9. でも、間違いなく神には近いね【5/7】
おれたちは家を出た。さっきより人出は多い。おそらくほとんどが初詣だろう。
おれは夜中に初詣に行くのはこれが人生で二回目だ。前にも言った五年前の初詣以降の大晦日は毎年――おれはまぁ明ける前に寝ているのだが――家族が全員揃って家のなかで思い思いにだらだら過ごして新年を迎えていた。
なんだか今日はやけにちょうど五年前の今日を思い出すな、とおれは思った。
正嗣兄さんとおれは五つ違いだから、おれは十歳で正嗣兄さんは今のおれと同じ十五歳の年だ。
当初おれは正嗣兄さんはスミエダさんやサカキさんと今後は毎年初詣に行くのだろうなとばかり思っていたがそれはあの年だけで、みんなそれぞれの高校へ進学してそっちで楽しく過ごしているからか、恒例行事にはならなかった、てことを歩きながら思い出した。やっぱりあの年は卒業ライブを控えたバンドメンバーという特別な関係が作用したから頻繁に会っていたのだろう。受験を失敗した正嗣兄さんは滑り止めだった私立の共学へ進学し、すぐに軽音楽部に入った。ドラムができる人というのはギターとかに比べて少ないからいくつもバンドを掛け持ちして文化祭では一日中ライブに出ていた。おれが観にいけたのは最初の年だけだったが、その日のおれの感想は、
「スタ中の卒業ライブのほうがずっとよかった」
だった。なんでかって考えてみてすぐ、おれがスミエダさんとサカキさんと知り合いだからだ、て思ったけどなんかそれだけではしっくりこない。
じゃあ「卒業ライブ」だけあって、兄さんたちの中学校生活の想いが詰まっていたからか?
いやいやそれも違う。
初ライブだった正嗣兄さんたちは緊張でそれどころではなくなっていたのだ。本人たちが言う以上に、リアルタイムで撮影していたおれにはカメラ越しにだってそれがわかった。
その点高校の文化祭のほうは経験値も技術も上がってるから安定してる印象で、何ステージも出るから後半は余裕の笑みさえ浮かべたりしてそれはそれでかっこよかったんだけど、あの卒業ライブのような感動がなかった。
と、そこまで考えておれのなかで答えが出た。おれのなかの感覚の話だからこの答えでいい。
「単純に、いいバンドやな、て思ったからな」
「そっかそっか」
と小夜ちゃんは言った。
曲が全部オリジナルだったから、ていうのはでかい。
高校の文化祭ライブはどれもコピバンだった。出ていたバンドのほとんどが有名なバンドの有名な曲だけで組まれたセトリで、なかには渋めの選曲だったり高校でやるには結構マイナーかもしれない洋楽をやったりする人たちもいたけれど、「みんなが知ってる曲をやる」とか「憧れているバンドの曲をやる」とかっていうのは何らかの保証だったり拠り所だったりの保険になる。ひどい演奏でもしたらそりゃあどうにもならないだろうがそれでも観客が知っている曲だとある程度は緩和され、憧れのバンドの曲だと演奏力だけの問題になるので不出来だった場合のショックそのものは軽減される。
比較すると、オリジナルの曲をやる、ていうのはまったく別物に思える。
それはすべてを請け負うってことだ。
スミエダさんが汗を飛ばしながら全力で歌っても客席は全員棒立ちで誰も一緒に歌ったりはしない。そりゃそうだ。誰も知らない曲をやったんだから。緊張のあまり思うようにできなかったのか三人ともあの日終わったあとはしっかりヘコんでいたけど、おれは次に出たコピーバンドにはお世辞じゃなく完全勝利してたと思った。そっちは観客に歌わせたり盛りあげかたも実際の演奏も正嗣兄さんたちよりうまかったけれど、おれは全曲オリジナルで臨んだその姿勢に惚れたし、ヘコんだと言ってもそれはライブが終わってからの話で本番中は誰も心を折らなかったから「覚悟決まってます」てことはしっかりと伝わってきたのだ。
その、スタンスがかっこいいっていうのと実際のオリジナル曲が「良い」のか「あんまり良くない」のかっていうのは別問題ではある。パンクとかガレージロック的なシンプルな曲が多かった。演奏技術上の都合もあったことは推測できたけど、そういうわかりやすい構造の曲というのは歌も気持ちも伝わりやすい。それにフロアの後方に設置された固定カメラの映像のなかにはライブが進むに連れてリズムに乗って上半身を揺らし始める観客の後ろ姿もばっちり収められているのだ。おれがそれを言うと正嗣兄さんは映像を観ながら「あーこれな。この人は小沢先生やわ。小沢先生やさしいからな」とか「これは〇〇さんと△△さんやわ。この二人は音楽聴いて乗ってるんじゃないんよなぁ」とか、名前は忘れたが割とノリノリの女子二人組の後頭部にもそんな感じで、ひねくれたことを言って素直に喜ばない。音楽聴いて乗ってるんじゃないんなら何なんだ、と思いつつおれはその何度目かの鑑賞会が終わったあとで、
「やっぱりこないだの文化祭よりぼくはこっちのライブのほうが好きや」
と言ったら、
「ええこんな下手な演奏で? 高校の軽音部ってレベル高くてぼくはびっくりしたけどなぁ」
って言われたからつい、
「うまいけどグッとくるかって言ったらそうでもなくて。こっちは自分らで作った曲やん」
と返した。現在を否定したみたいで気を悪くするかもしれない、とちょっと心配したけれど、
「そうか」
と一言、そして腕を組み、「澄治にはそういう風に見えてるんやな。さすがや」
なんてぶつぶつ言って、「あんな、ぼくも物足りなさみたいなのはあってん。スミエダとサカキと組んでたあの数ヶ月間は初めての経験ばかりで、だからこんなにもいい思い出になっとるんやろなーと、最近はそう自分に言い聞かすようにしてる始末で。そんくらい、あのときが一番楽しかったなぁって。あいつらとは落ち着いたらまたやろうぜってことになってるけどさ、サカキはサッカー部やし、スミエダはなんか彼女と遊んでばっかやしなぁ、てなっててん。でもそうなんや、今澄治が言ったことよ。あのわくわくする感じ、コピーじゃなくてオリジナル作ったらまた味わえるようになるんちゃうかなぁ、て」
正嗣兄さんの眼はギラギラと精気がみなぎっていた。おれがヒントを与えたらしい。わくわくする感じが味わえていない理由が「高校じゃコピーバンドしかやってなかったから」なんて、少し考えればわかりそうなものだが新しい環境になって楽器のうまい人がたくさんいて、てなると演奏を上達させるほうばかりに気を取られてしまうものなのかもしれない。
そうして正嗣兄さんはギターで曲を作り始め、高校の軽音部内で話の合うメンバーを勧誘してオリジナル曲だけをやるスリーピースバンドを新たに結成した。ドラムの掛け持ちは続けたがこっちでは別のドラムを誘って、自分はギターを弾いて歌うことにした。おれが行けなかった二年と三年の文化祭に出て、一度解散。そして高校卒業後、またやらないかとメンバーに声をかけ、浪人中の一人が大学受験を終えるのを待って再結成し、正嗣兄さんは一年通った芸大を辞めた。バンドが始まったことと大学を辞めたことはタイミングが重なっているだけでバンドが理由で辞めたわけじゃない、といつも言ってる。そして新しいアルバイト始めてライブハウスに出演するようになった。今ではギターが一人増えて四人組になっている。
「その初めて出たハコが、今日のオールナイトイベントを主催してるとこやねん」
「ハコ」
「あ、ライブハウスのことね。兄貴の言いかたが移るねや」
「いやわかるよ」
小夜ちゃんはくつくつと笑う。「オムハルはさぁ、ほんっまにお兄さんのこと好きなんよ。そのバンドやってはるほうのお兄さん」
「まぁ、正嗣兄さんには昔からかわいがってもらってるっていうのもあるからな。いやいやでも、バンドに関しては、単にファンなだけよ」
「自分のことのように話すもんね」
自分のことのように話す、そう言われてみればそうだし、納得と同時にそう言われることでハッとする。こうしておれが小夜ちゃんに説明したことはすべて事実だが、おれの目に映り耳に入った情報からおれが捉えた事実であって正嗣兄さんからしたら捉えかたの違う点は多々あるはずだ。
――澄治が感じてるぼくらしさが小村正嗣らしさってことになるんやと思うよ。
という正嗣兄さんの声が聞こえてきそうだ。おれは心のなかで正嗣兄さんの声で正嗣兄さんが言いそうなことをいくつか言ってみる。
――いくらぼくが自分らしさを知りたがってもそれはぼくが決めるようなことじゃないねんな。
――ぼくはそれで一向に構わんし、それが正しいとも思うねん。
――自分で小村正嗣らしさを勝手に決めてもええけど、澄治も含めた傍目には受けいれがたいこともいっぱい言うてると思う。
おれたちは読んできた本が似通っているせいかよくこんな話になるし、必然的に思想も似通ってくるのでこっち系は概ね同意見だからこの物真似はかなり本人に近い自信はある。しかしこれはおれの思う正嗣兄さんらしさを表出したものだ。
おれはその人を理解するってことはその人にならない限りは無理だ、と思うから、だから人には想像力というものが必要なんだと思っている。正嗣兄さんならこう思うだろうか、と想像することは正嗣兄さん自身になろうとする行為だ、理解するための。けどどうしても齟齬はあって結局のところ本人のなかにしか本人の感覚はない。だけど、
――澄治に想像された小村正嗣像のほうが自覚している自分らしさ以上に本人らしいものになる。
とおれのなかの正嗣兄さんが言っている。
皮肉なことにこのロジックでは求めている真相にたどり着ける者がいない。しかしここで言うところの真相、すなわち「らしさ」なんていうものは結局は「存在しない」ってことでいいのではないか。おれたちはいつもこうやってああだこうだと自分たちで生みだした幻想を追い求めているだけなんだろって話。
――自分らしさ、とか、人生の意味、とかね。
と正嗣兄さんが応える。
「善悪とかも?」
――そうそう、結局は個々人の理想やろ。せやから、幸せ、とか、愛、とかもちゃう?
確かにそれらはああだこうだ言いながらしっくりくるものを探して当てはめてみることしかできない。
「――本当はなんでもない、元々そこには何もなかった、と思えばそれはこっちが作りだしている幻想やとも言えるんちゃうかな」
「え、何? 黙ってたかと思えば急にどうした」
小夜ちゃんが言った。笑っていた。
「ごめん、頭のなかで喋ってた正嗣兄さんと融合してしもた」
9.【6/7】へ続く
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