サブリミナル グリム リーパー
狛口
道具としての殺人(1)
少女の手首は手錠によって拘束され、聴覚は耳栓に塞がれ外界の音を遮断されている。視界は目隠しによって奪われ、しかし両隣に座る人間の気配だけはしっかりと感じ取れていた。人間は五感のいずれかを失った場合、残りの感覚が鋭くなるという話を聞いたことがあったが、それはどうやら本当らしい、と少女は思った。
自宅マンションのある九州地方某県から黒のワゴン車に乗せられ、理由もわからず揺られること数時間。ミルクティー色の髪を肩上で切り揃えた少女は、自分がどこへ連れて行かれているのか全く把握できていないまま、いつ終わるとも分からないドライブを文句も言わず受け入れていた。
少女の右隣に座る男――仲原は、あまりにも従順なその態度に訝しげな視線を落とす。
「村雨さん、本当にこの子なんですか?」
「えぇ、間違いないわ。本人確認もしたじゃない」
「それはそうなんですが……」
「貴方が言いたいことは分かる。人を殺すような子には見えないんでしょう?」
少女を挟んで反対側に座る女上司――村雨に自身の考えていたことを当てられ、仲原は小さく首肯する。
仲原たちはとある組織に属するエージェントであり、拘束された少女を指定の場所へ護送するよう上から命じられていた。村雨は過去に同様の任務を二度経験しているが、仲原は今回が初である。少女をチラチラと何度も見遣ったり、口数が多かったりと、どこか落ち着かない様子だった。
「案外こんなものよ。いくら人を殺しているとはいえ、大抵の場合が本人の意思とは関係なく殺人を犯している。性格はどちらかと言えば大人しいし、人殺しに抵抗があるのがほとんど。だからこそ、本人さえも意図しないタイミングで殺人が起こってしまうことがある。死にたくないのなら常に警戒を怠らないこと。彼女たちを見た目で判断して油断している人間ほど早く死ぬわよ」
村雨の鋭い視線に、仲原は固唾を飲み込む。図星だったのだろう。先ほどまでのそわそわとした雰囲気を引き締めるように、両手を膝の上でぐっと握りしめた。緩んでいた後輩の態度が正されたことを確認すると、村雨は次いで少女の横顔を一瞥し、手元にある資料へ視線を移した。
資料には少女の顔写真と共に個人情報がびっしりと記されていた。写真と本人の顔に相違はなく、情報も村雨たちが属する組織の調査部隊によって調べ上げられた信頼の置けるもの。しかし、どういうわけか村雨は資料に対して違和感を覚えていた。
(比良山千里、共働きの両親に弟が一人、虐待なし、家族不和なし、裏社会や新興宗教の類に関わっている様子もなし。大学はサボることなく真面目に通学、バイトは洋菓子販売と家庭教師の掛け持ち。友人は少ないが、人間関係は至って良好……仲原には“大人しい”人間が多いとは言ったけど……)
「……でも、この子の場合は異常なほどに“静か”ね。当たり障りない平凡な人生を送っているのがかえって不気味だわ。他のサブグリーと比べて経歴が普通すぎる。例の作品を世に出すまで問題を起こしたことが一切ないなんて……」
「サブグリーって経歴に難ありなんですか?」
「当たり前でしょ。目を一定時間合わせるだけで相手を殺せるんだから、親しい間柄の人間であればあるほど早くに殺してしまう。周りからのイメージも悪くなって、アウトローな方向へ道を違えることも珍しい話じゃないわ。比良山千里に限っては自分で考えた文章にサンが宿るだけで済んでるけど、それでも被害が全く出ていないのはおかしい。SNSやメッセージアプリ、学校のノートみたいに、彼女の文が他者の目に触れる機会は多少なりともあったはず。でもこの子は誰も殺していなかったし、周囲からの評判もそれなりに良かった」
「なのに、いきなり事件が起きた」と村雨は資料を捲り、二枚目のページに記載された情報に顔を顰める。
――比良山は大学へ進学後、自作小説をWebサイトへ投稿。当作品は“読んだ人間を自殺に追いやる呪いの小説”として一部のオカルトマニアの間で噂が拡散。調査班による調査の結果、小説からは規定値以上のサンの発生を確認。直ちに比良山の作品を削除し、アカウントは停止。本人には事情聴取及び身体検査を行った。結果、比良山が自害のコマンドを保有するサブグリーであることが判明。尚、コマンドは瞳を合わせても作用せず、普段はサンの発生も規定値を大きく下回っている。小説を執筆する場合のみ規定値を五倍上回るサンを確認。本人は無意識であると供述しているため、コマンド制御不能と見なしガーディアンを一名追加した。
追記。被害者は現在確認できているものだけで七〇九人。推定ではそのニ倍以上いると思われる――
「ホント唐突ですよね。今までの人畜無害な経歴は嵐の前の静けさだった、みたいな」
「えぇ。比良山千里が自身のコマンドを理解していた……つまり、有識者からの指導を受け、力を完璧にコントロールできている状態でないと、こんな経歴にはならないと思うのだけれど……飽くまでも本人は無意識のうちの犯行と主張している」
村雨の考察に仲原は目を見開く。
「有識者……僕たちの関係者ってことですか? 確かに有り得そうですけど……でもそうなると、彼女のことを組織に報告してないのはマズイんじゃ……」
「そうね。ただ、組織に属さず、ぼんやりではあるけどサブグリーやサンの存在を認識している一般人は一定数いる。そんな人間が彼女を指導していたなら、情報が上がってこなかったのも仕方がないわ」
まぁ、その指導者も仮説であって本当にいるのかは定かじゃないけど、と村雨は呟く。隣では件の少女が大人しく座っている。リラックスしているのか、背もたれへ身体を預け、顎は少し上を向いていた。手錠に耳栓、目隠しをされ、行き先も教えられずに連行されている状況であるというのに、この落ち着き払った態度。不安や緊張を感じているようには到底見えない。
だから怖い、と村雨は思った。
「怖い?」
「……」
村雨は咄嗟に咳払いをする。どうやらうっかり声に出してしまっていたようで、それをしっかり拾った仲原が不思議そうに聞き返してきた。隙のない先輩像を徹底していた村雨にとって、後輩に怖がっていることを知られるのは恥ずかしいことだった。しかし、仲原によって向けられた悪意のない純粋な疑問に茶を濁すことも叶わず、渋々理由を説明することにした。
「……調査部隊によれば、比良山千里は事情聴取や身体検査に素直に応じ、今後の流れを説明された時も異を唱えることなく全てをあっさり受け入れたそうよ。まるでサブグリーに関する情報を知っていて、これから自分にどんな処分が下されるのかを分かっていたかのようだった、とも言っていたわ」
村雨の発言を受け、仲原は顎に手を添える。
「それは……ちょっと変ですね。サブグリーは認定後に事故死処理がなされて戸籍を剥奪されますし、以降は名前を変えて箱庭に収容されます。外出できるのは特定の任務を受けた時だけで、この先ずっと閉じ込められて生きていくと言っても過言じゃありません。普通はこの話を聞いたら驚くと思うんですけど……動揺もなしに受け入れたとなると、全てを理解した上で“箱庭に囚われるため”に動いてた、って考えた方が辻褄が合いますね」
仲原の指摘はまさに村雨が考えていた通りのもので、同意の意を込めて小さく頷いた。
(そう、彼女の怖いところはそこ。比良山千里は大量虐殺の事実を平然と受け入れた。それがまるで、読者の死は目的のための必要な犠牲だったとでも言わんばかりの態度に私は思えてしまう……いいえ、駄目ね。憶測だけで勝手に恐怖を感じているなんて)
仲原に対して警戒することを促したというのに、なんて情けないのだろうか。恐怖は慎重になるきっかけを作るが、同時に判断力を鈍らせる要素でもある。今回の任務は比良山千里の護送であり、危険度自体はそこまで高くない。しかし襲撃はもちろん、比良山千里が暴れ出す可能性も少なくはなかった。緊急時に適切な行動が取れるよう気を持ち直さなければ、と村雨は己を叱咤する。
――と、不意に車体が大きく跳ねた。
「おわっ、!」
仲原が驚きに声を上げると、同時に彼のポケットから指輪のようなものが落ちた。咄嗟に空中でキャッチし、サッとポケットへ仕舞うと「いやぁ、びっくりした……」と焦ったように独りごちる。
「任務中に装飾品は持ち歩かない方が良いわよ」
「すいません……ちょっとしたお守りみたいなもの、でっ!」
舗装されていない道でも走っているのか、タイヤが障害物を乗り越えるのと同時に仲原の語尾も跳ねた。
「道が荒れてきたわね……」
「すみません、大丈夫でしたか?」
「あ、はい!こっちこそ大きい声出しちゃって申し訳ないっ、……です」
運転手の声かけに気丈に答えようとするも、再び仲原の言葉を遮るように車が揺れる。まるで狙ったかのようなタイミングだった。その衝撃で口内のどこかを噛んだらしく、口を手で覆った仲原は痛々しげに眉を歪めている。大丈夫かと村雨が顔を覗けば、片手を挙げて「大丈夫です……」と苦笑いを浮かべた。
「ちなみになんですけど、あとどれくらいで着きますか?」
「20分くらいはかかるかと」
運転手の回答に仲原は小さくため息をつく。あと20分、この尻が痛くなる苦行のような時間を耐えなければならないのか。
「……取り敢えず、アンタはもう黙ってなさい。この感じだとまた口噛むわよ」
村雨のため息混じりの忠告に仲原は首を縦に大きく振った。
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