第5話 死にゲー廃人、初めてのNPC
NPCの前に立つと、彼はゆっくりと顔を上げた。
頭には古びた仮面、灰色の外套をまとい、ひと目で胡散臭いと分かる人物だった。
「……ほう。ようこそ、上裸の開拓者殿」
低く、ねっとりとした声。
「私の名はアルバス」
仮面の奥からじっとこちらを観察している。
「あなたは、新たにこの地へと足を踏み入れたのですね」
俺はとっさに木の棒を握り直す。
(……やるか?)
死にゲーに限らず、NPCは基本殺害可能である。
倒すと特別なアイテムを落とす、なんてのも良くある話だ。
序盤だと特にそのアイテムの恩恵は大きく、いいスタートダッシュをきれることもある。
だが同時に思い出す。
(昔、死にゲーで最初のNPCだからって殺したらめちゃくちゃ困ったんだよなぁ……)
某死にゲーで、チュートリアルNPCを試しに殺してみたら、その後一切イベントが進まなくなって苦労したことがあった。
そのNPCのイベントによって経験値がめちゃくちゃ美味い場所にも早めに行けるのだが、それも叶わなくなりイベントクリアで手に入るNPC固有武器も手に入らない。
殺したところで報酬も美味しくなく、NPCは基本殺さないという主義になった理由でもある。
しかも序盤のくせにやたら強くて、何十回も殺されたトラウマも蘇る。
それに殺す、殺さないに限らず、NPCと敵対してしまうのは非常に面倒だ。
イベントも進めなくなり、関連のクエストも受けられない。
和解するためには色々な手順と段階を踏まなければならないという面倒くささ。
死にゲーならともかく、MMOなら余計に気をつけなければならないだろう。
(……やめとこう。ここで死んだら笑えないし)
木の棒を下げ、俺は黙ってアルバスの言葉に耳を傾けることにした。
「この地には【彷徨う騎士】と呼ばれる存在が時折彷徨っています。新しい芽を摘むことだけを王に命令された哀れな騎士……くれぐれも、手を出すことのないように」
「彷徨う騎士……?」
「ええ。未熟な開拓者が挑めば、無残に散るだけでしょう。まずは近隣の街【ファスト】へ向かうことをお勧めします」
アルバスは、俺の背後にそびえる山脈の麓を指差す。
そこには遠目にも石造りの門があり、旗を掲げた城壁都市の姿が見えた。
どうやらあの都市がこのゲームの最初の街で、初心者が向かうべき場所なのだろう。
「ファストの街には、あなたの歩みを助ける者たちがいるはず。武具、魔術、そして仲間たち……すべてはそこから始まるのです」
「なるほど」
「ふふ……良き旅を。不死の開拓者殿」
アルバスが、不気味に頭を下げた。
俺もそれを合図に彼に踵を返す。
どうやらアルバスから得られる情報はこれぐらいらしい。
というか定型文だけのこれまでのNPCに比べて、まるで本物の人間と話しているような感覚だった。
これが噂の最先端AIというわけか。
アルバスから少し距離を取るとミーミが不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「ナギ様? どうしてそんな嬉しそうなのにゃ?」
「え? 嬉しそうか?」
「にゃにゃ。今までで一番楽しそうな顔してるにゃ」
自分の顔に触れると確かにありえないほど口角がつりあがっていた。
「ミーミ。彷徨う騎士について教えてくれ」
「にゃ!? ファストに向かうんじゃないのにゃ!?」
「あんなこと言われたら戦わないわけにはいかないだろ!」
序盤の強敵は死にゲーのお約束。
まさかMMOでもこんなお約束と出会えるとは思ってもいなかった。
そしてこのチャンスを逃すのは死にゲーマーとして恥。
「にゃあぁ!? ナギ様、正気じゃないのにゃ!?」
「正気だ。俺は死にゲーマーだぞ?」
「にゃからって……! 彷徨う騎士は初心者じゃ絶対に勝てないにゃ! 挑んだ奴は全員返り討ち、街に辿り着く前に挫折してやめるって噂の超強敵にゃ!」
ミーミが珍しく必死の声を上げていた。
つまりこれは確定演出だ。
(そうだよな。序盤に絶対勝てない敵がいるのは様式美。けど俺は……死にゲーを合計一万時間以上でやってきたんだ)
ミーミが両手をばたつかせて必死に止めるが、俺の足は止まらなかった。
アルバスの言葉を聞いた瞬間から、胸の奥に火がついていたのだ。
「っと、その前に確認だ」
ゲーマーの鉄則。
初見の強敵に挑む前に、必ずシステム周りを洗っておく。
無策で死んで、大事なアイテムや経験値を失うなんて笑えない。
メニューを開く。
透明なウィンドウが宙に浮かび、そこに自分の情報が並んでいた。
――――――――――
【名前】ナギ
【種族】人間(不死の開拓者)
【ジョブ】流浪人
【レベル】1
【HP】120 / 120
【MP】30 / 30
【筋力】12
【技量】15
【俊敏】10
【持久力】13
【耐久力】6
【信仰力】11
【運】15
――――――――――
「流浪人にしたおかげで平均10を超えてるな」
思ったよりHPは多め、だが耐久力が低い。
つまり一撃が重い敵には紙装甲ってことだ。
技量が少し高めなのは嬉しい。
死にゲーで色々なステ振りを試してきたが俺が一番好きなのは技量振り。
今回のMMOではどうなるか分からないが、この初期ステータスは嬉しい。
次に、死亡ペナルティ。説明欄を開く。
【死亡時ペナルティ】
・装備中の武具耐久度に大幅なダメージ
・2時間ステータスが10%低下(最大50%スタック)
・所持アイテムの一部をその場にドロップ
死にゲーと違って色々、死亡ペナルティは厳しそうだ。
特にステータスの低下が痛い。
死ねば死ぬほど攻略が難しくなるため、無駄死には出来ない。
さらに、インベントリを開いて確認する。
――――――――――
【所持アイテム】
・木の棒(攻撃力3、壊れやすい)
・ボロ布の腰巻き(耐久力1)
・低級回復ポーション ×2(HPを少し回復)
・初心者の指輪(死者の加護:死亡時の能力低下を1度だけ無効化。死亡時に最寄りの街に自動リスポーン)
――――――――――
「まぁ最初はこんなもんだろ」
初心者の指輪に関しては初期装備のようで、先ほど全裸になった時に外していたものだ。
初心者が最初の街に向かうまでに挫折しないようにするためのアイテムだろう。
ここらの草原で出会うモンスターに殺されるとは思わないが、それこそ彷徨う騎士に接敵する可能性もある。
ちなみに俺は初心者の指輪は装備しない。
初心者用の装備に見えるが、意外とこの効果は侮れない。後々有効活用できそうな気がする。
「ミーミ、彷徨う騎士がいそうな場所を教えてくれ」
「本気で戦う気にゃ!?」
「ああ。案内してくれ」
「にゃぁぁぁ……! 止めても無駄そうなのにゃ……」
彼女は大きく溜息をつくと、しぶしぶと足を踏み出した。
小柄な体に似合わず、足取りは軽く、慣れた様子で草原を抜けていく。
どうやらこれまでのプレイヤーの接敵ログから彷徨う騎士が現れそうな場所を割り出しているらしい。
ミーミの説明を聞きながら進んでいくと、やがて景色が変わっていった。
草原に敷かれた石畳はところどころ崩れ、ひび割れ、雑草がその隙間を突き破っていた。
朽ちた街道標識が風に揺れ、カラスのような鳥の鳴き声が不気味に響く。
「にゃ……この辺りにいるはずなのにゃ」
ミーミは耳をぴくぴくと動かしながら周囲を警戒している。
俺も木の棒を構え直し、背筋を正す。
死にゲーなら、ここで唐突にBGMが変わったり、画面の奥から鎧を引きずる音が聞こえてくる場面だ。
やがて、風が変わった。笛のような音が耳に届く。
草原を撫でる風ではない。鉄と血の匂いを運ぶ淀んだ風。
「ナギ様……いやな気配がするにゃ……」
「ミーミは少し離れておいてくれ」
木の棒を握り直す。
正直、笑えるほど心許ない装備だ。
ミーミの言う通り勝てる可能性もあまりないだろう。
だが、こういう状況で無様に死ぬのも死にゲーの醍醐味。
勝てる勝てないは問題じゃない。挑むこと自体が正義なのだ。
その時だった。
――ギィイイイイン。
耳障りな金属音が草原に響く。
見れば、少し先の丘の上に一つの影が立っていた。
鎧に覆われた人影。けれど、その姿はどこか歪んでいた。
錆びた甲冑に穴が空き、そこから漏れるのは青白い光。
人間だったはずの存在が、異形に変じたような……
その手には巨大な両手剣。
月光を反射して、血のように赤黒く輝いている。
「……あれが、彷徨う騎士か」
影はゆっくりとこちらを向いた。
仮面のように無機質な兜の奥で、蒼白い眼光がぎらりと輝く。
次の瞬間、ズシンと地面が揺れるほどの足取りで、こちらへ歩き始めた。
ひとつひとつの足音が、胸の鼓動に重なる。
逃げるという選択肢は最初から存在しない。
「来たな! やってやる!」
「ナギ様ぁぁぁ、今からでも遅くないから逃げるにゃぁぁぁ!」
俺は笑って木の棒を肩に担ぎ直した。
夜の草原に最初の絶望である【彷徨う騎士】が姿を現した。
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