二話 何も知らないわたしは

「──確か、ご主人様とお散歩をしていたらご主人様が車に轢かれてしまって……ご主人様の体から『魂』の様なものが抜け出るのを見て反射的に掴んでしまったら、こんなことに……」


 ココアはぶんぶんと頭を振って周囲を見渡す。知らない風景とカオルの不在に混乱して走り出してしまったが、とりあえずはここがどこなのかと、カオルの居場所を調べなければならない。


 それから、


「──この、姿……」


 ココアは猫だ。こんな長い手足も、可愛い顔も、ついていた覚えは無い。だが、毛の色も、ココアしか知らない首元の傷も、たしかにあの時のままだ。


 ──見た目だけが、人間に変えられているが。


「──ううん、気にしてる場合じゃありませんね。ご主人様はお優しいですから、きっと危険に巻き込まれてしまいます。それを防がなくては!」


 黒はカオルが褒めてくれた色だ。その色がそのまま髪色にされているのは、ココアとしても悪い気分じゃない。服装も可愛い上に動きやすいし、この姿なら、今度こそカオルを守ってあげられる。


「今度こそ助けます、ご主人様!」


 ヒールを踏み鳴らし、メイド服を翻しながら、ココアは走る。猫の頃とそこまで変わらない速さで走れるあたり、身体能力はこの姿になっても据え置きなのだろう。


「──でも、わたし、ご主人様としかお散歩したことありません! 道を知りたい時ってどうすれば……ご主人様はスマホでよくマップを見てましたが……わたし、そんなの持ってません!」


 立ち止まり、ココアは黄色い瞳を見開いて慌てたような顔で騒ぐ。カオルは基本的に人に道を聞かない人だったから、ココアはその選択肢が最初から頭にない。


「──うぅ……どうすれば……」


「──君、平気かい?」


「えっ?」


 ココアが驚いたような顔で振り返ると、銀灰色の髪をした青年がこちらに視線を向けていた。金色の瞳と感情の見えにくい表情が少しだけ怖く感じるが、ココアが怖がらないようにローブを脱いで屈んでくれていた。おそらく、あんまり悪い人ではない。


「えっと……」


「困っているように見えたのだけど、違ったかな?」


「い、いえ! 困ってます!」


 馬鹿正直に答えたココアを青年は慈しむように笑う。ココアはそれに少し照れたような顔をしたあと、


「ご主じ……男の人を探してまして。黒髪に黒い目をした男の人なんですが、知りませんか?」


「──うーん……見ていないね。良ければ、探すのを手伝おうか?」


「えっ、いいんですか!? ありがとうございます!」


 ココアがぱあっと明るい笑顔になり頭を下げれば、青年はにこやかに微笑む。


「──あ、そういえば、あなたの名前は?」


「僕の名前はアウル・アクセル、君の名前は?」


「ココアです! よろしくお願いします、アウルさん!」


 ココアとアウルの視線が重なり、手を取る。異世界ではじめての味方を手に入れたココアは、カオルを探すためのその一歩を踏み出したのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「アウルさん、わたし、この国に来たばっかりなんです。だから、色々教えて欲しいです」


 ココアがアウルにそう言えば、アウルは表情を柔らかくして指を立てる。


「この国──ノスクリア王国は、世界有数の魔法が発展した国です。ですが、魔法が発展すればするほど、魔物も寄せられてきます。ですので、魔物も多い国なのです」


「魔物……怖い響きですね」


「魔物をお知りでないですか?」


「──はい、恥ずかしながら……」


「魔物は、穢れた魔力の宿る動物を指します。魔法を使えば使うほど穢れた魔力は処理が難しくなりますから、魔法の盛んな国ほど魔物による被害も増えるのですよ」


「穢れた魔力……?」


「穢れた魔力は、魔法を使ったあとに触媒から漏れ出るものです。本来なら本人が処理をしなければならないのですが、最近は国のお偉いさんですら知識不足な方が多い──ここ数年の魔物の増加は頭の痛いものです」


「なるほどぉ……」


 つまりは、排気ガス蔓延による地球温暖化促進のようなものだろうか。カオルの見ていたニュースの聞きかじりだから、あっているか分からないが。


「また、この国では人の魂は神へ返礼するものだという考えが根強いです。治癒魔法を嫌うものが多いのですが、それが理由です」


「──怪我とかしたら、治さないといけないと思いますけど……」


「それを嫌がる方がいるのです。全く、僕には理解ができませんが」


 命を繋ぎとめるものは、神の秩序を乱すものとして忌み嫌われる。それは、なんともココアには理解の難しい考え方だ。


「──結構、大変な国なんですね」


「ええ、私はこの国では少数派ですし、ココアちゃんのように他の国から来た方と話す方が楽しいです」


「────」


 アウルの言葉は、少しだけ、暗かった時のカオルと似ていて──、


「────」


 だから、アウルが言葉以上に暗い気分だろうということに、ココアは何となく気付いていた。

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