九話 何度繰り返すことになっても

「ご、主人様……」


 全身を嫌な汗が伝う。足からは力が抜け、へたりこんだまま立ち上がれない。立ち上がって、笑って、ただでさえ不安であろうカオルを勇気づける言葉を言わなければならないのに。意志とは反対に、ココアの体は疲労感と絶望を訴えながら、青臭い草に身を置いたままだった。


「──ごめんね、俺、自分の名前も分からないんだ。君は、俺の知り合いだったのかな?」


「──ぁ、」


 ココアの鼓膜を、優しい声が揺らす。目の前で眉を下げながら弱々しく笑う少年は、間違いなくココアが死に物狂いで探していたカオルだ。


 たとえ、本人にその記憶はなくても、ココアはそれを覚えている。優しくされたことも、その記憶が異世界に来てからのココアを突き動かす原動力となっていたことも。


「──はい。わたしは、ご主人様に……あなたに、あまりに多くのものをもらいました。それは、たとえ神であっても奪えないほどに大きくて、尊いもので──わたしは、ずっとあなたを探していました」


 頬を染め、瞳を潤ませ、ココアはカオルの手を取る。温もりが伝わるだけで、心のいちばん柔らかい部分が満たされていく気がした。それほどに、カオルはココアにとって大きい存在なのだ。


「たとえあなたがわたしを覚えていなくても、わたしがあなたを忘れることはありません。あなたがあの日、わたしを宵闇から救ってくれたように──」


 立ち上がり、カオルの手を引いて少し強引に立ち上がらせる。視線を合わせ、気持ちが少しでも伝わるように、顔で、声で、言葉で、ココアの持ちうる全てで愛情と感謝を形にする。


「──今度は、わたしがあなたを助けてみせます。あなたにとっては、なんのことか分からないかもしれませんが、わたしにとっては大切なことなのです。だから、それを思い出せる日まで、あなたの隣で、あなたを助けさせてください」


「────」


 カオルの返事を待つ。カオルは少し驚いたように目を丸く見開いたまま、しかし、少しの間目を揺蕩わせ──、


「──君は、俺とどういう関係だったの?」


 そう聞かれ、ココアは、


「──家族、です!」


 そう、嘘ではないけれど、本当とも言い難い返答をした。


 嘘ではない。カオルはココアを家族と呼んでいた。だが、種族の差があることを考えれば、ペットという呼び名がふさわしいであろうが、


「──今の姿でそれを言うのは、少し、ご主人様の評価が……!」


「──?」


 そんなココアのささやかな葛藤も知らず、カオルはココアの手を握り返す。


「──助けさせて、ってお願いするなんて、変わってるね」


「──お願いしてでも、あなたを助けたいんです」


「そっか……そうなんだね」


 目を伏せて、カオルは少しだけ考え込む。けれど、すぐにココアに視線を合わせて、


「──うん。俺も、俺のこと思い出したい。それに、君みたいな女の子を悲しませたままなのは気分が悪いからね」


「──! ご主人様……!」


「俺が記憶を取り戻すの、手伝ってくれる?」


「────っ!」


 全身を、悦びが走る。気持ちを抑えきれず、カオルに力いっぱい抱きついた。カオルは「わっ」と驚いたような声を上げながらも、ココアを拒絶せず、それを受容する。ココアはその喜びを噛み締めながら、ぱっと顔を上げて、


「──はい! わたしは、絶対にご主人様の記憶を取り戻してみせます!」


 そう、嬉しそうに笑ったのだった。


「──ところで、ご主人様ってなに……?」


「ココアちゃん、ご主人様が混乱してるよ」


「あっ、そうですね。いけません、つい気分が……」


 と、閉まらない言葉を幕引きに。

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