2. 一番下の妹【3/4】

 しかしサイクリングを楽しむ時間を考えると寝ぼけた正嗣から許可をもらうよりスミ兄のクロスバイクでさっさと出るほうが建設的だ。スミ兄のクロスは「めっちゃ無駄を削ぎ落としました」みたいな面白みのないデザイン。だけど半年前、スミ兄の大学が決まって父が奮発して買い与えた、ちゃんとしたスポーツバイクの専門店で店員さんの話を聞いて選んだいいやつだ。絶対正嗣が自分のバイト代で買った折りたたみよりも高級なはずで、美しいフォルムだろと言われればなるほど確かにそうだと全然自転車知らないわたしでも頷いてしまうものだった。まぁ面白みはないんだけど。

「今日は貸しても困らんけど。綺麗に乗ってるやつやから、絶対こかさんといてや」

「やった! わかってるわかってる、ありがと!」

「恵媛が転げ落ちそうになってもこの自転車だけは転ばへん、そんな方法をその刹那に考えだして実行してくれな」

「わかったわかった」

 スミ兄は鍵を持って一緒に出てくれた。ドアを出て塀伝いに右に行くとコンクリートの折り返し階段があって小さな踊り場には郵便受けがあり、そこの前が敷地の入り口。つまり入り口から見たら右手の角が小村家の玄関ドアで、左手は入居者とわたしたち家族共用の自転車置き場になっている。

「サドル高いから下げるで」

「やっさし~」

「いや、スポーツバイク慣れてないとムズいで。サドル高いと転ぶかもせん」

 これも妹より自転車を心配している言葉で、スミ兄は昔っからわたしに対してはこういう奴なのである。学年で言うとカズ兄がわたしより十二コ上、正嗣が八コ上、それに対してスミ兄は三コしか離れてないから、まぁわかる、わたしだってそうだから。

 わたしたちは「小村家の最年少コンビ(かわいい担当)」という扱いで、そういうノリは昔からあったから、ふつうの二人兄妹で三コ離れているのとはかなり違うかもしれない。わたしにとってはスミ兄だけ「お兄ちゃん」という感じが薄くて、喧嘩もたまにするけど友達のように一緒に遊ぶ相手で、でもなんだかんだでそれ以上に家族の一員って感じが強くて――と、まぁ、なんともうまく表現できない存在なのである。

「こんなもんか。いっぺん乗ってみて」

「オッケ~」

 またいでみるとサドル位置はいい感じ。

 それに折りたたみ自転車を想定して選んだコーディネートだったけどこうして乗ってみるとスミ兄のマットなネイビーブルーのクロスのほうが相性がいいかもしれない。「思ったよりマッチしとる~」

「んじゃ、こけんように――」

「あ、待って。写真撮って写真」

 わたしはスミ兄に自分のスマホを渡してクロスバイクに乗ったままピースする。スミ兄は「はぁ?」とか言いつつも妹からのこういうめんどくさいお願いも断らない。受けとって「はい」「はい」「はい」と三枚くらい撮るうちに最後はにやにやしている。撮られるごとに巧みにポーズを変えるわたしが笑われているだけかもしれないが。

「じゃあいってきます!」

 通りへ出て元気よくこぎだそうとしたのだけど、なんだこれ、ママチャリとは全然違う姿勢だったからいきなりヨロめく。

「ほら~」

 と言われる。

「ちょっと待って。めっちゃ乗りにくいねんけど」

「恵媛にはまだ早かったか……」

「うるさいなぁすぐ慣れたらぁ」



 そうしてゆっくりこぎ始めて徐々に慣れた。慣れると何コレめっちゃ軽い、めっちゃスピード上がるの早い、とエンジョイできるまでになったのだけれど、自転車って身体も温まるし午前中特有の徐々に上昇していく気温と突き刺さってくる陽射しのせいで思ったより汗をかく。でっかい公園のサイクリングロードを一周半走って、集合場所に着く前にコンビニに寄ってタオルと、エチケットとして汗拭きシートを買う。予定外の出費だ。Tシャツが汗染みの目立ちにくい白だったことだけが救いだった。この時期ショッピングモールに空調が入っていなければジャージなんて着てられないくらい暑いだろうから、グレーとか着てたらTシャツも買い換える羽目に遭うところだった。

 駐輪場でクロスバイクに鍵をかけ、日陰でタオルで汗をぬぐう。こっそりうなじとワキをシートで拭いて石鹸のいい匂いをさせながら集合場所の正面入り口へ向かった。

「おっすー」

「恵媛おはよ」

「あれ、なんかこっちから来ましたよ!」

 もう三人とも来ていて阿部はストリート系、トモヨは姫系、キャムはナチュラル系、みんな性格が違うように服装も三者三様でかわいい。

「わたし自転車で来たんよ。あっちに置いてきた」

「小村さん地元なんですか?」

 キャムはなぜか敬語で喋る。同いやのに敬語はヘンやで、とか言われている。わたしは別に自由だと思うしそれがキャムだと思う。ふつうに楽しいし、無理してる感じでもない。

「地元ってほどじゃないかな。チャリで二十分くらい」

 と答えると、

「どうりで。汗かいてんじゃん」

 と阿部に言われた。あんなに拭いたというのにもう噴きだしている。わたしは今日まで自分が汗っかきだという自覚はなかったがどうやら自覚しなければならないようだ。

「チャリ暑いんよ」

 タオルで額をぬぐう。

「アタシ二十分も連続でチャリこいだことないよ」

「うちは自転車乗ったことない」

「まじか」

 誰もわたしが一人で汗をかきまくっているからって引いたりはしない。あまり自転車に乗らない子たちにとって未知の感覚だからか、わたしが人より汗っかきだということにすらなってないようでよかった。

「今日はどういう順番で回ろぉ?」

 自転車に乗ったことがないらしいトモヨが言った。「ここのモール、うちの好きな店が入ってるからいつでもいいんで寄らせてほしい」

 トモヨはみんなで喋っているときはいつも一番楽しそうで、わたしにはそれが眩しいくらいだ。今日集まろうと提案したのもトモヨで、口ぶりから買い物慣れしてそうだったからそこは純粋に頼もしかった。しかし学校での髪型、制服の着こなしやカーディガンの生地から、そしてきらきらチャームが目を惹く通学バッグや学食に持ってきてるポーチや財布からも勘づいてはいたんだけど、トモヨの私服はガーリーでめっちゃ姫だった。四人のなかで断トツで人目を惹くかわいさで、ひらひらしてふわふわして、目の錯覚でなければトモヨの周りだけ薄ピンクの空気の層が見え、そのなかでいくつものお花が咲き誇っていた。わたしは自分がエヒメという名前でスミマセン、てなる。だけどトモヨはそういう趣味ってだけで中身はと言うと全然お姫様とかお嬢様とかじゃなくて、思ったことはなんでも言うし奥ゆかしさのかけらもない。それがギャップにもなってておもしろい。まぁ天然、と言えるのだけれど、そういう指摘はちょっとムッとするからあんまり言わないほうがいいね、って喋り初めの頃、トモヨの扱いについて阿部と二人で話したことがある。なんか「扱い」だなんて言うと上から目線な感じがしてやっぱ違うか、ってなって、自分含め違うのは当たり前だよなぁと二人して反省して、高校生は大人だな、だなんて、このときは魔法じゃなく本気で思った。


 そしてトモヨが頼もしいのにはもう一つ理由がある。トモヨには彼氏がいる。


 地元の、同じ中学校のサッカー少年で、去年の夏から付き合っているらしい。いわばわたしたちの先生なのだ。わたしとキャムは付き合ったことない。阿部は千葉にいたとき一度だけ付き合ったのだけれど中二のときこっちに引っ越すことになって、彼氏とも話しあった結果「遠恋はお互い無理」ってなって合意の上で別れた。未練がないと言えば嘘になる、ということらしいけど、高校生になって新しい素敵な出会いを期待することは誰にだって許されている権利だから、阿部だって例外ではなく、それぞれがクラスや部活で「ちょっといい感じかも」くらいに思う男子はいた。やっぱりこういう個々の体験談を言いあうだけの健全な恋バナは否応なく盛りあがる。

「今日は何よりもまず小村さんの服選びですよ」

「そういや小村、志田の好きな系統訊きだせた?」

「いや、無理無理」

「ほな無難をベースにしてちょっと攻めの要素を入れよう。恵媛は脚キレイやからそこで勝負やな」

「先生、お願いしますっ」

 なんだか改めて、自分がこういう浮かれた会話の中心にいるのって違和感が凄まじいのだけれど、これって好きな人を隠さず表明したことでこうなっているのであって、この三人が特別に「人の恋を応援するのが好き」とか「わたしそのものを好き」とか「応援してる自分自身が好き」とか、三人を一まとめにして都合のいい奇跡のように捉えるのは絶対違うよなってことは十五年しか生きていないわたしにもわかる。でも決して中学のときにあった変な同調圧力じゃない、もっと能動的なパワーがわたしを支えてくれていた。



2.【4/4】に続く

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