第3話 ウィルヘルム 道場破りに遭遇する

 食卓の席につく前に紹介されたのは、老人であった。

 目の前にいる小さな老人と、幼い頃に会っていると言われても、レイリアルにはピンと来ない。会ったのはまだ幼かったときなので、覚えていないのも当然である。しかし、話題には良くなっていたので、ウィルヘルム・フォン・ベルンの名は知っていた。


「これからよろしくお願いします。えっと……、なんとお呼びすればよろしいのでしょうか」


 レイリアルが消え入りそうな声で訊いてきた。可愛らしい婦人服に身を包み、いかにも甘やかされて育てられた貴族の令嬢と言った様相だった。虫も殺したことのないような少女という、リディナーの手紙の通りの印象だ。彼女が騎士のひとりを打ちのめしたとはとても思えない。

 ウィルヘルムも場数を踏んで、ひと目見て相手の強さを測ることができる程度にはなっている。むしろ、その図る能力がなければ、死んでいたことも多かったかもしれない。だが、目の前の少女レイリアルからは、覇気や闘気、ましてや殺気などは感じず、強さを測りかねた。それはウィルヘルムにとっての一種の境地のようにも思える。相手に侮られるならば、それを利用して不意打ちを仕掛けることは、生き延びるには当然のことだからだ。


「そうじゃなぁ、まぁ、ウィル先生とか、その辺りかの。おじいちゃんと可愛らしく呼んでくれても構わんぞ」


「え~と、では、先生と呼びますね」


 ウィルヘルムが肩を竦めると、リディナーが溜息をつき、ウィルヘルムに言う。


「何がおじいちゃんですか。まだ四十半ばでしょう」


「お前の子なら、わしの孫みたいなもんだろう」


「言っておきますが、私と先生は十しか離れていませんからね。せめて私のことは弟だと思ってください」


 レイリアルは意外に感じた。父リディナーが、こんな軽口を叩くように話すのを見るのは初めてである。練兵場と道場を行き来する父は、忙しくしていて家にいないことが多い。いつも、武人然としている姿しか見ていなかったので、驚いてしまった。


「私は三人目のお父さまと思っていますわ、ウィルおじさま」


 そう言ったのはレイリアルの母リアーシャであった。


「おお、リアーシャ! そういってくれるのはお前だけだ。ほれ、飴ちゃんをやろう。レイにもな。リッドにはなしだ」


「まぁ。ありがとうございます。夕食のあとで食べますね。それより、どうしてそんなに背筋を曲げているのですか?」


 ウィルヘルムはウィンクだけして、その問いには答えなかった。母まで子ども扱いするのを、レイリアルは複雑な気持ちで見送り、飴を受け取った。

 夕食の席では、リディナーとリアーシャの話が止まらず、ウィルヘルムは頷くばかりであった。やれ道場の経営がどうのだとか、社交界での噂がどうのだとか、どうでも良い話だが、両親二人は話し足らないとばかりに止まらなかった。


「わかったわかった、お前たちの話はようわかった。だが、わしはレイリアルの教育のために呼ばれたのじゃろう。今はレイと話をさせてくれ。お前たちの話は、また後でな」


 久々に会えた親にはしゃぐ子どもたちは、不満げに黙ってしまった。


「さて……、レイ。今は十三だな。あと二年で成人だが、今から剣を習うことに、何か言いたいことや、思うところはないかね」


 質問の意図がわからず、レイリアルは小首を傾げただけだ。


「そんなに考えんでもええぞ。思っていることを答えれば良い」


「別に何も思わないですけど……。ミゲルソン家では、遅すぎるかもとは思います」


 モントベルグ王国では、あまり血筋を気にしないことが多い。それよりも実力のあるものが上に立つことが重要視される。そのため、幼い時分より剣を習わせることを美徳としている家も多い。

 ミゲルソン男爵家は下級貴族であり、戦闘があれば前線に立つことになるため、さらにその傾向が強いのだが、リディナーもリアーシャも、レイリアルに無理矢理に剣を習わせるようなことはしなかった。彼女が剣に興味がなかったからだ。跡継ぎは婿養子で貰えば良い。そういった点ではリディナーを婿ムコに迎え、道場からでも練兵場からでも、実力者を拾ってくることができるミゲルソン家は安泰と言える。

 親に結婚相手を決まられることも、レイリアルは別に何とも思っていない。むしろ、面倒が少なくて楽だとさえ思っていた。


「ほう? では、剣を見てどう感じる? 父が剣を振るっているところを見たことあるじゃろう。そのとき、どう思った?」


 レイリアルはその言葉をゆっくりと考える。


「……。型をしているのを見ていると……」


 レイリアルが言い淀んで、リディナーの顔色を覗うようにチラリと見たので、リディナーは頷いた。


「言ってみなさい。ここには家族しかいないのだ。何を言っても、誰も怒らない」


「あの、では……」


 レイリアルの顔が突然変わった。まるで歴戦の戦士を思わせるように目付きが鋭くなり、纏う雰囲気は、フワフワとした綿から、鋭い刃に変わる。


「土蜘蛛の型のとき、肘が少し外に向いているから、内側に仕舞うと、もっと素早く振れるかも……、とは思ったことがある。翡翠カワセミの型は、突くときに膝が伸び切っているから、次の突きで隙が生まれているし……」


 型のやり方を突然指摘されて、リディナーは目を丸くした。ウィルヘルムはニヤリと笑う。


「なるほどなぁ。相変わらず、型は苦手なようじゃな、リッド。昔の癖がそのまま残っとるじゃないか」


「面目ありません……。しかし……、レイ。どうして知っているのだ。お前は型を習ったことはないだろう」


「もっとも効率良い動きを考えれば、自然とそうなるはず……です」


 そう言われては、リディナーも黙るしかない。ウィルヘルムは楽しそうに少し腰を浮かした。


「良い眼をしておるな。確かに手紙に書いてあったことは本当のようじゃ。この子には才能がある。まさか、お前がこの才に気が付かぬとは、とんだ節穴事件だが……」


「も、申し訳ありません」


「娘可愛さに、盲目になってしまったようじゃのう……」


 一剣士として、最も身近な人間の実力を見誤ったことで、リディナーは面目も何もあったものではない。

 ウィルヘルムは一抹の寂しさを感じた。自分の娘も生きていれば、こうして甘やかして育てたのだろうか。


「ま、過ぎたることは、忘れるに限る。教育方針についてじゃが、何か希望はあるか。騎士として育てるか、それとも実力を重視するか。わしとしては、実戦で育てるのが一番じゃと思うのだが」


 これはリディナーへの問いである。


「それなのですが、実はしばらく、道場を空けることになりそうなのです。遅くまで帰って来られないかもしれません」


 それ、来た! と、ウィルヘルムは心で呟いた。やはり、リディナーは自分を復帰させるつもりなのだ。貴族として練兵が忙しくなり、道場まで手が回らなくなってきたのだと思った。


「そこで重ね重ね申し訳ないのですが、道場の師範として、しばらくの間は門下生の面倒を見てもらえませんか。そこでレイもそこで基礎を教えてもらえれば、こちらとしては安心なのですが」


 ウィルヘルムとしても、いきなり剣を持たせて魔物と戦わせるつもりはないが、その辺りは信用してもらえないかもしれない。


「まぁ。普段だって忙しいのに、また遅くまで帰って来られないなんて。何があったのですの?」


 リアーシャも知らなかったようで、リディナーに問う。


「王に呼ばれたのだ。どこかの国の特使が来たみたいでな。謁見に同席しろと」


「謁見に同席? おぬし、国政に関わるようにまでなったのか」


「まさか。ただの護衛でしょう。それほど危険な相手ということです」


「どこの国の特使じゃ」


「言えません。極秘事項です」


「なんじゃ! 人にものを頼むのだから、教えるのが筋じゃろう!」


「国政に関わることなので、無関係の者には言えません」


「わしは騎士じゃ! 無関係ではない」


「あなたがであられることは、私の誇りですが、言えません」


 名誉騎士には特権があるわけではない。国政に関わる極秘事項など、普通の騎士でも知らされないのに、名誉騎士となれば尚更知る権利はない。

 すっかり拗ねてしまったウィルヘルムを尻目に、リディナーはレイリアルに顔を向けた。


「レイリアル。ウィルヘルム先生はこんなだが、その実力も教育方法も確かなものだ。しっかりと見聞きして、その教えを身につけなさい」


「はい……、お父さま」


 どこか気落ちした様子のレイリアルの目付きは、元の彼女に戻っていた。

 夕食が終わり、その日はお開きとなった。二人の大きな子どもたちは、まだしゃべり足りないことがあったらしいが、執事が旅をしてきたウィルヘルムをおもんぱかって、すぐに風呂の後、すぐに寝室に案内してくれた。

 朝。ウィルヘルムは日の出とともに目が覚めて、食堂に行こうと階段を下りた。降りた先の玄関ホールでリディナーが、リアーシャに見送られるところであった。


「おはようございます。あら、ウィルおじさま、今日は背筋を伸ばしているのですね」


 起きたばかりで背筋が伸び切っていたウィルヘルムは、言われてスッと肩を窄め、背を小さくする。


「おはようございます、先生。良く眠れましたか」


「ああ、おはよう。おかげさまでな。もう出掛けるのか、少し早くないか」


 リディナーは溜息をついた。


「ええ。練兵場にも寄っておきたいですし、昨日の夜遅くに王から使いか来たのです。道場のこと、レイのこと、よろしくお願いします」


「任せろ。お前の師匠だぞ。帰ってきたら、お前にも稽古をつけてやるわ」


 ウィルヘルムの言いように、リディナーは苦笑した。


「お手柔らかにお願いしますよ」


 話しているとレイリアルも慌てて降りてきた。さすがに寝巻ではなかったが、まだ寝癖がついている。


「いってらっしゃいませ、お父さま」


「うむ。行ってくる」


 リディナーがそのまま出ていこうとするので、ウィルヘルムは彼を止めた。


「なんですか?」


 ウィルヘルムはまだ階段で止まっていたレイリアルを手で呼んだ。レイリアルが何事かと近付くと、親子の腰に手を置いて、二人を近付けさせる。突然のことに、レイリアルもリディナーも戸惑った。


「あの……」


「ほら、抱きしめてやれ。親は子を抱きしめる義務がある。レイ、リディナーは決して、お前が嫌いだから、わしに任せるのではないぞ。お前を愛しているから、剣を教えてやれんのじゃ。甘い教え方では、戦いのときに死ぬことになるからのう」


 ウィルヘルムの言葉に、リディナーはハッとした。そして、レイリアルの体を引き寄せると、やさしく腕に包んだ。


「……お前を抱きしめるのは、幼い頃以来だな。ずいぶん大きくなったものだ。私は多くの弟子を育ててきたが、子どもを育てるのはお前が初めてなのだ。至らぬ私を許してほしい。お前のことを愛している。それだけは疑わないでくれ」


「はい……」


 レイリアルは剣の達人である父が、どうして自分に剣を教えないのか、理解できなかった。いつも急がしている父とは、たまにしか顔を合わさない。自分と会いたくないのか、愛してくれていないのかと疑っていた。けれど、こうして抱きしめられて、それは杞憂であったと理解した。

 リディナーはウィルヘルムに感謝した。ウィルヘルムは人の心を読むのが昔から上手い。所作や表情、雰囲気からそれを読み取るらしいが、リディナーにはそこまで上手くできなかったことだ。幼い頃から育てた子の心さえもわからないのであれば、もうこの境地には達しないだろうなと感じた。

 抱き合う二人を見て、涙を流したリアーシャも加わって、玄関で家族の愛を確かめ合った。ウィルヘルムはその光景に思わず噴き出す。


「まるで、今生の別れだの。ただの朝の出勤だろうが」


 そう言われて、レイリアルが笑うと、両親も揃って笑った。


 ◆


 ミクロミス族のギリムは、宿に戻るとベッドに身を投げ出した。


「ふあ~。死を覚悟して行ったつもりだが、まさか、あれほどの強者ばかりとはな。マクシミルが、この国を消し去るつもりも理解できた。特にあの王の左に居た戦士。身動ぎひとつせずに……。あれは本当に、人か? 銅像ではないだろうな」


 ガーネルトムは出店で買ったキノコの肉巻きを、ほとんど咀嚼せずに飲み込んだ。


「ふん。悪くない味だ。こちらの料理はいちいち手が込んでいて旨い」


「話を聞いておるのか、ガーネルトム。てか、私の分も残して……」


 ガーネルトムは大顎を大きく開いて、肉巻きを全部飲み込んだ。味わって食べているとは思えない。顔を引き攣らせながらギリムはそれを眺めた。


「ガーネルトム……。お前、立場を理解しておらんだろ。私はこれでも上司だぞ!」


「くそ喰らえだ」


「……はぁ」


 ギリムはベッドの縁に腰掛けると、自分の不幸を嘆いた。


「部下は言うことを聞かないし、上司は無茶振りばかり。ただの族長だった頃が懐かしい……」


「つまらんことをほざいているな。この四日間をどう過ごすつもりだ。宿に籠っているなぞ、御免だぞ」


 ガーネルトムが唸るように言う。この屋敷は見張られているだろうが、屋敷から出るなとは言われていない。


「わかっている。練兵場など見物したいが、まぁ、見せてはくれんだろうなぁ。だが、練兵場とは別に、剣術指南道場なるものがあるらしい。民間人にまで戦闘訓練を施すとか。そこでなら警戒されずに……」


「最強がいるとかいう場所か。王の右の女、あれが女将軍ベランディナだとすると、左に居たのが、リディナー・ミゲルソンだ。この国、最強の剣士。顔は知られているぞ。身分は隠せない」


「……わかっていたのなら、なぜ言わんのだ」


 ギリムは歯噛しながら、今後を考えた。やはり、さっさと帰るべきだったか。作戦のためとはいえ、無駄に命を危険に晒している気がする。


「だが、道場に行くのは賛成だ。少し暴れてやれば、嫌でも戦闘技術を見せてくれるだろう。女将軍がいる国の戦闘技術には興味がある」


 ガーネルトムが楽しそうに言う。

 こうなると犠牲を少なくするために、護衛ひとりでこの街に来た不便が出てくる。大きな溜息を吐いて、ギリムは気持ちを切り替えた。


「飯だ。飯にして、さっさと寝よう……」


 屋敷は囲まれ、完全に見張られていたが、その日の夜は意外にも良く眠れた。ギリムたちは用意された朝食をたっぷり食べると、日が高くなる前に出掛けることにした。


 ◆


 街は既に喧騒に溢れ、市場には様々な果実や野菜が並んでいる。様々な種族がいるが、魔人デーモン族であるギリムたちは好奇の対象である。それはこの街には、他の街に比べて魔人族が多く訪れるからである。

 魔人族は小さな部族で別れていた。部族の結束は強く、旅に出るような者は少ない。そのため、ベルトリア以外では魔人はほとんど見かけることはない。今でこそ、旅に出る魔人は増えて、何人かと擦れ違うことはあるが、それでも珍しい存在だ。

 ギリムたちは結局、リディナーが運営する剣術指南道場を訪問する。何かの間違いで、訓練の様子を見物させてくれるかもしれない。

 道場の門を叩いたギリムを迎えたのは、まだ若い娘であった。後ろでひとつに結うた髪。肌は日に焼けておらず、細い腕と小さな手で木剣を握り、額から汗を流している姿は、とても戦士には思えない。この国では女性も武器を取ることは珍しくもないが、彼女はあまりにも華奢である。

 ギリムよりはるかに体格の良いガーネルトムですら、男のファンテラ族よりひと回り小さい。女が男と肩を並べて戦うことは、それだけで大変な苦労となるのは魔人も同様だ。体格を補うには、人並み以上の努力だけでは足らず、生まれ持った才能を余すことなく発揮する工夫が必要である。

 この道場で教える新地流はそういった才能を伸ばすことに長けていると聞く。ガーネルトムとしても興味が尽きないようで、目を輝かせている。ギリムとしてはあとの三日間を安心して眠れるように、この黒豹が暴れ出さないように見張らねばならない。


「ミゲルソン卿はお見えですか。道場の見学をさせてもらいたいのだが」


「父は今、不在にしている。いつ戻ってくるかもわからない。けど、見物だけだったらご自由に」


 リディナーが不在なのは、ギリムたちにとっては好都合である。おそらく魔王軍との戦に備えての会議に時間を取られているのだろう。魔人たちは誰かに見咎められる前に、さっさと道場に上がり込んだ。


「おや。珍しいお客さまじゃな。レイ、知り合いかね?」


 出てきたのは背筋の曲がった小さな老人で、木剣を杖代わりにしている。


「見学の人だよ。てか、じいさん! 剣の先を潰さないでって言ってるだろ!」


「こんな程度で潰れるようなら、捨てた方がマシじゃわ!」


 老人に舌打ちして、レイリアルと名乗った少女が、道場を案内してくれた。中では何人もの門下生が掛かり稽古をしており、中にはひとりで複数人と戦っている者もいる。

 だが、目を惹いたのは床である。道場というから真っ平らな床を想像していたのだが、大小様々な丸い石が転がっている。河原で見るような丸い大岩まである。


「毎日片付けて、毎日床に敷き詰める。そうやって地形を毎日替える。この道場では真っ平らな場所では訓練はせん。綺麗な床を想像していたなら、悪かったの」


 老人がガーネルトムに説明した。門下生たちは悪い足場も気にせずに、跳び回って戦っている。足を取られても、すぐに立て直し、相手を迎え撃つ。


「なるほど。自然の地形を再現しているわけか」


「うむ。単純に言えば、そういうことじゃな。さて、お前さんら、二人とも相当な実力者じゃな。デーモンの戦い方には、新地流は不向きだと思うが、どういった理由で見物に来られたのかな」


 新地流は魔法の力に頼らない基礎的な戦闘術である。武器、主に剣を主体とした技を学ぶ流派であり、道場の名前の通り、剣術指南を行っている。魔人族は戦闘の際に、魔力を使い、武器なしでも戦う肉弾戦を得意とする。そのため、剣術指南道場に訪れる魔人は多くはなかった。


「いえ、戦い方を学ぶのは、武人としての嗜みですから」


 ギリムがそう言うと、老人は頷いた。


「まぁ、道理ではあるな。敵情視察というわけか」


「敵などと……。私たちはただ……」


 ギリムはこの老人は自分たちの立場を全て知った上で、トボけているのではないかとドキリする。それでもこの場を友好的に収めるために、ガーネルトムの動きを制しようとした。しかし、隣に居たはずの彼女は既に道場の真ん中に立っていた。


「自分の名はファンテラの戦士、ガーネルトム! この私を打ち負かせる自信がある者は前に出ろ!」


 ギリムは頭を抱えた。


「血気盛んじゃのう」


 老人は呑気だ。ひとりの門下生がガーネルトムに言った。


「申し訳ないが、私闘は禁じられている。リディナー師範の許可がなければ、他流派試合もすることはできない。お引き取り願いたい」


「ハッ! そうか。親の許可がなければ、素振りもできない腰抜けばかりか」


 門下生たちが鍛錬の手を止め、ガーネルトムを睨みつける。道場内に殺気が満ちるのがわかった。ギリムは慌てて、老人に言う。


「と、止めなければ、死人が出るかも……」


「なーに、たまにはこういうのも刺激が合って良いさ」


 老人は壁に掛けられていた木剣を取ると、ガーネルトムに放った。彼女はそれを受け取る。


「ガーネルトムさんが稽古をつけてくれるそうじゃ。さぁ、誰が最初にやる」


 老人が門下生に告げる。あくまでも稽古というテイというわけだ。先ほどのガーネルトムに話しかけた門下生が前に出た。


「俺の名はフィリームズ。戦士ガーネルトム、手合わせ願う」


「ふん」


 フィリームズは背も高く、腕は丸太のように太い、若い男だ。だが、威圧的なところはなく、ゆっくりした動きをしている。

 ガーネルトムとフィリームズは向かい合うと、道場の喧騒は嘘のように消えた。全員が壁際に寄り、二人の邪魔にならないように見守る姿勢となる。

 事の成り行きをポカンとした表情で見守っていたレイリアルは、自分が道場破りを引き入れてしまったことにようやく気が付いた。顔色を悪くしている彼女の肩を、老人がポンと叩いた。


「まぁまぁ、兄弟弟子たちを良く見ておれ。こういう機会は滅多にない。さて、何が勝敗を分けるかな」


 簡単に言っているが、当主不在時にやってきた道場破りと勝手に戦って負けたとなれば、破門にされてもおかしくはないことくらいは、素人のレイリアルにもわかる。そんな気持ちを知ってか知らずか、老人は、向かい合うガーネルトムとフィリームズの間に割って入り、立会人を務めるつもりだ。


「では……、どちらかが降参するか、戦闘不能になった時点で、動きを止めるように。勝敗が決したとわしが感じたら、そこでも止める。わかったかね」


「わかりました」


「良いだろう」


「ああ、それと。ガーネルトムさん、できれば殺さんようにお願いしますぞ」


 老人は小声で黒豹に言うが、フィリームズにも聞こえている。彼は青筋を額に浮かべる。老人はわざとガーネルトムにだけそう言ったのだ。つまり、フィリームズが負けると思っているという意思表示だ。

 彼女がギリムに腰の真剣を預ける。


「怪我をするなよ……」


「フン……」


 二人が向かい合い、間合いを確かめると、老人が叫ぶ。


「始め!」


 戦いは始まった。

 レイリアルは二人が向かい合って、しばらく睨み合うだろうと思っていた。本格的に剣を習い始めて、まだ数日。このような試合は何回か見たが、皆、同じように睨み合って、しばらくは動かない。間合いを測り、隙を伺うのだ。

 そう思っていたのに、二人の動きは老人の開始の合図とともに始まった。

 二週間前までは眼で追えなかったはずだ。剣を握ったあの日から、レイリアルの見る世界は変わってしまった。何もかもがゆっくりと感じ、全ての動きが良く見える。そして、どこが相手の弱点か、どう剣を振れば相手を殺せるか、レイリアルの思考の中に入り込んでくる。

 ガーネルトムとフィリームズは一般人には消えたように見えただろうが、この道場にはそれを見逃す者はいない。激突した二人はお互いの剣を一瞬交差させ、すぐにまた元の位置に戻った。

 フィリームズは着地の瞬間、床を踏み鳴らす。小石が目の前に飛び上がり、彼はそれを木剣の腹に乗せ、一回転して撃ち出した。小石は散弾となって、ガーネルトムを襲う。

 牽制の技であると見切ったガーネルトムは、小石を避けずにその身で受けた。石は強く当たったように見えたのに、彼女は一歩も下がらず、怯むことすらない。

 レイリアルにはガーネルトムの毛皮が石を受けるとき、一瞬だけ膨らんだように見えた。


「今のは……」


「気が付いたか。新地流にも似たような技がある。攻撃を受けるときに体を震わせ、同じ力で相殺する。あのデーモンは体を揺らして、衝撃を逃がしたのじゃ」


 レイリアルにはただ膨らんだように見えただけだが、老人は完全に見切ることができたらしい。少女剣士はさらに注意深く、試合を見詰める。瞬きすらも許されない。

 さらに数合、木剣が打ち鳴らされる。

 フィリームズはガーネルトムを捉えようと、その大きな体を存分に使って、左右に剣を振るう。しかし、ガーネルトムはそれらを紙一重で躱し、弾き返す。焦れてきたフィリームズは、だんだんと大振りになってくる。そして、フィリームズの渾身の振り下ろしが地面を叩いたとき、ガーネルトムの木剣は振り下ろされたその太い腕を叩き、フィリームズは剣を取り落とした。


「そこまで!」


 ガーネルトムの剣は首の皮に触れる前に止まった。フィリームズは腕の激痛と、負けた悔しさに、顔面を蒼白にしている。ガーネルトムの素早さの前に、大振りすることは死に直結する。そのことに彼が気付けたどうかはわからないが、少なくとも老人には原因はわかった。


「実力も経験、足りなかったな」


 最後まで冷静だったガーネルトムは、チャンスを待っていた。ただし、それは相手を殺さないようにするためである。そのために攻めることをせず、相手に打たせて致命的な隙を作ったのだ。ガーネルトムは明らかにまだ本気を出していない。


「さて、ガーネルトムさんよ。まだ、やれるかね」


 老人が訊ねると、黒豹は頷いた。


「他に挑む者はいないか⁉」


 老人の声に、門下生の数人が立ち上がった。老人が一人に指で合図するが、ガーネルトムは満足しなかった。


「自分は何人相手でも構わない。この程度では、負ける気もしない」


 門下生たちの殺気がいきり立つのを感じ、老人は制御するために、少し大きめの声で告げる。


「では、今立っている四人。前に出なさい」


 ギリムは最早、何も言わず、事の成り行きを呆然と見守るのみである。ここからどうやって逃げるか、屋敷では安全でいられるかを心配する。

 ここでガーネルトムが勝ったとして、無事にここを抜け出せるかどうかは、この道場の精神性に左右される。残念ながら、ギリムはこの道場について詳しくは知らない。私刑リンチは禁じられていても、それがいつも守られるとは言い難い。とくに指導者が不在で、これだけ挑発していれば、集団で襲われても文句の言える立場にはない。そして、負けたとしても、その話は王城にまで伝わるだろうから、魔王軍は侮られることになる。それについては悪いことばかりでもないが、ギリムの目的は、別にある。


「では、始め」


 老人が告げると、ガーネルトムは四人の戦士を向かい合った。

 さすがの黒豹も四人相手に悠長に構えることはできない。一対多の戦いのセオリー通り、回り込むように端から相手にしていくつもりである。しかし、新地流は対魔物の集団戦を意識した戦闘術であり、門下生たちは簡単には回り込ませるような陣形を作らない。四人であれば、三人が前に出て、一人が後ろを守る。隊列を作って戦うのは、訓練通りである。


「おお、これは良い。仮想敵として持って来いですな。これは毎日、この道場に通ってもらわねばなりますまい」


「ハハハ……」


 老人が暢気に冗談めかして話しかけてくるが、ギリムからは乾いた笑いしか出てこない。

 戦いは佳境に差し掛かっていた。ガーネルトムは果敢に攻めてはいるが、四人相手には決め手に欠ける。四人の門下生は決して深追いせず、間合いを取ってお互いを守り合っている。しかし、門下生たちの方も攻めきれていないのは、さすがとしか言いようがない。


「あ」


 レイリアルの口から思わず声が漏れた。

 ガーネルトムの動きが変化したのだ。疲労からか動きが緩慢になり、攻めの手が止まった。ひとりの門下生が、その隙に剣先を突き入れる。確実にガーネルトムの腹を捉えた一撃は、彼女の体を吹き飛ばすには威力充分である。だが、木剣の先は彼女を貫通し、手応えがなかった。門下生が捉えたのは、彼女の分身のような影である。ガーネルトムの魔法の力、『暗闇の加護』だ。自身の影を自在に操り、幻影を作り出す魔法である。

 幻影に突きを放った門下生の重心は、少しだけ前に寄る。その隙を見逃さず、ガーネルトムの振るった剣が門下生の顎を打ち、彼女は血を拭きながら仰け反った。影は溶けるように、石の敷き詰められた床に消える。

 倒れ込む門下生の背中を潜り、ガーネルトムは後ろの一人を襲う。刹那の一対一。他二人は倒された門下生に気を取られ、援護できない。鳩尾にガーネルトムの剣の柄頭を受け、完全に意識を失う。

 残りの二人が同時に攻撃を仕掛けた。それをガーネルトムはまだ立ったままの気絶した門下生の背に回り、盾にして防ぐ。ひとりは攻撃の手を止め、もうひとりは回り込もうとする。

 回り込もうとした者の足元から、黒い影が立ち上がった。ガーネルトムの影の幻影だ。しかし、既に見た技である。この分身には物理的な力はないとわかっている。門下生は構わず影を突っ切ろうとした。

 それは短絡であったと言うべきだろう。この影の幻影に物理的な力はなくても、視界を遮るには充分である。影に隠れた死角からの突きの一撃を腹に受け、門下生は立っていることができずに膝をつき、そのまま気絶する。

 ガーネルトムがで血払いの動作をすると、最後のひとりに向き合った。

 門下生は尻込みして一歩後ろに下がるが、すぐに思い直して剣を構え直す。他の皆が倒れたのに自分だけ無傷で終わるわけにいかない。実力の差は明白である。降参すれば良いものを、無謀にも打って出る。しかし、攻撃に力はなく、剣を打ち払われると、首筋に剣を突き付けられた。


「ま、参った……」


「そこまで」


 最後の門下生が降参する。

 ガーネルトムは、少し息を切らしている程度である。ギリムは一先ず安心した。ガーネルトムがここで手傷を負ったら、撤退も難しい。

 他の門下生たちは愕然とした様子で、戦いの結果を受け入れられずにいた。戦いが終わっても、身動ミジロぎできず、放心状態である。


「ほれ! 何をしとる。怪我人の手当てをせんか!」


 老人の言葉に我に返った門下生は、怪我人たちを皆で運んだ。


「やれやれ、四人同時で負けるとは情けないのう……」


 老人が溜息交じりに言うと、フィリームズもさすがに黙ってはいられなかった。


「だったら、ベルン卿! あなたが手本を見せてくださいよ! あなたが道場に来てから、俺たちは一度も、あなたが剣を振るうところを見ていない!」


 ほとんど怒鳴るような声に、他の門下生も手を止め、老人を睨む。

 門下生たちはこの老人、英雄ウィルヘルムの姿を見るのは初めての者ばかりだ。十五年も王都に姿を現していない。この背筋の曲がった老人が、伝説級の戦士だとは信じられない。ただ、師であるリディナーが、師と仰ぐから指導に従っていただけである。


(ベルン? どこかで聞いたな。卿ということは、騎士か、貴族か)


 ギリムはベルンという名に聞き覚えがあった。

 それよりも気になっているのは、ガーネルトムの苦戦ぶりだ。強化系の霊薬ポーションを飲んでもいない、たった四人の恒人メネルに、ここまで時間をかけたのだ。ただの傭兵や兵士程度なら、十人程度は余裕で倒すガーネルトムである。ただの四人なら息も切らすことはなく、己の魔法の力を晒す必要もなかったはずだ。


「なるほど。この老兵の剣が見たいと……。ガーネルトムよ、一本、お願いできるかね」


 ウィルヘルムが言うと、ガーネルトムは剣を肩に乗せて口角を上げる。


「誰であろうと構わんが、老人だからと言って、怪我をさせない保証はできん」


 ウィルヘルムはうんうんと頷く。


「お優しいのう……。それに比べて、リッドの弟子は情けない上に、老体を労わらんとは。やれやれじゃ」


 ウィルヘルムはリディナーのことをリッドと呼ぶ。そう呼ぶのは彼の家族か、親しい友人しかいない。この口だけの老人がそう呼ぶことも、門下生たちは気に食わなかった。

 杖にしていた木剣を掲げ、道場の真ん中に向かう。


「じ、じいさん……」


 レイリアルはさすがに止めようとするが、老人はウィンクして言った。


「よう見ておれ。お主が成したことを再現してみせよう」


 意味深なことを言って、ガーネルトムと向き合った。

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