第5話 正ヒロインの様子がおかしい

「る、瑠香……」


 曲がり角で鉢合わせした美少女。


 それは隣にずっといてくれている義妹のことじゃなく、この世界の正ヒロインのことだ。


 ――若野瑠香わかのるか


 ちょうど彼女とぶつかりそうになりながら対面。


 瑠香は一瞬意味ありげに瞳をうっとりさせた後、すぐに警戒するような表情を作り上げ、


「……おはよう、伊刈君」


 渋々俺に挨拶をしてくれる。


 ただ、こんな感じになるのも無理はない。


 なんたって俺は悪役であり、恐らく瑠香や遊星に散々ちょっかいをかけているはずだから。


 正直、そんな奴に挨拶なんてしてくれなくてもいいのだが、そこは瑠香の優しい部分が出てる。


 俺がこいつの立場なら絶対に無視してる。


 構うだけ損だ。それこそ遊星との仲がこじれる


「おはよう、瑠香」


 それでも、俺は一応挨拶を返した。


 挨拶を返すと、隣にいた陽花が俺との距離を縮めてきた。


 まるで俺を独占するかのように腕を抱き、瑠香の方を軽く睨んでいる。


 結構露骨だ。この子、本当に伊刈虎彦という義兄が好きなんだなぁ、と実感。まあ、その伊刈虎彦は今俺なんだけど。


「伊刈君、前から言ってるよね? 下の名前で呼ぶのはやめて、って」


「そうなのか? けど、他意は無いよ。特に今の俺だとなおさらな」


 そこのことろを強調しておく。


 でも、たぶんその言葉だけだと彼女に真意は伝わらないだろう。


 正木俊介という意思が今伊刈虎彦の中に宿っている、なんて。


「他意が無いかどうかはアタシが決めることだから。いくらあなたがそう言っても、そんなの簡単に信じられない」


「その心は?」


「決まってる。散々アタシと遊星に絡んでくるから。もうやめてって言ってるのに、それでも伊刈君、色々やめてくれないじゃん」


「じゃあ、それも今日で終わりだ。安心してくれ」


 少し食い気味に、しかし冷静な声音で返す俺。


 瑠香はポカンとし、陽花は目を丸くさせながら俺を見つめてきた。


 二人の声は重なってる。


「え」と。


 一文字がかなり上手くハモった。


 俺は鼻を掻いてから続ける。


「迷惑掛けてたって自覚は充分ある。色々とトチ狂ったようなこともしてごめん。言った通りだ。今日から俺は瑠香と、遊星に近付かない。ここに誓う」


「……なんで?」


「……え?」


 なんで、とくるか。


 まさかそんな問い返し方されるとは思ってなかった。てっきり喜ばれるかと思ったのだが、どことなく想定外だ。


 神妙な眼差しで、俺のことを心配するように首を傾げてくる。


「すごく急。何か心替わりするようなことでもあった?」


 転生して意識が入れ替わったから。


 ――なんて答えられたらきっと簡単なんだと思う。


 でも、現実はそういうわけにいかないから。


 俺は軽く頭を捻り、突発的な嘘でこの場を切り抜けることにした。


「俺には傍に陽花がいてくれるから。それだけで充分、いや、それこそが一番の幸せだって気付いたんだ」


「陽花ちゃんって……妹だよね?」


「義妹だ。義妹の陽花を愛してる。好きなんだ」


 大胆過ぎる告白。


 当の陽花はまさかこんなところで告白されるなんて思ってもなかったようで、顔を真っ赤にさせ、口をパクパクさせながらこっちを見つめていた。


 心の中で謝る。突発的なことをしてすまない、と。陽花の体を自身の方へ抱き寄せながら。


「陽花がいるから、他の女の子にも手を出したりしない。ここに誓う。破ったら裸で町内一周してもいいレベルだ」


「……何……それ……?」


「何って、言葉通りだよ。陽花だけでいい。ただそれだけだ」


 言いながら違和感を覚えた。


 おかしい。


 もっと喜ばれるかと思ったのに、心なしか瑠香がショックを受けているように見える。なんでだ? 錯覚か?


「陽花ちゃんだけでいいって……実の義妹だよね? 伊刈君がそんな陽花ちゃんだけで満足できるわけないじゃん。絶対他の女の子の方行くって」


 ……アタシとか。


 と。


 そう言ったように聴こえたが、実際には詳しく聴こえなかった。


 言葉の尻の方でもごもごと呟き、瑠香は頭を抱えるようにうつむいた。


 目はどことなく虚ろだ。


 その理由がわからない。


 ほんと、なんで喜ばないのか。


「……絶対無理。伊刈君がアタシを諦めるなんて無理だよ……無理に決まってる」


「……? 瑠香……?」


「ほら! その呼び方!」


 すごい勢いで指摘された。


 瑠香の瞳は妖しい光で爛々と輝いている。


 少し怖いくらいだ。なんか表情の勢いが凄い。


「陽花ちゃんでいいって言う割には、アタシのことずっと下の名前で呼んでる! 離れられない証拠だよ!」


「いや、別にこんなの関係ないだろ。俺、本当にお前と遊星に手出ししないから」


 しつこいと思った。


 出会って早々この状況は何だ。


「ていうか、なんでそんな追求してくる? これじゃあまるでそっちが俺と決別することを惜しんでるようにも見えるんだが?」


 核心を突くような発言だと、自分でも認識しながら瑠香へ言う。


 瑠香は一瞬目を見開き、すぐに首を横に振った。


「やめてよ。そういう勘違いはやめて。伊刈君、そんなのあるわけないから。アタシが君との関係解消を拒むなんて」


「じゃあ、なんでそんなに俺が離れられないだのなんだの躍起になって言ってくる?」


「躍起になんてなってない。アタシはただ単純に現実を言ってるだけだよ」


「俺がこれからもお前にちょっかい出し続けるって?」


「そう。君はアタシと遊星にこれからも絶対絡んでくる」


「俺が違うって言い切っても?」


「言い切っても」


 話が堂々巡りだ。埒が明かない。


 ため息をつき、「だったら」と俺は陽花の腰に手を回す。


「お前はそう思い続けてくれて構わない。俺は陽花とだけイチャイチャする。お前にはもう話し掛けない」


「っ……!」


 謎に悔し気な表情を浮かべる瑠香。


 その顔は何だ、と追及したい気持ちに駆られるものの、俺がそう問えば状況はますます泥沼化する。


 出会って早々だが、俺は瑠香に見切りをつけた。


 陽花と密着し、並んで歩きながら登校する。


 けれど、瑠香はやはり――


「……絶対……絶対あなたはアタシのところに来るんだから……」


 執着の思いを最後まで覗かせながら、俺――伊刈虎彦のことをジッと見つめ続けてくるのだった。

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