二章二話 旅のはじまり

「──あ、ココアちゃん。アウルさんと話してたの?」


「いえ、少し考え事を……ご主人様は、お変わりはありませんか?」


「うん。記憶はなくなっちゃったけど、体調が悪くなったりとかはないんだ。不幸中の幸い、ってやつかな」


「──それは、何よりです! では、ごゆっくりなさってください」


 カオルにぺこりと頭を下げ、ココアはカオルのいる部屋を通り過ぎていく。


 靴音が空間に虚しく響くが、今のココアは何も聞きたくなかったため、靴音の五月蝿さに助けられた。


「────」


 アウルの采配により、各々が個室に泊まれることになった。


 複雑な心中が表情に滲み、カオルに迷惑をかけるのではと考えていたので、ひとりの部屋を用意されたのは幸いだった。


「──広い部屋ですね。ちゃんと休んで、明日からも頑張ります」


 誰に向けたでもない独り言を、ココアは広い部屋に木霊させる。


 この世界に来たときから着ていた可愛らしいメイド服。それをココアは軽くつまみ、脱衣していく。仕組みがよく分からないため少し苦戦するが、全身鏡できちんと構造を見れば、すぐにチャック等を外せた。


「──新しい服、一応買ってみましたけど……」


 宿に来る途中で買っておいた服に袖を通す。可愛らしいデザインで、ココアの整った顔立ちによくあっているが、動きづらそうなのが難点だ。


「────」


 鏡の前でくるりと回り、ココアは金色の瞳に自分の姿を映す。可愛いが、やはり最初に着ていたメイド服の方がココアの魅力を引き出すし、なにより、カオルの好みの服装だ。


「──まあ、仕方がありませんね。それに、最悪浄化魔法で汚れを落とせば、洗濯したことになりますし」


 買ったばかりの服を着たまま、ココアはベッドに腰かける。


 メイド服を丁寧にハンガーにかけ、一日慌ただしく動いていたせいで乱れた髪の毛を櫛で解く。黒髪が月明かりに綺麗に反射し、黒曜石の如き輝きを放っていた。


「──それにしても、疲れました……魔法のせいでしょうか……いや、それよりも、心の問題の方ですね」


 カオルが覚えてくれていなかったことが、悲しかった。


 死の記憶が、あの時は立ち上がらなければと意識の隅に追いやったけれど、今になってすごく怖く思えてきた。


 何より、あれだけ魔物を倒して、自分の強さと才能を確認できたのに、大切なものは何一つ守れなかったことが、悲しかった。


 この先も、ココアは、カオルに──


「──いえ、いけません! 落ち込んでいますよ、ココア……こんな考え方、いけません! そもそも、ご主人様の記憶はわたしが頑張って取り戻せばいいんです。命だって、ご主人様のためなら、惜しくない。それできっと……いいんです」


 意気込み、布団に包まる。


 口走った言葉の違和感がココアの体を巡るよりも先に、眠りにつこうとする。


「──おやすみなさい、ご主人様。明日が、あなたにとっていい日になりますように」


 裏返る声を無視するように、ココアは長い睫毛と下睫毛にキスをさせた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「おはようございます、ご主人様!」


「お、はよう……元気だね」


 カオルに思い切り抱きつき、元気よく挨拶をする。


「もちろんです! ご主人様と今日もたくさんお話ができるように、昨日はぐっすり寝ましたから」


「そっかぁ……ちゃんと寝るのは肌にもいいからね、いいことだね」


「はい!」


 語尾にハートがつきそうなくらいに楽しそうに嬉しそうに、ココアはカオルに話しかける。カオルも満更でもないのか嬉しそうに微笑みを返してくれる。


「元気だね、ふたりとも」


「アウルさん!」


「昨日はよく眠れたみたいで何よりだよ。馬車を用意してるから、朝食を食べたら外に出てきてね」


「はい! ご主人様、朝ごはん食べましょう!」


「うん」


 カオルの腕を引き、ココアは食堂へ向かう。食欲を誘う香りに頬を緩めれば、カオルも同じように安堵に近い表情を浮かべているのがわかり、肩に入っていた力が抜けていく。


「朝ごはん焼き魚みたいですね! とっても美味しそうです!」


「そうだね。……ものについての記憶まではなくならなくてなくてよかったよ。なくなったのは人に関しての……対人関係とかの記憶だけだから」


「そうなのですね……」


 ふむ、とココアは薄紅色の唇をつまみ、思案する。


 常識や法則など、なくなっては生きていけない記憶はカオルの中に残っている。なくなったのは、ココアのことや両親のことなど、関わった人たちの記憶だけ──。


「──親切、のつもりでしょうか」


「──? 何か言った?」


「──いえ! 早く食べましょう、冷めてしまいますよ!」


 魚を口に運び、咀嚼する。


 命が巡る感覚、命を繋ぐために食べているのだという実感がココアの胸を撫でる。


「美味しいね、ココアちゃん」


「──はい。すごく」


「ムニエルってやつなのかな。知らないのに知ってるみたいで変な感じだね」


「──ふふ、変ですね。ご主人様」


 カオルの言葉ひとつで、ココアの心は大きく揺さぶられる。


 今だって、少しだけ不安だった心が安心と愛に満ちている。


「──愛に勝てるものなんてない、ですよね。よし、頑張らないと」


「──?」


 ぐっと拳を握り、ココアは脇を挟むように可愛いポーズをとる。


「──美味しい」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「──というわけで、今から共和国に向かうわけですけれど……つくまでに数日かかるそうですから、気長に向かいましょう!」


「うん、了解」


「僕が運転するから、ココアちゃんとカオルくんは後ろに座ってて」


「ありがとうございます!」


 馬車に駆け寄り、中に入る。


 馬車というものには初めて乗るが、カオルと前に見た映画に出てくる猫のバスに座り心地がちょっと似ている。


 あと、ラノベ系にありがちな見た目。


「──なんて、それも覚えてないのかもしれませんし……どっち判別なのでしょう……?」


「?」


 そうして、馬車に全員が乗り、無事に旅が始まったのだ。

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