自己愛、歪んだ思い出④

3


 静香との食事を終え、洗い物を済ませて後、ボクはさっさと風呂に入ってさっさと布団に潜り込んだ。静香には寝室を使わせているので、ボクはリビングに予備の布団を敷いて寝ていたが、最初の方こそ何か話しかけて来た静香も、ボクから反応がない時間が続くと、寝室に戻ったようだった。思っていたより、だいぶしおらしい。静香のことだから、布団を引っぺがして無理矢理に話をしようとするかもしれない、なんて想定もしていたが。ボクが思っているより静香も結婚し、年を経ておとなしくなったということか、それともやっぱり、さっきボクが思わずキレてしまったことが尾を引いているのが大きいか。

 ボクは布団の中で、目頭を抑えた。さっきのはボクらしくない。ボクならもっと、スマートに静香をいなせた。少なくとも、相手が静香じゃなければ。

 ──でも、ボクらしくないってなんだ。


「寝よう」


 ボクはわざわざ小さくそう口にして、布団を被り直した。すぐには眠りにつけなかったから、途中で片耳にイヤホンをつけて音楽を聴きながら寝た。

 朝起きて、ボクはすぐに寝室に向かい、静香の様子を見に行った。静香は布団の中で口を開けた間抜けな顔でまだ眠りの中にいた。寝ているなら起こすこともない。ボクは自分のと合わせて、静香の分も朝ごはんを用意した。ボクがご飯を食べる間に静香は起きてこなかったので、味噌汁は鍋に戻し、解凍した冷凍惣菜をお皿に乗せておき、ラップをかけた。


「静香、行ってくるよ」

「んー……」


 静香は布団の中で頷いた。けど、多分あれ意識ほとんどないな。ボクは紫音のことを思い出す。紫音と比べても、静香はだいぶ朝が弱い。それは、昔からよく知っている。ボクは髪や服のセッティングをして大学の準備を済ませて、部屋を出た。いつもと変わらない通学路で大学に向かったのに、いつもより静かさを感じた。行きの電車の中で、一応静香に朝ごはんを用意しておいたことを伝える。何と言うことはない。他の女の子にしているのと同じように、静香とも接すれば良いだけだ。勝手にこちらで心を掻き乱されても仕方ない。これまで付き合ってきた中にも、静香よりも面倒な女の子なんて、いくらでもいたんだから。


「よう、拓巳」


 他の学生たちよりも一足先に講義室に入って呆っとしていたら、隣の席に愛くんが座った。


「ん、愛くんか」

「どした? 元気ねえな」

「別に。眠いだけ」

「昨日もしっぽり?」

「まあ、そんなとこ」

「そうか。奇遇だな、俺もだ」


 愛くんがニヤニヤと顔に笑みを浮かべながらこちらを見ている。話したくて仕方ないという表情だ。


「新しい彼女でもできた?」


 面倒なので、ボクは単刀直入に聞いた。愛くんが上機嫌なのは大抵は女の子との付き合い始め。不機嫌だったり元気がなかったりするのは女の子と別れた時だ。実に分かりやすい。


「分かるか?」


 愛くんは嬉しそうだった。こちらとしては予想通り過ぎて言うことがない。


「今度はどのくらい続くかね」


 それもあり、少しだけ意地の悪いことを口にしてしまう。けれど愛くんはボクの言葉を意に解する様子もなかった。


「いや、今度は違う。ホントに好きになった相手だからさ」

「いつも似たようなこと言ってないっけか」

「だから違うんだって。いやな、中学の時の同級生でさ。前の彼女と別れてからこっち、よく連絡取り合ってたんだよ」

「昔好きだった子ってことか」


 愛くんはボクの背中を勢いよく叩いた。ボクはウッと一瞬咳き込む。愛くんは悪い悪いと笑顔で謝る。


「そうそう。そういうこと。何だおまえ、話分かるな」

「まあ、女の子のことなら」

「拓巳はそうか」

「後は愛くんのこともまあまあ知ってるし」


 愛くんも色々な女の子と付き合ってきている男だが、ボクと違うのは、彼の場合はいつも本気の恋だと言って女の子と付き合うことだ。少なくとも口ではそう言っている。その相手はゼミの同級生に、サークルの後輩、バイト先の先輩、近所に住むOLと様々だ。ボクもいちいち覚えていない。一回だけ愛くんが好きになったと言っていた相手がボクのだったことがあり、気まずい思いをしたこともあったな。結局、愛くんはその子とは付き合わなかったし、ボクもその子との関係は絶っている。その子はその子で、好きな男ができたのだそうだ。この間も、SNSで近況を確認したが、その男との関係は今もしっかり続いているようで何よりである。


「嬉しいこと言ってくれるじゃねえの。でな、その子と昨日話しててさ」

「いい。そういう話はいい」


 愛くんの惚気話が始まりそうだったので、ボクは彼を手で制した。朝っぱらからそういう話をしようとするな。それも講義の直前に。


「そうか?」

「講義も始まるだろうがよ。また一緒に飯食う時にでもゆっくり聞くから」

「そうだな。それもそうか」


 愛くんはしょんぼりと肩を落とした。それから鞄の中にあるノートや教科書をようやく取り出して机の上に出し、少しだけ不満そうな様子で頬杖をついた。分かった分かった。話自体はホントにまた今度じっくり聞いてやるよ。


「……疲れないか?」


 しょんぼりした様子の愛くんを見ながら少し考えて、ボクはそんな疑問を口にした。


「あ? 何がよ?」

「そう何度も色々な人を好きになって付き合って。その度に一喜一憂するのが」

「んー」


 愛くんは自分の頭を何度か掻いた。


「疲れるは疲れる」

「だろうな。いつも愛くんのこと見てても思うよ」

「でもよ、自分の気持ちには正直でいてえだろ?」

「そんな綺麗な話か?」


 愛くんが一人一人の相手にある程度以上には一生懸命なのはボクも知っている。けれど客観的に見れば、単に女を取っ替え引っ替えしてるだけとも取れる。いや、だとしても概ね愛くんの言う通り、素直ではあるのか。決して女の子と深い繋がりは持ちたくないボクとは、ある意味で正反対だ。


「しかしここ最近ほんとどうしたよお前。普段はそんな風なこと、聞かんだろ」

「ボクもそう思う」

「やっぱり例のお姉さんがお前んち来てからよな。何、好きなの?」

「まさか」


 愛くんは机の上に肩肘を乗せ、ボクの顔を覗き込んだ。


「もしそうなら、やっぱり自分の気持ちには素直になるべきだと思うぞ」

「ないよ。昨日も愚痴ったけど、姉貴だぞ」

「恋にそんなのは関係ない」

「あるだろ」


 ダメだな。恋人ができたばかりの愛くんのこういうモードは面倒くさい。今のボクにとっては特に。お前の方こそ、付き合い始めだけいつもと調子が変わるのやめとけよ。


「ま、お前の問題だもんな。俺ならいつでも相談乗るからな」


 愛くんは真剣な眼差しでボクの目を見た。ボクはうんざりして溜息を吐く。もはやお前は誰だよ。ボクの何だ。軽率に愛くんに相談めいた話をしてしまったことを、ボクは後悔した。こいつには二度とこの手の話はしない。そんな話をしているうちに、講義室に教授が入ってきた。ボクがノートを開くかたわら、愛くんはスマホの録音機能を立ち上げ、いつものように集中して講義録をノートとスマホのメモに取り始める。そこは変わらないんだよな、とボクはまた溜息をついた。こちらはどちらかというと、安堵の息ではあった。


「ここの講義ノートも売り先いるの?」


 ボクは愛くんに聴く。愛くんは、さっきまで付き合い始めの女の子の話をしていた時とはまた違った下卑た笑みを浮かべた。


「当然。三年生のこの時期だってのに、割とバンバン単位落とすからよ、この教授。だから、来年の今頃にはそれに泣き入れる奴が必ずいるって話よ」

「あっそ」


 悪どい小遣い稼ぎの一年後の未来をそうやって考えるなら、女の子との未来も同じように考えたらどうなのかね、というのは思うに留めた。

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