第23話リィの研究所
「騎士団の入団テストは受けなくてよかったのか?」
訓練場の石畳を歩きながら、レオンは先を歩くローガンに声をかけた。
ローガンから苦笑いが漏れる。
「夜、稽古をつけてやる。それで我慢な」
時折、兄のように接するこの男を、レオンは心底慕っていた。
厳しくも頼もしいその背中は、弱かった自分を守ってくれたジラの姿と重なる。
冷たい風が石畳を抜け、レオンのマントを揺らした。
訓練場の向こうには、庭が広がっている。
晩秋の陽が傾き、花壇にはまだわずかにマリーゴールドや秋明菊が残り咲き、
その合間を赤や黄金に染まった落葉がひらひらと舞っていた。
枝を透かす光が柔らかく、夕映えの色に染まった小さな水車がくるくると回っている。
草木の香りの中に、乾いた葉の匂いが混ざり、足音に合わせて鳥のさえずりが遠くから響いた。
羽根に瑠璃色の斑点を持つ珍しい鳥が、枝から枝へと舞い移る。その鮮やかさに、思わず心が緩む。
「マチルダ様はここにはいないぞ」
「誰だ?」
「聖女様の名前だそうだ」
「へぇ」
マコの〝名前〟を聞いた瞬間、心に小さな優越感が生まれた。
マコと呼べるのは自分だけだ。少しだけ安堵し、同時に胸が熱くなる。
「マコにはいつ会えるんだ?」
「おい、お前は犬か何かか?」
一息ついてローガンは言った。
「腑抜けた顔をするな、まずはその本心を隠せ。あの娘を危険に晒したくなければな」
釘を刺されレオンは、頷くしかなかった。
心の奥の焦燥を悟られぬよう、ぐっと押さえ込む。
扉を開けると、淡く青白い光を放つランプが天井からぶら下がり、
薬草や奇妙な瓶が所狭しと並んでいた。
壁一面は古い書物と巻物で埋め尽くされ、机の上には蒸気の立つ試験管や、不思議な紋章が描かれた石板が置かれている。
花壇にはまだ、金色に輝くソルベリアや、霧の朝にしか咲かないルーミアの花が名残をとどめていた。
その間を、赤や黄金に染まった葉がひらひらと舞い落ちる。
外の紅葉が窓硝子に映り込み、淡く色づいた光が部屋の隅に落ちる。
空気には草木の匂いと、乾いた硝子の香りが混じっていた。
「リィ、いるか?」
「ああ!ちょっとだけ待ってて!」棚の奥から弾むような声が返る。
「客人を連れてきた」
「そこに座ってて!あ、お腹すいてる?棚の物なんでも食べてて!」
リィは慌ただしく薬草を抱えながら、木の梯子を駆け降りてきた。
白衣の袖は少し汚れ、指先には微かに魔力の輝きが残っている。
長く黒い髪が背中に沿って揺れ、落ち着いた微笑みが彼女の瞳の神秘的な輝きを際立たせる。
レオンの答えに、リィの声は自然と柔らかさを増す。
「森から出たがらない若造だ」
ローガンの横槍にレオンはむっとしたが、頭をくしゃくしゃと撫でられるとつい笑ってしまう。
「ハムサンド」ローガンは慣れた手つきでリィに注文した。
リィもすぐにパンにハムを挟み、皿に乗せて差し出す。
「どうぞ」
「レオンは?ジャムにする?ハムにする?」
「同じもので」
ローガンとリィに柄にもなくかしこまってしまう自分を、少し恥ずかしく思った。
「ローガンはリィの前だと雰囲気が違うな」
「おい、子供が大人に口出すな」
その瞬間、空気が和らいだ。
窓の外では、風がひときわ強く吹き、赤い葉が舞い込んできた。
リィはそれを手に取って笑い、「今年は冷えるのが早いわね」と呟いた。
やがてリィが、蒸気の立つ試験管を片付けながらぽつりと言った。
「そういえば明日は、第一王子の婚約者のお披露目も予定されてるみたいね」
さりげない言葉の裏に、研究者らしい鋭さが潜んでいた。
そのお披露目が、呪いに縛られた王家と、この青年を確実に結びつけるだろうと、
リィは誰よりも理解していた。
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