第19話『ヘラったヒロインたち』

 ――ピンポーン。


 昨晩寝れなかったのと、今朝の拉致監禁が重なって俺の疲労はピークに達していた。

 心愛を抱いたまま眠ってしまったらしく、目が覚める頃には空の色は薄くなっていた。


 ――ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!


 インターホンの音だ。まどろみの意識が一気に覚醒する。腕の中の心愛も、不愉快そうに閉じていた瞼を上げた。


「ん……なに……?」


 ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!


「うるさいなぁ……せっかくお兄ちゃんといい雰囲気だったのに……」


 心愛の唇がむくれたように尖る。

 この流れ、完全にデジャヴだ。

 夜美先輩か、あるいは依織か……どいつもこいつも、人の安らぎを破壊することにかけては天才的だ。

 心愛は俺の腕からするりと抜け出すと、ベッドの上に座り直した。


「どうせまた、あの女だよ」

「あの女?」

「お兄ちゃんにキスした泥棒猫」


 依織のことを言っているのだろう。


「無視しよ? どうせろくな用事じゃないよ」

「そうだな……」


 賛成だ。誰であれ、今の俺にまともな対応ができる自信はない。精神的にも肉体的にも、俺はもう限界だった。

 だが、俺たちのささやかな希望は、すぐに打ち砕かれることになった。


 ガンッ! ガンガンガンガンガンガンッ!


「うわっ……」


 今度は玄関のドアを無遠慮に引く音だ。

 鍵を壊さんばかりの勢いで、放置していたら窓ガラスまで割りそうな剣幕だ。

 俺はため息を吐きながらベッドから腰を上げた。逃げられないなら、観念するしかない。


「ちょっと出てくるよ」


 瞬間、心愛の目が据わった。ハイライトが消えている。

 マズい。またヘラりかけている。


「……私も行く」

「えっ」

「お兄ちゃんひとりに任せられない。私も一緒に行く」


 ベッドから下りた心愛が、自分が先導するように部屋の外へと繰り出す。 

 ふたりで玄関に向かう。その間にもインターホンと扉揺すりは続いていた。

 途中でモニターを確認すると、そこには予想通りの人物と、予想外の人物が映っていた。


「依織と……天宮?」


 なんでこのふたりが一緒に?

 疑問を解消する間もなく、心愛が勇み足でリビングを抜けていく。


「私がガツンと言ってやるんだから」


 心愛は躊躇なく鍵に手をかけた。


「ちょ、心愛! すぐに開けたりしたら――」


 止める間もなく開錠。

 途端、扉が即座に後ろへと引かれた。


「要!」

「青鳥!」


 開口一番、依織と天宮の声が重なる。

 扉を引いていたのは天宮だったらしい。入室の許可もしていないのに家に侵入した天宮は、心愛の横をすり抜けて俺に詰め寄ってきた。


「どういうことなの!? 依織とキスしたって本当!?」


 えっ。なんでそのこと知ってるの。

 あの場に天宮はいなかったのに。


「要。教えてあげなよ、本当のこと。来夢ちゃんってば、何度言っても信じてくれなくて」


 ああ、なるほど。依織が教えたのか。

 余計なことを……ほとんど嫌がらせじゃないか。


「するはずないよね!? 青鳥がそんなこと!」

「えっと……」


 矢継ぎ早に繰り出される天宮の追及に、俺はしどろもどろになってしまう。言葉が喉に詰まって、上手く声にならない。

 そんな中、心愛が俺を庇うようにふたりとの間に割って入った。


「お兄ちゃんは誰にも渡しません。私と結婚するんですから」


 知らしめるように、心愛が俺の腕にしがみつく。

 俺に義理の妹がいることは、天宮も依織も知っている。だからこそ、その爆弾発言に驚嘆したらしい。


「は……!?」

「結婚……!?」


 玄関の空気が一瞬で凍りつく。

 驚いたのは俺も同じだった。


「いや! しないって!」

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。義理のきょうだいでも結婚したケースはたくさんあるから。法律的にもなにも問題ない。ちゃんと調べたもん」


 裏取りまでしているらしい。マジだ。


「どういうこと、要」


 暗く据わった目と共に、依織が前に出てくる。


「なんで心愛ちゃんまで要に好意向けてるの? おかしいよね? 普通じゃないよね?」

「普通じゃないのは依織もだけど……」

「説明して。ちゃんと説明して。わたしたち、キスまでしたんだよ? 誓いのキスまでしたんだよ? それってつまり結婚するってことだよね? わたし、青鳥依織になれるんだよね?」


 また依織の質問責めが始まってしまった……。

 そしてそれには心愛が反応した。


「ふざけないでください。あなたが義理の姉になるとか絶対に嫌です」


 ギッと眉根を寄せて、心愛が依織を拒絶する。


「お兄ちゃんに勝手にキスして……泥棒猫が」

「わたしは要の幼馴染だよ。誰よりもずっと昔から、要のことを見てきたの」

「見てただけじゃん。私はお兄ちゃんと一緒に暮らしてる。毎日お兄ちゃんのことお世話してる。朝も夜も、ずーっと一緒」


 心愛が勝ち誇ったように笑う。

 依織の眉がピクリと歪んだ。


「――青鳥! ちゃんと自分の言葉で答えてよ! キスしたのは本当なの……!?」


 それまで様子を窺っていた天宮が、痺れを切らしたように叫ぶ。


「来夢ちゃんは黙ってて。今は心愛ちゃんと大事な話をしてるの」

「黙ってられるわけないでしょ! あたし、青鳥のこと……!」

「自分が蚊帳の外なのまだわかってないの? これはもう、わたしと心愛ちゃんの一騎打ちなの。要はわたしと結婚するんだから」

「しねえよ!」


 思わずツッコミを入れてしまった。

 俺の否定に、依織が「え?」と目を丸くする。


「でも……キス、したじゃない……」

「あれは依織が無理やり……!」

「無理やりじゃない! だって要、避けなかった! 舌入れるのも許してくれた……! だからわたしたちは――」


 ゆらゆらと、依織が前に手を伸ばす。

 指先が俺の袖に触れた瞬間、


「お兄ちゃんに気安く触らないで!」


 心愛が依織の手を叩き落とした。


「次この前みたいなことしたら殺してやるっ……!」


 依織に対して殺害予告。だが、依織は引くどころか口元に不敵な笑みを浮かべた。


「……へえ。脅されると、余計に頑張りたくなっちゃうな」


 依織が一歩前に踏み出す。心愛との距離が詰まって、本当に殺し合いでも始めそうな緊迫した雰囲気が漂う。

 一方の天宮は、依織の斜め後ろで拳を握り締めていた。俺から視線を逸らすことなく、こちらを睨みつけている。


 ――泥沼化してしまった。


 誰かひとりならまだ対処のしようもあったかもしれないが、今回は3人だ。

 夜美先輩や心愛に効いた『飴』も、他の女がいる状況では100%逆効果になるだろう。

 だったらもう――。 


「っ……!」


 打つ手なし。逃げるしかなかった。

 あとのことなんてなにも考えていない。

 ただ、俺はとにかくその場から逃げ出したくて、取る物もとりあえず駆け出した。


「待ってよお兄ちゃん!」

「どこ行くの要?」

「青鳥!」


 背後から声が飛んでくるが、俺は振り返らない。

 かかとを踏んだまま靴を履き、ドアを押して外へと飛び出す。


「――あら、青鳥くん」


 そして俺は絶望とエンカウントした。

 玄関先には、夜美先輩が立っていた。


「まだインターホンも押していないのに出迎えてくださるなんて……やはり私たちは通じ合っているのですね」


 うっとりと微笑んでいる。

 どうして夜美先輩がここに……。

 綾倉家を出てから、まだ半日も経っていないのに。

 いけない。今はそんなことを考えている場合じゃなかった。


「――ッ!」


 先輩をフル無視して、その横を通り抜けようとする。だが、すれ違いざまに手首を掴まれてしまった。


「ちょっと。私を置いてどこへ行くつもりですか?」

「いやほんと、マジで急いでて!」


 振りほどこうとするが、先輩の力は意外に強い。


「青鳥!」

「要!」

「お兄ちゃん!」


 その一瞬の隙に、3人が追いついてしまった。

 ああ……終わった。


「青鳥くん。どういうことですか、これは。妹さんはともかく、どうして彼女たちがここに?」


 俺の手首を掴む先輩の握力が痛いほど増す。

 声には不快感が滲んでいた。


「詳しくお話を聞かせてもらいましょうか」


 依織、天宮、心愛が、左右と前方を阻むように立つ。後方には夜美先輩。

 四方をヘラった女たちに囲まれている。

 逃げ場はもう、どこにもなかった。

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