第10話 ウィルヘルム 屍霊術士と相対する

 ゾンビたちの動きは遅く、ゴーレムと手練れの戦士の敵ではない。

 ひとりはゾンビたちが落とした剣を集めるのに奔走する。背骨を断ち切るのに、剣の耐久を気にしている余裕はない。レイリアルを含む戦士たちは、剣をほとんど使い捨てるように取り換えていく。ただひとり、ウィルヘルムだけが自分の愛剣を使い続けた。

 それだけ戦っているにも関わらず、ゾンビの数は一向に減らない。街の全ての住人がゾンビに変わってしまったのではないかと、皆は思い始める。もしそうであるならば、ゾンビの数は百や二百どころではない。王都には数十万人の住人がいると言われていたのだ。たったの十数人で全滅させるには無理がある。

 皆の限界が近付いて来ているのは明白だ。


「リンドー、ゴーレムを一体使うぞ!」


 ウィルヘルムの声で、リンドーはゴーレムの一体をゾンビの群れに突撃させた。ウィルヘルムは突撃したゴーレムの背中に跳び、剣を深々と突き立てる。素早くウィルヘルムがリンドーの隣まで退くと、ゴーレムの体に亀裂が入り、そこから強烈な光が漏れ始める。


「伏せて! 爆発するよ!」


 リンドーが叫ぶとゾンビに囲まれたゴーレムが強烈な光とともに砕け散る。轟音が響き、石の破片が周囲を飛び散った。戦士たちは他のゴーレムの影に隠れ、その爆風をやり過ごす。ゴーレムは力を伝える核を持っている。その核にウィルヘルムの魔力を一気に注ぎ込むと、力は暴走し、岩石が破裂するほどの爆発を生む。昔開発したリンドーとの連携技である。

 大量に押し寄せていたゾンビのほとんどが爆風に巻き込まれる。破片と衝撃で道が生まれる。戦士たちは顔を上げ、次の戦いに備えた。


「一の郭へ向かう」


 ウィルヘルムが言う。フィリームズが困惑の表情を向ける。


「でも、一の郭にはゾンビがもっと……」


 多大なる破壊により、一の郭の壁内はほとんどは吹き飛んでいるはずだ。そして、街がこの状況ならば、もっと多くのゾンビがいるかもしれない。


「……街の奥に進むにつれ、ゾンビは少なくなっている。一の郭にはゾンビはいない。すべて消し飛んだからな」


 ウィルヘルムは無慈悲に言った。それは兵も将も王も、この国から消え去ったことを意味する。皆、わかってはいたが、口にはしなかったことだ。亡国。そのひと言が、脳裏をヨギる。


「離れの倉庫には、油壷がたんまり蓄えてある。その油でこの街を焼き尽くす」


 人の死体を放置すると、ゾンビへと変わってしまう。それは過去に古代魔術師によって、この世界の理が書き換えられてから、変えられない事実だ。人々はそれを防ぐために、死体は必ず火葬にする。

 街を焼けばゾンビも焼け死ぬだろうが、この壮麗な街並みも、暮らしてきた家も、良く食べていた飯屋も、思い出も、すべてが消える。だが、誰も反対しなかった。もう、そんなことを言っている場合ではないことは、スベカラく明らかだったからだ。

 ウィルヘルムもこの街で育った。出会い、別れ、命を育んだ。それでも、責任ある者として、決断しなければならない。


「じいさん……、先生……、でも、お父さまとお母さまが……」


 レイリアルが震える声で言った。その顔は少女の顔だった。目に涙を浮かべ、両親がどうなったのか理解していた。それでも死体を見るまでは諦められない。手には剣を持ったままだが、獣の相が消えている。


「レイ、戦うことだけを考えろ。剣をしっかり握り、その重みを感じろ」


 道場の剣は折れてしまい、レイリアルが今、持っている剣は拾った物だ。小さな手には太すぎる柄に、長い刃である。が、彼女が目を瞑り、体の力を抜いて構えると、長年、愛用している得物のように、彼女の姿にピタリと一致し、隙が消えた。


「……動揺してしまった。すまない」


 そう言って目を開くと、レイリアルの表情は冷たくなっていた。


「行くぞ」


 ウィルヘルムは他に何も言わず、一の郭へ繋がる道に進む。戦士たちも続こうとしたとき、ウィルヘルムが足を止めた。


「一の郭へ向かうのは中止だ。撤退する」


 突然の方針転換に、戦士たちは驚いた。ウィルヘルムは後ろを振り返り、再び集まり始めたゾンビたちに向かい合う。


「ベルン卿?」


 戦士たちが突然、様子の変わったウィルヘルムに不信感を覚える。何かの精神的な魔術にかかったのかとも思った者もいた。だが、突如響き渡る剣戟音に、事態の深刻さを理解した。ウィルヘルムが飛び込んできた歩く死体の剣を受け止め、その体を弾いて元の位置に戻った。

 歩く死体は、ゾンビではない。赤く輝く瞳に、胸を抉られた姿。レヴェナントである。ただ、その姿は良く見知っている人物だった。


「リッド……」


 リディナー・ミゲルソンはレヴェナントと化し、そこに立っていた。


「あり得ない……、あり得ない! そんな……」


 フィリームズが半ば狂乱した様子で言う。

 ウィルヘルムは目を閉じた。隙の生まれる危険な行為だ。だが、そうせざるにはいられなかった。息子のように可愛がっていた自分の一番弟子が、死人となって目の前に立ち塞がっていることを認めたくなかった。


「お父さま……」


 その呟きに、ウィルヘルムは目を開けた。そして、その姿をしっかりと見据えた。リディナーに、レイリアルを斬らせるわけにいかない。

 リディナーだとは認識できる姿。その姿は面影が残っているだけだ。赤い星の宿った瞳。血の気のない顔色は、ゾンビの体液で汚れている。心臓が抉り取られた体は、血に塗れていた。そして、その手にあるのは……。


「全員、構えろ! 目に見えない攻撃が来るぞ!」


 レヴェナントが魔剣を掲げた。不愉快な悲鳴が辺りに響き渡る。魔剣『イカラス』が、その力を発露させようとしている。ウィルヘルムはこの技を熟知している。この叫び声を聞いた者は、逃げることは叶わない。

 魔剣に宿る魔術は、単純なものだ。音を聞いた者に、鞘に納めるひとつ前の行動と同じ攻撃を喰らわす。あまりにも単純すぎて、恐ろしいほど強力だ。敵も味方も関係なく無差別に攻撃する。一歩間違えば、味方を全滅させることになりかねない。が、不死者であるレヴェナントはそんなことは気にはしないだろう。例え味方のほうが多くとも、躊躇なくそれを放つ。まさに災厄だ。

 不可視で不可避の攻撃だが、防ぐ方法はある。

 ひとつは、剣の動きを良く見て、不可視の攻撃に合わせて防御すること。もっとも簡単だが、確実性は低い。そして、魔剣の魔術を理解していない者にはできないことだ。もうひとつは、鞘に収める前に、瞋を手放させることだ。それで儀式は完了せず、不可視の斬撃は発生しない。最も確実な方法だが、最も難易度は高い。


「わしの動きを真似しろ!」


 その声に反応できた者は少なかった。できたとしても、防げるものではない。

 ウィルヘルムはリディナーの動きを見て、その斬撃の方向を予測した。不可視の斬撃を受け止める。瞋の不可視の刃は、どの場所から来るかわからない。ただ、全ての斬撃の角度は共通している。

 リディナーが魔剣を鞘に収めた。

 ウィルヘルムの勘が、凍えるような死の気配を感じ取り、体を回転させた。瞋の斬撃と剣がぶつかり合い、手が痺れる。ウィルヘルムは不可視の斬撃を己の斬撃で相殺した。そして、それと同じことができたのは他に誰もいなかった。

 斬撃が周囲の者を薙ぎ倒す。ゾンビも、突然の斬撃に倒れ伏す。戦士たちは全員絶命し、ゴーレムも倒れ、リンドーの小さい体も切断された。

 ウィルヘルムの動きを完全に真似ることなど不可能だ。そして、魔剣の力を知っていたフィリームズは、咄嗟にレイリアルの盾となった。ウィルヘルムの動きから斬撃の来る方向を予測し、自身の防御は考えず、レイリアルを守ることだけを思っていた。それは訓練の賜物だ。血反吐を吐くほどの長い時間をかけた訓練により、フィリームズはそれを可能にしたのだった。

 動いている者は、ウィルヘルムとレイリアル、そして、リディナーだけとなる。

 ウィルヘルムは駆け出した。二撃は防ぎきれない。リディナーから剣を奪わなければならない。幸いなことに、他のゾンビも、今の攻撃で行動できなくなっている。

 一対一、いや、二対一だ。レイリアルも駆け出していた。示し合わせたわけではないが、お互いにやることはわかっていた。仲間の死を嘆きことはできない。父の死を悲しむこともできない。戦いがウィルヘルムとレイリアルの心を満たしていた。

 ウィルヘルムとリディナーという、常識の範疇を超える二人が撃ち合う。

 そこに剣を持ってたったの二週間程度のレイリアルが入る余地はないはずだ。それでも、レイリアルは喰ってかかった。レヴェナントと化したリディナーは、娘と師という二人を相手しても、剣が鈍ることはない。冷酷で正確無比な一撃が、レイリアルを殺そうとする。そのたびに、ウィルヘルムは彼女を庇うが、少しずつその必要がなくなっていく。

 レイリアルは戦いの中でこの二人の動きを吸収し、圧倒的な速度に追いついていった。徐々にウィルヘルムとの連携が増していき、リディナーを追い詰めていく。ウィルヘルムの剣が、リディナーの首を掠める。

 もう少しで勝てるかもしれない。ただ、時間をかけ過ぎた。

 赤い亀裂が足元に見えた。背筋が凍る気がして、ウィルヘルムはレイリアルの脇腹を蹴り、吹き飛ばす。自身はリディナーを牽制するのと同時に、その亀裂に剣を向けた。

 亀裂が開き、その隙間に眼球が見えた。それはあのの赤い瞳である。そこから伸びた白い腕が、ウィルヘルムの剣に巻き付き、空間を破裂させる。ゾンビを幾ら斬っても、切れ味の落ちることのなかった刀身が、赤い亀裂の中に吸い込まれ消える。瞬間的に真空となった場所に空気が流入し、周囲のものを吸い込む。ウィルヘルムはそれに抗い、全身の力を込めて後ろに跳び、レイリアルを助け起こす。


「じいさん、腕……」


「わかっておる。自分の身を守ることだけに集中しろ」


 ウィルヘルムの右肘から先は、剣と一緒に異空間に飲みこまれていた。仕込んでいた止血用の紐を引き絞り、完全に出血を止める。左手で、誰かの剣を拾い上げる。

 空中からゆっくりと、ギリムが降下してきた。

 その顔は半分以上が爛れ落ち、白い骨が見えている。落ち窪んだ眼窩の奥から、赤い星が覗いている。最早、生物とは思えない。


「……ウィルヘるム、コの術を防グトはな」


 今のギリムの魔術で、リディナーも殺されたのだと理解する。もし、手で防御していなければ、心臓を抉り取られていたことだろう。異界から魔物の腕だけを召喚し、別空間に引き摺り込む魔術。殺意はなく、気配を読むことはできない。それでもウィルヘルムが防御できたのは、長年培った勘と幸運としか言えない。

 追撃はなかった。どうやら、連発できる術ではないようである。さらにレヴェナントやゾンビたちの動きも緩慢になる。だが、その機会を活かせるほど、ウィルヘルムたちも動くことはできない。


「ギリム。どうやら、とっくの昔に一線は超えたようじゃな」


 屍霊術が現代魔術において禁忌とされているのは、その生命を冒涜し、魂を操ることも理由のひとつではあるが、もっとも大きな訳は、その結末にある。屍霊術を使った者は、自身を不死と化し、殺人衝動に支配されるからだ。なぜそうなるのか理由は定かではない。不死化した定命ジョウミョウの者は、倫理観が崩壊し、積極的に人を襲う魔物となる。そういった屍霊術士の成れ果てを、人々は『リッチ』と呼んで区別した。

 ギリムは既にリッチと化している。いや、もしかしたら始めから魔物であったのかもしれない。ウィルヘルムには理解できないが、魔王はこうなることもわかっていたはずだ。到底、人に操れる力ではない。


「これが魔王の指示なのか。何が狙いなのだ」


 ウィルヘルムは時間を稼ぐために、ギリムに問いかける。正常な判断力のある状態なら、話など始めないだろうが、今のギリムの瞳には、正気を感じなかった。案の定、ギリムは魔王という言葉に反応した。


「魔王……魔王か! やつは愚かだ! 今やこの私こそが最強の魔術士だ! お前を奴隷とした後、この私が魔王になって替わろう!」


 ギリムは裂けた口を大きく開けて、不気味な笑い声を上げた。そうしている間にも、ギリムの周りに漂う二個の髑髏が、注意深くウィルヘルムを見つめている。どうにか隙を見つけ、ギリムに近付かなければならないが、リディナーを突破し、髑髏を突破し、ギリムを斬ることが、片手になったウィルヘルムにできるだろうか。


 ◆


 ギリムの使った別の魔術を使ったことで、魔力の供給が絶たれていたリディナーのレヴェナントは、よろめきから立ち直る。

 対して、ギリムと話すことによって時間を稼いでいたウィルヘルムは、右手を失った激痛と失血によって、体力が奪われていた。悪戯に時間を引き延ばすことは、悪手であることは一目瞭然である。


『目覚めよ』


 ギリムが腕を上げると、リディナーによって倒された戦士たちが立ち上がり始める。今の今まで味方だった者たちが、死の兵士となって立ち上がり、ウィルヘルムたちを囲んだ。


(どれだけの死体を操れるのだ……。ここでこやつを倒しておかねば、国どころの話ではないぞ……)


 ギリムの急所を探るが、どこを斬ればよいのか、見ただけではわからない。首を落としても、意味がないかもしれない。ガーネルトムが言っていた、体内にある魔石を正確に捉えなければ、次に死ぬことになるのは自分である。そして、レイリアルを生かして返すには、彼女の力も借りなければならない。


「レイ。行くぞ」


「ああ」


 その返事と同時に、二人は駆け出した。

 ウィルヘルムの拾った剣と、リディナーの魔剣がぶつかる。だが、片手では不十分だ。レイリアルは彼らを無視して、その脇を擦り抜けようとしたとき、ウィルヘルムの剣が弾かれ、リディナーがレイリアルを追おうとする。

 無数の巨大な石の腕がリディナーと包む。ゴーレムたちが石畳を素体にして、レヴェナントの動きを止めた。

 レイリアルとウィルヘルムがギリムに迫り、彼を守る髑髏がそれぞれを迎え撃つ。レイリアルは体勢を崩し、少し後ろに下がった。ウィルヘルムは二体の髑髏を同時に斬り払う。それが精一杯である。レイリアルを補助する余裕はなかった。

 その一瞬の隙に、ゴーレムを振り払ったリディナーが、レイリアルに剣を突き立てようとする。視線がかち合い、レイリアルは父の瞳を見る。

 死。

 レイリアルの中にその言葉が溢れ、抱きしめられたときのぬくもりを思い出す。

 その瞳を見たリディナーのレヴェナントが、手を止めたような気がした。刹那のことである。レヴェナントが何を思ったのかはわからない。だが、その瞬間がレイリアルの生死を分けた。レイリアルの剣がリディナーの腕を斬り落とす。

 そのとき、建物の影から飛び出た闇が、ギリムに向い、飛ぶ。それに気が付いた者はウィルヘルムしかいなかった。

 ギリムはウィルヘルムに集中しており、守りの同胞の髑髏も消えていた。魔術を放とうとしたギリムの胸から、黒い刀身が突き出ていた。その切っ先には、赤く輝く魔石が突き刺さっている。暗闇が取り払われ、ガーネルトムの剣がギリムの胸を貫き、急所である魔石を捉えたのである。

 胸を貫かれ魔石を失ったギリムだが、首が不自然に回転し、ガーネルトムに向いた。その口内から赤い瞳が覗き、彼女は死を覚悟する。そこにウィルヘルムの剣が一閃し、ギリムの首を刎ねた。首は飛んでいき、地面で跳ねてから落ちる。

 首だけとなったギリムは、横目でガーネルトムを睨む。


「ガーネルトム、裏切ったな……」


「……オレは軍人として、けじめをつけただけだ!」


 黒い霧が剣先から溢れ出し、魔石を粉々に砕く。それと同時にギリムの瞳の力は失われた。ゾンビたちは力を失い、糸の切れた操り人形のように一斉に倒れていく。

 それはリディナーのレヴェナントも同じであった。目の前で崩れ落ちる父を、レイリアルは剣を投げ捨て抱き留めた。心臓を失い、利き手を失い、瞳に光を失くし、冷たくなった体は、それでも異様に重かった。その父の体が、ふと軽くなる。ウィルヘルムがリディナーの体を支えたのだ。


「ようやった。レイ……、ようやった」


 ウィルヘルムの失われた右手は痛々しく、レイリアルは何も言えず、ただ目に涙を浮かべながら頷いただけだった。

 剥がれて土が露出した地面が盛り上がり、少女のような人が這い出てくる。リンドーは体についた土を払いながら、顔を上げた。


「遅いぞ、リンドー」


 ウィルヘルムが言う。


「悪かったよ。身代わりゴーレムで臨死体験するのは、いつになっても慣れないね」


 リディナーによって斬られたのは、リンドーにそっくりに造られたゴーレムだった。本当の肉体は地面の中に隠し、意識だけをゴーレムに移していた。ゴーレムの状態で殺されても、本当の肉体は死にはしないが、死を体験することで、しばらくは意識を失ってしまうのだ。

 リンドーはウィルヘルムの手の止血をする。治癒魔術は使えないが、石を操って傷口を塞ぐ。それが終わると、ゴーレムを操り、戦士たちの遺体を道の脇に並べた。


「フィル……。良い子だったのに。守ってやれなくて、ごめん……」


 リンドーは目を見開いたまま絶命していたフィリームズの目を閉じた。レイリアルが堪えきれなくなり、啜り泣く声が静かになった辺りに響く。


「これからどうするの?」


 リンドーは落ち着いた様子で、ウィルヘルムに訊ねる。


「何をするにせよ、人手が足りん。再びゾンビになるとは思えんが、死体の処理は急がねば……な」


 普通であれば、ゾンビ化しそれが解除された死体は、二度と蘇ることはない。だが、今回は例外も例外である。何が起こるかわからない。それに死体を放置すれば、よからぬ魔物も寄ってくるし、衛生的にも良くはない。

 ウィルヘルムはゆっくりとリディナーの遺体を地面に寝かせると、ガーネルトムに視線を向けた。誰も何も計画していたわけではない。全員がギリムを倒すために動いた結果、これ以上ない連携となった。


「さて、ガーネルトム」


 ガーネルトムは呆然とギリムを見下ろしていたが、ウィルヘルムの声に顔を上げた。


「助けてくれたことには感謝するが、おぬしはそれ以上の罪を犯した。逃すわけにいかんぞ」


 ウィルヘルムは魔剣『イカラス』を手に取り、それを彼女に向けた。


「……」


 ガーネルトムの反応は薄い。ガーネルトム自身、既に逃げることは諦めている。体は痺れおり、自由に動かせない。ギリムへの一撃で全てを使い果たしていた。


「逃げるつもりはない……。だが、叶うなら、魔王に会わせてもらいたい」


「会ってどうする?」


「問い質したい。この結末を知っていたのかどうか。ギリムがこんなことをすることも、わかっていたのか」


「わかっていた? どういう意味じゃ」


「それは……」


 そのとき、人の気配を感じて、皆がそちらに顔を向けた。大勢の戦士たちが、ウィルヘルムのほうに向かって来ていた。その先頭には知っている顔があった。


「お前……、お前か。ウィルヘルム」


 兵士や傭兵たちを率いてやってきたのは、国王レオニンであった。レオニンはウィルヘルム、ガーネルトム、そして、足元で事切れているリディナーに、ギリムを見て、何が起こったのか推察しようとしているようである。

 ウィルヘルムは少し驚いたような顔をしてから、自然な動作で跪くと、レオニンにコウベを垂れた。


「陛下。ご無事でございましたか」


 心落ち着けるために、レオニンは大きく息をついてから話し出す。


「ウィルヘルム、一体何をやらかした……」


 酷く心外な言葉だ。


 ◆


 一夜明け、外壁の外では、既に生き残りたちが集結し、都市の奪還に向けて動き始めていた。ウィルヘルムの想像よりも、人的被害は少なかった。


「私たちは城の上層にはほとんどいなかったのだ。主要機能のほとんどは地下に移していたからな。だが、それでも多くの兵と民が失われた……」


 異変が起こってすぐに、要職についている貴族たちは地下に避難していた。城の上層は国威発揚の飾りでしかない。地下はウィルヘルムが街を出てから造られたもので、そんなものがあるとは知る由もない。

 ただ、全ての者が避難できたわけではない。将軍ベランディナは行方不明、多くの兵士や侍従たちは失われてしまった。地下には避難用の通路があり、そこから都市を迂回して壁外に逃れることができるように作られている。


「私には人手が必要だ。限りなく有能な者の手が。ウィルヘルム、今度こそ私に正式に仕え、国に尽くすことを命じる」


 野外に用意された天幕に、ウィルヘルムとレオニンは居た。街の中は死体で溢れており、急いで葬ってはいるものの、一日二日で済む数ではない。


「光栄な話ですな。お断りしますが」


「命令だ。断る権利はない」


「そうでしょうとも。断れないなら、無視するしかないでしょうな」


 レオニンは唾を吐く。


「お前はわかっているのか⁉ 今は国の存亡にかかわる事態なのだぞ! 魔王軍が侵攻を始めている。今まさに史上類を見ない海戦が勃発している。お前のような将が必要なのだ!」


 ガーネルトムからの情報で、海岸沿いにある都市に早馬を送り、魔王軍の侵攻阻止に動いていた。王都に主力を釘付けにし、連携を取れなくすることで、港町を一気に制圧するのが魔王軍の目的(少なくともガーネルトムはそう聞いていたようだ)だった。魔石に封じられた悪魔の姿を見せ、その力の一端を見せることで、戦意を挫く。屍霊術によって軍を足止めする。恫喝と遅滞作戦の予定だった。

 だが、ギリムは作戦の決行を前倒しにし、手順を守らず、海上戦力との連携は取らなかった。まさに暴走と言って良い。この暴走によって、宣戦布告からの即奇襲という奇策は、国家間の儀礼を無視した、民間人の大量殺戮という、最悪の結果に終わったのだ。


「実を言いますと、正式に仕えることには、何の異論もございません。ですが、やることができたものでして」


「やることだと? 国家の危機を差し置いても、優先すべきことなのか」


 ウィルヘルムは頷くと、意味深長な面持ちでレオニンを見る。


「婚約者からの頼みでしてな。わし自身の目的とも合致したので、やってみようと思うのです」


「婚約者だと? 誰だ」


 初めて聞く話だ。まさかリディナーの娘のことか思ったレオニンだったが、更に予想外の答えに頭痛がし始める。


「ガーネルトムです。魔王に直接、今回の侵攻の是非を問い質したいと申すのです。それはわしも同じところでしてな。まぁ、初めての共同作業と言ったところですかな」


「……いつからだ。いつ、婚約を」


 レオニンの思考が駆け巡り、最悪の事態を想定する。ウィルヘルムが内通し、今回の工作の指揮を執っていたのかもしれない。魔王軍に寝返っていたとしたら、今、二人きりの状況は非常に不味い。


「昨日ですな」


「昨日?」


 言い訳にしても、意味不明である。


「いや、ガーネルトムが道場破りに訪れましてな。そこで少し絞ってやったら、わしにぞっこんと言うわけで。まぁ、わしも長らく独り身ですし、少し毛深い妻も一興かと思いましてな」


 何やら今度は言い訳がましくなってきたので、レオニンは眉間の皴を何とか指でほぐす。先王、先々王の気持ちがとても良く理解できてきた。今までのレオニンの治世の内は、ウィルヘルムが表舞台に出ることはなかった。だが、ここに来て、その本領を発揮し始めている。

 今回の一件も、ウィルヘルムのせいなのではないかと思いたくなる。しかし、実際には、ウィルヘルムは事態を収めた。二度も国を滅ぼしかけたという便は、貴族がやっかみで言っているだけだ。実際には、二度の国難を救い、今回で三度目である。

 それにこの事態が、ウィルヘルムのせいだったとしても、魔王軍の作戦は失敗に終わったのだ。もし、作戦がそのまま実行されていた場合、国家自体が滅びの道から抜けられない状況になっていたかもしれない。ウィルヘルムの狙い通りかどうかはわからないが、少なくとも今はまだ国は滅んでいない。モントベルグ王は、遂に三代に渡り、ウィルヘルムに頭が上がらなくなったのだ。


「……魔王を暗殺するつもりか」


 ウィルヘルムがただ魔王と会おうなどとするはずもない。レオニンはそう考えた。


「どうでしょうか。そう単純なことならば、良いのですが」


「利き手を失って、それでも魔王に勝てるのか」


「……」


 ウィルヘルムの右手は、血は完全に止まっているが、元に戻ることはない。治癒魔術士の中には、失われた部位を再生させるほどの術者もいると言われているが、モントベルグの国内には、そのような高位の術者はいない。


「リディナーの仇討ちのつもりか。死ぬつもりではないだろうな。そんなことは許さんぞ」


「まぁ、それもありますが。わしは復讐なんぞという柄じゃないですからの。それよりも、レイ……レイリアル・ミゲルソンのほうが先走ってしまいそうでして、どうせ止められぬなら、一緒に走るのも悪くはないかと思った次第でございます」


 レイリアルは今、街の遺体を回収に回っている。レオニンとしても、あのような若い娘にやらせるような作業ではないことはわかっていたが、五体満足な者のほとんどはこの業務に当たらせていた。それは同時に、家族の安否を確認させるためのものでもある。

 レヴェナントと化していたとはいえ、父リディナーを手にかけることになり、母リアーシャは行方不明。おそらく一の郭の消失とともに、消え去ったと思われる。それでも、涙しながらも消して手を止めず作業する彼女を見て、レオニン含む多くの者が励まされた。


「レイリアルも一緒に連れていくつもりなのか。命を捨てさせるようなものだ!」


 レイリアルの戦いっぷりを見ていないレオニンは、彼女はただの少女にしか見えていない。いや、確かに彼女はただの少女なのだ。


「……レイはリディナーの、いや、ひょっとしたらわしよりも上をいく才能の持ち主です。魔大陸を生き延びて帰ってきたとき、必ずやこの国に必要な人物となるでしょう。わしから言わせれば、その才能を今このとき活かさずして、いつ活かすのか、と言ったところですな」


 この国に根差した思想のひとつに、『若きは走り、老いは押す』というものがある。まさにウィルヘルムが根付かした思想だ。若い者の邪魔をせず、後始末は老人がやるという意味である。そうすることで国は勢い付き、発展をしてきたのだ。


「だが、その才を暗殺に使うというのだろう」


「それもまた、どうなるかは運次第。ただの暗殺者となるか、勇者となるか……」


 ぬけぬけと曖昧な言葉で濁し、ウィルヘルムはにやりと笑う。レオニンは嫌な顔をして、手を振った。


「わかった。もう、好きにしろ……」


「……感謝いたします」


 ウィルヘルムは恭しく一礼すると、天幕から出ようとするところで、足を止めた。


「ああ、そうだ。船を一艘貸し出すよう、一筆書いていただけますかな」


「おい。それは振り返って、そんな簡単に言うことか?」


 海戦勃発中に船を貸し出す余裕などあるはずもないが、ウィルヘルムは遠慮もせずに言ってのけるので、レオニンは呆れた。だが、ここで許可を与えないからといって、ウィルヘルムが大人しくするわけもなく、むしろ、縛り付ければ余計に暴れ出して手が付けられなく猛獣だ。

 結局、魔大陸ベルトリアへの渡航のための船を用意することに、渋々同意した。

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