第40話ラシラックの光

マコはまぶたの裏に淡い光を感じた。

長い夢の底から浮かび上がるように、静かに息を吸う。

天井からこぼれる光が揺れて、頬にあたたかさを残した。

――ここは、もう冷たい部屋じゃない。

そんな実感が胸の奥にじんわりと広がっていった。


「レオンは片付けはできる?今日からマコをこっちに移したいの」

リィは研究員が仮眠で使う部屋のひとつを二人に使うように指示した。

「レオンはいくつか魔法が使えるね、好きに模様替えするといいよ」


レオンはマコの寝息を聞きながら、胸の奥で小さな安堵を感じていた。


マコは少しずつ元気を取り戻していた。弱々しかった手足も力強さを取り戻し、笑顔を見せることが増えている。だが、レオンの過保護は相変わらずだった。


「……何時かなぁ、ごめんね、今起きた」

「起きれるか?無理するなよ」

「うん、ありがとう」


「おはようマコ。だいぶ良さそうね」

リィがマコの頭を撫でながら微笑む。

「リィさん、すみません。何か手伝います」

「マコったら働き者ね」

リィがクスッと笑った。


窓から射し込む光が卓上のカップを淡く照らしていた。ほのかな香りを立てる茶葉を口に含みながら、三人は小さく息をついた。


「そういえば、レオン今日は休みなの?」

マコが穏やかに問いかける。


「あぁ。でもローガンが戻ればまた忙しくなるだろうな」

レオンは湯気の向こうに視線を漂わせながら答えた。その声にはわずかな緊張が混じっている。


リィはそんな二人を安心させるように微笑み、そっとカップを置いた。

「レオン、この研究所は先代の偉大な魔術師が結界を張っているの。ここにいる限り、マコは安全だから心配はいらないわよ」


そのとき、窓の外で軽やかな羽音が響いた。美しい鳥が研究室の窓辺に止まっている。


「ラシラック……」

リィの声が洩れた。


「珍しい……お腹が空いたのかしら」

窓をそっと開き、掌にパンくずを載せて差し出す。だがラシラックは口をつけず、ひとたび羽ばたくと光の粒を散らしながら室内へ舞い込み、煌めきを残して飛び去っていった。


静けさが戻ったあと、リィは床に目をやり、息を呑む。そこには光を帯びた羽が落ちていた。


レオンが拾い上げる。

「綺麗な羽だな」

指先に触れると、ほんのりと温かく、まるで小さく脈打つように震えている。


導きの鳥〈ラシラック〉――自然と魔法を結ぶ存在だと古き文献に記されている。

その羽は、持ち主に進むべき道を示す灯火。淡い光が揺れるたび、世界の理さえ呼応するかのようだった。


「やはり……」

リィの声は震え、けれど確かな確信に満ちていた。


「レオン、その羽をこちらへ」

差し出された手に渡された羽は、透明な水を湛えたコップへと移される。


次の瞬間、羽はふわり、ふわりと水面を撫でるように舞い、柔らかな光を放ちながら静かに踊り出した。

その神秘的な光景に、マコは言葉を失い、ただ胸の奥が熱くなるのを覚えながら見つめていた。




窓辺から差し込む光は、昼の柔らかさを失い、深まる夕闇の色に変わりつつあった。

研究所の空気は静まり返り、耳を澄ませば、どこか遠くで夜鳥の鳴く声が聞こえる。


レオンが差し出した羽は、すでに水面の上で淡い光を纏い、ひとりでに小さく跳ねるように震えていた。

それは羽が生きているかのようであり、意志を持って水の上を舞っているかのようでもあった。


「……本当に、導きの羽だわ」

リィの声はほとんど囁きに近い。

彼女は両手を合わせるように胸の前で組み、決して羽に触れようとはしなかった。


羽は聖性を持つ。

最初に触れた者の気配を宿し、その痕跡は力の流れとなって残る。

羽を拾ったのはレオン――それが何を意味するのか、リィは深くは語らなかった。


「レオン、マコ。今日は部屋で休むといいわ。私にはやることがあるからね」

やわらかく笑いかけながらも、その口調にはどこか含みがあった。

二人の耳が赤くなるのを確かめ、リィは小さく頷く。


「……さあ、私はここから」


扉が閉じると、部屋の中はさらに深い静けさに包まれた。

残されたのは、透明なコップに揺れる水と、その上に舞う羽の光。



リィは新しい器を慎重に用意した。薄く刻まれた魔法陣のガラス瓶――古代から伝わる「転写」の技法に適した特別な器だ。羽を見つめ、静かに呟く。

「羽よ、あなたの力を、どうか示して」


転写とは意図を水に写し取る術である。光り輝く水を見て、リィは震えた。


うまくいったわ!


細い指でコップを傾け、光を宿した水を瓶に注ぐ。水は途切れずに流れ込み、瓶の内側で淡く光を広げた。リィはラベルを取り、さらさらと書き記す。――ラシラック No.1(マザー)。この瓶はアリサ探索に使う道標だ。


次にもう一つの瓶を用意する。今度は羽の純粋なエネルギーが宿った水。

――ラシラック No.2(マザー)。導きの品を作るための基となる水。リィが指先で瓶を移すと、ほんのわずかな水滴が彼女の肌に触れた。


「……あっ」


淡い光が指先から胸へ広がり、心臓の鼓動と呼応するかのように胸が震える。理解したようでまだ掴みきれない、不思議な感覚――導きの力が宿ったのだろうか。リィは小さく首を振り、瓶を棚に戻す。そこにはすでに多くの「レイエッセンス」が並んでいたが、ラシラックの羽を宿した水はどれとも異なる輝きを放っていた。


――導きの力。アリサを見つけ出す鍵であり、未来を紡ぐ力。


そのとき、研究所の扉が静かに開き、深みのある声が響いた。

「……リィ」


暗がりの中、風に乱れた黒髪、鋭い眼差し――ローガンが帰ってきた。胸の奥で先ほど触れた水滴の余韻が波のように広がる。導きの力が彼を連れてきたのか、それとも偶然か――答えを確かめようとはしなかった。ただ、無事に戻ったこと、それだけで十分だった。


「……おかえりなさい、ローガン」


静かな夜の研究所に、リィの声が溶けていった。

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