悪友跋扈、色欲是空③

3


 昼飯の後、愛くんと学内に戻って、午後の講義を受け終わってすぐ、紫音から連絡があった。今週末、また観たい映画があるから一緒に行かないかとの誘いだった。ボクはすぐにスケジュールを確認する。今週末も玲奈さんのところでバイトだが、またレイトショーにすれば問題はない。ボクは紫音とやり取りをして、観たい作品の名前を聞いてすぐさま、近くの劇場で観れるか確認をした。大丈夫。午後九時以降の上映がある。


『いいね 予約しとくよ』


 予定が決まれば、行動と報告はできるだけ早く。これも鉄則。紫音から、ありがとうのスタンプが送られてきた。それから何周かスタンプの応酬を重ねて、電話をかけた。


「もしもし、紫音ちゃん? お誘いありがとう!」


 ボクは明るい声を努める。少しわざとらしいくらいが良い。自分の中に、少しでも興味の芽があれば花に育てろ。その上で、億劫だとか面倒だとか、そういう感情は頭の中のゴミ箱にさっさとダンクシュートだ。


『こちらこそ、ありがとうございます。えと、こんなすぐ連絡もらえると思わなくて』

「紫音ちゃんからメッセージもらえて嬉しかったからさ。ごめんね、はしゃぎ過ぎた」

『私こそ、こないだは寝ちゃって、ごめんなさい』

「良いよ。疲れてたんでしょ。あ、朝ごはんどうだった?」

『美味しかったです』


 紫音の声に、少しだけ微笑を感じた。ボクに対する緊張感はまだ厚そうに思えるが、向こうの方からまた会う約束を取り付けてくれた。まだ紫音とは数えるくらいしか会っていないのに上出来だ。


「終わったらまた、紫音ちゃんの家で、ね」

『……はい』


 今にも消え入りそうだが、間違いなく肯定の返答。他の女の子との予定がない時に夜の寂しさを紛らわせる相手は、しばらくこの子で良さそうだな。何よりも、静香からの避難場所ができるというのはデカい。週末に会った時、その次の日も会えないか聞いてみよう。後は、真琴に祐実、それに先週は相手しなかった遥華はるかがいたか。遥華は毎月の給料日、ほぼ決まって連絡を寄越してくる。介護士をしている遥華は、普段は節制している欲望を全て、給料が入ればパーっと使うのが趣味だ。そろそろ給料日だし、今月も連絡してくるものと考えた方が良いだろう。その日の予定は全部開けることにしている。遥華の解放する欲望は、買い物欲に食欲、その他の雑多なやりたいことは多岐に渡る。ボクはそれに付き合うだけ。彼女の欲望がそちらに向かわなければ、セックスをしないこともあるが、これもまあ大概はヤる。そんな風に、スケジュール帳と睨めっこをしながら、向こう一カ月の予定を修正していった。この時間、正直かなり好きな時間だ。全てが計画通りにことが運ぶのことなんて稀だ。だから、必ずやらなくちゃいけないミッションを定めて、そのミッションの達成率を出すことで、ボクは次の予定に備える。その繰り返しをしていると、頭の中がどんどんと冴え渡っていく。ボクが愛くんに言おうとした「その力を他に活かせよ」の言葉が聞こえるが、こればかりは仕方ないよな。

 よし、気分が良い。静香も今日は、夜まで帰ってこないって言ってたな。そのまま友達の家に泊まって朝帰りでもしてくれると嬉しいが、静香の言い草だとその可能性は低いんだったか。今夜はバーによる予定だが、一旦家に帰って、汗を洗い流してはおきたい。今の時間なら、大丈夫だろ。そう考えて、ボクは家に戻った。玄関の戸を開ける瞬間、静香のことだからボクの想定通りには動かず、部屋に入ると静香がリビングでまたYouTubeでも見てやしないか、なんて想像をする。だが、そんなことはなかった。ボクはホッと胸を撫で下ろす。部屋の中には静香の持ち物が散乱していて、いつものボクの部屋とはいかないが、それは良い。ボクは溜息をついて静香の私物を拾い、部屋の端っこにまとめた。シャワーをしようと脱衣所に向かうと、洗濯カゴの中に遠慮なく静香の下着が放り込まれていたので、舌打ちをしつつもボクの服と一緒に洗濯機に入れた。シャワーを浴びて、頭髪セット、無駄毛処理までをきっかり行い、その間に止まった洗濯機から洗濯物を取り出して干す。着替えを手にして、どうしても皺が気になりアイロンをかけた頃には、家を出る予定の時間を五分過ぎていた。くそっ、静香のせいで普段とは違う工程が挟まったから。独りの部屋で、そんな悪態をぶつくさと口にして着替えを済ませ、いざ出発と鞄を持ち上げようとしたところで、ガチャリと玄関の戸が開いた。


「たっだいまー。あ、拓巳。帰ってたんだ」

「うん。早かったね」


 おいおい、まだ夕飯時だろ。もっと友達と遊んでろよ、なんて言葉が喉元まで出かかったが、飲み込む。


「夜ご飯は?」

「まだ。これから出かけるし」

「あたしのは?」


 キョトンとした表情を見せる静香に対して、ボクは思わず眉間に皺を寄せた。


「なんであると思ってるんだよ。友達と遊ぶって言ってたろ」

「遊んだって。満足満足。でも向こうも家族いるしさー。あたしにも可愛い弟ちゃんがいるし」


 あ、と思った。今、一瞬頭の中が真っ白になった。最初は理由がわからなかったが、それが静香のこぼした「弟」という言葉にショックを受けたせいだと理解して、ムカついた。イライラが募り、ボクの頭は静香に怒鳴り散らしたい気持ちでいっぱいになる。だけど、我慢だ。そんなの、俺──ボクらしく、ない。


「とにかく、俺はもう出るから」


 ボクは鞄を持ち、静香の横を駆け抜けるようにして靴を履いた。


「冷蔵庫にあるもんも勝手に使って良いから」


 ボクが言うまでもなく、静香はそうするだろうけど、一応それだけ伝えて、ボクは家から飛び出した。あまりのイライラに叫びたい衝動に襲われる。ああ、昨日の紫音とのカラオケは良かったな。あれは今思うと、かなりストレス解消になった。にも関わらず、今ストレスが去来しているわけだけど。バーに行くのはやめるか。でも、今から家に転がり込んで問題ない友達はいない。ぐるぐると、色々なことを逡巡したが、結局ボクは予定通り、バーに向かった。


「いらっしゃいませ」


 店員の爽やかな出迎えの挨拶が耳に心地良い。それだけで少しだけイライラがスッと消える。ボクは店を見回す。この店は所謂ボードゲームバーだ。ただ、元々普通のバーとして営業していた箱の中を改装しているので、かなり雰囲気が良い。奥にはカラオケ室もあり、そこで歌う客の声も聞こえてくる。元々は同じ空間だったのだが、ボードゲーム目当ての客が増えるにつれ、苦情も増えたらしく、一応の仕切りができた、といった成り行きだ。紫音と知り合ったのも、この店だった。店の性格上、単純に酒目当て、ゲーム仲間目当て、色々な客がいる。


「おーい、拓巳。先、やってんぞー」


 奥の席では、この店の常連でいつも一緒に飲んでいる知り合いがいた。ボクはカウンター席を通り過ぎ、その人のいるテーブル席に向かう。テーブル席に座っているのはその人を入れて三人。テーブルの上にあるのは、有名なカルカソンヌというゲームだった。四角形の地形タイルを順繰りに繋げていき、道や都市を形成していくボードゲームだ。またこれか。ボクは小さく鼻息を吐き、ボクの名前を呼んだ彼の隣に座った。


「大輝さん、もうだいぶ飲みました?」

「んー?」


 ボクの隣で、圖師大輝ずしだいきは顔を赤らめ、優しそうな微笑みを浮かべていた。ボクが座ったのと反対の席には、女の子が座っている。多分、ボクよりも少し歳上か。祐実と同じくらいかな。大輝さんの好みどストライクというわけではなさそうだが。ボクは改めて、ニコニコと顔を崩さない隣の男を見る。相変わらず、顔が良い。ボクは自分のことを正直、あまりイケメンだとは思っていない。それなりに整った顔つきだと思っているところはあるが、それでも何もしなければ、モテとは程遠い、どこにでもいる普通の顔面、というのが自己評価。それに比べて、この圖師大輝という男は、紛うことなく顔が良い。ボクよりも歳上で、そろそろ三十代に差し掛かる筈だが、それでも若々しく艶のあるその顔は、男であってもドキリとさせられること請け合いだ。それに加えて、肩や腕にも適度な筋肉がついていて、それがまた人の目を惹く。指先は細く、人の脳みそに直接語りかけてくるような声がまた、彼の顔に釘付けにさせられる一因となる。今日はその体に、黒のジャケットを羽織っていたが、これもまた似合っている。こう言うと愛くんには悪いが、彼のようなとってつけたような着こなしではない。

 ボクから見て圖師大輝はまさに、文句のつけようのないイケメンだ。

 ボクはチラリと大輝さんの飲んでいるグラスを見る。薄緑色のカクテルが、まだ手付かずで残っていた。この店で提供されているカクテルだが、ここのカクテルは度数低めの酒がほとんどだ。何杯目は知らないが、開店時間からそう経ってない。多分、何でも三、四杯目くらいか。このナリで酒にそのまで強くない、というのは意外だが、その弱みすら魅力になってしまうのが圖師大輝という男であったりする。

 酔った様子の大輝さんは、隣にいる女の子の肩に顔を乗せた。女の子は耳を赤らめて、目を泳がせている。あー、見た感じやっぱり紫音と同じタイプかな。あまり男慣れしてなくて、最初は友達か誰かに連れられて、そんで大輝さんに捕まっちゃったか。


「ほら、そこ道繋げなくちゃ」


 大輝さんは女の子の肩に顔を乗せたまま、盤面を指差して、それから上目遣いでその子を見上げた。


「は、はい」


 女の子は上擦った声をあげて、手を震わせながら自分の持っている地形タイルを、テーブルの上に広がる都市に繋げて置く。


「いいじゃーん」


 大輝さんは、かなり上機嫌だ。ゆっくりと顔を上げて自分の分のタイルを持ち、うーんと悩む素振りを見せる。酔ってはいるが、まだ頭は冴えているな、これは。カルカソンヌは初心者にもルールが説明しやすく、大輝さんが女の子を連れてきた時に好んでプレイする。この店をボクに紹介してくれた時に一緒にプレイしたのも、このゲームだった。勝ち負けは重要ではない。大事なのは、その場で楽しさを提供してやること。ボクと最初に都市を形成した時、大輝さんはそう教えてくれた。今の様子を見てもわかる通り、大輝さんもかなりの遊び人だ。というか、ボクの比ではない。日々、スケジュール管理や女の子のご機嫌取りに夢中のボクと違い、大輝さんはそれを素でやる。女の子はこうしたら喜ぶからさあ、なんてことを何の根拠もなく口にして、それがたとえ的外れだったとしても、大輝さんの顔の良さは自陣のコマを全てをポジティブに塗りたくる。この人には、敵わない。というか、戦っているステージが違い過ぎる。


「で? 拓巳は何で遅れたの」

「すみません、ちょっと私用で」

「女の子と喧嘩でもした?」

「女の子、と言えばそうですけど違います。姉です」


 ボクは一瞬、適当に話を濁そうかとも思ったが、正直に言うことにした。大輝さんは勘がいい。ボクが何かを隠した素振りをすれば大抵すぐにバレるし、本当のことを言うまで突っ込んで質問をしてくる。ああいう時の大輝さんは、正直かなり面倒くさい。


「お姉ちゃんー? お姉ちゃんいんの、拓巳」

「はい」


 皆、同じ反応するな。ボクがあまり他人に家族のことを話さないから、当然だけど。


「姉が東京の友達と遊ぶって言って、今ボクん家に泊まってるんですよ。それで姉の相手してたら、ちょっと時間過ぎて。すみません」

「そういうことね。いいよいいよ。家族は大事だ」


 大輝さんはうんうんと頷きながら、タイルを盤面に置く。それから向かいの席に座るもう一人のプレイヤーに手を差し出して次を促した。向かいの席に座っていたのは、隆之介さんだ。大輝さんの友人で、よく一緒にこの店で遊んでいる。大輝さん程ではないが、隆之介さんもかなりのイケメンだ。それも大輝さんみたいな透明感あるのとは違った、ガテン系の面持ち。二人ともタイプが違うので、一緒にいると華がある。この二人と一緒にいると、自分があまりにも凡庸な人間だと感じてしまう。けれど、そういう時間も自分には大事だと思っていた。いつもいつも女の子に持ち上げられて、良い気になって、イキり過ぎるのも良くない。


「俺はあんまり意外じゃないな。拓巳くん、弟感あるもんな」


 隆之介さんが、電子タバコを口に咥えて言った。


「そうですか?」


 ボクは苦笑して答える。思い当たる節はないでもない。


「うん。長兄タイプではないでしょ。中間子タイプか末っ子タイプか悩むところだけど、家族には愛されて育ったっぽいし、末っ子かな」

「姉にはかなり可愛がられましたよ。歳が結構離れてるんで、弟のボクが可愛くて仕方ないって感じで」

「ほら、だろ?」


 隆之介さんはドヤ顔で大輝さんを指差した。大輝さんはニッコリと笑って、その指をぺしりとはたく。


「相変わらず好きだねー、他人の分析が。決めつけは良くないよ」

「純度百パーの偏見だからな。あってたら嬉しいってだけよ」


 まあ、ボクが口にしたのは今、ボクの部屋を占拠している義姉じゃなく、実姉のことだが。隆之介さんが自分の手番を終わらせて、また女の子の番になる。そのタイミングで、大輝さんがその子にボクを紹介した。


「この子、金元拓巳くん。まだ大学生。俺の弟子」

「弟子ってなんですか。どうも、金元拓巳です。大輝さんにはいつもお世話になってます」

「んで、こちらは由美ちゃん。この近くの不動産で働いてるんだって。いつも気になってたんだけど、勇気を出して入ってみたのが、こないだ。すぐ仲良くなった」

「そうですか。由美さん、よろしくお願いします」

「うん、よろしくね拓巳くん」


 ボクを相手にすることで、さっきまで見せていた緊張が少しほぐれたらしく、由美さんは堂に入った笑みを浮かべて、小首を傾げる。隆之介さんと違って、ボクの方は分析失敗かな。この人もまあまあ手練ではありそうだ。

 ボクはそのまま、大輝さん達が三人でカルカソンヌをプレイする様を見学した。タイルが全て盤面に揃い、集計の時間になる。ボクが審判を買って出て、全員の点数を数えた。結果は大輝さんの勝利、由美さんが二位だ。隆之介さんは悔しそうに頭を抱えたが、おそらくはこの結果は、大輝さんと隆之介さんが最初から想定していた形だ。


「んじゃ、次は拓巳もね」


 テーブルの上のタイルが片付けられ、ボクは大輝さんに「はい」と自分の分のタイルとトークンを渡される。ボクはゲームに集中した。勝つか負けるかは、問題ではない。けれど、由美さんがいる今は大輝さんを立てる時だ。隆之介さんの顔をチラリと見ると、そのことを肯定するように、彼はニヤリと笑って小さく頷いた。ゲームに集中したおかげで、静香のことは頭の中から追い出される。ボクの参加したゲームで、一位は由美さん、二位が大輝さん、三位がボクだった。

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