第19話 ウィルヘルム 獣の頭を砕く

 ウィルヘルムが扉を静かに開ける。

 冷たい空気が一気に流れ出てくる。これは雰囲気ではなく、物理的に冷たいことがわかる。空気中の水分が凍り付き、キラキラとした結晶が舞う。部屋の家具は一脚の椅子があるだけである。凍り付いており、狭い空間。その床に不気味な文字が書かれている。そして、部屋の奥の壁に固定された、頑丈そうな手枷があった。誰かを閉じ込めていた空間だ。

 だが、警戒したような魔物の姿は見えない。ウィルヘルムはズカズカトと部屋に入り込み、狭い部屋の中を探る。


「この冷気。レイスじゃな」


「ウィル、そこに居るぞ。気を付けろ」


 誰も座っていない椅子が動き、冷気がそこに集まる。凍てついた水分が、徐々に人型を象っていき、ドレスを着た女性となる。狐の顔をした魔人デーモンの女性だ。


『私の部屋に、無断で入り込む無礼者は誰?』


 部屋にどこから発せられているのかわからない声が響く。さらに温度が下がった気がする。


「この屋敷の主人かな。わしの名はウィルヘルムと申す。そなたの名は?」


『私はエリザ。この館は私の夫の物です。どうしてこの部屋に入ってきたのでしょうか。死にたいのですか?』


「ふむ。ということは、お前さん、自分がレイスになっていることに気が付いているのかね」


『レイス? このゴーストの体のこと? 自分が死んで、魔物に変わったことは気付いています。そう、私はレイスと成り果てたのですね……』


 レイスはゴーストの上位の魔物である。物理的な力、実体を持たない体、強力な魔法。そして、生前の知識を有し、肉体を失っても理性を失わずにいる。レイスの中には人に協力的な個体もいるらしい。不死者と呼ばれる魔物の中では、特殊な行動原理を持つ。ただ、強力な力は人を狂わせる。理性のタガが外れ、襲いかかってくる者のほうが圧倒的に多い。

 エリザはその体を膨らませた。冷気とともに霊体が部屋中を覆い、ウィルヘルムを取り囲む。ガーネルトムは後ろに下がり、廊下へと避難する。

 ウィルヘルムの頭を丸呑みできそうな口で、不気味な声を放つ。


『それで私をに来たのですか? 迂闊ですね。こんなところまで入り込んで、私に勝てると思っているのですか』


 肺まで凍てつくような冷気の中、ウィルヘルムは顔色ひとつ変えずにエリザを見上げた。この冷気がウィルヘルムには通用していない。


「この間合いであれば、お前を浄化することなど容易いよ。だが、その前に説得しておきたくてな」


 あまりにもウィルヘルムが平然と言うので、エリザは怯んだ。ハッタリとは思えない。


『説得……』


 ウィルヘルムは腰から鞘に入れたまま剣を抜き取り、エリザの目の前に掲げる。


「今のお前さんにならわかるだろう。この魔剣に憑りついている怨讐、不滅の念、女の怒りが。エリザ、この剣に憑りつくが良い。さすれば、その無念を晴らす機会も、もしかしたら訪れるかもしれん」


『私に何の無念があるというのです』


「……この部屋に閉じ込め、そのような姿へと変えた者への復讐」


 エリザは不気味に笑った。


『何の事情も知らないあなたに、そんなことを言われるとは。けれど、私は恨みなどありません。永遠に生き、永遠に彼と暮らすために、私がこの体を望んだ。彼はいずれ帰ってくる。そのときまで、私はこの屋敷を守り続けます』


 健気と言うには、あまりに執着が強い。妄執。十年余りもここに縛り付けるその想いは、他人にどうこう言われて治るものではない。


「残念だ」


『ええ、本当に』


 その言葉と同時に、二人は動いた。エリザの冷気の爪がウィルヘルムに突き刺さそうとする。だが、それは皮膚を貫く力を失い、砕け散る。素早く振り返ったウィルヘルムによって、部屋の奥の手枷を破壊されていた。手枷は、鎖も土台までも完膚なきまでに粉々に砕け、それと同時にエリザの姿もカスミとなって消えた。


「終わったのか」


 剣を抜いたが使う間もなく終わってしまい、ガーネルトムは少し残念そうである。


「ああ」


 部屋の温度が急激に戻っていくのを感じる。息を吸っても肺が痛くなることはない。


「できれば、この術を施した人物のことを訊いておきたかったが……」


「無理だろう。術者に危険が及ぶようなことはしないはずだ。完全に心酔していた……。この屋敷の主人、エリザの夫が屍霊術士だったのだろうか」


「おそらくはな」


 どうして自分の妻をレイスに変えたのか。どうして夫は出ていき、戻らなかったのか。想像しても仕方がないことだ。レイスに変えられても待ち続けることができるほど、それほどの魅力的な亭主であったのだろうか。

 ガーネルトムがウィルヘルムの剣を見ながら言う。


「その魔剣。さっき言っていたことは本当なのか。魔剣に憑りついている……」


 ウィルヘルムが鞘をポンと叩いた。


「ああ、本当のことじゃ。わしがこの剣を手に入れたとき、古代魔術師のアトリエの中で見つけたときは、名も知らぬ女戦士が持ち主じゃった。正気を失った女戦士は、出会うもの全てを殺す人形と成り果てておった。何人も同僚が死んでいく中、わしは隙を突いてこの剣を奪うことに成功した。女戦士は力尽き、魔力だけでできた体だったのじゃろう、霧散して消えてしまった。剣だけが手元に残り、戦利品として持ち帰り、王に献上した」


 ウィルヘルムはそこで一旦、言葉を切った。


「まぁ、そこからが大変でな。手に持った男は自分で自分を斬る、女は男を殺そうと夜道をうろつく。で、街が大変な騒ぎとなった。呪いの剣というやつじゃ。けれど、魔剣は魔剣。地下倉庫に眠らせておくには惜しい。そこでわしが貰い受けることになったわけじゃ。一時期はリディナーに預けておったが、また戻ってきたようじゃな。魔術士曰く、この剣には女の怒りが込められておる。それで『イカラス』と名付けられた」


「そういうことは早く言うべきだ。もし、戦場でその剣を手に取ることがあれば、オレもその女戦士みたくなってしまうではないか」


 ガーネルトムにそう言われ、ウィルヘルムは確かにと頷いた。


「わしも長年こいつと暮らしてきたから、すっかり忘れておったわ。だが、心配せんでもこの魔剣はもう暴走はせんよ。わしがしっかりと怒りを治めておいたからの」


 それが真実かはわからないが、とにかくガーネルトムはウィルヘルムの魔剣は手に持たないことに決めた。

 上階から階段を降りてくる音がして、リンドーたちが部屋の前までやってくる。


「一体、何をしたの? とんでもない音がしたよ」


「音? そんなに響いたか?」


「凄い悲鳴だったよ。うう、耳に残る……」


 悲鳴。エリザの断末魔だろうか。だが、ウィルヘルムもガーネルトムもそんな声は聞こえなかった。リンドーが部屋の中に入り、部屋に書かれた文字を確かめる。


「これは……、こんな術式見たことない」


 フェンネルがウィルヘルムに訊ねた。


「ここにいたゴーストを殺してしまったのですか?」


 のは難しいが、意味は通じたので、ウィルヘルムが頷く。


「そう……ですか。悪い人ではなかったようですので……」


「同居人を殺してしまったことは申し訳ない。だが、死者と生者は関わるべきではない。相手はもう人ではないのだ。それでも供養したいというのであれば、止めはせんよ」


 そう言われ、フィンネルは右の手の甲を左手で覆い、それを自分の胸に当てた。


「死と暗黒の神が、安らかなる眠りを与えますように」


 その願いが届いたかは誰にも分らないが、冷たい空気が上階に向けて抜けていった。

 その風に気を取られ、ウィルヘルムすら気が付けなかった。魔剣の鞘が少しだけ凍てつき、すぐに溶けてしまったことに。


 ◆5・9


「そんな危険な魔剣を担保に? 頭沸いてるんですか」


「辛辣じゃな……」


 ガーネルトムから剣の由来を聞いたセッカは、ウィルヘルムを呆れた目で見つめた。ガーネルトムが話を続ける。


「だが、結局、預けてはこなかったのだな」


「そうなのだ。預けても良かったのだが、店主に断られての。ただ、今回の話が軌道に乗らなければ、この剣を渡してやってくれ。なに。鞘から抜かなければ、悪さすることはあるまい」


 リンドーはエリザが捕らえられていた部屋を調べた。魔術は屍霊術の類ではあるが、リンドーの知らない形式である。似ているものを敢えて言うならば、この街や街道の避難所の魔物除けの結界である。


「どんどん自信がなくなってくわ。つらい……。ベルトリアにはこんな魔術士がゴロゴロいるの?」


 リンドーは土の魔術を主体に使ってはいるが、他の魔術にも造詣が深い。長年、研究を行い、他の魔術の長所を取り入れることで、ゴーレムという一種の魔物を生み出す魔術を極めている。

 そのリンドーがベルトリアで使われている魔術が一切読み取れない。ベルトリアの魔術士が見事に術式を隠しているのもあるだろうが、読み解く切っ掛けすら掴めないのは、リンドーの憂鬱となっている。


「魔王の関係者か?」


「さぁ、どうだろうね。でも、街の結界に比べたら、完成度は低いと思う。というか、術が雑ね。もしかしたら、レイスを作り出そうとしたのではなくて、別の術だったのかもね。術に失敗して、レイスが出てきたから、この屋敷を捨てた……。それなら辻褄があうかな」


「なるほどな」


 想像でしかない話だ。魔術士の手記でも見つければ真相に近付けただろうが、残念ながらそういった類は見つからなかった。屋敷全体に隠し通路があるのは、屍霊術の研究を隠すためなのかもしれない。

 ウィルヘルムたちは今後の方針を決めるために、玄関に集まっていた。話し合いというよりは、ウィルヘルムの指示を受けるという形である。


「リンドー、お前さんに屋敷のことは任せる。問題ないか」


「いいよ。どうせ、修繕するのはあたしだしね。掃除もついでにやっておく」


「うむ。コルシア、手伝ってやってくれ。とりあえず、快適に寝れそうなくらいにはしておくれ」


「わかりました」


「フェンネル、お前さんは街に詳しいか」


「それなりです。北のほうは行ったことがなくて……」


「食い物屋や道具屋はわかるか」


「そういうのなら、はい。わかります」


「では、ガナーを案内してやってくれ。ガナー、今夜の夕食の買い出しと、とりあえず生活に必要そうな物を揃えてくれ」


「わかった。ウィルはどうする」


「わしはモルテンの店に戻って、このエリザの屋敷の場所を伝えてくる。そのあとは……」


「言っておくけど、ウィル。何も考えずに、これ以上の厄介事を増やさないようにしてよ」


 リンドーに言われ、ウィルヘルムは顔を顰める。


「わしだって色々考えておるわ! すぐ帰ってきて屋敷の修復を手伝うつもりじゃわい」


 指示が終わると、皆が動き出した。

 ウィルヘルムはトンボ返りすることになるが、モルテンの店は直線距離ならばそう遠くはない。先ほどとは違う道に入り、なるべく近道をする。ミスシダの街は狭い路地が複雑に曲がりくねり、行き止まりも多い。軽い迷路に迷い込んだような感覚で、ウィルヘルムは楽しんだ。

 途中、立派な店構えの店から、甘い良い香りが漂ってきて、ウィルヘルムは足を止めた。どうやらパンや菓子を売っている店のようで、この街にしては随分とモントベルグ風の建物であった。


「いらっしゃい」


 衝動的にウィルヘルムは店の中に足を踏み入れる。店内は小麦色で香ばしさと甘い香りに包まれている。客は他にひとりも見当たらない。人が少ない時間帯なのかとも思ったが、商品の篭にはまだ品物がたくさん残っている。ウィルヘルムの困惑した様子に気が付いたのか、栗鼠リス顔の店主は、申し訳なさそうに言った。


恒人メネルのお客さん、初めてだね。旅の人?」


「うむ。先日この街にやってきたのだが、景気が悪そうじゃな」


「そうなんだよ。みんな、節約に走っちまって、菓子なんて嗜好品は見向きもされなくなったよ。だからって作らなかったら売れないし……。それに厄介な奴らも蔓延り始めて……」


「厄介?」


「いや、すみません。お客さんにこんな愚痴言ってもね。何か買ってってよ。安くしとくからさ」


「そうじゃな。おお、ポコデコンがあるではないか。これを六つ包んでくれ」


「毎度!」


 ポコデコンはモントベルグ発祥の小麦料理だ。柔らかく煮た肉を、蜂蜜を混ぜて良く練った小麦粉で包み、低温のオーブンでじっくりと焼き固める。甘塩っぱく保存が効くので、遠征には必ず隠して持っていたものである。食べるときは切り分けるのだが、そのまま噛り付くのがウィルヘルムは好きだった。


「キャハハ、じゃあ、ボクはこれね!」


 キラキラと輝く一匹の羽虫が、自分の身の丈よりもかなり大きい菓子を、フラフラと浮いて運んでいる。ウィルヘルムは羽虫を片手で掴むと、落ちていく菓子は義手で受け止めた。どうやらフェアリーの片割れが、ウィルヘルムに付いて来ていたようである。


「ふげェ」


「こやつ、どこから現れたのじゃ」


「おや、フェアリーだね。あんた、フェアリーに懐かれたのかい。大変だねぇ」


 結局、店主はフェアリーの持っていた菓子はおまけしてくれた。


「礼を言え、礼を」


「うるさ……。ボクに食べてもらえるなんて幸運だったね。感謝しなさい」


「ハハハ……」


 店主は笑って流してくれた。礼を言い、ウィルヘルムは店を後にする。フェアリーは懸命に菓子を運ぶと、ウィルヘルムの肩でそれを食べ始める。服に菓子の屑がたくさん落ちるが、フェアリーは気にしてもいない。この小さな生き物の体のどこにそれだけ入るのかわからないが、菓子は全てフェアリーの腹の中に納まってしまった。ポンポンに膨れた腹で飛べなくなった羽虫は、ウィルヘルムの懐に潜り込んで眠ろうとする。


「お前な……。食うのだったら少しは役に立んか。道案内しろ」


「んー……。次の道は右。左には行かない方がいいよ」


「それは道案内なのか? 勘か?」


「さぁ?」


 食べて腹が膨れているうちは、それなりに素直になるらしい。とにかく、右に向かおうとする。しかし、ウィルヘルムの勘が、左から嫌な気配を感じた。道を左に曲がり、さらに奥に向かう。


「ええ? 行かない方がいいのに」


「そうじゃの。だが、気になってな」


 細い路地は建物が張り出して、トンネルのようになっていた。その暗がりの地面に、液体が垂れている。ウィルヘルムは見慣れた液体、血だ。それがトンネルの先に点々と続いている。ウィルヘルムはその後を追った。分かれ道に突き当たり、その先に壁にもたれ掛かる人影があった。ウィルヘルムは慎重に近寄り、その小さな影に話しかけた。


「生きておるか」


「あ、やめて……やめて……」


「心配いらん。わしは何もしない。落ち着いて、ゆっくり息を吸いなさい」


 魔人デーモンの少年だ。顔は殴られたせいで腫れあがり、性別はわからない。生えていた角は根元から折れ、耳は捥げている。

 殴られないとわかったのか、少年はわずかに安堵し、体の力を緩めた。


「誰にこんなことをされた。こんなことを……」


 ウィルヘルムが言うと、少年は朦朧とした様子で答える。


「カリオンが、カリオンが……。あ、早く。早く逃げないと……」


「わかった。わしが守ってやる。今は安心して眠ると良い」


「待って……、お母さんに、お母さんに……。うっ……ぐっ」


 少年は苦痛に身を歪めた。耳を近付け話を聞いたウィルヘルムは、「わかった」とだけ少年に言った。


「フェアリー、鱗粉をかけてやってくれ」


「え、でも、この子」


「頼む」


 フェアリーは懐から外に出ると、少年の周りを回った。影でも輝く鱗粉が少年を覆い、少年は安らかな顔になる。そして、地面を見つめたまま、動かなくなった。ウィルヘルムは少年の瞼を押さえ、静かに閉じてやる。


「死んだの?」


「ああ」


 ウィルヘルムは立ち上がる。


「カリオンとは何者じゃ」


「さぁ、聞いたことあるようなないような……。てか、ボクがそんなこと知るわけないじゃん」


 名も知らない少年だが、ウィルヘルムは服に血が付くのも構わずに持ち上げた。軽い。あまりにも軽い体だ。こんなところで放っておくことはできない。

 血の跡を追ってか、人の気配が近付いて来た。四人の男たちが、路地をこちらに向かってくる。


「おい、毛皮無し。何のつもりだ。そいつは俺のだ。手を出すんじゃねぇ」


 ひとりの魔人の大男が言う。ウィルヘルムは顔を上げた。熊の顔を持つ魔人だ。

 熊の魔人。ウィルヘルムの知っているベアル族とは別の部族ようである。が、生まれつき体格に恵まれ、丈夫な体を持ち、膂力だけなら魔人の中でもピカイチであることに変わりはない。気性が荒くなりがちで、魔人の中でも恐れられている。

 後ろにいる三人は別の部族のようだが、どれも威圧的な容貌で、挑戦的な目線をウィルヘルムに向けている。


「俺の? お前がカリオンか」


「カリオン? 馬鹿か。それはうちの組の名だ」


「組?」


「何も知らねぇやつだ。いちいち、訊いてくんじゃねぇよ、ボケが。大人しくそいつを渡せ。痛い目見たくなきゃな」


「……もう、この子は死んだよ」


「死んだ? ハッ。そうかい。だが、死体もうちの物だ。さっさと置いて消えろ」


 ウィルヘルムは少年の亡骸を地面にゆっくりと置いた。そして、熊の魔人を見上げて言う。


ホウムるのであろうな」


「チッ……。いちいち質問してくんじゃねぇって言っただろうが!」


 熊の魔人の拳がウィルヘルムに振り下ろされる。それでいつもなら終わりだはずだった。人の体は曲がり折れ、生きていたとしても二度と立つことはできなくなる。だが、ウィルヘルムは敢えてその拳を喰らった。肩に振り下ろされた一撃は強力なはずだった。

 熊の魔人の拳が弾かれた。ウィルヘルムは一歩も動いていない。ただ、肩に当たったはずの腕は反対方向に曲がり、振り上げた位置まで戻される。拳は反動で、指が捥げ、腕の骨は粉々に割れた。


「あ、ぎゃっ……‼」


 熊が情けない悲鳴を上げた。それでもウィルヘルムから視線を離さないようにしていたのはさすがだ。暴力にも、痛みにも慣れている。しかし、視線の先にウィルヘルムは既にいなかった。

 後ろで何かが破裂する音が響く。熊は振り返る。そこには頭部がした手下たちが横たわっていた。瞬く間に三人の男の頭が勝ち割られ、その死体の真ん中に恒人が静かに立っている。剣を抜いていない。拳だけで丈夫な魔人の頭蓋骨を砕いたのだ。死んだ子が拳で殴られたように、少しでもこの男たちに同じ痛みを味合わせるために。しかし、残念なことに、全員即死である。

 どす黒い炎のような殺気が空間を満たしていた。振り返った恒人を前に、熊は勝てないことをようやく悟った。こればかりは仕方がないことだ。ウィルヘルムは実力を隠すことが上手すぎる。熊は逃げることも諦め、その場にへたり込むしかない。


「た、頼む……。命だけは勘弁してくれ。命だけは……」


 ウィルヘルムは跪く熊の前に立つ。


「カリオンとはなんだ?」


「……カリオンは、じ、自警団だ。衛兵たちが減ったから、自分たちで身を守るために作った組織だ……」


「この子の死体をどうするつもりだった」


「葬るつもりだった。丁重に……、ギャア!」


 熊の耳が引き千切られた。何をされたのかわからないが、目の前の恒人の手に自分の耳が握られている。


「もう一度訊く。このこの死体をどうするつもりだった」


「……く、あ、見せしめに、通りの壁に磔に……」


「なぜ?」


「うちの組へのを渋ったから……」


「この子が寄付をしなかったと?」


「そいつの親だ。親が金を払わなかった。だから……」


「この子の親の名前は? 住んでいる場所は?」


「父親はメリンだ。目抜き通りの橋の近くに住んでる」


「そうか。最後の質問だ。この子の名は?」


「え、いや、そんな。コ……? コリンだ! コリ……」


 ウィルヘルムの拳が熊の頭を砕いた。脳漿を壁に飛び散らせ、完全に絶命した。例え、死体がゾンビになっても、頭部がなければただの動く肉の塊だ。


「あらら、正直に答えたのに」


 フェアリーが言う。


「いや、こいつはこの子の名前も知らんかった。これだけ痛めつけた子の名前すら知らなかったのだ。生きている価値なぞない」


「あ、そう。てか、血塗マミれだよ。その格好で街をうろつく気? 相当、不審者!」


「ふむ。そうじゃの。だがその前に、目抜き通りの橋とは何処じゃ?」


「今から行く気? 本気? 案内はできるけど……」


「うむ。元々、目立つつもりだったし、構わん。教えてくれ。この土産はお前が全部食え」


「キャハ! ラッキー。じゃあ、付いてきて」


 フェアリーに案内され、ウィルヘルムは来た道を戻り始めた。

 厄介事を拾ってくるなと言われたのに、ほんの一時間のうちに厄介事を作り出すのは、一種の才能である。

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