三話 異世界の洗礼
「あぁ〜っ! 全然見つかりません!」
数時間は探したが、一向にカオルの姿は見えず、ココアはそう声を上げる。アウルも心配そうな顔をしながら探してくれているが、何しろこの国は広い。連絡も取れない相手を探すには不便だ。それに、カオルは髪を染めていないから見た目も目立たない。これでは──
「──黒髪なら珍しいから見つかると思ったんだけどね……その子の持ち物でもあればもう少し探しやすいんだけど」
「珍しい、ですか?」
「──? うん、珍しいよ。この国では──いや、黒髪の人間はそう多くない。『黒』は……」
「──?」
そこまで口にして、アウルは口を噤む。その視線はココアの髪をなぞった後に瞳に重なり、しばらく言葉を探し、
「──いや、理由はそこまで重要では無いね。とにかく、珍しいから目撃情報を探そうか」
「はい!」
と、元気よく返事をしたはいいが、実のところ、ココアはカオルがこの国にいるのか不安になってきている。もしかしたら、別の場所に飛ばされて──、
「──いえ、弱気になってはいけませんね。ご主人様は絶対にいます」
そう、メイド服の裾をつかみ、足を踏み出す。ココアが弱気になってはいけない。アウルも協力してくれているのだから、それを投げ出して諦めてしまうのは、すごく失礼なことだ。たとえ時間がかかっても、諦めたら見つからない。頑張らなくては。
「ココアちゃん」
「はい?」
「探す場所を変えてみるかい? もしかしたら国境近くにいるかもしれない」
「そうですね、そうしましょう!」
ココアが頷くと、アウルは微笑んで歩く方向を変える。その間にも周りを見渡しているが、やはりカオルの姿はなかった。
と、
「────?」
変に、視線がココアを追っていることに気がついた。ココアが視線をそちらに向ければそれは消え、違和感だけが胸を占める。気にするほどでは無いかと思うが、なんとなく、嫌な感じだった。
「ココアちゃん?」
「──あ、いえ……なんでもないですよ」
アウルが心配そうにこちらを見るのに気づき、眉を下げて笑顔を作る。違和感はあるが、気にしない方がいいだろう。黒髪が物珍しくて見ていただけかもしれない。
「──ご主人様」
その言葉が、ココアに未知数の力をくれる。へこたれてなんかいられない。
「それにしても、この国には本当にたくさんの方がいますね……全員魔法が使えるんですか?」
「魔法よりも剣技や拳を鍛えたがる人もいるから一概には言えないけど……魔力が強いひとは総じて身体能力も高いからね。魔法を使っていないのに強いひとは魔法を使ったらもっと強いひとが多いよ」
「へぇ……わたしも魔法って使えますか!? 使ってみたいです!」
ココアがそう手を広げれば、アウルの瞳が少しだけ輝きを増した。それにココアが意識を奪われていると、アウルの視線がココアの頭からつま先までを見据える。
「──すごいな」
感嘆するようにアウルが吐息混じりにつぶやく。ココアはそれに不思議そうに首をひねり、
「? 何がでしょう?」
「魔力だよ。僕は職業柄色んな人の魔力量や魔法を見てきたけれど──君の魔力量はそうありふれたものじゃない。今はただ存在しているだけだけれど、その魔力で身体能力を強化したり魔法を使ったりすればかなり強くなるはずだよ」
「そうなんですね……! やった」
嬉しそうに拳を握るココア。強くなれば、カオルを守ってあげられる。アウルにも迷惑をかけたから、たくさん守ってあげたい。
「ありがとうございます、アウルさん!」
ココアがそう微笑めば、アウルは少しだけ動きを止めて──、
「──ううん、これくらい、なんでもないよ」
心底嬉しそうにそう、笑ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ココアちゃん、体力はまだ平気そうかい?」
「はい! アウルさん、疲れたならおぶりますよ!」
「いや、僕も魔力で補助しているから平気だよ。もう日が沈んできたからね……疲れたようなら切り上げようかと」
「いえ、もう少しだけ探させてください! 見つかるかもしれませんから!」
「そういうと思っていたよ。じゃあ、この街だけ見たら終わりにしようか」
「はい!」
元気よく返事をして、ココアは素早く走る。最初の街より人の少ないこの街は、少し古びた建物が並んでいる。
ヒールを高く鳴らしながら風を切り、カオルの姿を探す。夕日の光が長く影を落とす中に、焦がれるその姿はなく──。
「──ご主人様、いらっしゃらないですね……」
立ち止まり、ココアは肩を落とす。後ろを振り返り、踵を返す。ここまで手伝ってくれたアウルには悪いが、明日も、また、探そう。
「アウルさーん!」
ココアが声を張り上げると、アウルがこちらに手を振る。早く、アウルに伝えて──、
「──?」
地面の隙間に、なにか黒いものが見えた。なんだろうか。
「──ココアちゃん!!」
「──ぇ、」
アウルの声が張り上げられる。
が、それは少しだけ遅かった。
「──きゃぁっ!」
黒い異形の影がココアの足元から出現する。驚きに高い声が上がるが、数本のねじれた触手と血に染まった鋭利な爪、異様に膨張した関節が絡み合うその姿──ココアが異世界で初めて見た魔物の姿を見た瞬間、その声も小さくなる。
「──な、に……?」
人間の形を曲げたような姿に、恐怖が走る。触手の先端には細かく裂けた皮膚の残骸がぶら下がっており──、
「ココアちゃん! 避けてくれ!」
アウルの方に視線を移せば、魔法を発動しようとしているのか、こちらに手を伸ばしている。
が、この魔物とココアの距離が近く、重なりすぎている。魔法を放てば、ココアの体ごと吹き飛ばす結果となるだろう。それにアウルが躊躇していれば、
「──ぎ、」
触手が、ココアの白く長い右腕を搦めとっていた。筋肉と皮膚を押し裂くそれは、ココアが悲鳴をあげるよりも先に、次の動きへ移る。
皮膚が破れ、筋肉が裂け、骨が折れる音が体の芯を揺らした。痛みが全身を貫く。
「──ぁ、ああああぁっ!? いや、が、ぁっ」
言葉にできない絶叫が全身から漏れ、ココアは足を滑らせて膝を着く。触手が腕をねじり、肩関節を軋ませながら引き伸ばす。皮膚は裂け、血はとめどなく滴り落ち、痛みで思考が途切れる。
「ぐ、ぅうううっ……! ご、ふ」
嗚咽と絶叫だけが空間に響く。アウルが位置を変えて魔法を打とうとするが、一瞬の躊躇いが致命的となり、もはやどの位置から魔法を打ってもココアに直撃する。魔物に捻り殺されるかアウルの魔法で死ぬかの違いでしか無かった。
血を吐き、もはや言葉は出ない。体の自由は徐々に奪われていき、尿も制御できずに下半身を濡らす。羞恥と絶望すらも痛みの前では意味がなく、絶叫に塗り替えられる。
「あ゛ああぁっ!? うぅっ、ぐ、ぅ……っ!」
触手は腰や太ももに絡みつき、膝関節と股関節を軋ませながら押し広げる。筋肉が裂け、骨が碎ける音が脳を反響する。魔物の爪は肩甲骨や胸骨に深く食いこみ、肉を抉る。痛みの波が全身へはねかえり、喉が痛くなるほどに叫び続ける。
「──っ! 不甲斐ない……!」
アウルは氷で槍のようなものを生成すると、それで触手を着く。
が、
「──が、ぅ……っ!」
「──!」
触手に与えられたダメージが、そのままココアの神経を貫いた。一体化したそれは、もはやどうすることも出来なかった。
魔物は執拗にココアの腹部や背中に絡みつき、腕や足の間接を逆方向に曲げる。血を吐きすぎて息のしずらくなった口内からとめどなく悲鳴が響き続ける。筋肉と腱が断裂する感覚が伝わり、骨の碎ける音だけが全身を貫く。血と汗、尿が混ざり、感覚は痛みだけに統一される。
「──ご、ぇ……っ、ぅ、ぐ、あああああぁっ!」
嗚咽混じりに絶叫が響く。全身の神経が悲鳴をあげ、触手が指先や肩、胸部を押し広げる度に痛みが波のように脳を揺らす。
「──ふ、うぅっ……ご、しゅじん、さま……」
もはや意地だけで意識を保つ。
が、触手は無慈悲に攻撃を激化させる。腕を引き裂き、太ももや腹部を抉り、肩や背中の肉をえぐる。膝は外れ、股関節は軋み、腰を押し上げる力が加わる。痛みで全身が硬直し、嗚咽混じりの絶叫だけが連続で漏れる。
「──はっ、はっ……」
息を荒らげながら、アウルは何とかできないかと思案する。が、もはや、全てが遅すぎた。ひとつ何とかする手段があるなら、それは、あの時、ココアが触られる前に魔法で吹き飛ばしておくべきだった。それはアウルの、油断と怠慢が原因だった。
「ぎ、ぅ、あ、あ゛あああぁっ……」
血まみれの全身で、赤黒く染まった視界の中、ココアは全身を震わせ、血と体液にまみれたまま絶叫する。そして、力尽きるように脱力し、ぶらんと手足を投げ出す。全身の筋肉は裂け、骨は砕け、内臓は押し広げられ、血と体液が地面に流れる。嗚咽混じりの絶叫は徐々に小さくなり、最後の息とともに完全に止まった。
「──くそ……ごめん、ごめん……」
アウルは傍らで静かに息をつき、視界に残る惨状を胸に刻む。ココアの身体は裂けた肉と砕けた骨、流れる血と体液、痛覚の記憶だけを残し、永遠に動かなくなった。
そして、ココアの魂は──
「────」
「────」
「────」
「──ぅ、」
「──ココアちゃん?」
「──え?」
「大丈夫かい? 顔色が悪いけど」
「────え……?」
──代償と引き金の揃った瞬間。ココアの魂は、
「──え……?」
異世界の洗礼とともに、能力の発動へと、至ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます