きるきる詐欺

望月おと

きるきる詐欺

二十になったら、きっぱりこの生を捨ててやる。十六の夏、私はそんな芝居じみた誓いを立てた。二十を過ぎて三年、私はいまだにこの世を離れる気配もなく、相変わらず馬鹿みたいな顔で息をしている。


死ぬ気は起きない。けれど生きたいとも思わない。ただ、細い糸にぶら下がり、波面に鼻先をちょこんと出して、どうにか湿った空気を吸っているだけ。言い訳ばかりの生だ。いや、生と呼ぶのも烏滸がましい。


食べる。排出する。洗う。汚す。稼ぐ。消費する。疲れて眠る。醒めてまた動く。こんな滑稽な反復に、なぜ人は「生きる」という華やかな名を与えたのか。私なら「腐敗」と呼ぶ。


二十時半、私は卵を焼き、ウインナーを二本並べた。くだらない夕食。ここ最近は、ビスケット数枚で食事を済ませていたせいで、体重ががくんと落ちてしまった。だから、仕方なく料理まがいをこしらえ、わざわざ食べて、わざわざ片付ける。ああ、ちゃっかりと生にしがみついている。


私は本当に矛盾だらけの人間だ。滑稽だ。醜悪だ。けれども、汚れた花がなお咲くように、どうしようもなく、みっともなく、それでも少しだけ美しい──などと、私は自分を可愛がる。自己陶酔。くだらない。


雨が窓を叩く。世界は薄汚れている。けれど、ときに息を呑むほど綺麗だ。ざあざあと耳に心地よい雨音。夕暮れと夜の狭間の空。散歩中の子犬と老夫婦。風に揺れる樹。隅の街灯が、ぽつりと白く浮かんでいる。恋人の笑顔、手のぬくもり。


こういうものに触れると、私はやっぱり、まだ見ていたいのかもしれないと思う。しかし、それも自己保存の詭弁に過ぎない。私は死の約束を忘れたわけではない。ただ、先延ばしにする癖を「性質」などと名づけて、卑怯に気を軽くしているだけである。


彼からの返信がない。友人たちも沈黙を守っている。家族とはとっくに縁を切った。その事情をここで弁明する気力は残っていない。舞台は私を拾わず、観客も私を欲しがらない。孤独は古き友であり、新たな拷問でもある。一人は好む、独りは嫌う。


頭の中の声は暇あらば私を責め、惨めさを丁寧に説明する。そうして私の罪を逐一列挙し、反芻させては溺れさせる。逃げ場などない。適当な動画を流しても笑えず、音楽も胸に響かず、ただ厚かましい広告だけが私を慰める。三百円分のポイントが貯まった。スナック菓子でも買って、ささやかな敗北の祝杯とする。これが私の喜劇である。


浪費というものは、私にとってはただのストレスの化粧であり、自己嫌悪を飾り立てるための儀式に過ぎない。世間の健全な人々は「運動でもすればいい」と呆れるだろう。清潔な人々は勝手に笑ってくれればいい。私はその習慣を持ち合わせていないし、持てる気もしない。


服も、化粧も、食べ物も──皆、私の小さな薬であり、同時に毒である。毒をちびちび飲んで、明日という一回分の呼吸を買う。自由を知らずに育った者が、突然放り出されても、持て余すに決まっている。もしこれが自由なら、私の自由は、実に滑稽で、実に醜い。


結局、私は細い糸にぶら下がりつづけ、今日も腐敗を繰り返す。糸が切れる瞬間を待ち侘びているのではない。切れぬように手繰るふりをしているのだ。そうして一日が、また、あっけなく過ぎる。


もし糸がいつかぷつりと切れる日が来たなら、そのとき私は皮肉な笑みを浮かべて、「おやすみ」と言ってやろう。世界は少しばかり、さっぱりするに違いない。私が消えることで、ほんの少しだけ、この世を片づけてやるのだ──と、私はまたもや安い満足に浸りながら、眠りにつく。

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