二章四話 人間らしさ

「────!!」


 肉体を取り戻す感覚、失われた温度が一瞬で元に戻る感覚。

 それを体験し、ココアは、戻ってきたのだと、実感した。


「──は、」


 息が乱れ、頭がズキズキと痛む。


 ──死んだ、死んでしまった。


 その現実だけが、ココアの体を重苦しく包む。

 カオルの顔が苦痛に歪み、血を吐いていたのを思い返すだけで、ココアは自分の愚鈍さに呆れてしまう。


「ココアちゃん?」


 そんな風に考え込み、顔を顰めていたココアに、カオルは心配そうに声をかける。

 その声に、弾けるように顔を上げ、ココアは、慌てて周囲の景色を見た。


 場所的には、対して景色に変わりのない、木々たちが並ぶ道だった。

 家族たちとは出会う前に、戻ってきた。


「──いえ、お気になさらないでください。わたしなら、平気ですから」


「──そう? しんどかったら言ってね。俺ができることならするから」


「──ありがとう、ございます」


 ココアが無理やり笑顔を作れば、カオルの表情が一瞬曇る。

 が、ココアの複雑な心中を察したのだろう、深く突っ込むことなく引き下がってくれた。


 ──理由は分からないが、あの少女が閃光の原因であったことに疑う余地はない。

 だとしたら、カオルのことを思うなら、ココアは、あの家族に救いの手を差し伸べてはいけない。


「ご主人様、体調に変化はありませんか?」


「うん。今日は風が気持ちいいね」


 カオルの表情は柔らかなまま、その笑顔がココアの向日葵のような色をした瞳にはっきりと映る。


 この笑顔を守るため、ココアは、非情な選択をしなければならない。

 例え、当人ですらも望まぬ決断だとしても。


「そうですね、とても気持ちのいい風です」


 黒髪が風に揺れる。手のひらは冷たいまま、記憶の中の温もりは失われていた。


 瞳を静かに動かせば、家族と邂逅した、脇道まであと数十メートルというところまで差し掛かっていることに気づく。


 進路を変えさせるべきだろうか。

 だが、急に口を出すのは、あまりに不自然だ。アウルが気付いたとしても、「急いでいる」と言えば、見捨てても不自然ではないだろう。


「止まっても構わないかい? ココアちゃん」


 知っている言葉に、ココアは少し瞳を伏せ、


「──先を急ぎたいのですが、」


「何かあったんですか? アウルさん」


 そう、断ろうとしたのを、カオルに遮られる。


 驚きに瞳を見開き、思わず言葉を失ってしまう。

 何故。カオルは、このタイミングで口を開かなかったはず。


「──ご主人様?」


「そこの脇道に、手を振ってる人たちがいてね。遭難しているのかもしれない」


「遭難……」


 アウルとカオルの言葉も、ココアの耳には入ってこなかった。


 ──まずい、カオルは優しいから、あの家族に目をかけてしまう。

 そうすれば、アウルのこともカオルのことも守れなくなる。


「止まってもいい? ココアちゃん」


「──いけません、ご主人様。ご主人様の記憶喪失の原因が、ここらにいないとも限りません。あまり、誰彼構わず声をかけるのは」


「でも、困ってるみたいだから」


「──っ、それは、」


「お願い、ココアちゃんに迷惑はかけないように頑張るから」


 カオルの言葉に、息を詰まらせる。

 言葉が出ない。

 あまりにも正しいから。


 だが、あの少女は、カオルに近づけてはいけない。

 また、カオルを傷つけることに──。


「──ココアちゃん?」


「─────────。……いえ、わたしの方こそ、急に黙ってしまってすみません。……降り、ましょうか」


 自分を納得させるのに、時間がかかった。

 だが、ここであまり拘ると、カオルに怪しまれるかもしれない。

 なら、ココアが少女をよく見張っていればいい。

 そうすれば、誰のことも傷つけずに済む。


「──紋様が浮かんだら、すぐに、首を」


 ──そんなこと、出来るのだろうか。


「出来るかどうかじゃない、やらなきゃ……」


 そうしなければ、大切なものを、失ってしまう。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ありがとう、お姉ちゃん!」


「──いえ、お礼なら、この方に」


 少女の綺麗な瞳が、真っ直ぐココアの姿を映している。

 それがなんとも居心地が悪く、ココアは短く言葉を切って顔を逸らした。

 少女が不思議そうに首を捻るのがわかったが、今のココアに、少女の心を慮るだけの心の余裕はなかった。


「無理言ってごめんね、ココアちゃん」


「──ご主人様が謝ることではありませんよ。それに、わたしの中で、ご主人様は常に最優先です。ご主人様が選んだことなら、それ以上口出しなんてしませんよ」


 申し訳なさそうに謝るカオルに、ココアは柔らかく笑ってそう返した。


 途端、カオルの表情が一気に強ばるのが見える。

 なにかまずいことを言っただろうかと瞳を見開き手を伸ばすが、カオルは少し悲しみを孕んだ表情のまま、「なんでもないよ」と笑うのみであった。


 そして、馬車を20分ほど走らせたあたりで、


「ココアちゃん、カオルくん、そろそろ街に入るから、ご家族に準備をさせてくれるかい?」


「分かりました!」

「かしこまりました」


 アウルの声が前方から聞こえ、ココアとカオルの返事が重なる。


 結局、ココアは少女への警戒を解かずに監視を続けていたが、いまだ怪しい前兆はない。

 とはいえ、前回の地点まではまだ距離がある。

 最後まで、警戒は解くべきではない。


「お嬢さん、ご夫妻、そろそろ街へ到達する模様です。ご準備を」


「あぁ、ありがとうございます!」


「ありがとう、お姉ちゃん!」


「──いえ」


 少女の笑顔が、ココアの中に僅かな引っ掛かりを生ませた。


 無駄な情を抱いてはいけない。カオルを守るため、ココアは、非情な手段でさえ、辞さない覚悟を持たなければならないのだ。


 と、


「──ココアちゃん」


「どうかなさいましたか? ご主人様」


 カオルの声に、ココアは微かに笑って目線を合わせる。

 その瞬間、


「──この音、なんだろ……なんか、嫌な感じがする」


「──は、」


 どこかで聞いた言葉。そして場所。


 ココアの頭の中を様々な嫌な予感と最悪な未来予想が駆け巡り──、


「──っ! お嬢さん! ご夫妻! 少々手荒な真似をします!」


 真っ先に、後方に氷の壁を作る。


 無詠唱であるから、精度は最悪だ。だからこそ、ココアは三人を思い切り後ろへ投げる。


 精度は最悪な氷の壁。本気で作ったものなら三人の体はひき肉になっていただろうが、あの精度なら少し背中が痛むくらいで済む。

 そのためにも、ココアは投げる腕に細心の注意を払って、力加減に苦心したのだ。


 そして、


「──ご主人様!」


 カオルの腕を掴み、足で踏み込み思い切り上空へ飛ぶ。


「──勘違いであってください」


 首を、確認する。


 ある。紋様が。


「──っ! ご主人さ……」


 空と頭がぶつかりそうになるくらい飛んで、そして、


「──ココアちゃん、離れて!」


 カオルの腕がココアの豊満な胸を押し返す。

 だが、それはあまりにも遅すぎた。


「──ぐ」


 ぱん、と手を叩くような音がした。


 刹那、カオルの体は破裂し、閃光がココアの瞳を突き刺す。


 腕がもげ、腸が毀れる感覚。


 選択を間違えたのだという自負と共に、ココアの体は、


「──ゔ、」


 はるか上空から、硬い地面へと叩き落とされた。

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