吉山・八

「兵動。来てくれたところ悪いんだが、今日は休診にしよう」

「え? あ、はあ……」


 小林に電話をしようとしたのだろう。コードレスの電話機を手にしたまま、兵動はぽかんとした顔で固まる。


「あと申し訳ないんだが、暫く休診にしようと思うんだ。もちろんこちらの都合だから、給料は出勤してくれてる体で支払う。診察再開の時期にはまたこちらから連絡するから、すまないが休んでくれ」


 私の言葉を受けて、兵動は電話機をホルダーに戻しながら眉根を寄せた。


「それはまあ、先生が『いい』って言うならあたしはいいんですけど……。でも吉山先生、本当にいいんですか? なんか最近、皆おかしくないですか?」


 もうまともに出勤しているスタッフは、受付の兵動しかいない。

 検査業務に入らない彼女は裸眼でも充分見えるほど視力がいい。花粉症やそれ以外のトラブルも特になかったから、ここ数ヶ月私の診察を受けることもなかった。

 そんな彼女は、スリットランプを介して異変に触れる機会がなかった。受付で患者から何か言われる以外に、小林との会話で何かしらの事情は知っているだろう。だが、兵動自身には何も起きていないはずだ。


 それでも異変が起きていないなりに、兵動とて不安だったようだ。彼女は訝しげな視線を私に向けてきた。


「最近病院の口コミを見たんですけど、変なことばかり書いてあるし……。それに権藤くんが院内で死んだって、足立さんから聞きましたよ? 吉山先生、なんでそんな大事なこと、あたしや小林くんに話してくれなかったんですか?」


 うちの病院についてインターネットで検索すれば、病院の所在地などと共に口コミが出てくる。私が削除依頼を出さなかったから、病院の口コミとは思えないほど奇怪なそれは見放題だ。


 それにしても、足立のお喋りめ。辞表を郵送してくるだけでなく、余計な種を蒔いてくれたものだ。同じ受付というポジションの兵動と足立が、メッセージアプリの連絡先を交換していないわけがない。権藤の話は森田のそれと同様に誰もが避けていると、私は勝手に思い込んでいた。


 こんなことならばあの日出勤していたスタッフ全員に緘口令を敷くべきだったと考えたが、それもどこまで効果を発揮できたかは怪しい。権藤が私との約束を守ってくれたのは、彼が義理堅い人間だったからと、他のスタッフに心配をかけたくないという優しさがあったからこそだろう。


「工藤さんだってずっと休んだままじゃないですか。そもそも森田さんって、本当に入院してるんですか?」


 ずっと見ないようにしていた問題が、兵動によってどんどん目前に積み上げられていく。


「吉山先生、あたしたちに何か隠してませんか?」


 ただひとり残った無事なスタッフである兵動に私が渡せる答えは。


「きみには関係ないことだ」


 それしかなかった。


「早く帰ってくれ。暫く休診だ」


 何ひとつ悪いことをしていない兵動への態度としては最悪のものだと、自覚している。しかし、これ以上兵動と話をしたくない。話していたら、私が発狂しかねない。

 呆然とする兵動を受付に残し、私は暗い診察室にこもった。


「見えますか?」


 見えている。


「本当に綺麗に見えますか?」


 もちろんだ。

 起動したばかりのパソコンのディスプレイが発する明かり。それだけが照らす室内で、少女の姿は私にはしっかり見えている。


 先ほどまで明るい受付にいたせいなのか。それとも兵動に冷たくした罰なのか。

 少女は更に私との距離を縮めようとするかのように、その細い指で私の眼球に触れようとしてきた。


「嘘つき」


 そんな一言とともに。

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