10. 本当の瞬間は記録できない【2/3】
二学期に入ると外より家のなかでの撮影が増えた。
学校も最高のロケ地だけど、うちの中学が時代遅れの頭が固い教師ばっかりなのを差し引いてもビデオカメラを許可なく持ち込むことはどの学校でもなんらかの校則違反に当たるだろう。それに教師だけじゃなくクラスメートたちに見つかるのも嫌だ。興味本位でイジってくる男子やヒソヒソとあらぬ噂を立て始める女子が現れるのも簡単に想像がつく。面倒な生活指導の教師に密告でもされれば盗撮犯の疑いをかけられることもあり得る。かけられた疑いは撮影データを見せることで簡単に晴らすことはできるがそのすべてが無駄な時間であり、どうせろくに謝罪もせずカメラを持ってきたこと自体を説教のネタにしてなじられるのもわかるから学校には持っていかないほうが得策だ。どうしても学校で撮影がしたくなったら休日にこっそりやるか夜に忍び込めばいい、と、それはそれで不法侵入なのだがそう思ってみることで気持ちの折り合いをつけた。
夏休み前に買った映像撮影の入門書を読んでみて気付いたことがある。
読むことで生まれた気分や余韻のなかで考えたり思いついたことというのは、本の話と繋がりや脈絡がないようなことだとしても「本を読んで考える」という行為がなければたどり着かないものだ。そこに書かれていた内容とはまた別の捉えかたに行き着いたり。新たな発見をしたり。
本なんて全然読んでこなかったから、なるほど、これが読書の喜びなのか、と今まで避けてきたぶん衝撃だった。本って単なる情報じゃなくて「気付きのきっかけ」そのものなのだ。読むことで芽生えた意欲は読まなければ芽生えなかったものだ。ひらめきや気付きはきっとその瞬間にしか訪れないことばかりだから、自分も十五歳の夏の感覚として点を打っておく必要がある。それはそのままカメラの動きに表れるだろう。その上でさらに念を押す意味でこうやって言葉にしているのだ。
九月のある日、リビング西側にあるソファーで正嗣が寝そべって読書に耽っている姿を何気なく撮ろうと思った。東側壁面のテレビの前から回して構図を探っていた。日常的な光景だったということもあってなかなかおもしろいと思える画面が作れず、翌日の誰もいない時間に試しに同じ位置からソファーだけを撮ってみた。するとそこには「時間」というものが発生していた。編集も何もしていない、順番に録画されただけの二つの映像。同じ場所だという点以外はまったく違う雰囲気で、だけどそれらは現に時間が経ったことで起こった変化で、こちらはそれを意図していないから正真正銘天然の時間の記録だ。
ある光景が一つの場所に折り重なるように日常的に繰り返されているという意味の「時間」と、時計の針やカレンダーを見つめているときに思う時間はまるで違う。前者のほうはこの場合あの西側のソファーだけに最近流れている、あのソファー固有の時間だ。そいつを進めているのは正嗣。あいつの意思を超えたところで起こる肉体の動きだ。とにかく本を読みながら、座る、寝そべるを繰り返す。身体の向き、顔の位置、変わる首の角度、腰の深さ、脚を乗せたり下ろしたり、組んだりほどいたり。あくまで意識の中心にあるのは読書する内容そのもので、それらの動作は意識的なものじゃない。ソファーの座面は正嗣が浮かんだり沈んだり転がったりするたびごとに、未来の姿へと変化していく。このソファーの時間は正嗣によって進められていた。
だからリビングに誰もいないときに同じアングルでそのソファーを定期的に撮るようになった。このカットにはそういう意味がある、と自分が感じられるように。夕暮れ、西日がちょうど射し込むと、ソファーは影になってでっかい黒い塊になる。誰も座っていなければ何なのかわからないが前の映像で正嗣が座っているから観ている人だけにはソファーだとわかる。早朝や真夜中も撮った。もちろんお昼も、蛍光灯がついている夕食後くらいの時間帯も、正嗣がダイニングテーブルにいたり風呂に入っているときに撮った。
そうして同じ場所で同じ人間が現れては消え、本を読んだり、読みながらうとうとしたり、寝落ちたりする様子を本人もカメラを意識していない状態なものだからそれほど苦労することもなく撮り続け、格好もTシャツ短パンだったのが徐々に変化し始めて、ジャージの長ズボンになり、ロンTになり、さらにパーカーを羽織り始め、もこもこの靴下を履き、ちゃんちゃんこやダウンベストをその上に着るようにもなった頃にはもう真冬になっていた。
十二月の二週目、このへんじゃ珍しく大雪が降って、こりゃ積もるかもしれないなと吉岡と話して、そんなこと滅多にないことだから学校が終わったら二人で近場を回って雪景色を撮影することにした。雪のなか一旦帰ってカメラを取りに行かなきゃならないしその日は塾もあったからごく短い時間しかない。急いで家に帰り塾用の鞄にカメラを入れて傘も持って出る。吉岡と駄菓子屋にしぐちの前で待ち合わせだ。付き合ってもらうときは奢ることになっているから、こっちとしては当然安いほうが助かるので集合は駄菓子屋にした。着くともう吉岡はいて、傘も差さず制服のまま、豪雪と言ってもいいくらいのなか店の前に立っていた。
「家帰らんと来たん?」
「帰ってんけどさぁ、朝、鍵持って出るの忘れたから家入られへんかった」
吉岡は笑顔だったが鼻水が垂れていた。「寒っ。とりあえず店入ろ」
「兄ちゃん、買い食いは禁止やで」
と入るなりにしぐちのおばちゃんに言われる。
「んな殺生な~」
「あかんで。そっちの兄ちゃんはええで。学校帰りの買い食いは禁止や」
そうだった。にしぐちは最近になって「制服姿での入店お断り」になったのだ。それまで散々学校帰りに買い食いしてきたが三年になった頃からそれができなくなった。当然顔だって憶えられているに違いないが情けというものがまったくない。
「しゃあない。平井商店行こ」
と聞こえよがしに言ってやったが、にしぐちのおばちゃんは悔しがるどころか「ああ行ったり行ったり」なんて言う。それは態度の悪いガキを追っ払うような語調じゃなかった。「平井さんのとこな、今年度いっぱいまでやて。店閉めるらしわ」
「えええ」
「ほんまですか」
「あんたらに言うてもわからんやろけど、最近景気悪いやろ、商いももう冷え込む一方やわ。うちかてお父さんがビル建ててくれなんだらこんな商売続けてられへん。ここ一本じゃすぐ首回らんくなる。平井さんとこも長いことようがんばらはったわ」
「ショック」
「ファンやったのに」
冷静になって考えてみるとにしぐちの店内で他の店のファンだなんて失礼だったけど、同業者であるおばちゃんは気に障った様子も全然なくただふつうに平井商店を気の毒がっていた。「お父さん」という人物がなんらかの「ビル」を建てたらしい。家賃収入でもあるのだろう。うちと同じだ。
「そういや平井商店のあるあたり、道路を拡張するって計画ありましたよね」
と吉岡が言った。
「そうそう。立ち退きの話は平井さんとこも来てるらしいわ。実際に退くのは何年か先やけども。行政の人が来て立ち退き料金の話聞いたって。ナンボかは教えてくれへんかったけどな」
「ああいうのってメイワク料が含まれるから結構もらえるんでしょ」
なんだか気が滅入るような話だった。平井商店は建物の傾き具合からして何十年もずっとやってる。その区画整理が閉店の直接の理由じゃないにしても背中を押すきっかけくらいにはなってるんじゃないか。たとえ引っ越しや取り壊しにお金の負担がないとしても、なんならちょっと潤うとしても、そういう「カネで解決」みたいな単純な話として受け入れるにはどうしても抵抗があった。しかしそんなのはこっちの思い込みだし願望だ。その本当のところは平井商店の本人たちにしかわからない。なんだかにしぐちのおばちゃんと吉岡の二人は立ち退き料とか補償とか築年数が金額にどう影響するかとか税金はどうなるかとかカネの話ばっかりしてかなり打ち解けていた。吉岡が調子に乗って「なんか喋ってたら喉渇いた。おばちゃん、ジュースちょうだい」と言ったが「あかんで。買い物は帰って着替えてからおいで」と言われルールは覆らなかったので店を出た。
正直身体は温まったし雪は小降りになっていたからにしぐちで時間を潰せたのはラッキーだった。一銭も払っていないことに罪悪感を覚えるかと言うとそんなことは全然ない。おばちゃんは楽しそうだったし、こんな所に座っているのは暇でしょうがない、話し相手が欲しくてたまらなかったのよって顔だった。それもこっちの想像だけど、こうやって他人のことを他人事として話すときや噂話や聞き齧った話なんかにはだいたい話し手の想像が含まれていて、ほとんど事実だったとしても真相とは別の形になっている。それを聞いた人が別の誰かに話すときにはもう完全に別物で、そんなことを繰り返すうちに尾ひれが付きまくって不自然な流れや不可解な要素が組み込まれ結果的に都市伝説のようなものになるんじゃないか。そんなこと当事者は誰も望んじゃいないのに。
平井商店が閉店する。それは本当なのだろう。けれどそれは都市開発の煽りを受けて事業の失敗に追い込まれた犠牲者、というのでもない。ここは注意が必要だ。平井商店閉店と区画整理とが同じ話題に出てくれば話し手がそれを匂わそうとしなくても誰かに話している言葉はその二つの結びつきを暗示させる。平井商店は自分的にはひいきの店だけれど、だからってさっき吉岡がにしぐちのおばちゃんとしてたみたいにベラベラ会話したことなんてないし、週に二、三回学校の帰りに寄ってお菓子や漫画雑誌を買うだけだ。滞在時間も毎回五分もない。にしぐちを出てすぐ吉岡は、平井商店行く? と訊いてきたけど気軽に話しかけれる相手じゃないから余計に気まずさがある。
――黙っていれば良い、いつもそうして買い物をしているのだから。
そう、何も知らないふりをすることはある意味で簡単だ。会話する間柄じゃないのだから向こうもわざわざ「閉店します」なんてきっと言ってはこないし、時期が迫ってきたら張り紙でもして告知すれば済むことだ。
「あんまり気は進まんなぁ」
こっちがどれだけ残念がろうが平井商店は閉店する。ならばせめてポジティブに受けとめたい、それがこちらの願望だし平井商店にとっても迷惑に思うようなことではないはずだ。
とここでふと、ドキュメンタリーという言葉が浮かぶ。
―――どうせなら準備して、撮影してはどうだろうか。
10.【3/3】へ続く
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