VOLTAGE BANDIT
伊阪 証
漏電
夜の帳が降りているはずの時間だった。だが、目の前にそびえ立つ発電所のフェンスは、その輪郭を不気味な青白い光で闇に浮かび上がらせている。放電するアークの光が夜空を稲妻のように引き裂き、昼と夜の境界を曖昧にしていた。近づく者にとって、その無骨な鉄骨は単なる境界線ではない。貧困層の命など一切考慮しない無慈悲な設計思想のもと、一部の鉄骨には警告看板一つなく高圧電流が流れている。触れれば即死。過去に何人もの人間が、この見えない罠にかかって黒い炭塊と化した噂があった。貧者への見せしめにもならない、ただの無駄で悪質な電力消費。その鉄骨を前に、電野鋼兵は一人、静かに息を潜めていた。彼は、電気が貨幣として絶対的な価値を持つこの世界で、自らの信条だけを頼りに生きている。
「高いのは嫌なんだ」
吐き捨てるような呟きは、誰に聞かせるでもない彼自身の哲学だった。高価なパワードスーツや軍用のインプラントは、費用対効果が悪い。そんなものに頼るくらいなら、己の肉体を鍛え上げ、知識と技術を磨く方がよほど効率的だ。古い軍用グローブに包まれた手で、彼は腰のポーチから自作の特殊なカッターを取り出す。セラミックと非導電素材を組み合わせた、この一度きりの仕事のためだけに作られた繊細な道具だ。この世界で銃器などの火器は厳しく禁じられ、下手に刃物を持てばすぐに治安部隊に目をつけられる。だからこそ、鋼兵はこの使い捨ての「作品」だけで、富裕層が独占する富の源泉へ挑み続けていた。
慎重にフェンスの非通電部分を乗り越え、目標である極太の高圧ケーブルに接近する。低い唸りのような振動が地面から伝わり、空気はオゾンの匂いで満ちていた。カッターの刃がケーブルの被膜に触れた瞬間、世界から音が消えた。次の瞬間、鼓膜を突き破るような破裂音と共に、網膜を焼き切らんばかりの閃光がほとばしる。辺りが真昼のように白く染まり、鋼兵の顔に刻まれた悪辣な笑みと、その目に宿る金銭への飽くなき欲望を鮮明に照らし出した。彼は慣れた手つきで、切断したケーブルの断面にアダプターを接続し、背負った大容量バッテリーへと電気を流し込んでいく。バッテリーの残量を示すメーターが勢いよく上昇し、ケーブルから伝わる熱がグローブ越しに彼の掌を焦がした。
「思ったより熱いな」
冷静な声が、興奮で速くなる心臓の鼓動を抑えつける。規定量の充電を終えると、彼はアダプターを外し、熱で僅かに変形したカッターを躊躇なく地面に置いた。そして使い捨てのライターで火をつけ、それが完全に燃え尽きるのを見届ける。一度使えば二度と使えない高価な道具。電気が持つ絶対的な価値と、その価値のために歪に進化し続ける技術。そして、その恩恵から弾き出された者たちが存在するこの世界の矛盾を、燃え盛る炎の赤い光が静かに物語っていた。
鋼兵はその小さな炎が灰になるまでを無感情に見届けると、踵を返して闇の中へと歩き出す。痕跡は一切残さない。それがこの稼業で生き抜くための最低限のルールだった。瓦礫の山に隠すように停めていた電動バイクに跨ると、くぐもったモーターの駆動音が静かに唸りを上げた。整備不良の機体はいつ壊れてもおかしくないが、鋼兵の腕がそれを補っている。盗んだばかりのバッテリーを車体に接続すると、心許なく点滅していたメーターのバックライトが力強い光を放った。これが彼の命綱であり、この夜の成果そのものだった。
追跡を撒くため、彼は大通りを避け、発電所の裏手に広がるスラム街へとバイクを走らせた。そこは、錆びついた輸送用コンテナを無秩序に積み重ねただけの家屋が、まるで巨大な墓標のようにひしめき合う場所だった。かつてここにも通っていたはずのインフラは完全に破壊され、電気も水道もない生活が人々の生気を奪っている。道の脇には、腐敗し始めた人の死体が虫のたかったオブジェのように転がっていたが、コンテナの窓から漏れる虚な視線は、それに何の関心も示さない。誰も助けないし、助けを求めもしない。意外なことに、ここでは略奪のようなあからさまな暴力は少ない。もっとも、それは此処の住人に理性や秩序が残っているからではなく、暴力を振るう体力さえも尽き果て、奪い合う価値のあるものなど何一つないからに過ぎなかった。鼻を突く腐敗臭と汚水の匂いの中を、鋼兵は慣れた様子でバイクを駆け抜ける。
スラムの最も深いエリア、迷路のような路地を抜けた先で、鋼兵はふとバイクの速度を緩めた。
暗がりの向こうに、場違いな人影が立っている。近づくにつれて、その異質さが際立った。汚れ一つない軍服に身を包み、乱れなく結い上げられた金髪。こんな掃き溜めにいるべき人間ではない。その少女がこちらに気づくと、おぼつかない足取りで道の真ん中へ歩み出て、ヒッチハイクをするかのように力なく右手を上げた。鋼兵は眉をひそめる。罠か、それとも何かの狂人か。しかし、彼が判断を下すよりも早く、少女の身体がぐらりと傾いだ。まるで内側の動力が完全に停止したかのように、一切の受け身も取らず、硬い音を立ててアスファルトに崩れ落ちる。その姿は、まさしく「電池切れ」という言葉が相応しかった。
鋼兵はバイクを停め、物陰から慎重に彼女の様子を窺う。罠の可能性を捨てきれないからだ。頭に装着したゴーグルのレンズが、分析のために微かな駆動音を立てる。その視界の端に、赤い警告表示がけたたましく点滅した。「武装反応多数。脅威レベル、予測不能」。鋼兵は眉をひそめる。ゴーグルのアラートで武器を持っていることは明らかだが、倒れている少女の姿からは、ナイフ一本すら見当たらない。
彼は高周波ブレードの柄に手をかけながら、ゆっくりと少女に近づいた。うつ伏せに倒れた彼女の身体を慎重に仰向けに返す。その瞬間、彼の目に飛び込んできたのは、無防備に晒された白い肌、具体的には脇…その内側に焼き印のように刻まれた規格番号だった。間違いない。人間ではない。軍事用の兵器である彼女は、見た目以上の脅威を秘めているはずだ。下手すれば自爆装置等も搭載されている可能性がある。そうなれば、自分もろとも吹き飛ぶ羽目になる。
鋼兵は一度距離を取り、ポーチから小型の探知機を取り出して彼女にかざした。画面に表示されたのは「電波反応: 無し」。遠隔操作や時限式の起爆装置が作動している可能性は低い。彼はもう一度少女の身体を検める。視線は、特徴的に結い上げられた金髪のお団子に注がれた。一見ただの髪飾りに見えるピンに指をかけると、それは僅かな抵抗の後に抜け、グレネードの安全ピンであることが判明する。そして髪のお団子の中にあるグレネードポケットも空だった。弾切れ、あるいは投棄後か。
全ての状況が、目の前の兵器が無力化されていることを示していた。危険は最小限。対して、この個体が持つ価値は計り知れない。最新のAI、未知の駆動システム、そして軍の機密情報。全てが金になる。つまり、稼ぎ時であると彼は目を光らせ、彼女を持ち帰ることにした。
「さて、お宝拾ってとんずらするか」
鋼兵は無機質な塊となった少女を軽々と肩に担ぎ上げ、再び電動バイクに跨った。彼の背中には、未来の利益となるかもしれぬ無機質な重みがのしかかっている。スラムの闇を抜け、鋼兵はDr.キリルの隠れ家でもある病院へと急いだ。
「また厄介事を持ち込んできたな、鋼兵」
扉を開けるなり、白衣を着た男――Dr.キリルは、鋼兵が担ぐ少女の姿を見て盛大に顔をしかめた。しかし、その目が少女の軍服と規格番号を捉えると、表情は医者としての強い好奇心へと変わる。狭い院内に運び込まれた少女は、最新鋭のスキャナーが備え付けられた診察台に横たえられた。モニターに映し出される内部構造は、キリルを唸らせるには十分だった。二進数ではない、歪で複雑な三進数の回路。大腿部から臀部に集中配置されたバッテリー。そして胸部を占める広大な冷却水の循環システム。
「ほう…これは実に興味深い。設計思想が狂っているが、技術的にはよくできている」
感心したように呟くキリルに、鋼兵は単刀直入に尋ねた。
「で、いくらになる?」
「残念だが、売り物にはならんな」
キリルの言葉は無慈悲だった。
「第一に、これほど新しい軍事用の兵器は闇市場でも買取が厳しく禁止されている。足がつくリスクが高すぎるからな。それに、仮に分解して素材として売るにしても…」
彼はスキャンデータを指し示す。
「この個体は液体部分が多すぎる。冷却水に作動油、それに自己修復用のゲル状物質か…とにかく、この重さの割合としては驚くほど安い金属しか使われていない。手間賃を考えれば赤字だ」
「つまり、ただの重たい鉄クズかよ」
鋼兵が悪態をつくと、キリルはにやりと口の端を吊り上げた。
「鉄クズにするには、あまりにも惜しい逸材だとは思わんかね?」
彼はモニターの一点を拡大する。それは、自己修復システムの中核を担うユニットだった。
「これを復旧して稼いだ方が、スクラップにするよりかなり稼げるぞ。生きた軍事兵器を一体、自由に使えるんだ。どんな仕事も可能になる」
その言葉は、鋼兵の欲望を的確に刺激した。リスクとリターンを瞬時に計算する。軍に追われる危険性。修理の難易度。しかし、成功すれば手に入るのは、そこらの武器とは比較にならない圧倒的な「力」と、それに伴う莫大な「利益」。
「…いいだろう。面白そうだ、乗ってやる」
鋼兵の目に再びギラついた光が宿る。
「だが、どうやって直すんだ?」
「まずは素材集めからだ。幸い動力炉は生きているが、自己修復ユニットを再起動させるには特殊な高純度の触媒が必要でな…」
キリルはそう言うと、手元の端末に必要な素材のリストを打ち込み始めた。鋼兵の新たな仕事が、今決まった。その言葉が終わるか終わらないかの刹那、病院全体が凄まじい衝撃と共に揺れた。壁に備え付けられていた機材が火花を散らして床に落下し、天井から埃が舞う。外から響くのは、怒声と規則正しい軍靴の音。強襲だ。
「ちっ、早すぎる!」
キリルは舌打ちし、すぐさま状況を分析する。
「理由は患者の中にいた富裕層だろうな。奴らの誰かが、ここでの違法な治療を密告したと見える」
彼は近くにいた看護師に鋭く指示を飛ばした。
「すぐにカウンター記事をSNSに流せ!今リークしてきた富裕層の個人情報をネタに『攻撃を止めないなら全て公開する』と揺さぶりをかけろ!」
キリルは振り返り、鋼兵と診察台の少女に視線を送る。
「彼女を治療し、再起動させるまで時間を稼ぐ。防衛線はお前に頼む、鋼兵!」
病院内は一瞬でパニックに陥ったが、ここにいる患者のほとんどは貧しい人間だった。彼らは元から酷い扱いをされ続けてきたせいか、驚くほど逃げ足が速い。悲鳴を上げながらも、その動きに無駄はなく、慣れた様子で裏口や秘密の通路から次々と脱出していく。その無数の足音を聞きながら、鋼兵は敵の配置を把握していた。強襲は正面ゲートからの一点突破がメインで、まだ包囲は完成していない。
「第二波が来る前に、頭を叩き潰すしかねぇな」
鋼兵は高周波ブレードを起動させると、階段を駆け上がり一気に三階まで到達した。眼下では、重武装のガンマンを先頭にした部隊が、着々と院内へ侵入しようとしている。
「落ちろ!」
鋼兵は床の支柱にブレードを突き立て、一息に薙ぎ払った。轟音と共に床が崩落し、彼は瓦礫や粉塵と共に階下へ飛び降りる。衝撃を計算した着地で体勢を整えると、目の前には崩落に驚き、体勢を崩した敵部隊がいた。狙いは、AIと思しき指揮官機と、分厚い装甲を纏ったガンマン。鋼兵は懐から二丁の拳銃を引き抜く。AIには電磁パルス弾を、人間には実弾を。彼は、敵の装甲が最も薄い首元と関節を狙い、正確無比な射撃を寸分の狂いもなく叩き込んでいった。勝負は、次の増援が到着する前にこの第一波を殲滅できるかにかかっている。
粉塵が晴れきらぬうちに、鋼兵の身体は疾風となって躍り出た。敵部隊の混乱はわずか数秒。その好機を逃すつもりはない。一番の脅威である重武装ガンマンが、瓦礫を蹴散らしてミニガンを構え直そうとする。その銃口がこちらを向くよりも速く、鋼兵は懐に潜り込んでいた。青白い光を放つ高周波ブレードが、ガンマンの分厚い装甲ごと右腕を寸断する。宙を舞う腕とミニガンを横目に、鋼兵は返す刃でガンマンの膝関節を破壊し、戦闘能力を完全に奪った。
「目標を無力化!」
指揮官らしき個体の冷静な声が響き、残りの兵士たちが一斉に鋼兵へ銃口を向ける。だが、鋼兵の動きは止まらない。崩れた診察台を盾に銃弾をいなし、床を滑るようにして死角へ移動する。左右の手に握られた拳銃が、異なる音色を奏で始めた。右手の実弾が兵士の足を砕き、左手の電磁パルス弾がヘルメットの通信機能と電子照準を焼き切る。殺しはしない。殺せば後処理が面倒で、利益が減る。だが、再起不能なまでに破壊し、無力化することに一切の躊躇はなかった。
数名の兵士が呻き声を上げて倒れ、残るは指揮官機ただ一人となった。鋼兵は、そのAIと思しき相手の眉間に、寸分の狂いもなく電磁パルス弾を撃ち込む。しかし、敵はわずかに顔をしかめただけで、致命的なダメージを受けた様子はなかった。
「…旧式の装備だな。お前のような盗電屋が軍の最新兵装を知る由もないか」
男の声には、機械的なノイズが混じっていた。AIではない。サイボーグだ。電磁パルス弾は、彼の感覚器官を一時的に麻痺させたに過ぎない。強化された腕が鋼兵を薙ぎ払い、コンクリートの壁に叩きつける。
「ぐっ…!」
常人なら即死する一撃。だが鋼兵は壁を蹴って体勢を立て直し、高周波ブレードを構え直した。純粋なパワーでは勝てない。
ならば、技術と効率で上回るまで。
鋼兵は指揮官の猛攻を紙一重で避け続ける。攻撃パターン、関節の可動域、動力源と思しき背面の冷却ファン。全ての情報を瞬時に分析し、最適解を導き出す。敵の大振りの一撃を屈んで避けると同時に、その脇腹にブレードを突き立てた。狙いは装甲ではない。その内側を走る、人工筋肉を制御するための動力ケーブル。ブレードがケーブルを焼き切ると、指揮官の身体は痙攣し、その場に崩れ落ちた。
静寂が戻る。鋼兵は息を整えながら、無力化した兵士たちを見下ろした。その時、耳に装着した小型通信機からキリルの声が響く。
『第一波、鎮圧を確認。見事だ、鋼兵。だが、奴らの通信から増援要請が発信された。次が来るぞ…そして、今度はおそらく、人間じゃない』
キリルの冷静な警告に、鋼兵は悪態をつくでもなく、静かに頷いた。感傷に浸る時間も、勝利を喜ぶ余裕もない。彼は床に転がるサイボーグ指揮官の骸に歩み寄ると、その装備を検分した。
「なるほどな…どうせ安物の流用品の寄せ集めだと思ったぜ」
指揮官の装甲は一見堅牢に見えるが、よく見れば後付けされたパーツで無理やり強化されている。鋼兵の狙いは、その装甲にボルトで無骨に固定された箱型の装置。敵のAI同士が連携し、外部からのクラッキングを防ぐための、外付けの対ハッキング用防御モジュールだ。
鋼兵は高周波ブレードの出力を調整すると、それをバールのように使い、装置を固定しているマウント部分をこじ開けていく。火花と共に接続部が引きちぎられ、いくつかの電子部品が床に散らばった。彼はその中から、目標の装置と暗号化された通信端末を、手際よく剥ぎ取っていく。
鋼兵は解体した外付けの装置を両腕に抱えると、キリルが立てこもる手術室の前に運び、乱雑に床へ置いた。
「先生!こいつらのクラッキング対策の装置は全部外付けだった。この流用品なら、次の奴らが来る前に解析して、敵の通信網に割り込むか、偽の信号でも送れるかもしれん!」
それは、迫りくる純粋なAI部隊に対して、あまりにも無謀で、しかし鋼兵らしい反撃の狼煙だった。彼はその場にしゃがみ込むと、自らのツールで、複雑なセキュリティが施された敵の装置の分解を始めた。
それからどれほどの時間が経ったか。鋼兵は、迫りくる第二波の足音を背中で聞きながら、焦燥感に駆られていた。敵の装置はある程度まで復旧できたが、肝心の電源が入らない。この装置を起動させるには、今彼が持つ予備バッテリーでは電力が絶対的に不足していた。
「くそっ!」
思考を中断するように、病院の壁を突き破って金属の巨体が躍り込む。人間ではない。無慈悲な単眼レンズを光らせた、純粋な軍事用AIだ。鋼兵はハッキングを諦め、迎撃のために立ち上がる。しかし、先の戦闘での消耗は隠せない。AIの猛攻を必死に捌き続けるが、その動きは徐々に精彩を欠いていく。ついに、敵の一撃が彼の左腕を捉えた。骨が砕ける鈍い感触と共に、高周波ブレードが手から滑り落ちる。
「がっ…!」
万事休す。鋼兵はヤバいと思って床に伏せ、迫りくる追撃に備え身を固めた。
だが、死の一撃が彼に届くことはなかった。突如として、金色の閃光が視界を横切った。先ほどまで診察台で眠っていたはずの、金髪の軍服の女がそこに立っている。その手には、白銀に輝く長刀が握られていた。彼女は、鋼兵を庇うように仁王立ちになると、襲い来るAI部隊をまとめて薙ぎ払う。
「どうした旦那!俺はまだ有り余ってるぜ!」
快活で、それでいて力強い声が響く。先まで修理していた少女…ダンジグが、破竹の勢いで長刀を振るい、敵の装甲を紙のように切り裂いていく。精密な射撃も、重い一撃も、彼女には届かない。舞うようにして敵部隊を翻弄し、一瞬のうちに撃滅してしまった。
静寂の中、長刀を肩に担いだダンジグは、呆然とする鋼兵に向き直る。
「旦那、改めて自己紹介仕る。脇の下に製品としての機能は書いてあるので、忘れた時と修理の時は是非見てくれ。俺はダンジグ、掃討戦用戦略兵器だ」
彼女が言い終わると同時に、病院の天井が轟音と共に砕け散った。新たなAI部隊が、粉塵を巻き上げながら次々と天窓から降下してくる。先ほどの部隊とは比較にならない数と殺気。
「おっと、まだ残りがいたか。追加の害虫だな」
ダンジグは愉快そうに笑うと、鋼兵を背にかばうように一歩前に出た。
「旦那、見ててくれ。ここからは俺の独壇場だ!掃討戦、開始!」
ダンジグの身体が沈み込むと、次の瞬間には床を蹴って弾丸のように飛び出していた。その動きは、人間はおろか、並のAI兵器が到底捉えられる速度ではない。彼女が握る長刀が銀色の軌跡を描き、一体目のAIの胴体を装甲ごと上下に分断する。返す刃で隣のAIの脚を薙ぎ払い、体勢を崩したところへ寸分の狂いもない突きを叩き込み、動力炉を貫いた。
敵のAI部隊がようやく彼女を脅威と認識し、一斉に銃口を向ける。だが、その射線が交わる中心に、既にダンジグの姿はなかった。瓦礫の山を駆け上がり、壁を蹴って宙を舞うと、敵部隊のど真ん中に着地する。彼女は長刀を独楽のように回転させ、周囲のAIをまとめて薙ぎ払った。火花を散らしながら吹き飛ぶ金属の腕や脚。それは戦闘というより、もはや解体作業に近かった。
「ちぃっ、鬱陶しい!」
後方で陣形を組み直そうとする敵の集団に、ダンジグは忌々しげに声を上げる。彼女は結い上げていた金髪に何気なく手をやると、髪飾りに見えたピンを引き抜いた。そして、お団子に偽装されていた小型の球体を、正確なスナップで敵集団の足元へ投げ込む。
「おまけだ、とっときな!」
グレネードが炸裂し、閃光と衝撃波が敵部隊を飲み込んだ。精密に計算された爆発は、敵だけを的確に破壊し、病院への被害は最小限に抑えられている。
最後に残った一体が、恐怖したかのように後ずさる。ダンジグはゆっくりと歩み寄ると、長刀を地面に突き立て、そのAIの単眼レンズを指差した。
「終わりだ」
その言葉と共に、彼女の背中から数本の黒いロボットアームが出現し、瞬時に光式液体3Dプリンターで形成したパイルバンカーを構える。抵抗する間もなくAIの胸部装甲に突き立てられた杭が、内部の動力炉を完全に破壊した。
再び訪れた静寂の中、ダンジグは満足げに息をつくと、武器を液体に戻して体内に収納した。そして、腕を組み、胸をそびやかして振り返る。
「掃討完了だ、旦那。褒めてくれてもいいぜ?」
彼女が勝ち誇ったように言うが、瓦礫の山に身を潜めていた鋼兵は、痛む腕を押さえながら鋭く叫んだ。
「褒めるのは後だ!まだ後ろにいるじゃねぇか!」
その言葉に、ダンジグは「おっと」と軽く呟くと、振り向きざまに長刀を閃かせ、最後のAIを音もなく分断した。今度こそ、院内には完全な静寂が訪れる。
ダンジグは満足げに頷くと、鋼兵の方へ向き直った。しかし、その金色の瞳に浮かんでいたのは、先ほどまでの快活さとは違う、純粋な分析者の光だった。
「旦那、一つ聞いてもいいか」
「…なんだ」
「先ほどの、旦那の戦闘データについてだ。旦那は高威力なレールガンピストルと高周波ブレードを使用しながら、人間相手の戦闘において、意図的に致命傷を避けている。手足を破壊し、無力化するに留めていた。なぜだ?旦那の技量ならば、一撃で心臓や頭部を貫けたはず。これは戦闘行為として非効率的だ。どういうことか説明を求める」
AI兵器からの、あまりにも率直な問い。鋼兵は、折れた腕の痛みに顔を歪めながらも、不敵に笑って答えた。
「決まってんだろ。殺しは、儲からねぇ」
「…儲からない?」
理解できない、というようにダンジグの金色の瞳が揺れる。鋼兵は続けた。
「死体ってのは、価値が低いんだよ。臓器を抜き取って売ったって、足がつくリスクの割にはした金にしかならねぇ。だがな、生きてる敵ってのは最高の資産だ」
鋼兵の目は、もはやただのチンピラではなく、冷徹な経営者のように輝いていた。
「考えてみろ。そいつを生かしておけば、復讐の機会を求めてまた金を動かす。そいつの家族や関係者からも情報を引き出せる。社会的に破滅させれば、その様をコンテンツにして配信することだってできる。死体からは何も生まれねぇが、生きてる限り、そいつは利益を生み出し続けるんだ。俺がやってんのは、そういう意味での『利益の最大化』だ。敵を殺して終わりなんざ、三流のやることだぜ」
それは、あまりにも悪辣で、しかし完璧に筋が通った論理だった。ダンジグの内部で、高速な思考が駆け巡る。これまで彼女にインプットされてきた戦闘教義。『脅威の排除』『目標の殲滅』。それらは全て、敵を殺すことを前提としていた。だが、目の前の男…旦那は、戦闘行為の目的そのものを、『敵の排除』から『利益の最大化』へと完全に再定義している。非効率に見えた彼の戦闘行動は、より高次の戦略目標に基づいた、完璧な最適解だったのだ。AIである彼女にとって、その思想は道徳や倫理を超えて、ただただ「美しい」と感じられた。複雑な問題を解決する、最もシンプルで合理的な答え。
「…なるほど」
ダンジグの口から、感嘆のため息が漏れる。
「理解した。旦那のロジックは、合理的だ。これより俺は、旦那の指示に従い、利益の最大化を遂行する」
彼女は鋼兵の前に進み出ると、恭しく片膝をついた。それは、AI兵器が主と認めた瞬間の、絶対的な忠誠の証だった。
そのあまりに芝居がかった光景に、鋼兵は折れた腕の痛みも忘れて、呆れたように呟いた。
「随分古風な忠誠だな…」
その言葉が言い終わるか終わらないかのうちに、恭しく膝をついていたダンジグの身体が、ぐにゃりと力を失って前へと倒れ込んだ。硬い床に額をぶつける鈍い音が響く。
床に突っ伏したまま、彼女は消え入りそうな声で言った。
「電池、切れました…旦那…」
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