあったレベルがある。だが時として、人は今いるレベルから瞬時に別のレベルへと飛躍してしまうことがある。それには、それ相応そうおうの反動があるということ。


 妙な話をしだしたかと思えば、伝えたかったのは現実離れしたことか。一方的に、うんちく話を傾聴した自分に対して賛辞さんじを呈して欲しいものだ。士季はポリポリと頭を搔きながら心の中で呟いた。

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