第27話 ウィルヘルム 支配される

 レイリアルは街の中を進む。誰もいない街は静まり返りっており、湖から生まれた霧が、寂しさをより際立たせる。

 レイリアルの姿は、今や人ではなくなっている。

 長い髪は触手のようにのた打ち、歩くたびに地面に火花が散る。瞳からは炎を吹き出し、全身は固い鱗で覆われている。ありとあらゆる魔法の加護を、吸収し会得したレイリアルは、人には見えなかった。この姿を見た者は、動揺し逃げ出すだろうが、幸いにも街に人はいない。ただ、その姿を見ても動揺しない者がひとりだけ、レイリアルを待ち構えていた。

 レイリアルの進路に空から割って入ってきたそれは、土煙を上げて、石畳みを破壊する。巨大な斧を肩に担ぎ、その重量をものともしない巨躯を閃かせて、一撃を振り下ろす。

 レイリアルは後ろに退きながらも、菱剣を投げつけて動きを観察した。襲いかかってきたそれは避けようとも払い除けようともせず、さらに突撃することで、菱剣の狙いを逸らせ、鎧でそれを弾いた。

 レイリアルは、今度は前に出て、その脇を抜ける。お互いに交差する形になり、少しの距離が生まれる。そこでようやくレイリアルは相手の姿を認識する。熊の姿をした魔人デーモン族、ベアル族の戦士である。

 強靭そうな顎を持ち、筋肉隆々。巨体を持つ部族であり、純粋な戦闘力で比肩する者はないとまで言われる。目の前にいるベアル族は全身に古傷を持ち、歴戦の勇士の雰囲気を漂わせている。

 レイリアルが漁綱で菱剣を手元に引き寄せると、ベアル族の戦士は息を吐いた。


「やるな……。我が名はダリオ。ベアル族、最強の戦士。お前は一体、どこの部族の者だ」


 ダリオはレイリアルの姿を見て、魔人デーモンと誤認したようである。魔人の中には加護の力によって姿を変える者もいる。レイリアルの今の異様の姿を見て、魔人族だと思ったのだ。


「私はウィルヘルム・フォン・ベルンの弟子レイリアル。邪魔をするならば、お前を殺す」


「オオ、ウィルヘルム! フン……、懐かしい名だな。やってみろ、小娘。我が主の元に行かせはせん!」


 ダリオは踏み込んだ。その一歩で地面が揺れる。

 見掛けよりもずっと素早い攻撃を、レイリアルは空に飛んで躱す。それで普通は終わりだ。空中では身動きが取れない。ダリオはさらに踏み込み、着地を狙う。しかし、レイリアルは空中で一歩跳ぶと、菱剣を投げつけ攻撃してきた。ダリオはそれを避けようとはせず、自身の肉体で受ける。下がりながら投げた剣などで、ベアル族の筋肉は貫けない。

 レイリアルが空中でも動けるのを見て取ると、ダリオは戦術を変える。先ほど破壊した地面には、小石や瓦礫が散乱している。それを拾い上げると、レイリアルに向けて投擲した。凄まじい速度の石が飛び、レイリアルは狙いを定められる前に暗闇を広げ、姿を隠してなんとか躱すことができた。空中にいることは危険だと判断する。地上ならば隠れてやり過ごせるが、空中では狙い撃ちにされる。暗闇で姿を隠しても、散弾と化した石片は避け切れない。


「暗闇の加護……。お前、本当に人間か」


 着地したレイリアルは力を溜めた。背中に炎の翼が燃え盛り、全身に紫電が走る。そして、何も言わずにダリオを睨みつける。

 ダリオはそれを見て、不敵に笑った。


「面白い。では、我も本気を出すとしよう。この狂戦士の力、お前に破れるか!」


 咆哮とともにダリオの毛皮が真っ赤に変化する。筋肉が膨張し、血管が浮き出て、重くなった体が地面に少し沈んだ。そして、頭の上に斧を構えると、技を繰り出す準備を終える。

 理性を失うはずの『狂戦士の加護』では、技は出せない。ただ、肉体のみで戦う野生の獣と化してしまう。しかし、ダリオは完全に制御していた。過去にウィルヘルムに教わった、理性の制御方法により、ダリオは戦士の中の戦士であるベアル族の中で、最強を名乗ることができるようになったのだ。

 威圧する気配が周辺を支配し、並みの者であれば身動きひとつ取れなくなる重圧がレイリアルを襲う。それでも彼女は躊躇なく踏み込んだ。


 ◆


 体を揺さぶられ、うっすらと目を開けた。


「ガナー、起きて! ガーナルトム!」


 ガーネルトムはその声に目を覚ました。リンドーが険しい顔でこちらを覗いている。


「何が……」


 そう問いかけようとしたとき、破裂した衝撃波で事態を思い出した。魔王の初撃は広範囲に及び、ガーネルトムは体を吹き飛ばされて柱に激突したのだ。

 遠くではウィルヘルムとコルベットが戦っている。


「コルベットは剣まで使えるのか……」


 ガーネルトムは目を見開いて戦いを見つめた。ウィルヘルムが撃つと、コルベットは迎え撃つ。白銀の剣を片手で振るい、空いている手で魔術を放つ。攻防一体の型に、ウィルヘルムは攻めきれずにいる。


「ガナー、あたしはこの城をする。あなたはウィルヘルムの援護をして」


「わかった。……セッカは?」


「どこに行ったかわからない。多分……」


 ガーネルトムは唇を噛みながら立ち上がった。セッカの姿は近くには見えない。おそらくは先ほどの衝撃波でどこかに飛ばされてしまったのだ。だが、今は探している時間はない。


「本当に魔王を倒せるのだろうな」


「そんなのはやってみなくちゃわからないよ。ゴーレムで援護するから、とにかく時間を稼いで」


 ガーネルトムは駆け出した。無数のゴーレムが生み出され、そのあとを追う。

 ウィルヘルムの戦いが見えた。だが、圧されているように見える。あのウィルヘルムが近接戦闘で魔王に圧されているのだ。ウィルヘルムのどこか緩慢に見える動きに、ガーネルトムは嫌な予感がした。


(まさか、どこかを怪我したのか⁉)


 魔王の攻撃によって気絶する前に見た光景は、ウィルヘルムの背中だった。彼が魔王の魔術を斬らなければ、ガーネルトムたちは気絶だけでは済まなかったはずだ。


「足手纏いになど、なるものか!」


 ガーネルトムの『暗闇の加護』は、この明るい空間では視界を塞ぐ効果しかない。この旅の間に、その力の本質を探った。ガーネルトムの修行に、ウィルヘルムは協力し、力の新たな可能性を示してくれた。

 この力に物理的な効果はない。確かに物を押したり掴んだり、相手の攻撃を受け止めたり、そういった効果はない。ウィルヘルムは視界を塞ぎ、暗闇で触れた物を感知する力も、物理的な力だと分析した。暗闇の加護を持つファンテラ族は、皆、漆黒の毛並みをしている。それはただ単に毛並みの色と暗闇との迷彩効果だけではないはずだと考えた。

 こういった考察が、ファンテラ族の中で今までなされなかったのは、魔人デーモン族が研究肌ではないというところが大きい。日々を生きるのが精一杯で、そんな時間がなかった。また、軍の画一的な訓練方法では、個性を伸ばすことはできなかった。

 ガーネルトムのような黒い毛皮を持つファンテラ族は、両親が二人とも豹柄の毛皮をしていても低い確率で生まれてくる。逆に黒い毛皮の両親からも、黒い毛皮が生まれてくるとは限らない。魔法の加護の技は、基本的に一子相伝であり、黒豹のファンテラ族は自分で研鑽するしかなかった。そのため、技の継承が途絶えがちなのだ。

 ガーネルトムは暗闇の加護を、魔王の近くまで引き延ばした。

 それは自分の走る速度と相まって、一気に魔王の背後まで到達する。彼女は消えた。暗闇に潜ったと言った方が正しい。今までも暗闇に潜ったことはある。だがそれは、あくまでも体を覆い隠していただけである。今、ガーネルトムの体は細く引き伸ばされた暗闇と同化し、ガーネルトム自身が暗闇と化したのだ。そして暗闇の中では、自在に体を動かすことができる。自身の暗闇のどこからでも、移動の時間なく出現することができるのだ。

 魔王はその力に気が付いたのだろう。ガーネルトムの出現位置に剣を振るった。初見でこれほどの反応を示すのは、流石としか言いようがない。しかし、ガーネルトムを斬ったかのように見えたその剣は、その体を擦り抜ける。闇には物理的な効果はないのだ。今のガーネルトムの肉体はそのものだった。

 それでも魔王の剣は、ガーネルトムの首の皮膚を薄く切り裂いた。魔王の剣も肉体を持たない者を斬ることのできる剣なのだ。ただ、闇を完全に切り裂くことはできなかった。

 剣が空振りし、魔王の体勢が崩れる。ガーネルトムは自身の刀を振り下ろす。魔王は避けること叶わず、その剣で正面から受け止める。鍔迫り合いまで持ち込んだことで、ウィルヘルムのいる背中側はガラ空きだ。


「ウィル、やれ!」


 しかし、その声はウィルヘルムに届いてはいなかった。彼は動かず、ただ立っているだけである。


「⁉」


 魔王の力は凄まじく、鍔迫り合いの状態からガーネルトムの体は浮かされ、後ろに飛ばされる。何とか着地するが、ウィルヘルムの様子に動揺が隠せない。


「ウィルヘルム⁉」


 魔王の剣が振りかぶられ、ウィルヘルムに振り下ろされようとする。意識を失った者に対しては充分過ぎる剣閃だ。しかし、魔王の剣はウィルヘルムの剣に弾かれ、逆に魔王の方が腕を押さえて退ることになる。


「チッ……、こいつ……。まぁ良い。先に他の者を片付けるとしよう」


 ウィルヘルムは魔術にかかったのだ。

 立ったまま意識を失ったウィルヘルムには、反射だけで戦い続けていた。魔王が止めを刺そうとしたところを見ると、まだ完全には乗っ取られていないようである。


(やはりリンドーの言う通り、時間を稼ぐしかない……)


 ウィルヘルムが戦えなくなった今、たったひとり、魔王と戦うしかない。遅れてやってきたゴーレムたちに続いて、ガーネルトムは跳びかかる。

 ガーネルトムはこの玉座の間を闇で満たすかのように、自身の加護を広げた。少しでも相手の視界を奪い、自分の領域を広げる。ファンテラ族のこの戦い方を、ガーネルトムは嫌っていた。正面から叩き潰すことこそが戦士だと考えていた。

 今、こうして強敵を前にして思う。この力は生き延びるためのスベ。全ての力がすべからくそうであるように、加護も魔物から逃げるために神のよって与えられた力なのだ。生まれて初めて、その力に感謝した。魔王の剣が掠めるたびに、生んでくれた両親に感謝した。


(魔王グリムネル……。オレの技に対応してきている……! 逃げ切れない!)


 魔王も始めこそは、暗闇と同化し、攻撃を受け流すこの加護に翻弄されていた。

 魔王の剣も、魔術も、闇と同化しても完全には防げない。ガーネルトムは自分の体の位置を誤認させることで、その攻撃を躱す。流動する闇の中で体の形を変化させれば、理論上はどんな攻撃に当たることはない。だが、攻めることもできなかった。魔王には近付くことができない。

 突如として出現したリンドーの巨大なゴーレムの腕が振り下ろされ、魔王とガーネルトムの間を塞ぐ。リンドーが魔王城の材質を利用して作ったゴーレムは、それだけで小さな城ほどある大きさだ。

 魔王は破壊魔術をゴーレムに流す。不可解な紋様がゴーレムの腕を描かれ、衝撃が巨体を伝っていく。しかしその波は、完全にゴーレムを破壊する前に止まった。

 巨大すぎるゴーレムを破壊するのは、流石の魔王の魔術でも手間であるらしい。何度も破壊を試みているが、すぐに再生してしまう石の巨人に辟易している。しかも、このゴーレムは、魔王自身が作り出した城を素材にしている。その頑丈さ、重さは、並みの岩石ではない。


「鬱陶しい!」


 魔王の腕から放たれた衝撃波が、ゴーレムの腕を砕いていく。しかし、それもその巨体を破壊するには至らない。


(石の魔術士。厄介なものを……。これだけの物を操るには、それ相応の魔力を消費するはず。それでもなお、この無駄に大きな力を使うのであれば……)


 魔王は彼らが時間稼ぎをしていることに気が付いた。ウィルヘルムが目覚めることを期待しているのだ。だが、その期待は無意味なものだ。ウィルヘルムの見ている夢は、幸せの絶頂にある。その幸せへの渇望から人は逃れることはできない。


(魔術士。いいだろう、そちらがそのつもりなら、受けて立とう。どちらの魔力が先に切れるか。勝負といこう)


 魔王となったコルベットも、それほど多くの術を使えるわけではない。石を操り壁や建物を作ることはできても、リンドーのように自在に操れるわけではないのだ。コルベットが得意とするのは、破壊の魔術。触れた物に力を伝播させ、崩壊を引き起こす力。そして、魂を保護し、繋ぎ止める魔術、屍霊術だ。

 そして、そのどちらもこのゴーレムには効果は薄い。人を片手で捻り潰せるほど大きなゴーレムを破壊するには、それ相応の力と時間が必要である。そして、魂のないゴーレムに屍霊術は通じない。


(術者はどこにいる。そいつを探して殺す。石人ドワーフ族か、恒人メネル族。最初の攻撃で仕留めきれなったのは失策だったか)


 魔王がゴーレムに気を取られた瞬間、ガーネルトムは見逃さなかった。暗闇になり、魔王の背後に出現する。魔王は奇襲にも難なく振り返り、その剣を受け止めた。ただ、二段目の奇襲には対応しきれなった。

 ゴーレムの影と暗闇の間から現れたセッカが、魔王の短剣で腹を突き、さらに心臓と顎の下に深々と刃を突き立てる。全てが人間の急所を突く、間髪入れぬ三連撃である。魔王は腕で取りついたセッカを振り払うが、傷口からは大量の血が流れ出す。

 魔王の体がふらつく。そこに首を薙ぐガーネルトムの一撃で、魔王の体は胴体と離れ離れとなる。

 身動きを取れなくなった魔王に、巨大ゴーレムの一撃が振り下ろされる。床と巨石によって圧し潰された魔王の肉体は完全に原型を失い、挽肉と化した。


 ◆


 荊の頭環と肉体。魔王はその両方の形を失った。

 リンドーの予測では、魔王はこの程度では死なない。ただし、その再生には時間を要するはずだとのことである。

 しかし、ゴーレムの腕が動き、再度、振り下ろされようとしたとき、そこにあったはずの魔王のはなくなっていた。肉片の一片もなく、血の一滴も残されていない。


「セッカ! 後ろだ!」


 ガーネルトムが叫ぶのと、セッカの腹が剣によって貫かれるのは、ほとんど同時であった。


「お返しだ。大人しく隠れておれば良かったものを」


 ゴーレムの腕が止まる。仲間を巻き込むわけにはいかない。その一瞬の隙が、魔王の狙いだった。敢えて即死しないように刺したのだ。

 魔王が掲げた手から放たれた魔力が地面を破裂させ、ガーネルトムを襲う。後ろに跳んで衝撃を殺さなければ、体がバラバラにされていた。背後の柱に体を打ち付け、その激痛に受け身すら取れずに地面に落ちた。

 魔王は術者の位置を探った。簡単なことではないが、ゴーレムが動きを止める一瞬の隙さえあれば、魔王には造作もないことだった。


「そこか」


 魔王の放った破壊の波動が、巨大ゴーレムの首の辺りを抉り抜く。リンドーの潜んでいた場所だ。

 リンドーの体が宙に放り出される。石による防御で致命傷は防げたかもしれないが、全身から血を吹き出しながら落下していく。地面に落ちれば即死だ。ガーネルトムは彼女を受け止めるため、魔王の足元に倒れたセッカを見捨てるしかなかった。

 何とかリンドーの小さな体を受け止め、魔王から離れた位置に着地する。治癒の霊薬ポーションの一本をリンドーの口に無理矢理流し込むと、再び魔王に向かい合った。

 ガーネルトムはできるならば、自分の剣で決着をつけたかった。だが、こうして魔王と向き合った今、自分では及ばないと知った。


(悔しい、悔しい、悔しい!)


 不用意に懐に入り込めば、どんな攻撃を受けるかわからない。それを防ぐ自信がガーネルトムにはなかった。セッカはまだ生きている。魔王はガーネルトムが踏み込んでくるのを待っているのだ。

 ファンテラ族は魔王の直属の部下『左手』として、この魔王城に勤めていたはずである。その長である父ベリオルムが、仲間の無念を晴らしてくれと言った。そして、その魔王城に今は魔王以外の者は誰もいない。つまりは、そういうことなのだ。

 有人を、仲間を、家族を、兄弟を、親友を。この魔王は踏みにじった。

 怒りが溢れ、何もかもを破壊したくなる。


「終わりだな。……そのドワーフの娘を殺せ。そうすれば、お前は生かしておいてやろう」


 その命令は絶対のはずである。

 荊の頭環は、人の負の感情を操り、術中に嵌める。不安・怒り・疑心は、もっとも簡単に操る方法だ。

 このファンテラ族の娘は、無力に怯え、怒りに満たされた。心に隙間が生まれた。だから、命令には逆らえないはずだった。


「何? ……まだ希望があると思っているのか。愚かだな」


 ファンテラ族の娘は動こうとしない。冠の能力による精神操作ができなかった。


「まぁ良い。死ね」


 操れないなら、殺せば良い。石人ドワーフの娘を庇っていては避け切れない。破壊の波を放とうと腕を構えた。それで終わりだ。

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