第42話 共鳴

淡い光がマコの頬を撫でる。目を開けると、すぐそばにレオンのまなざしがあった。言葉の前に、唇の温度が触れた。


「……レオン?」小さな声が漏れる。


レオンは手を差し伸べ、優しくマコの手を取る。その手の温かさに、心の中の戸惑いは少し和らいだが、まだ眠気と驚きで頭はぼんやりしていた。唇に触れた体温は、柔らかく、しかし不思議な感覚を運んでくる。マコは小さく息を吐き、心の奥でざわめく戸惑いと安心の感覚を整理しようとした。


「おっと、取り込み中か?」


「あ、いや……大丈夫」

「はいっ!おはようございますローガンさん」


二人は誤魔化すように距離をとる。


「飯、食うだろ?」


そう言って、運んできた朝食。香りが部屋に広がった。リィが作った簡素な食事は、見た目以上に心を落ち着かせる温かさを持っていた。

香りや温もりを感じながら、存在を確かめ合う時間が流れる。マコの心はまだ夢と現実の間にあり、レオンの眼差しがその境をやわらかく照らしていた。


食事を終えると、マコは小さな声で言った。


「リィのところに行ってもいいですか?」


ローガンは少し考え、真剣な目で答える。

「今のところ、君一人で行って大丈夫だ。安全は確保してある。でも、まだ外には出るなよ」


マコは頷き、研究所の廊下を歩き出す。足取りはしっかりしていて、ふらつくことはない。外に出てはいけないという制約と、自分の足で歩ける自由との間で、心が微妙に揺れる。廊下を進むと、リィの部屋から作業の音がかすかに聞こえてくる。マコはドアの前で小さく声をかけた。


「今、いいですか…?」


リィの声が返ってきた。

「作業がもうすぐ終わるから、座って待ってて」


マコは少し不安になりながらも、椅子に腰を下ろす。何の作業かは分からない。ただ、リィが熱心に何かを扱っている気配だけが伝わる。心は好奇心と少しの戸惑いでいっぱいだった。


作業がひと段落つくと、リィは柔らかい声で問いかける。

「どうしたの、マコ?」


マコは小さな声で、自分の心の戸惑いを打ち明けた。

「レオンと…口付けをしたとき、なんだか……ふわふわして……戸惑ったんです」


リィは微笑み、手元の道具を置き、椅子を少し引いてマコに向き直る。

「そう…レオンにも癒しの力があって、あなたと共鳴しているのかもしれないわね。でも焦らなくていいのよ。急ぐ必要はない」


マコは頷く。胸の奥で、レオンとの距離感が少しずつ理解できてきたことを感じる。リィの優しい声と視線は、安心感を与え、戸惑いを受け止めてくれる存在であった。


「リィさん……私、前の世界のことをほとんど覚えていないんです。ここに来たときのことは覚えているんですけど、それ以前のこと……自分がどう生きてきたか、家族や友達のことも、ほとんど思い出せなくて……」


リィは少し考え、柔らかな声で答えた。

「昔の記憶が消えてしまったのは、あなたが力をたくさん使ったせいかもしれないわ。アルベール王やルーク王子の呪いに触れたことも、影響していると思う」


マコは目を見開き、小さく息をのむ。

「……じゃあ、私の中で何が起きたんですか?」


リィは静かに首を振り、優しく言葉を重ねた。

「体や心が壊れないように、自分で自分を守ったのよ。まるで“正当防衛”みたいに。必要以上の記憶や痛みを手放すことで、あなたは生き延びたの」


「正当防衛……?」


「ええ。あなたの心が完全に壊れてしまわないように、世界がそっと守ってくれたの。それは逃げでも敗北でもないのよ。――ちゃんと、守られていた証なの」


マコは小さく息を吐き、少し安心したように微笑む。

「私、レオンといると……安心するんです。心も体も、落ち着く気がする」


リィは頷き、静かに説明を続ける。

「それも節理の一部かもしれないわね。あなたとレオンは特別な共鳴をしているの。心が触れ合うことで、体も心も安定する。だから、口付けや手の温もりで戸惑う気持ちがあっても、危険じゃないの」


マコは少しほっとし、リィの言葉を胸に刻む。「共鳴……なんだか素敵な響き……」


リィは作業に手を伸ばしつつも、マコの表情を見逃さない。二人の時間を尊重し、慎重に観察を続けよう。マコの手が机に置かれたノートにそっと触れると、リィは軽く握り返した。


「焦らないでね、マコ。少しずつ、この世界のことも、自分の気持ちも理解していけばいいの」

「うん」


マコは深く息を吸い、窓の外の柔らかな光を見つめた。前の世界の記憶はほとんどない。


それでも、こうして過ごす今の時間が、自分にとって確かな存在になりつつあった。

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