第11話 ウィルヘルム 道連れをつくる
母リアーシャの遺体を見つけ、レイリアルは安堵した。悲しいが、見つかっただけでも良かった。これで少しは心の整理がつく。
家族の遺体が見つからない者も多い。死後、ゾンビとなった者たちは、街の中を移動しており、酷く傷つけられた状態にあり、身元不明の者が多かった。冒険者や兵士であれば、身元がわかるように入れ墨を入れていたりするが、一般市民ではそうもいかない。そして、いちいち身元確認しながら葬り去る余裕は、今のこの街にはなかった。
死者の数は一万人に達し、行方不明者はその数倍以上である。負傷者は人口の二割、なんかの被害を受けた者は、住人の全てであった。王都ビスト・マリフィスは壊滅したと言っても過言ではない。
結局、丸三日を身元特定と葬送に使い、レイリアルも皆と同じようにその作業(気の毒な話だが、作業としてやらなければ心が保てない)に時間を使った。ようやく、ほとんどの遺体を片付け終わり、全員がひと息つけたとき、レイリアルはひとり、誰もいなくなった道場で剣を振るった。
レヴェナントになった父の姿を思い出し、胸の中に湧き上がる怒りは、呼吸とともに奥深くへと押し込んだ。そして、父の剣を思い出し、反復し、その剣を自分のものとしていく。
「レイ、休むときは休め。体も心も持たんぞ」
いつの間にかウィルヘルムは床に胡坐を組み、疲れた様子でレイリアルを眺めていた。
レイリアルの感覚はここ数日でかなり鋭くなり、近くにある動くことのない遺体の位置を、正確に割り出せるほどにまでなっていた。それなのにウィルヘルムはそこに居り、どんなときも気配を悟らせない。入ってきたことすら気付けなかった。何日も行動を共にしてきたのに、そのことに気が付けたのは、今しがたであった。
「じいさん。王との話はついたのか」
「ああ。魔大陸まで船を出してもらえる。そのまま上陸させてもらえるわけではないだろうが……」
要求が通ったのに、ウィルヘルムの顔色は優れないのは、レイリアルのことを考えたからだ。
ここ三日間ほど、レイリアルは獣の相から戻っていない。最後に普段の彼女に戻ったのは、ギリムを倒したときが最後である。レイリアルは冷静なまま、遺体を片付け、街の復興に従事していた。涙も流さず、弱音もひと言も口にしない。年端もいかない少女がひたむきに動く姿に、人々は感銘を受けていたが、ウィルヘルムは憂うばかりだった。
失った右腕があった場所に鋭い痛みが走り、ウィルヘルムは左手で傷口を押さえた。既に傷口は魔術によって治癒しているが、感覚だけが残っているのだ。
「大丈夫か? あんたこそ無理をするな」
そう言われて、ウィルヘルムは苦笑した。年寄り扱いは慣れているが、今では本当に歳を取ってしまった気分だ。
自分がいつ死ぬかわからない。未来が暗くなり、レイリアルに伝えるべきことを、伝えられなくなる事態を恐れるようになってしまった。父アルフがウィルヘルムに厳しく全てを教えようと躍起になっていたのは、こういうことだったのかと今更ながら理解した。
亡くした子が生きていたなら、レイリアルと同じくらいの年齢だっただろう。ウィルヘルムは彼女の両親を二度も死なせてしまった。そのことを伝えて置かなければならない。最悪のタイミングかもしれないが、死に際に言い残すことになるよりはマシな気がしたからだ。
「お前さんに言っておかねばならないことがある。聞いてくれるか」
レイリアルは何も言わずに、向かいに座り込む。それを同意の合図と受け取り、ウィルヘルムは話し始めた。
「お前の両親についてのことだ。お前の……本当の両親について、話しておかねばならん」
レイリアルは頷いただけで、動揺した様子はない。
「ああ、そうか。あんたの剣……。あのとき、助けてくれたのは父だと思っていたが、じいさんだったのか」
ウィルヘルムは驚いた。レイリアルは何も知らないとばかり思っていたが、そうではなかった。
「知って……、いや、思い出したのか。いつから……」
レイリアルは小さく息をつき、少しだけ目を瞑った。
「父に……レヴェナントに剣を向けられたときに。記憶が一気に溢れ出した。幼いとき、母と弟の死体のそばで、あんたの戦いを見ていた。……あんたが本当の父を殺したのか?」
ウィルヘルムは首を縦に振ろうとしてしまったが、事実をしっかりと伝えなければならないと思い留まる。
「そうではない。そうではないが……、わしが殺したも同然だ。お前の本当の父はオルソー・ミゲルソン、母はエリアル。父親の方はリアーシャの兄で、ミゲルソン家の正式な跡取りだった。そして、オルソーはわしへの報復で殺されたのじゃ」
「報復?」
「当時、この国は、表向きには平和であったが、実際は裏で工作、陰謀、暗殺が酷い状態であった。わしを騎士に任命しようとした動きは、王がそう言った状態を憂いた結果じゃ。当時の王はわしに
「必要ない。あんたの剣を見ればわかる。後ろ暗い仕事だったということだな」
ウィルヘルムは静かに頷いた。レイリアルはとっくに気が付いていた。ウィルヘルムの剣は、新地流のさらに先にある。それは暗殺剣。音もなく、正体を悟られず、気付かれる前に斬り抜ける。ある意味で、最強の剣である。
「わしはヘマをし、その貴族のひとりがわしの関係者に攻撃を始めた。オルソーは貴族でありながら、わしと親しくしておったから、報復の対象となったのだ……」
レイリアルは黙って聞いていたが、ウィルヘルムが言い淀んだところで口を挟んだ。
「……別にそれに罪悪感を覚える必要はない。あんたは王国側で、父も同じ道を歩んでいた。それだけだろう。それよりも気になるのは、私の家族を殺した貴族は、生きているのか?」
レイリアルは顔色ひとつ変えずにそう言った。だが、その瞳の奥には、殺意の炎が灯っているのをウィルヘルムは感じ取った。
レイリアルの獣の相は、感情を抑え込むような形で現れる。だが、何も感じていないわけではない。まるで燻る火に息を吹き込み、少しずつその火を大きくするかの如く、内側に溜め込んでいる。
ウィルヘルムは首を横に振った。
「完膚なきまでに完全に、一族郎党幼い子どもまでも、全員を殺した」
その言葉に動揺はしなかった。レイリアルが抱える怒りは、ウィルヘルムにも覚えのあるものだ。
「リディナーとリアーシャは、孤児となったお前を引き取り、我が子として育てた。二人の間には丁度、子どもが居らなんだから、二人とも喜んでお前さんを迎えたよ。だが、リディナーはひとつ決め事をしたようだ。お前さんには剣は教えん、とな。幸いと言っても良いものか、お前さんは襲撃時の記憶を失い、リディナーとリアーシャを本当の親として受け入れてくれた」
それが何の解決にもならないことは、皆理解していた。だが、平和の世の中にレイリアルの剣は不要だと考えたのだ。
「だから……、お前さんに剣の才能があることがわかって、何の因果が巡ってきたのかと思った。若き者を育てることが、新地流の信念であり、わしが長年積み上げてきた実績じゃ。それが今、重荷となっておる」
ウィルヘルムはひと呼吸おいてから、レイリアルを真っすぐ見つめた。
「邪魔をすることはせん。お前さんとともに修羅の道を突き進むことも厭わん。だが、聞かせてほしい。魔大陸に渡れば、戻ることは叶わん。死ぬよりもつらい目に遭うかもしれん。それでも、お前さんは進み続けるか。復讐に身を焼くか」
レイリアルもウィルヘルムの目を真っ直ぐに見つめる。そして、躊躇なく頷いた。
「進み続ける」
「それがリディナーたちの意思を無視することになってもか」
レイリアルはその言葉にも怯まなかった。
「もし、ただ殺して回るだけならば、やめるべきかもしれない。けど、この復讐は必要なものだと思う。国のためにも、多くの人のためにも。こんなことをしでかす者は、生かしておくことはできない」
こんなこととは、この街で起こった殺戮のことだ。魔王がこの国を支配しようとしているのか、滅ぼそうとしているのかはわからない。それがこの国だけで終わるとも思えない。世界に向けて、こんな殺戮を行うつもりであるならば、多くの人にとって有意義な復讐となる。レイリアルはそのことを言っているのだ。
ひと振りで、より多くの人々を助ける。最も効率的に戦うこと。それはどの戦士も目指すべき、極意とも呼べる場所だ。
レイリアルは誰に教わることもなく、その境地に達しようとしている。ウィルヘルムはその事実に身震いし、自身も覚悟を固めた。
「……わかった」
ウィルヘルムは膝を勢い良く叩いてから立ち上がった。
「よし! お前さんが気にしないというのなら、それで結構。辛気臭い話は終わりじゃ。それでは、レイ。何かわしに言っておくことはないかね」
「?」
終わりだと言ったのに、恨み辛みでも聞きたいのだろうか。レイリアルが考えていると、ウィルヘルムがソワソワとし出した。
「ほら、あるじゃろ。幼いときと、三日前にやってもらったじゃろ。そういうときは言うべきことがあるじゃろ」
レイリアルはウィルヘルムが言っていることがなんとなくわかったが、なんだか本人に促されるのは疑問である。それにお互いさまという言葉もある。
「一回目はあなたのヘマのせいだと……。二回目はお互いさまでは……?」
「良いじゃよ。こういうのは言い得というものじゃ。何もわしが言ってほしくてこう言っているわけではないぞ。これからも助け合っていくために、言っておかねばならんのじゃ」
「……」
なんとなく腑に落ちないが、確かに減るものでもない。
「助けてくれてありがとう。これからもよろしく」
「こちらこそ、ありがとう。生きていてくれてな」
レイリアルは簡単に言った。ウィルヘルムが満足そうに大きく頷くと、レイリアルの氷のような表情が少し融け、頬に紅が指した気がした。
◆
街の中にある兵舎には、小さな地下牢が備えられており、犯罪者を捕えておくことができるようになっている。本来は一時的な牢であるが、今、その場所には重要人物が収められていた。
だが、人手は足りないばかりである。そのため、二人の兵士のみが、兵舎に詰めていた。
「お疲れさま。これ、食事」
そういって現れたのは、ひとりの女だ。軍の格好ではないが、今はどこも人々が助け合って生きている。
「おお、ありがてぇ。交代も来ないからどうするか迷っていたんだ」
そう言って兵士たちは女から
「ん? そっちの篭は?」
女がふたつ篭を持っていたに気が付いた兵士が訊ねる。
「牢屋に捕まってる人がいるって聞いたよ。その人の分」
「そうか。じゃあ、置いといてくれ。俺たちで渡すから」
「わかったよ」
女が篭を置く。が、出ていこうとしないので、不思議に思って彼女を見た。
「何かまだ用があるのか?」
突然、隣の兵士が机に突っ伏して眠り始めた。
「おい。どうした……」
同僚の様子を確かめようと立ち上がったもうひとりの兵も、足元がふらつき立ち上がれない。女が椅子を差し出し、兵士を座らせる。すると兵士たちは寝息を立て始めた。
女がスカートの中からロープを取り出し、兵士たちを縛り上げ椅子に固定する。慣れた手際である。そして、鍵を奪い取ると、地下へと続く階段に入っていく。
地下は二つの大きめの牢があるだけで、簡単な造りである。探し人を見つけるためにうろつく必要もない。
「ガナー。起きて。立てる?」
女は魔王軍の工作員セッカであった。彼女はこの街の
「セッカ、どうしてここに? ベルトリアに戻ったはずじゃ……」
薄暗い地下牢にいるガーネルトムは、その黒い毛皮のせいで本当に影のようである。その黄色い瞳だけが、暗闇に輝いていた。
「後で説明するから。行こう」
セッカは牢と扉を開け放つと、ガーネルトムに出るように促した。しかし、ガーネルトムは牢の隅で座ったまま動こうとしない。
「怪我してるの?」
「いや……。私は牢を出る気はない。セッカ、ベルトリアに戻って、事の顛末を伝えてほしい」
ガーネルトムの声は沈んでいる。いつもの自信に溢れた物言いは鳴りを潜め、小さく体を丸めている姿勢は、およそ彼女らしくない姿である。
「何があったの……。ギリム少佐はあなたが別の任についたと言っていたけど……」
もしかして、こうして牢に入っていることも作戦の内だったのだろうかと心配したセッカだが、ガーネルトムの言葉に絶句した。
「作戦は失敗した。ギリムは暴走し、この有様だ。だから、私がギリムを殺した」
「……」
セッカが呆然としていると、ガーネルトムは話し続ける。
「我々は最悪の結果を招いた。大虐殺の上、海上での電撃作戦に失敗。多くの国々がモントベルグ王国の支援に乗り出すだろう。私はこの国で処分を待つ。何千人という一般市民を殺したのだ。極刑だろうが……、甘んじて受け入れるつもりだ」
「そんな……、そんなことって……」
セッカも城が吹き飛んでいることも、多くの死者が出たことも知っていた。だが、それがギリムのやったことだとは思ってもいなかった。
作戦が前倒しにされると聞いたとき、当然ギリムは海上の戦力と連携していると考えていた。だが、一向にセッカの迎えの船はやって来ず、遅れてやってきた艦隊との正面切っての海戦が始まってしまった。だから、状況確認のために、王都に戻ってきたら、酷い有様であった。
しばらく一緒に暮らしていた人々が、自分たちのせいで死んでいった。大量虐殺に手を貸し、重要な作戦は失敗。ベルトリアに戻ったところで、処刑は免れないだろう。
吐き出しそうになるのを堪え、セッカは牢の格子にもたれ掛かる。
「お友達かね」
突然、知らない声が牢に響き、セッカは反射的にナイフを抜き身構えた。絶望の最中にあっても、長年の訓練は実を結ぶものである。
「ウィルヘルム……!」
ガーネルトムが立ち上がり、爪を出し、牙を剥き出した。セッカを斬られると思ったのだ。
音もなく現れたのは、ウィルヘルムである。利き腕を失くしたとしても、ガーネルトムもセッカも一瞬で片付ける実力は残っているだろう。
「落ち着け。何もせんよ。お嬢さんが兵士たちを生かしておいてくれたからな。これ以上、わしも死人を見たくはない」
セッカは背筋が凍った。兵士たちには眠り薬を盛った。そのまま、止めを刺さずにおいたのは、なるべく穏便に済ませたいという気持ちがあったからだ。もし、殺していたなら、何が起こったかもわからないまま斬られていたことは、容易に想像できる。
ガーネルトムがセッカのナイフを持った手を押さえた。
「ウィルヘルム、どうか見逃してほしい。私は逃げるつもりはない。彼女は……関係ない」
「見逃すか。構わんよ、別に。それよりもベルトリアに帰りたいんじゃろう。一緒に連れてってやる」
ウィルヘルムは返事を待たずに牢を出てしまった。ガーネルトムとセッカは顔を見合わせた。
「何? 罠?」
セッカが訊ねるが、ガーネルトムもさっぱり事態が読めなかった。
詰所の部屋で、ウィルヘルムは親指で眠る兵士の背中を突いた。二人は突然の激痛に、眠り薬も忘れて飛び起きた。そして、目の前に英雄ウィルヘルムがいるのだ。ついでに心臓も飛び跳ねた。
「ベルン卿! 申し訳ありません! い、居眠りを……」
「気にするな。皆、疲れ切っておる。それより、許可証じゃ。置いておくぞ」
ウィルヘルムはガーネルトムの引き渡しに同意する王の許可証を机に置くと、代わりに眠り薬の入ったワインを持って行ってしまう。ウィルヘルムに続いて、ガーネルトムと食事を運んできた女が出ていくのを、兵士たちは何もできずに見送った。
◆
レイリアルは道場をうろつく薄着の幼女に飛び上がって驚きそうになった。亡霊でも出たのかと思ったのだ。
「リンドー⁉ 髪の毛はどうしたの?」
リンドーは体を覆い尽くす程の髪を、耳元でバッサリと切ってしまっていた。
「あ、いたいた。ちょっと見てほしんだけど」
リンドーが手招きすると、個室にレイリアルを呼ぶ。そこには別のリンドーが立っていた。
「リンドーがもうひとり……?」
レイリアルの隣にリンドーはいるのに、部屋の真ん中にもリンドーが立っているのだ。
「身代わりゴーレムだよ。どんな感じ? あたしに見える?」
どうやら消耗した特別製ゴーレムを作り直したようだ。精巧に作られたそれは、リンドーの姿にそっくりである。見た目だけでなく、漂う気配も彼女そのものだ。
「そっくりだけど……、髪の毛が」
レイリアルとしては、女の子(?)が髪の毛を短く切ってしまったことの方が気になった。
「ああ……。身代わりゴーレムは自分の体の一部を使うからね。このときのために伸ばしてたんだから良いのさ」
リンドーが短くなった髪の毛を触りながら言った。レイリアルも同じようにする。
「私も切ろうかな。邪魔だし……」
「やめてよ。そんなことしたら、あたしがウィルヘルムに嫌味を言われるんだから」
そんな話をしていると、玄関が開く音がした。ウィルヘルムが帰ってきたらしい。リンドーは身代わりゴーレムから上着を剥ぎ取ると、急いで着た。そして、何事か唱えると、身代わりは小さな人形に変わり、リンドーの懐の中に仕舞われる。
二人が玄関に向かうと、ウィルヘルムと話しているのは知っている顔だ。それともうひとり知らない顔がある。
ガーネルトムはレイリアルの姿を見止めると、目線を下げてしまった。この道場に乗り込んできたときとは大変な違いだ。怯える雛のように押し黙ってしまう。ウィルヘルムに負け自信を失い、仲間を斬って立場を失い、大勢の人々を殺した罪悪感が、その心に大きな影を落としていることを、レイリアルは感じ取った。
「ガーネルトム」
「……レイリアル」
呼びかけられて、ようやくガーネルトムは目を合わせた。二人の間に微妙な空気が流れ、リンドーはレイリアルが斬りかかるのではないかと心配したが、杞憂に終わった。
「あんたには助けられた。ありがとう」
レイリアルが自分の胸に手を置いて、ガーネルトムに最上の感謝を伝えた。言われた方は驚きのあまり固まってしまった。
「おお! 偉いぞ、レイリアル! ちゃんと礼を言えたな。褒美に抱きしめてやろう」
「やめろ!」
ウィルヘルムが両手を広げてレイリアルに向かっていくので、彼女はそれから逃れるために玄関をグルグルと回った。ガーネルトムたちは目を白黒させながら見守ったが、リンドーがウィルヘルムを止めたので、戦いはそこで終わった。
歯を剥き出して威嚇しているレイリアルに、ガーネルトムが訊ねる。
「どうして、礼を? オレは……、お前の……家族も友人も殺したも同然だ……」
レイリアルは表情を戻し、ガーネルトムを見た。
「あんたが自分の仲間を殺さなければ、私は死んでいた。助けられたら礼を言うのは、普通のことだろう。減るもんじゃないからな」
あっさりと言うレイリアルの華奢な姿が、ガーネルトムには大きく感じた。何故か全身が震え、足に力が入らなくなる。そして、幼子のように泣き出した。感情が爆発し、自分が一体何をしているのかもわからなくなった。
セッカはガーネルトムを肩で抱え、ベンチに座らせた。こんな彼女の姿を見るのは初めてであった。練兵場ではいつも一緒に居たが、辛い訓練にも一切の弱音を言わず、ただただ邁進する彼女にセッカは付いて行こうと必死だった。それが今はこんなにも無力感に打ちのめされている。
「ガナー……、大丈夫……、大丈夫だよ。私が一緒にいるからね」
セッカはガーネルトムの大きな体を抱きしめると、彼女は弱々しく抱き返し、顔を埋めて啜り泣き始めた。
その様子を黙って見ていたレイリアルは我に返り、ウィルヘルムに囁き訊ねた。
「何か、まずいことを言っただろうか……」
「いや……」
ウィルヘルムたちはガーネルトムが落ち着くのを黙って待った。
◆
セッカは傭兵であったが、正規兵になるために魔王軍の門を叩いた。それは打算の結果だ。
傭兵として一生を過ごすことはできないと、常日頃から思っていたセッカは、どこかで仕官しようと考えていた。新興の魔王軍では人手が不足し、
ただ、訓練は傭兵時代とは比べ物にならないくらいの厳しいものだったが、やはり安定した収入と、安全な寝床は魅力的だった。
ガーネルトムと出会ったのは、そんな折である。同じ女であり、同室を割り当てられた。彼女も志願兵であるが、セッカとは違い高い
ガーネルトムの部族であるファンテラ族は、隠密と工作を得意とする部族である。その魔法の加護の力は、あらゆる探知を無効化し、暗闇に姿を晦ますことができる。隠密としての情報収集、敵地に侵入しての破壊工作、そして、暗殺者としての才能がある。
しかし、ガーネルトムは敢えてその強みを捨て、一兵卒として身を立てることで、部族の地位を高めることを目的にしていた。自分にも他人にも厳しい彼女は、良く上司に反発し、部隊を追い出されるという問題児だった。それでも、彼女は実力で示すことで、手を差し伸べる者も多かった。そんな、我が道を往くガーネルトムを、セッカは憧れを持って見つめていた。
今、目の前で少女のように泣きべそを掻いているガーネルトムは、同じ人物だとは思えなかった。ただ、そうなる気持ちも理解できる。セッカも泣き出してしまいたい気持ちは同じだ。ただ、自分まで心崩してしまえば、誰がガーネルトムを支えるのかと考えると、しっかりと両足で立っていなければならない。
「落ち着いた?」
リンドーが食事を机に置いた。ウィルヘルムたちは気を使ってか、別の部屋に行ってしまった。見張りもつけずにいることは、信頼されているのか、舐められているのかどうか、セッカには測りかねた。
「貰っても良いのか」
セッカが遠慮がちにそう言うと、リンドーは頷いた。
「もちろん。あたしたちはもう食べたから、全部食べちゃってね」
セッカもガーネルトムも、食べ物が喉を通る気分ではなかったが、無理矢理にでも胃に詰め込んだ。食べられるときに食べておかなければ、次に機会があるとは限らない。
「終わったら、道場のほうに来て」
そう言うとリンドーは去っていく。また、見張りはいなくなり、いつでも逃げ出せるが、ガーネルトムは動こうとしないため、セッカも残る。食事をすると心安らぐもので、ガーネルトムの瞳にも光が戻って来ていた。
「ガナー、行こう。とにかく、話を聞いてみよう」
「ああ……」
気怠い体を引き摺りながら道場に行くと、レイリアルとウィルヘルムが向き合っていた。不思議なことに、ウィルヘルムの失くしたはずの右腕には、しっかりとした腕が付いている。ただ、剣は左手に持っている。
レイリアルが動き、ウィルヘルムに斬りかかる。
二人は数合撃ち合ってから跳び退り、再度向き合った。どちらも真剣をであり、一歩間違えば大怪我を負うだろうが、どちらもそんなことは気にしていない。実戦と違うところは、掠り傷や細かい技で相手の体力を奪っていくような組み立てはせず、あくまでも一撃必殺を狙っているところだ。
レイリアルという華奢な少女が、ここまで動けるとは思ってもみなかったセッカは、目を丸くして立ち合いの様子を見守った。レイリアルが持っているのは、彼女には似つかわしくない大きく無骨な剣である。セッカは知る由もないが、フィリームズが使っていた新地流用の剣だった。それを手足のように扱い、ウィルヘルムの剣を往なしていく。
(早……。私より動けてるんじゃ……)
レイリアルが足を使い、ウィルヘルムを翻弄しようと左右へと動くが、ウィルヘルムは左手一本で楽々とそれを捌いていく。ウィルヘルムが攻めようと、振りかぶった。脇に隙が生まれるが、レイリアルはそれを誘いだと受け取った。後ろに下がりながら、剣を振って牽制する。
距離を取れるはずであった。しかし、ウィルヘルムの速度はレイリアルを圧倒していた。一合撃ち合い、二合目は受けきれなかった。レイリアルの肩にウィルヘルムの剣が乗せられた。
「参りました」
「ありがとうございました」
お互いに剣を仕舞うのを待って、リンドーがウィルヘルムに言った。
「右手の調子はどう?」
「うむ。はやり、剣を握るには力が足りんが、左右の均衡を保てるだけでも儲けもんじゃ。日常生活には支障はなさそうだし、助かったわ。ありがとう」
「……たったの数日で、そこまで使い熟せる人間がいるとは思ってなかったけど……。無理はできないことだけは覚えておいてよ」
「うむ」
ウィルヘルムの右腕は、リンドーのゴーレムの魔術を応用して作った義手である。ウィルヘルムの髪の毛を触媒にして作らており、見た目は生身そのものだ。ただ、本来の利き腕として使えるほどの性能は持ち合わせていないらしい。
話が終わると、ウィルヘルムはガーネルトムたちを見た。
「もう、落ち着いたのか」
「……取り乱して申し訳ない。もう大丈夫だ」
二人の立ち合いを見ていたら、ガーネルトムは少しだけ元気が湧いてきた。そのことに自嘲する。結局、自分は根っからの戦士で、部族を背負った者などではない。謀略や暗殺に嫌気が差して逃げ出しただけだと、正直に考えられた。
「ウィルヘルム。魔王を殺しに行くのか」
ガーネルトムが出し抜けに言った。セッカはその言葉に驚いた。
「そのつもりじゃ」
事も無げに言ってのけるウィルヘルムに、セッカは再度驚愕する。
「本気なのか⁉ いや、気持ちは理解はできるけど……。いやいやいや、理解できないが、ちょっと無謀な話じゃないか⁉」
ウィルヘルムはニヤリと笑う。
「セッカとか言ったか。考えてもみろ。戦いというのはやられたらやり返す。その繰り返しじゃ。魔王軍が少数でこれだけの戦果を上げたのじゃ。であれば、こちらもそれなりの功を立てねば釣り合いが取れまい」
「殺戮を行うと?」
「まさか。狙うは魔王の首のみ。まぁ、その過程で他の者を斬ることもあるかも知れんが、必要最低限に抑えるつもりだ」
「……」
この壮年の戦士は、本気で魔王を斬るつもりである。だが、魔王の力を目の当たりにしたことのあるセッカには、そんなことは不可能にしか思えない。
「魔王は……、魔王は、人の力を超えている。あんなものにひとりで勝とうなんて、ただただ命を捨てに行くようなものだ……」
「ほう……。魔王の力を知っておるのじゃな。やはり、生かしておいて良かったわい」
その言葉にセッカはギクリと肩を震わせた。このままでは済し崩しで魔王軍を裏切ることになり、それどころか暗殺に手を貸すことになってしまう。助けを求めるようにガーネルトムを見たが、彼女はそんなこと気にも留めていないようである。
「オレも連れて行ってくれ。必ず役に立つ」
「ガナー……⁉」
セッカは正規兵である以上、それなりの忠誠心は持ち合わせている。それはガーネルトムも同じのはずである。
「本気なの⁉ そんなことをしたら、部族の人たちが……」
セッカとガーネルトムの違いは、家族が同じ軍に所属しているかどうかである。セッカは天涯孤独の身であるが、ガーネルトムには親兄弟もいる。そして、部族の多くの者が、魔王軍に所属している。生まれ育った村もベルトリア大陸内にある。一族全員を人質に取られているのも同然なのだ。
「わかっている。だが、このまま魔王軍の元にいても、一族は同じ道を辿ることになるだろう。オレはもう魔王を信じられない。セッカ、オレたちには責任があると思わないか。これだけ無為に人々の命を奪っておいて能天気に生きていけるほど、図太い性格じゃないだろう、オレも、お前も。それにここで断れば、ウィルヘルムは容赦なくお前を斬るぞ」
理屈ではわかっていることだ。
セッカは傭兵時代と同じように損得だけで考えて、思いっきり良く決断できるほど、もう若くはない。感情的にはガーネルトムの言うと通りだが、その決断で命を捨てることは考えたくもない。何年もともに過ごした魔王軍の兵士たちを裏切るのも……。
「フフ……フフフ……。楽しいそうじゃない。逆境こそ生きる道だよね。魔王を裏切って、魔王を殺す。仲間を手にかける裏切り者の兵士……。悪くないかも……」
セッカの少し自暴自棄な物言いに、ガーネルトムは少し目を見開いた。
「お前……、そんなやつだったか?」
「悪いけど、私はこんなやつだよ。そうじゃなければ、魔人だらけの魔王軍に入ろうとすると思う?」
「……」
唖然とするガーネルトムを尻目に、セッカはウィルヘルムに向き直った。
「わかりました。協力はします。けれど、それなりの取り分は欲しい。兵を辞めるんだから、私は傭兵に戻る。いくら出しますか?」
ウィルヘルムは何とも言えない顔をしてから、喉を鳴らして笑う。
「良いじゃろう。生きて帰れたら、金貨百枚。それがわしの出せる精一杯じゃ。これは手付金じゃ。必要な物を買うと良い」
ウィルヘルムは金貨を一枚、襟の隙間から取り出して、セッカに投げて寄こした。
「断っておきますが、忠誠は期待しないでください」
「わかっておる。忠誠は金では買えん。だが、命は懸けてもらうぞ」
金貨一枚で、庶民的な生活が五年は続けられる。それが百枚もあれば、残りの人生は遊んで暮らせるだろう。
セッカは金貨を掴むと、頷いた。
「あー。盛り上がってるところ申し訳ないけど、あたしは嫌だからね」
リンドーが水を差すようにウィルヘルムに告げる。
「そうか、リンドー。世話になったな。尽力に感謝するよ。お前さんがおらんことで、これから苦労もするだろうし、レイリアルが命を落とすことになるかもしれんが、それはお前さんのせいじゃない。だから心配するな」
「……」
ウィルヘルムが意味深長でもなくそう言うと、リンドーは額に青筋を立てながら地団駄を踏んだ。
「あー、ムカつくムカつくムカつく! わかったよ! 行けばいいんでしょ! 行けば!」
「フハハハ、乗りかかった船というやつじゃ!」
ウィルヘルムの口車に乗せられると、誰もが言うと通りに動いてしまう。
ここに五人の魔王暗殺隊が結成された。
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