10. 本当の瞬間は記録できない【3/3】
これは全然、時代に追いつけず潰れていく個人店を題材にした映画とかじゃなくて、何のためにやるのかと言うと自分のためだ。それは自分の作品という意味で。心情としてはあの平井商店の雰囲気、薄暗い独特な感じ、土壁の黴臭い感じ、時間の止まったようなあの静けさ、それをカメラで撮ってみたいという願望もあるし、取り壊されて消えてなくなるのならばなおさら映像として残したい。「遺したい」とも言える。映画を撮りたいと思った動機の一つ、もし年齢の順番に死んでいくのであれば、平井商店なんてものが跡形もなくなった世界で小中学時代を過ごす澄治や恵媛という後世に伝えることができる。近いうちにアポ取りをして、良ければその場で撮影してもいいな、と思った。
雪はそのまま止んで、しっかりと積もることはなかった。所々、粉砂糖をまぶしたような感じで白く残ったけどだいたいは氷が張ったような状態で、通行の多い道はすぐにただの濡れた道になった。これじゃ撮影してもよくある雨上がりの景色と変わらんな、と言ったら吉岡が、
「いや、でも事実は雪が降った直後やし、空気に湿気も感じないし爽やかや。何かそういう空気中の水蒸気の違いみたいなもんもカメラに映ったりはせーへんのかなぁ?」
と言った。珍しく撮影への熱意みたいなものまで感じる。こっちはちょっと平井商店の話がショックだったし雪が止んだなら今日はもういっかって思ってたけど吉岡のほうがやる気があるのは初めてで少し嬉しくなった。
「じゃあ、ちょっと試しに撮ってみよか」
「やった。ほなまず、自販機かコンビニ行きますか!」
もしかしたらこいつはジュースに有りつくために熱いことを言ってたのかもな、喉乾いたってにしぐちで言ってたし、と一瞬思う。
だけれども、結果的に近くの公園でいい画が撮れたからそんな不信感はすぐに吹き飛んだ。テンション上がったついでに勢いで平井商店へ行き、事の経緯をがんばって説明して、後日店内の風景だけなら撮影してもいいよって許可をもらった。アポ取りをした平井商店のばあさんは初めてまともに喋ったけど、この店のファンだった、と告げたら素直に喜んでくれて、恥ずかしそうに「顔は映さんといてや」と照れていた。かわいかった。塾は遅刻した。
二学期の期末試験を終えて中学校生活も佳境に入ってんだなって改めて思う。
平井商店の撮影は年が明けて営業開始してからって約束だったから引き続き家でカメラを回し「映像を残す」ってことについて考える。残された映像の価値はどこで決まるか。それは決して視覚的な魅力、今まで考えてきた派手さとか美しさとか、つまりアクションや画面構成に頼ることだけじゃないんだよなってのはもうわかってたから、正嗣の読書姿を撮ってるときの芸術気分はもうなくてひたすらホームビデオ的アプローチをすることに芸術性を感じていた。本当になんでもない風景、父さんが焼きそば作ってる姿、ばあちゃんが編み物してる姿、洗濯物を干す母の後ろ姿とか。
やっぱりなんと言っても幼い下の二人は画面に映えて撮ってる瞬間は映画のことなんか忘れていて、そもそも平井商店の映像を残すのも映画撮ってみようと思ったのも「澄治や恵媛のため」なんて偉そうに言ったけど本当にこの二人のためを思うならこういう幼い時代の姿をたくさん撮ってあげることなんじゃないか。映画なんて自己満足で、本当に好きなら理由なんていらない、勝手に撮り始める。でも今は自己満足で全然いい。今日も二人揃ってテレビの前のソファーの上で各々好き勝手に歌を歌ってぴょんぴょん飛び跳ねていた。すかさず録画ボタンを押して正面へ回った。しばらくして唐突に歌うのをやめた澄治がソファーから床へ軽やかに着地してそのままの勢いで両手を広げてリビングを走り回った。カメラはそっちを追うが目線は澄治がソファーを飛び降りたせいでバウンドが乱れてバランスを崩した恵媛にあり、座面に倒れて転がっているので片手で二の腕を掴んで起こしてやった。正嗣がダイニングテーブルで読書していたが転んだ恵媛に気付いて中断しこちらへ来る。大晦日だった。外出していた父さんが帰ってきていてノートパソコンを開いて何かを見ていた。母とばあちゃんは父さんと入れ替わりで二人で買い物に出かけていた。レンズの真ん中にいる澄治が不意に振り向いて、「ちょっとダンスホール行ってくる」とカメラ目線で言い、すたすたコンポの前まで歩き、入れっぱなしになっている父さんのCDを大音量で流してスピーカーの前で踊り狂う。そのCDは父さんが若い頃に買ったもので前回再生していたのは澄治だ。その様子をこの目で確認したわけじゃないけど現在小村家で日常的にCDを聴いてる人間は澄治しかいない。澄治は音楽鑑賞が趣味でコンポの下のラックにある父さんのCDを二歳くらいから聴き始めて今では三百枚近くはあるそれらを全部把握しているそうだ。だから今鳴っているこの激しい洋楽もなんというバンドの曲なのかこっちは全然わからないけど曲のアレンジに合わせて止まったり、その直後激しさを増す展開にもぶんぶん頭を振って、それが完璧にリズムが合っていたから馴染みのある曲なのだろう。現れた正嗣にべったりだった恵媛も神がかった動きをする澄治に目を奪われており、終いにはそこへ近づいていく。フレーム内にちょんちょんと恵媛が入ってくる。音楽の作用もあって画面に臨場感が生まれたので、
――ああ、映画を撮ろうとするだけじゃこんなの絶対撮れなかったな。
と思った。
恵媛は澄治の真似をしようとするもままならず、一方で飛び跳ねたりギターソロのところで床に寝そべってくねくねエアギターしたりと完全に没頭してる様子の澄治は周りを見ちゃいない。たまたまパソコンから顔を上げたのか父さんが「恵媛、危ないよ」と言った。瞬間正嗣と目を合わせ、お互い頷くと弟はお兄ちゃんらしく恵媛を保護しにいった。後ろから正嗣に抱きあげられ退散させられる恵媛、カメラもそちらを追ってしまう。恵媛は正嗣に抱っこされたときにいつもなる、肩にほっぺたを乗っける体勢で澄治のことをじっと見ていた。
遺す、なんて大層に思ってた割に何の準備もしてこなかったわけだけど、日常的な光景の価値というのは事前に練られた演出なんかじゃ到底再現できないハプニングの連続で、実際切り取ってみると「日常」って言葉の意味が嘘みたいになる、とてつもなく再現性の低い出来事の連続だ。そしてそれは記録されたものより起こった瞬間、記録しようがしまいが体験している今のこの、真っ只中だけにある。
――そうか、奇跡が常に起こり続けているんだ。
記録した映像のほうは単なる情報だ。情報処理されたデータ、という意味でも。
インターホンのチャイムが鳴ったので撮影を続けたままダイニングテーブルの父さんを見る。パソコンを観ている父さんは爆音だだ漏れ状態のヘッドホンを装着してライブ映像か何かを熱心に観てるからチャイムの音には気付いていない。自分が応対したほうが早いなと思った。だいたいうちはインターホンも電話もまず母が出る。母が不在だったらおばあちゃんが、その両方がいない場合のみ父さんは渋々って感じで受話器を取っていた。カメラは回った状態のまま弟たちが画面に収まるようにテーブルに置き、インターホンに出る。
「郵便物です」
荷物を受けとるだけか、とすぐに玄関へ行く。
しかし、ドアを開けるとそこに配達員はいなかった。
女性の声だった。
不審に思い外に出て辺りを見回す。誰もいない。そして足元に違和感、封筒を踏みつけていた。「郵便物」は地面に置かれていたみたいだ。小村和崇様と書かれている。自分宛だ。裏面を見ても何も書かれていない。とりあえず敷地の外へ走って塀の向こうの左右も確認したけど誰もいない。おかしい。家のドアの前で立ち止まって封筒のなかを見てみると便箋が一枚だけ入っていて、そこには直筆で『今夜、年が明けて最寄りの神社へ行くと、あなたの人生がとても良くなります』とだけ書かれていた。胡散臭すぎる。よく見たら封筒には切手や消印もない。普段から女子との接点が少ないから自分にこんなことをしてきそうな女子に心当たりもない。はっきりと名指しで寄越されているのがこわい。書かれている内容がハッピーなのも気持ち悪い。上に住んでる武田瑠花の仕業か? そう考えるのが一番しっくり来る。封筒を置いてさっさと二階へ行けば完全に気配を消せるから。無邪気な演出で初詣に誘っているのか? だけどすぐにそうだと思わなかったのは、「郵便物です」が瑠花の声じゃなかったからだ。
突っ立って考えてみても何も思い浮かばないし状況に変化はないからとりあえずドアを閉め玄関からリビングへ戻る。すると澄治が、
「うぇーい」
と録画状態で置いてきたカメラを小さな両手で構えて下からのアングルで待っていた。すぐ隣でしゃがんでいた恵媛もきゃっきゃと笑う。かわいい奴らだ。「ずっとずっとぉ、誰かにぃ、見られてーる気がするぅ~」と歌いながら仰向けに寝っ転がってさっきのエアギターみたいにくねくねと背中で移動しつつ撮影を続ける澄治。
「おぉ~? それ床に落とさんといてやぁ?」
カメラ目線で追いかけながら顔を近づけていくと、
「わぁ逃げろぉ」
と叫びながらスピードを上げた。恵媛は手を叩きながらケタケタ大爆笑だ。
「荷物は?」
正嗣が言った。
「いや、なんか誰もおらんくって。見回して探してんけどな、ほんまに誰もおらんかった」
澄治からカメラを取りあげる。
封筒のことは言わなかった。このこと自体ちょっと不気味な話だから、なんとなく咄嗟の判断で。
「なんじゃそりゃ」
と正嗣が言った。
「わからん。謎」
録画を停止して、アメリカ映画っぽく大袈裟に肩をすくめてみた。
11.へ続く
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