第26話 ウィルヘルム 魔王と対峙する
「失敗だっただと? あれだけの犠牲を払っておいて……」
ウィルヘルムがベリオルムに詰め寄ると、リンドーが止めた。
「ウィル、落ち着いて。一体、何の話なの」
ウィルヘルムは『荊の頭環』について、皆に訊かせた。人を操る、恐ろしい
「あのとき、ウィルヘルムが、ウィルヘルムたちの騎士団が、ベルトリアに遠征に行ったのは、そういうことだったんだね」
リンドーは納得したように頷いた。ガーネルトムが拳を撃つ。
「では、その荊の頭環こそが、魔王だということか。それをもう一度破壊すれば良いのだな」
「そう簡単な話じゃないのでは。それを破壊するための黒竜の牙はここにはないのですし……」
セッカが言うと、ベリオルムは首を振った。
「以前、私たちがウィルヘルムを手伝ったとき、荊の頭環は黒竜の牙でバラバラに切り刻まれた。私はそれを見届けた。だが、荊の頭環は復活し、魔王の力となっている。牙では破壊できないのかもしれない」
その話を聞いていたリンドーが、考えを口にする。
「もしかしたら、荊の頭環を破壊するだけでは駄目なのかもしれない。ウィルヘルムが感じたように、その中にいる意思の根源。中身を殺さないと……」
「だとすると、黒竜の牙ない今となっては……」
セッカが言う。ウィルヘルムがモントベルグに持ち帰った牙は、今は国王所有の宝物庫の中にある。今から取りに戻っては、この国は滅んでいることは確実だ。
ベリオルムが腰にあった短剣を差し出す。ガーネルトムの剣に良く似た黒い刀身を持つ、片刃の刀剣だ。
「これを使え、ウィルヘルム。黒竜の牙から削り出した短剣、黒刀ヴァルノクス。あのときの私の戦利品だ。魔剣……というほどでもないが、肉体を持たない魔物も斬ることができる」
ウィルヘルムはその剣を受け取る。短い剣であるが、その鋭利さ、切れ味、扱いやすさは、手に取っただけでもわかる。
「ヴァルノクスの牙から造られた質の良い剣は、ほとんど破壊されてしまったが……、この短剣だけは魔王も気が付かなかったようだ。破壊されたということは、
「ほう? 良く隠し抜いたものだな」
「ふん……。操られていようとも、剣は手放さん。お前がそうしろと言ったからな」
ウィルヘルムは頷くと、ベリオルムに問う。
「体は動かせそうか。まだ、戦えるか」
「いや……。先ほどから手足に力が入らない……。操られていた間、不眠不休で見張りをさせられたからな。悪いが役には立てそうにない」
「操られているときの記憶はあるのか」
「ある。まるで、夢の中にいたかのようだが……、ここ十数年の記憶は残っている」
「では、魔王は誰なのだ。逸話では、わしらに協力した魔術士ということになっている。だが、わしらの仲間に魔術士はおらんかった。一体、今のあの冠の持ち主は誰なのじゃ」
ウィルヘルムの心からの疑問だった。話し合いで今の魔王を選んだとは考え難い。おそらく、人を操る力によって魔王の地位を獲得したのだ。だが、あのときの自分たちの仲間に、そんなことをする人間は思い浮かばない。
「いたのだ。魔術士が。私たちはずっと騙されていた。奴はただ後をついて来ていたわけではなかった。その冠をずっと狙っていたのだ。覚えていないか。荷物持ちとしてついて来ていたウルペス族の男……、コルベットだ」
ウィルヘルムは、考えたくはなかったことだ。
狐の
「コルベット……。やはり、そうであったか」
彼と別れたとき、まだ彼は魔術など知らなかったはずだ。そのあと学んだ。そうでなければ、ずっと嘘をつかれていたということなのだろうか。
ウィルヘルムは少しの間、目を瞑り、彼への思いを断ち切った。もし、荊の頭環を破壊して、コルベットが無傷だったとしても、既に彼の精神は汚染されているだろう。経験上、その汚染が元に戻ることはない。しかも二十年以上渡り、冠の魔力に晒されていたのだ。コルベットがコルベットであったときの、その精神の残滓があるかどうかも怪しいものである。
「お前がここを守っていたということは、魔王は街にまだいるということだな」
「ああ。魔王は城から動いていない。まだ、居るはずだ。玉座の間に」
ウィルヘルムは頷く。
「良し。わかった。悪いが、ベリオルム。お前はここに置いていく」
「わかっている。行け。仲間の無念を晴らしてくれ……」
ガーネルトムは弱った父を置いていくことに少しの躊躇をしたが、今はそんなことを言っている場合ではないと、自身を納得させた。
「親父。ちゃんと隠れていろよ。あとで迎えに来るからな」
「ああ。しっかりとウィルヘルムを守れ。こいつが私たちの要だ」
ベリオルムはリンドーを見た。
「ドワーフの魔術士。お願いがある。その気付け薬、少しばかり分けて貰うことはできないか」
「え。まさか、癖になったの?」
「違う! 正気に戻したいやつがいるのだ」
リンドーが薬瓶を渡すと、別れ際にウィルヘルムがベリオルムに言った。
「そう言えば、お前の娘を妻に迎えるとこになったから、お前はわしの義父になるのじゃった。末永くよろしく頼む」
「は?」
突然の爆弾にベリオルムは困惑した。今それを言うかとガーネルトムも困惑したが、ウィルヘルムは既に走り出していたので、皆はベリオルムをその場に残して駆け出した。
「え?」
わけのわからないまま、ベリオルムは目を点にして、最終決戦に向かう四人を見送った。
◆
王都ホルムベル。
過去に『
そして、湖と街の間に、魔王城は存在した。城と言っても良いかわからないが、とにかく存在した。存在を誇示している。
巨大なその城は、ウィルヘルムたちが見たことのある城とは形が全く違う。
発展した街であるが、今は誰もいない。所々で争いの痕が残っているが、今は魔物一匹見当たらない。百万人の住民が、その姿形、血の一滴に至るまでの痕跡を消し、忽然と姿を消していた。
「なんなのこれ……。こんなのって……。こんな……」
セッカの住んでいた街である。彼女は口元を抑え、吐き気を堪えるのが精一杯だった。ガーネルトムはこの街に愛着はなかったが、何度もこの大通りを歩いたことはある。人が溢れ、怒号と笑い声、子どもたちが駆け回っていたのを覚えている。それがすっかり消えたこの街は、あまりにも大きく、寂しすぎた。
「魔王が、これをやったのか」
「これほどまでとはな。もしビスト・マリフィスと同じように、死者が溢れているかと思ったが……。最早、魔王コルベットには、それすら不要のようじゃ。あの悪魔を召喚するだけの魔力は、もう充分に集めたようじゃな」
屍霊術士ギリムが悪魔を召喚した魔術は、魔王がギリムに与えた力である。つまり、魔王はあの悪魔を召喚できると考えるのが自然だ。
住人たちは皆、その犠牲になったと考えるべきだ。誰ひとりとして、王都から来る者は居らず、帰ってくる者も居らず、連絡がつかない理由だ。
(コルベットを殺す。それはできる。だが、あの悪魔と正面からわしは殴り合えるか? それに荊の頭環はどうする。その中身はどうする。わしはどうすれば良い)
ウィルヘルムは迷いなく進んでいるように見える。その実、いつも彼は迷い続けていた。
気の惑い、判断の誤り、後悔。ずっと考えている。いつも、自分は生き延びてきた。仲間は死んでいった。友と呼べる者たちは、もうほとんどいなくなった。ベリオルムが生きていたことは、せめてもの救いだ。だが、コルベット。彼が魔王となって、殺戮を行った。
(わしが、あやつを気にかけておれば、こうはならなかったのではないか? わしが王になっておれば、こんな殺戮は起きなかった。リディナーたちが死ぬこともなかった。レイリアルも……)
いつの間にか霧が出てきていた。重苦しい空気が街中に立ち込め、ウィルヘルムたちの足を鈍らせる。
巨大な街は徒歩で横断するには広すぎる。それでも魔王城の麓に来ることができたウィルヘルムたちは、開け放たれた門の中に足を踏み入れた。
ガーネルトムは正門を利用して城に入る機会は滅多になかったが、その構造は理解している。
「気を付けろ。廊下を抜けたらすぐ大広間。玉座の間だ。魔王はいなくても、何らかの防衛戦力がいるなら、そこだ」
小さな城の大広間ほどもある廊下を抜ける。動くものの気配はなく、街の中と同様に寂しい城内だった。四人とも足音を消して歩くので、さらに物寂しさが増す。
玉座の間への大扉も開いており、そこに居るはずの衛兵もいない。ウィルヘルムたちは躊躇なく中に入る。
玉座の間は、圧巻のひと言だった。
街ひとつ呑み込めるほどの広さ。無数の柱は構造上の必要性はなく、装飾的・視覚的効果を狙っているようで、天井まで伸びて支えている物はない。建物の中であるにも関わらず、自然光のような柔らかな光が辺りを照らし、影が存在せず、遠近感を狂わせる。
玉座の間。その奥に小さな椅子が見えた。いや、椅子にしては大きいのだが、この空間からしてみれば小さいものだ。何段か上がった位置に置かれた玉座。それに座る人影が見える。ウィルヘルムたちに気が付いているはずなのに、人影は動じなかった。
「コルベット。随分と変わったな」
ウィルヘルムがそう言うと、コルベットは顔を上げた。
「ウィルヘルムさま。お久しぶりですね。あなたも随分と変わられた。あれから二十数年です。変わってもおかしな話ではない」
ウィルヘルムは意外に感じた。その話し方、記憶にあるコルベットそのものである。てっきり、狂気に満ちた返答があるかと思っていた。
ただ、記憶のコルベットは優しい笑顔の少年だったはずだ。今のコルベットは疲れ果て、やせ細り、とても魔王には見えない。服装も地味で、街で擦れ違っても違和感がないような格好だ。赤金色だった毛並みは色落ち、灰とも白とも言えない色になってしまっている。そうであるのに、狐の顔にある大きな瞳だけが、爛々と赤に輝いていた。
「それで……、どうしてあなたがここに?」
コルベットは本気でそう言っているようだ。
「うむ。わしがミスシダの街の街長に就任しての。そのご挨拶といったところだ」
「ミスシダ……? あなたが? 初耳ですね。どうしてボクが知らないのでしょうか。エイン、エイン! どこにいる?」
コルベットは誰かを呼んだ。だが、その声は虚空に響くだけで、誰も現れない。
「エイン、あいつ、どこに行ったのだ。ボクの側を離れるなと言っておいたのに……。あれ? ウィルヘルムさま? ここはどこですか。ヴァルノクスはどこに……?」
「……」
ウィルヘルムは理解した。その心は既にここにない。記憶が去来し、それが会話をさせている。
狐の頭には冠がある。荊の頭環だ。だが、見た目は以前とは違う。以前よりも禍々しく、その棘は頭部に食い込んでいる。ウィルヘルムはコルベットを睨みつけた。
「実は、ミスシダの街長はもう辞めたのだ。それでここに来たのは、魔王グリムネルに会いに来たのだよ。会わせて貰えるかな?」
ウィルヘルムがそう言うと、コルベットの目がスッと細くなった。
「……私がグリムネルだ。そうか、お前がやったのだな。街の破壊の進みが遅い。加護の力の集まりが遅れている」
コルベットだったそれは、ゆっくりと立ち上がる。立ち上がるのも久しぶりだ、というような緩慢な動きだ。
「ああ、思い出した。モントベルグにギリムを送ったのだったな。そこでお前は死ぬ予定だったはずだが……」
「不幸にも、こうして生きておるよ。グリムネル、コルベットを返してもらうぞ」
「返す? 私がコルベットで、ボクがグリムネルなんですよ。返すも何もない……。どうして邪魔をするのです。大人しく死んでいれば良かったものを……」
ウィルヘルムは静かに魔王を睨みつける。
「お前がわしの大切なものを奪ったからじゃ。だから、これ以上は奪わせない。その前にお前から返してもらう」
魔王は冠に触れた。
「下らない感情だ。まぁ良い。お前を殺して、計画を前に進めるとしよう」
おもむろに魔王が腕を突き出す。同時に巨大な破壊の波が、ウィルヘルムたちを襲った。
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