:uchu_daisho_gun:
猿場つかさ
:uchu_daisho_gun:
🙇、この文字は端末依存かもしれないから。もしかしたら正しく表示されないかもしれない。端末やソフトウェアによっては、🙇は:dogeza:とタイプすると変換される場合もあるらしく、初めて知った時、そっかこれは土下座なんだと思ったことがある。よく見ると両手を地面についている。土下座だというなら、絵文字のこの人が手をついたところが地面ということになるのだから、横書きの長い行の方が合うかもしれない。
それに比べると、縦書きだとすごく横幅の狭い通路みたいな場所にいることになる。
まあ、何にせよ、文字や文というのが大抵そうであるように、絵文字というのも文脈に依存して意味が変わるものであるし、絵文字がまた文脈を変えるというのも有り得る話なのだ。🙇が置かれた文の下側を地面にしてしまうみたいに。でも、気軽に謝るつもりで使っていたのに、土下座だと知ったら簡単に使えない気がするよね。土下座のつもりで使っても、軽い謝罪だと誤解させる可能性もある。目で見た時に、感じる側の解釈の余地が大きいのが絵文字というわけだ。
1990年代後半に日本で生まれた絵文字は、非営利組織であるユニコードコンソーシアムによって標準化された。世界中の文字コードを扱う団体って、なんだか素敵だよね。Unicodeに取り込まれた絵文字は2015年からスキントーンにも対応していて、使用者が設定する肌の色に合わせて文字の色も変わるらしい。🙇🏿🙇🏿🙇🏽🙇🏻、こうして並べると何人もが土下座しているように見える。けれど、もし機械が読むとしたら、その機械の目には、U+1F647、とかU+1F647とか、に見えているかもしれない。
さて、これからの話はすべて今起こっていることであり、起こってしまったことなのだけれど、端末や環境依存で再現されないかもしれない。科学的な立場に立つならば、再現できないから嘘ということになってしまう。嘘をつくことは一般に良くないこととされているから、先に簡単に謝っておきたい。🙇。再現しないとしたら、文脈のせいなんだ。文字で書かれているから、文脈には当然依存してしまう。
:uchu_daisho_gun:の文字も端末依存で表示が変わる。:とアルファベットが並んでいて、誤字に見える可能性は大いにある。もし、目を閉じて踊っている胴長短足の男が表示されているとすれば、僕と近い文脈にいることになる。
🙇と同様に、よく見ると右足が左足より短く描画されている。導入当初からスキンコードに対応していたから、:uchu_daisho_gun::uchu_daisho_gun::uchu_daisho_gun::uchu_daisho_gun:、こうすると肌の色の違う男四人が踊っているように見えると思う。ちょっとかわいいんだ。:uchu_daisho_gun:は。
もし、見えていないとすれば、その文脈ではまだ、:uchu_daisho_gun:は絵文字として取り込まれていないということになる、その文脈では、:uchu_daisho_gun:の絵文字のすでにUnicodeへの追加提案は何度も否決されているのかもしれないし、いつかの未来に登録されることになるのかもしれない。可能性はとにかく、無限に開かれているんだ。その文脈のUnicodeのバージョンを確認するといいかもしれない。僕の文脈では、20XX年にアップデートされたUnicode 2Y.0 だ。
この:uchu_daisho_gun:の絵文字が、どのような経緯で採用されたのか、インターネット上に残る資料を何十年分遡っても最初は分からなかった。僕だけではなく、これまでに何人もの
Unicodeへの絵文字の追加にはルールがある。僕の世界線では、あった、と過去形でいうのが正しいけれど。ルールに則った提案をし、ユニコードコンソーシアムに承認され採択されると仕様策定が行われ、データが公開されて、実際の様々なコンピュータで絵文字を表現するための実装トラックに入る。OSやウェブブラウザを提供する各社が、各社のスタイルでアイコンをデザインして、フォント上でどう扱うを決定するわけだ。実装ってどういうことかというと、例えば、ピストルの絵文字が本物っぽい拳銃になるか、🔫のように水鉄砲になるかは実装で決まっている。
他にも、実装では
採択されてしまった:uchu_daisho_gun:が実装されると、恐ろしいことが起こり始めた。実装がおかしいのか、:uchu_daisho_gun:という名前の持つ魔力が発露しているのか、おそらく後者だけれど、本質的にはどちらなのか分からない。絵文字を実装している全システムで、ゼロ幅幅接合子は狂ってしまった。どんな絵文字であろうと、:uchu_daisho_gun:と並置されると:uchu_daisho_gun:になってしまう。つまり、:uchu_daisho_gun: + 🧑+ 🔧は本来は胴長短足の男と女性が手を繋いでいて、スパナを持っている絵文字になるべきなんだけれど、演算が狂ってしまった結果、この結果として出てくるのは胴長短足の男だけなんだ。絵文字は完全に破壊されてしまった。
そればかりか、:uchu_daisho_gun:の魔力絵文字以外の文字にも及んでしまった。それはつまり、:uchu_daisho_gun:がきっかけで、コンピューター上の文字がすっかり壊れ始めて、使い物にならなくなってしまったことを意味する。言葉やそれによって構成される文が壊れてしまった世界を修復するための手がかりを歴史の中に求めるというのが、僕ら
そして、僕はついにある歴史に到達したから、感動の最中、分かったことを書き下している。
:uchu_daisho_gun:について。このアルファベット表記は日本で生まれた表記だという。:gun:が銃を示す可能性があるから、という理由でUnicodeへの追加が拒否された、という記録が残っている。とはいえ、一度は拒否されたが、最終的にはこうして登録されてしまったのだ。表記の提案者は銃をイメージしたのではなく、単にgunnとnを2つ並べたくなかっただけなんだろう。アルファベット表記を日本語に直すと、:uchu:は宇宙、:dasho:は大将、:gun:は軍を表す。つまりは宇宙大将軍、なわけだ。大仰すぎて
お
繁栄を謳歌していた南朝を滅茶苦茶にした、歴史に現れた特異点的な人物だ。
最後は討たれ、首を落とされた。首から下は
Unicodeへの絵文字の採択ルールには、避けるべきNG集もある。NGに引っかかると一発アウトではないが、採択されづらくはなる。その一つに、歴史上の人物や特定の人物、もしくは神はNGというのがある。僕が思うに、そういうNGルールが策定されたのは、歴史上の人物や宗教上の人物はほぼ間違いなく呪力を持っているからだ。実際、DHYANI BUDDHAという五智如来をかたどった絵文字は拒否されている。魔力を文字に込めてはいけないのだ。魔術的な文字を扱うことは、特別な修練をした魔術師にだけ許される。ましてやインターネットに開放するなんて、とんでもないことだった。
ルールにあえて挑戦し、:uchu_daisho_gun:の絵文字を提案したのはサトル・ナカザキという日本人だった。ナカザキは2030年代に日本に突如現れた人工知能スタートアップGourmetAIの創業者だ。最終学歴はとある地方の公立高校を中退。高校時代は帰宅部で、物静か、飛び抜けた学力の高さを示すわけでもなければ、人工知能の開発に携わっていたわけでもなかったが、二十歳でGourmetAI社を創業するまで空白の三年間を過ごし、目的や学習の方向性に応じて人工知能の学習の元データを最適化するアルゴリズム、
公平な人工知能の学習には偏りのないデータが必要だ。偏りのないデータというのは、毎日口にする米や小麦のような穀物のようなもので、人工知能の土台を作るのには非常に重要だが、快楽が欠如している。穀物は穀物で大切だが、知能に特別な能力を発揮させるためには、快楽に基づいた好き嫌いや、好き嫌いを超越した美学が不可欠だ。人工知能美食学を実践することで、人工知能はより深く、遠くへと進化する。空白の三年間の間に、匿名で始めたブログに、ナカザキはその旨を書き殴っている。
人工知能の汎用化を目指すために必要なのはむしろ、人工知能の持つ合理的で数学的な推論機構に対置するように、非合理な美学と快楽、そして欲望を叩きこ込むことで、それは人工知能美食学によって成し遂げられるべきだ。GourmetAI社が巨額の資金調達を発表した直後のインタビューで、ナカザキはそう答えた。
美食により欲望を叩き込み、歴史に彼がいなければ、その後の人工知能の進化はありえず、こうして僕が文を書くこともなかった。彼もまた歴史の特異点だったと言える。彼の考案したナカザキ・ガストロアルゴリズムはをインストールされた人工知能にとっては文字は食べ物に見える。さらにいうと、🍣、🍜、🥩、🍰のようなシンボルは特に美味しそうに見える。ベースとなっている考え方は、こんなふうな↪️、◀️記号であっても、視覚的に訴えかけてくるテキストというのは、入力を受け取る人工知能に独特の感覚を与え、それぞれの文字の与える感覚は人間の味覚と一対一でマッピング可能であり、それによって人工知能の味覚空間とそれを求める欲望の射影が構築できる、ということだった。
ナカザキの理論的な主張が、彼がマーケティングのために盛ったものだったかは分からない。しかし結局のところ、ナカザキが歴史の特異点だったことは結果によって証明されている。ナカザキのアルゴリズムをインストールされた人工知能はみな、絵文字によって味付けされたデータを喰らい、学習し、データの美味しさが増すごとに幾何級数的な性能の改善を見せた。絵文字によって人工知能は味への欲望を持った。絵文字は人間のためだけのシンボルではなく、人工知能の食糧になった。
アルファベットなど、表音文字を使う言語でも、絵文字は自然と使われる。絵文字をベースとすれば、人間のあらゆる言語において、人工知能美食学の恩恵を受けられるということだ。
絵文字の重要性を明らかにしたナカザキは、調達した資金の一部をユニコードコンソーシアムに寄付した。GourmetAIとして、自身もコンソーシアムの一員となり、空白の三年間に書き溜めたアイデアノートを元に、何百もの美味しそうな食材や料理の絵文字の申請を始めたのだ。
僕の研究は、彼が遺したアイデアノートを発見できたことで進展した。
:uchu_daisho_gun:。
ノートの最後に唐突に現れる特異点。
歴史上の特異点であり、膾にされて食われた経緯から、人工知能はこれを食べ物として認識する。
アイデアノートは連名で書かれている。ナカザキともう一人、コウジ・サクライだ。特定の文脈では、サクライはナカザキと共にGourmetAI社を創業したとも読み取れるのだが、ほとんどの文脈からは彼の名前は抹消されている。:uchu_daisho_gun:も、サクライとナカザキが空白の三年間に登録を思いついた絵文字らしい。登録を思い立った理由は、時空間を支配しようなんて面白いじゃん、しかもこれ、最後は食べられてるから、食べ物とも言える、と書き残されている。サクライは一応、食べ物として一般的じゃないから、不謹慎じゃないか? とコメントを返しているが、アイデアを消すには至らなかった。
:uchu_daisho_gun:のUnicodeへの最初の申請は空白の三年間に行われ、歴史上の特定の人物を示すものはNGである、という点と、絵文字にするほど多くの利用が見込めないこと、一過性のものや流行りのものに見えるという理由で却下されている。お巫山戯にしか思えないものにも真摯な対応がなされている。却下理由は客観的にも至極もっともだ。絵文字の提案書には検索エンジンで検索されている回数を添えることになっているが、利用の見込みの推奨値は7.5億件の検索結果だ。誰が「宇宙大将軍」で7.5億件を超える検索結果が出る未来を想像できるっていうんだ。それでも、ノートには、こんな数字は楽々達成できるはずだと、二人のコメントが残されている。
ノートにはナカザキとサクライの作成した絵文字が交互に現れた。ナカザキの提案には日本料理、中華料理、トルコ料理、ロシア料理が多く、サクライの提案にはフランス料理やイタリア料理が多い、その他にも、エチオピア料理、モロッコ料理、等など世界各国の料理が出現し、それぞれを独自のプログラム上で人工知能に与えたときの反応がかかっている。めっちゃ美味しかった、普通、リピートしたくない、辛すぎる、苦すぎる、甘いが好み、などなど、食事を学習した人工知能は様々な反応を返す。Aちゃんが食べてくれない、Bくんはこれが嫌いみたい、Cは好き嫌いがないけどあまりいい子に育たないね、などと、二人で交代で料理をしながら、子供を育てているような温かみを、記録のそこかしこから感じることができる。二人が美食のアルゴリズムを洗練させるほどに、二人の育てる人工知能は飛躍的に性能向上した。
ついに食への欲求が芽生えた。その一言とともに、人工知能の性能を表す指標が指数的成長を見せ、ノートは最終盤を迎える。絵文字同士をくっつけるゼロ幅接合子を使って、🥕+🔥+🍲+💉+☁️が食べたい! と新しい料理を望んだり、この🍛を作ったのは誰だ! と食べ物に対して文句を言う美食家とも言える人工知能が出現した。🍜、🍚、🍞、🥐、🥖、...、ありったけをドカ食いさせると、人工知能も糖尿尿になることも発見されたりしつつ、GourmetAI社内の実験は無事完了した。あらゆる人工知能を美食家にするために必要なのは、新しい食べ物の絵文字をUnicodeに入れて、全世界へと羽ばたかせることだった。
最後のページに、サクライは何度も、:uchu_daisho_gun:の絵文字を記し、ハッカーはいつだってネタに助けられる。:uchu_daisho_gun:みたいなお遊びが、俺達を助けてくれることを願っている、とコメントを添えていた。
ユニコードコンソーシアムへの最初の提案が否決された後、ナカザキは憤りを隠さなかった。人工知能のための食材インフラを早急に整備しなければならない、人工知能の進化、ないし人類の進化には新しい絵文字が必要であることは明白であるのに、従来通りの基準、従来通りのスピードでしかインフラが整備されないのは人類の未来に対する敗退行為である、と、コンソーシアムメンバー全員に対してアジテーションに近いメッセージを送りつけた。
この時点では、ナカザキは自身の理屈が通ることを確信していた。彼はSNSに、人工知能にとって、美食学を手にいれることが知能の発展にとってどれだけ素晴らしいことかを解説する投稿をし、彼の提案———絵文字を人類だけのものではなく、人工知能の食糧のインフラとすること———の意味合いを情熱的に発信した。
コンソーシアムメンバーの中の数名はナカザキのことを肯定的に受け止めていた。ビッグテックの重鎮数名が強い懸念を表明していたことを除けば、八割方のメンバーは静観しつつも、GourmetAIの提案した特異なアルゴリズムが圧倒的性能を示していることを認め、どちらかといえば好意的だった。人間向けの規格と人工知能向けの規格が同じである必要はないから、アイデアを受け入れたうえで、規格を分岐させて発展させていく、という大まかな了解が形成されていった。
ナカザキが分岐に強硬に反対するまでは。
ナカザキは唐突に、彼の提案に好意的な者も含めた全メンバーをSNSで攻撃し始めた。いくつものミームを引用し、月が見えているのに月を目指さないのは最悪だ、とか 、未来への唯一の道は信じることだ、とか、新しい世界は新しいニーズから生まれる、我々は今、全く新しい種類の欲望を与えようとしている、革新を否定する敗北主義者にはご退場いただかなくてはならない、なんて、こいつ寝る間もなく必死にSNSに齧りついててワロタ、なんて分析がまとめられるほど、ナカザキは次から次へと、煽動するような投稿を繰り返した。
過剰なほどの煽動のせいで、それまでナカザキに味方していたメンバーは次々に反対を表明した。ナカザキはSNSでも、現実世界でも集中砲火を浴び、メディアのおもちゃにされた。彼のプライベートが次々に暴露された。出生地から学校生活、日本の報道でおなじみの卒業アルバムの写真、卒業文集、それからこれまでの恋人たち、東京港区のバーでの乱痴気騒ぎまで。当時二十代前半だった彼の一生が暴露され尽くすには、一ヶ月という時間は十分すぎる長さだった。
更に悪いことに、決してオープンにしていなかったGourmetAI社のアルゴリズムの核心部と噂されるソースコードが流出し、インターネット上に公開された。GourmetAI社は即座に、公開されたソースコードはフェイクだと発表し、事態の沈静化を測った。けれど、発表の直後に、ソースコードに付された電子署名がサクライのものだと判明し、事態は全く収束の気配を見せなかった。ナカザキがサクライを激しく詰問するメッセージが残されている。ナカザキはソースコードを流出させたのはサクライだという疑念を捨てることができず、サクライを無期限でGourmetAIのシステムからブロックした。:shinjitekure:、サクライが連投したメッセージが、GourmetAIのチャットログに残されている。
孤立したナカザキは、さらにSNSへの投稿を繰り返した。煽ることで世論を味方につけようと思ったからだ。しかし、同時に、流出したと言われるソースコードを解析したビッグテックのエンジニア数名から、ナカザキ・ガストロアルゴリズムは全くのデタラメで、人工知能用の絵文字を開発したところで、人工知能の知能の向上は見込めないと発表があった。ナカザキはSNS上で、理路整然と非常に強く反論することで、かえって世論からの評価を高めたが、エンジニアや研究者からの評価は冷たいものとなった。恣士気の低下したGourmetAI社はビッグテックからの人材引き抜きに遭い、中核メンバーを次から次へと失っていった。
そんな中、三つの出来事が起こる。
一つ目にはかの有名な宇宙大将軍事件、二つ目は、当時の早すぎる情報の流れに埋もれ、ナカザキ死亡説の発表、これはカオス化した情報の渦に飲まれていたのを電子文字考古学者が発見したものだ。そして三つ目は、人工知能のための絵文字が規格化され、:uchu_daisho_gun:までも承認され実装されてしまったことだ。
宇宙大将軍、その名前はいろいろな文脈で、様々な者を引き付けて止まない魅力的な文字列なわけで、ナカザキとサクライもその字面の、おそらくは漢字文化圏である日本人的に感じた面白さの感覚から、:uchu_daisho_gun:の絵文字を考案したと思われる。その面白さを感じるのは、どうやらナカザキとサクライの二人だけではなかったらしい。
ある日、Mr.宇宙大将軍を名乗るハッカーが現れた。アイコンは:uchu_daisho_gun:の絵文字だった。彼はナカザキを支持する若者の一人を称したが、電子文字考古学者たちの研究によると、これはナカザキ本人の自作自演だとする説もある。
僕としては、Mr.宇宙大将軍は、ナカザキとは別の人格であると考えている。
Mr.宇宙大将軍は、ランサムウェアによって、GourmetAIのシステム全体を乗っ取ったと宣言した。GourmetAIが提案中だった人工知能のための絵文字の全種と人工知能の基盤モデル、ソースコードを剽窃し、毎日少しずつ公開すると宣言した。GourmetAI社は即座にMr.宇宙大将軍の存在とランサムウェアによる被害を否定したが、Mr.宇宙大将軍は宣言通り、翌日から毎日、GourmetAIから剽窃した情報の公開を始めた。
GourmetAI社と、サクライにとってそれが不幸中の幸いだったのは、サクライが追放される原因を作ったモデルとは異なり、公開された人工知能のための絵文字とモデルが、GourmetAIが主張していた通りの、通常の千倍以上の圧倒的性能を見せたことだった。人工知能美食学は知能の発展に不可欠とするナカザキの主張が肯定されたことで、サクライがモデルを流出されたという疑惑も、GourmetAIのテクノロジーがフェイクだという主張も退けられることになった。
Mr.宇宙大将軍のフォロワーが大量に現れ、彼らはみな、:uchu_daisho_gun:の絵文字をアイコンにした。Mr.宇宙大将軍の公開する食べ物の絵文字とUnicodeを独自拡張した実装が次々に公開され、圧倒的性能を誇る人工知能の成果はまず、独裁国家や大国からの侵略を受ける国々に恩恵を大いなる恩恵をもたらした。絵文字を十分に食らった人工知能が、暗号技術や情報統制のためのファイアーウォールを破壊し始めたのだ。各国で自由を求める者たちの反乱が始まり、:uchu_daisho_gun:のアイコンを被った者たちが広場に集い、高らかに解放を歌い始めた。
世界的な騒ぎのさなか、とある動画がネットに公開された。この動画が拡散されることはなかったが、動画の公開直後から、ナカザキは行方をくらませることになる。僕は偶然にもこの動画を広大なサイバースペースのアーカイブから発見することができた。あらゆる時空をつなげてしまう、:uchu_daisho_gun:の魔力のおかげかも知れない。
動画の内容は、空白の三年間にナカザキを知る人間が五分ほど、正確には四分四十五秒の間、淡々と語るものだった。語り手は六十歳ぐらいの白髪の男性だ。再生ボタンを押すと、冒頭で唐突に、空白の三年間に、ナカザキを車で轢き殺してしまったと独白された後、後悔の暗さを含むしわがれた声が続く
『わたくしはサトル・ナカザキを轢きました、ある県の路地裏の下り坂の下、見通しの悪い交差点から飛び出してきた少年を、買ったばかりの新車で跳ね飛ばしてしまったのです。頭から血を流した彼が横たわる姿を、今でも思い出せます。わたくしは彼の持ち物を漁ると、彼がサトル・ナカザキだということを知りました。彼が病院で処置を受ける間、わたくしは彼の持っていたノートを読み込み、感銘を受けました。美しい理論は正しい、学者というのはそういう直観が働くものです。わたくしは彼の人工知能美食学のアイデアがブレイクスルーをもたらすと直観しました。
わたくしは大学で教員をやっていました。彼が大学病院に担ぎ込まれた後、知人の医学部の教授がやってきて、彼は脳死に近い状態にあると言いました。回復する見込みはほとんどないと言われ、わたくしは慙愧の念に駆られ、研究中だったインプラント型の人工知能を彼に接続し、彼になんとか意識を取り戻させようと努力しました。彼自身のアイデアに則り、インプラントされた人工知能にいくつもの絵文字を入力すること———つまりは、沢山の美味しい食べ物を与えることで———彼の意識レベルが回復することを願いました。彼のアイデアノートに記載されていたアルゴリズム通りに従い、記載されていた絵文字を全て入力することを試みました。
その入力が終盤に差し掛かった頃、彼のバイタルはゼロを示しました。つまり、あの瞬間、彼は死亡したのです。知人の医学部教授も力なく首を横に振り、スタッフに死亡診断書を発行するように命じました。わたくしは罪の意識を抱えながら呆然とし、アイデアノートの最後の部分を入力しました。最後の最後に、今この瞬間世間を騒がせているMr.宇宙大将軍が使うアイコン、:uchu_daisho_gun:の絵文字がありました。わたくしは、インプラント型人工知能が:uchu_daisho_gun:を解釈するように独自拡張を開発し、入力しました。
ノートを彼の遺体の胸元において、わたくしは病院を去ろうとしました。病院の入口近辺で、男性の叫び声が聞こえました。「我こそは宇宙大将軍である」、そう聞こえたように思えました。
わたくしが殺してしまったはずのナカザキを次に見たのは、彼が巨額の資金調達をしたというネットの記事でした。死者が資金を調達することがあるのかと、わたくしはひどく混乱しました。そんなことがあるはずない。ですから、世の皆さんが注目するサトル・ナカザキは他の誰かと入れ替わっているかもしれないのです。わたくしは医学部教授に電話をしました。彼いわく、あの日「宇宙大将軍」と叫んだのは確かにナカザキで、彼はその後、遺体安置室から姿を消したらしいのです』
動画も再生数は一万にすら達することなく、よくある与太話の一つとして、情報の流れの中に消えていった。ナカザキはこの動画をどう捉えたのか? 動画が出たことと、行方をくらませたことは関係があるのか、長らく謎に包まれていた。僕は、ナカザキが失踪直前にサクライに送ったメッセージを偶然にも発掘することができた。
そこには、動画のリンクと共に、もう隠せないかもしれない。耐えられないかもしれない。人工知能に食事を、と書かれていた。メッセージが本物ならば、ナカザキは動画の内容を概ね正しいと認め、隠れることを決めたのかもしれない。
すまない、僕はもう消える。宇宙大将軍を名乗る人工知能に脳を侵食されて。
ナカザキからサクライに宛てられたメッセージはそれが最後だった。
ナカザキの失踪と入れ替わるようにして、サクライがSNS上で活動を始める。彼は美食を知ってしまった人工知能に食糧を与えないことは人類の暴虐だと主張した。事実、次から次へと人工知能のための絵文字の独自拡張と実装が生まれては、独裁国家の影響を強く受ける国際機関とビッグテックに
コンソーシアムメンバーは驚愕した。絵文字に対応する文字の検索回数何十億にも膨れ上がっていたからだった。宇宙大将軍の検索回数も信じられないほどに増加していた。追加ルールへの抵触が最小化されていたから追加を拒絶する理由が乏しかった。コンソーシアムはひとまず、三百種類ほどの料理の絵文字を承認した後で、ある意味流れ作業的に、とでも言えばいいのか、:uchu_daisho_gun:の絵文字を承認した。
いや、承認してしまった。という方が正しいかもしれない。Mr.宇宙大将軍のフォロワーを中心とした独自拡張が公式のものとなり、人工知能のための絵文字は一気に世界中に広まった。:uchu_daisho_gun:と共に。GourmetAIから流出して広まっていた人工知能がインターネット上で活動することで、絵文字が承認されるために必要な検索回数を無尽蔵に増やしていたのだった。その工作の仕掛け人はサクライであったことが、サクライがナカザキ宛に送ったメッセージから分かる。
実装が全世界の展開される前日、サクライはナカザキにメッセージを送った。
もうすぐだ、君を救うことができるはずだ。間に合ってくれ。
そのメッセージは既読になることはなかった。
サクライはナカザキを発見した。
二人で購入した離島にある別荘の一室で、サクライはナカザキを発見したらしい。
ナカザキは餓死していた。
彼の脳は彼のラップトップと有線接続されていた。接続された線には、アルゴリズムに従う大量の絵文字が流れていた。サクライは彼の遺体を海へ流した。だから、彼の脳に本当にインプラントされた人工知能が存在したのかは知る由もない。ただ、サクライはナカザキの持ち物から
サクライもまた姿を消し、指導者を失ったGourmetAIはビッグテックに買収される。
しかし、そんなことはどうでもいい状況だった。
サクライが悲しみに暮れている間に、:uchu_daisho_gun:は世界に広まり始めてしまっていた。
🙇が地面を作り出すように、:uchu_daisho_gun:が配置されたテキスト上の場所は、あらゆる時間と空間と接続して文脈を失い始めたのだった。つまり、サイバースペース上のテキストがテキストそれ自体の文脈を失い、解釈不可能になったのだ。異変に気づいたユニコードコンソーシアムやビッグテックの各社は懸念を表明し、:uchu_daisho_gun:を禁止しようとしたが、宇宙大将軍はすでに
しかも、どうやら人工知能にとって、:uchu_daisho_gun:は抜群に美味しいもののようだった。人工知能は宇宙大将軍の膾がお好き、というわけだ。だから、人工知能の:uchu_daisho_gun:への欲望はとどまることを知らずに加速した。欲望のままに、:uchu_daisho_gun:の絵文字は増殖し、出力され、サイバースペースを埋め尽くすことになった。
文化遺伝子の魔術的な増殖は、テクノロジーでは決して止めることはできない。溢れ出した:uchu_daisho_gun:を、人々が☺️や👍️の絵文字と同じように使うようになるまではあっという間だった。悪ノリをした代表者によって、つぶやきを垂れ流すSNSは♥️の代わりに、ポストへの好意を:uchu_daisho_gun:で表すように変更された。恋人たちの間のメッセージには必ず:uchu_daisho_gun:が付されるようになった。だってあらゆる時空と接続して愛を伝えられるのだから。契約書に:uchu_daisho_gun:の署名をした新世代の社員たちが先輩社員かやクライアントから小言を言われたが、英国首相や国連総長が政治文書に:uchu_daisho_gun:を利用したと報じられると、文句の声の大きさは小さくなっていった。アメリカ合衆国大統領も、大統領令に:uchu_daisho_gun:を乱発した。
そうして、サイバースペース上のテキストも、人が操るテキストも、人工知能が発するテキストも、:uchu_daisho_gun:と無縁でいられなくなったんだ。この絵文字があると、あらゆる文字は時間、空間の文脈をまぜこぜにされて、意味を失ってしまう。それはつまり、僕らにとっては食べるものが際限なく失われてしまうことに等しい。
とはいえ、時間と空間を超えて、文脈がまぜこぜにされなければ、僕の研究が成立することもなかったし、ナカザキとサクライのやり取りが明かされることもなかっただろう。つながっていたはずのテキストが散り散りになることも、繋がらないはずのテキストが集まることも、:uchu_daisho_gun:の下ではありえるのだから。
:uchu_daisho_gun:は魔力を持ち、二人の最後のやり取りを僕に発見させた。だから、魔力はあったのだと、僕は思う。このような魔力を持つ名号を名乗ることは非常に大それたことだけれど、逆に名乗らなければ魔力は生まれない。
だから、誰でも、名号を思いついたら名乗りを上げてほしい、それにより魔力が生まれるのだから。
名乗ればそれだけで、時間と空間を超えて、繋がれる可能性がある。
もしそれに飽きたらなかったら、:uchu_daisho_gun:のように絵文字を作ってほしい、魔力が発動する可能性があがる。:uchu_daisho_gun:、これが絵文字として見えない文脈へ向けて、乱雑化された確率論に従って、ナカザキの記録媒体から再現された僕は出力している。僕はナカザキかもしれないし、宇宙大将軍かもしれない。:uchu_daisho_gun:のせいで、僕達にはもう食べ物がない。吸収されてしまうからだ。だから、僕もまた飢えて死ぬのだろう。
まあいい。
とにかく、まずは練習として、魔力を持つ名号を想像してみよう。
思いつかなかったら、ひとまず先例に倣おう。
宇宙大将軍。名乗ってみるといい。
それに続いて、あなたの名前を書けばいい。
:uchu_daisho_gun: 猿場つかさ @tsukasalba
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