第11話
メアリーはゆっくりと目を開けた。部屋の天井は暗い木材でできており、大きな窓から差し込む銀色の月光に照らされていた。
一瞬、自分はいまだにあの血と蔑みの悪夢に囚われているのではと思ったが、その静けさを破ったのはページをめくる音だった。
顔を横に向けると、ヘイタンが椅子に腰掛け、本を読んでいた。
彼の存在は静かでありながらも揺るぎないものだった。黒髪は月光を受けて絹の糸のように輝き、深い瞳は数多の秘密を抱えているかのように見えた。
メアリーは自分の頬に涙の跡があることに気づいた。慌てて拭おうとすると、ヘイタンは視線を上げ、本を閉じて静かに言った。
「起き上がってはいけない。君は二日間も眠り続けていたんだ。」
メアリーの目が大きく開かれた。
二日間――?
彼女はシーツを強く握りしめた。
(じゃあ、私は…本当に死んでいなかった。でも二日も…。その間にローズは何か仕掛けたかもしれない。もしまだなら、きっと今考えているはず。)
ヘイタンはその本――彼女の日記――を机に置き、ゆっくりと立ち上がった。足取りは静かで、メアリーは思わず身を引いた。
「何をしようとしているの?」
声は震えていたが、意外にもはっきりとした響きだった。
彼は彼女の前に立ち、少し身をかがめた。大きく温かな手が彼女の頬に触れ、指先で涙を拭う。
「美しい乙女がそんな顔をするものじゃない。」彼は低く呟いた。
「涙は俺に拭かせてくれ。麗しい娘が泣く姿は似合わない。」
メアリーの心臓が早鐘を打った。
「なぜ…こんなことを?」
ヘイタンは口元に小さな笑みを浮かべた。
「興味があるんだ。この美しい頭の中で、何を思っているのか知りたくてね。」
彼の指が彼女の髪を撫でる。驚くほど優しい仕草だった。
「悪夢でも見ていたのか?」
メアリーは視線を逸らし、顔を赤らめた。
「あなたはそんなことをするべきじゃ…」
「ただ…君を大事に思っているだけだ。」彼の声は低く、しかし確かな響きを持っていた。
「だから、休んでほしい。大きな衝撃を受けたのだから。」
彼女は再び横になったが、机の上にある日記に気づいた。
「それは…私の日記。返して。」
ヘイタンはすぐにそれを手に取り、彼女に差し出した。
「もちろん。」
メアリーは慌ててページを開いた。だが文字は滲み、判別できなかった。胸が高鳴った。
「これは…どうして…?」
「事故のとき、インクがすべて滲んでしまった。」とヘイタンは説明した。
「急いで君を守る必要があり、馬車は放置された。盗まれた物もあれば、壊れた物もある。さらに雨も降った。日記を救おうとしたが、どうにもならなかった。本当にすまない。」
メアリーは目を閉じた。
(私が書き留めてきたもの…全部失われたのね。)
深呼吸し、少し落ち着きを取り戻す。
「大丈夫。そもそも持ってきたものは少なかったし…それに、もう過去のことよ。私は新しい人生を始めるわ。まるで死んで、生まれ変わったみたいに。」
ヘイタンは彼女を数秒見つめ、優しく微笑んだ。
「その言葉を聞けて嬉しい。君が無事だとわかった今、俺は部屋に戻るよ。もし何か必要なら、隣の部屋にいる。深夜でも構わない、訪ねてくれていい。」
メアリーは驚いた顔で彼を見た。
「そ、そういう意味じゃ…ないのに。」
ヘイタンは小さく笑い、扉の方へ向かった。
「本当に、君が元気でよかった。」
その言葉は、彼が部屋を出た後もしばらくメアリーの胸に響いていた。彼女は扉を見つめたまま数秒動けず、やがて大の字になってシーツの柔らかさを感じた。
(小さい頃から王子を知っていたのに…今でも彼の仕草に驚かされる。)
顔を窓の方へ向ける。大きな月が冴え冴えと輝き、部屋も心も銀色に染めていた。
「どうして…今、彼のことを考えてるの?」彼女は唇に触れ、呟いた。
「月が…とても綺麗だからかしら。」
そして、目覚めてから初めて――メアリーの顔に小さな笑みが浮かんだ。
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