第5話 類だから友を呼ぶ②

 滅菌室から白衣を取り出した八真人は、そのまま自身の研究室へと向かった。辺りをきょろきょろと見回し溝呂木が追いかけてきていないことを確認し、八真人は研究室のドアにカードキーを翳す。


「あらぁ、主任。おはようございます。」


 研究室の中では女性が一人、デスクに向かって座っていた。明るい茶髪と糸目が特徴的な、身体も胸も大きなその女性は部屋に入ってきた八真人に気付くと立ち上がり、彼の元へと近寄る。


海咲みさきか。今日は一人か?」

「マサくんなら、今さっきここから出たところですよ。皮膚片のサンプルが足りないって言ってましたので、2階の試料室じゃないですかぁ?」


 女性―霧崎きりさき 海咲みさきはどこか間の抜けたような、ゆっくりとした口調で八真人の質問に答える。八真人は彼女の話を聞くと、少し訝しむように眉を歪めて研究室の内部へと進む。そして海咲が座っていたデスクの書類を覗き込みながら呟いた。


「おいおい、そんなに皮膚片を使う実験って……ああ、霊体親和性か。」

「はぁい。各種溶媒に皮膚片を混ぜた液が及ぼす霊体への影響を調べるアレです。」

「何か気になる溶媒でも発見したのかね?これを読む限りでは、新たにいくつか結果を洗い直す必要があるみたいな説明だが。」

「いえ、というよりは今日の明け方頃に異常な数値を計測したみたいでぇ……」


 海咲はそういうと、白衣のポケットから一枚の紙を取り出し八真人に手渡した。八真人は受け取ったその紙を広げて睨みつけるように見つめる。


「見てくださいこれ。午前三時頃に霊体活性値の大きな山がありますぅ。」

「フム……複数の溶媒で同様の事象が発見されている以上、計測機器の故障の可能性もありうるかと思うが。」

「五時以降は通常の数値に戻っていますので、その可能性は低いと思いますよぉ。研究所の戸締りもしてありましたし、マサくんはその時間は確実に寝ていたので誰かが入って細工したみたいなこともないと思いまぁす。ま、どうあれ計測し直しになるので、今までの結果がパァですよパァ。」

「午前三時か……ん?午前三時?」


 八真人は今朝の吸血鬼との一件を思い出し、午前三時という部分に反応する。仮説通り魔力が魂に何かしら干渉するような性質があるとすれば、この霊体親和性の実験に異常値が出てもおかしくはない……そう考えた八真人は、恐る恐る海咲の顔色を伺う。海咲はいつも通りの笑顔で、


「主任、どうかされましたぁ?」


 と八真人に尋ねる。八真人はほっとした様子で、


「なんでもないさ。」


 とだけ言い、着替えるために奥の更衣スペースの方へと向かう。すると、電子音と共に部屋のドアが開いた。


「あっ、ろきさん!主任居たっスよ!」

「本当かね!?」


 音のした方へ八真人が振り返ると、そこには溝呂木と小柄な男性が立っていた。八真人は溝呂木の姿を見るなり苦々しく顔を歪める。


「げぇっ」

「げぇっ、とはなんだげぇっとは。同じ職場で働いているんだから最終的に顔を合わせるに決まっているだろう。さぁ!先程の続きを聞かせて……」

「ろきさん!やっぱ僕の言った通りっス!琴吹先輩のことっスから研究室以外に居るわけないじゃないっスか!」


 八真人に問い詰めるべく詰め寄る溝呂木であったが、それは背後から駆け寄ってくる男性に阻止された。


「あのね、将揮君。今ボクは琴吹君と話して……」

「よくやったぞ将揮!そのまま溝呂木を引き付けておけ!」

「え?は、はいっス!」


 八真人は一瞬の隙を突き、溝呂木から逃走し更衣スペースに駆け込んだ。男性―霧崎きりさき 将揮まさきは戸惑いながらも勢いよく返事をし、溝呂木の方へと再び振り向く。


「それでろきさん、僕のおかげで主任が見つかったっスから、お昼ご飯とか一緒にどうスか?」

「……研究室にはいなかったからと2階をくまなく部屋の一つ一つ、クローゼットの一つ一つ、掃除用具入れの一つ一つに至るまで舐めるように探し尽くした挙句、ボクが諦めて研究室に戻ろうと提案したらそこに琴吹君が居た訳だが、それがどう将揮君のおかげということになるのかね?」

「あぁ、いやぁ、ハハ……」

「マサくん」


 溝呂木に論破され苦笑しながら後退る将揮。ドンと何かが背中にぶつかったのを感じ振り返ると、そこには威圧感を放ちながら笑みを浮かべる……否、目の奥は全く笑っていない海咲が立っていた。


「皮膚片を取りに行くだけなのに道草を食った挙句、溝呂木先輩に多大なご迷惑をおかけするなんて……何考えているのぉ?」

「ひっ……いや、ろきさんが困ってるのを見かけたから、助けるのは当然だろ!そりゃお前を待たせたのは悪かったけど、僕らも主任を探してたところだからちょうどいいやって思ったんだよ!」

「他が生意気な後輩だけに、先輩だと敬ってくれる海咲君の優しさが沁みるね。」

「それで、皮膚片はどこにあるわけぇ?」

「あっ」


 将揮と海咲の言い合いを聞きながら腕組みをし他人事のように呟く溝呂木を後目に、海咲は将揮に詰め寄った。研究室のドアを開けた瞬間から完全に手ぶらだった将揮は、思い出したかのように青ざめ、冷や汗を噴出する。逃げるように飛び出そうとした将揮だったが、それよりも速く海咲が将揮の腕を捕捉した。


「逃がさない。おしおきだねぇ。」

「なっ、何する気だよ!」

「よっと」

「うわぁぁぁぁ!」


 海咲は将揮を軽々と持ち上げて右肩に担ぐ。そしてそのまま、研究室の出口へと向かった。将揮は抜け出そうともがくも、海咲にいとも容易くいなされてしまう。


「おい!お前双子の兄に向かって何するんだよ!やめろよ!」

「おしおきだって言ってるでしょ。兄か妹かなんて私の方が力が強いんだから、抵抗しても無駄よぉ。大人しくしないと昨日のよりもキツイやつ、お見舞いするわよ。」

「ご、ごめんって!悪かったから離して!ろきさーん!助けて!助けてくださーい……むぐっ!」


 将揮は必死に溝呂木に助けを求める。しかし海咲はそれを聞き懐からハンカチを一枚取り出し、丸めて将揮の口に突っ込んだ。そして一旦溝呂木の方へと振り向くと、


「溝呂木先輩、主任には昼までに戻りますとお伝えください。うふふっ。」


 満面の笑みと共に一礼し、将揮を担いだまま研究室を出た。溝呂木は震えるように頷くことしかできなかった。

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