#17 杯中の蛇影

旧校舎の廊下を、クラリスはセシルの手を引いたまま進んでいた。

階段事故の余韻がまだ胸に残っている。けれど、それ以上に、確信があった。

この建物のどこかに、答えがある。


目指すのは、昨日女子生徒が掃除していた物置教室。

記録上は使われていないはずなのに、床の埃は不自然に拭われていた。


セシルが扉を押すと、軋む音とともに中が現れる。棚が壁際に並び、教材らしき箱が積まれている。

整然としているが、どこか作為的な空気が漂っていた。


そのとき、奥の棚の影から人影が現れた。彼は補習担当の教師だったはず。眼鏡をかけた中年の男性。

表情は穏やかだが、どこか胡散臭さが漂っている。


「おや、君たち。こんなところで何を?」


セシルが一歩前に出る。

「この教室、記録では使われていないはずですが、何か保管されているんですか?」

「ええ、教材を少し。補習の準備でね。ここは倉庫扱いです」


教師の視線が、クラリスとセシルの手元に落ちる。

繋いだままの手に気づいた彼は、にやりと笑った。


「お二人こそ、何故ここに? 秘密のデートですか?」


クラリスは、慌てて手を放す。

セシルも、咳払いをして視線を逸らした。


「違います。調査です」


クラリスは、棚の前に歩み寄る。

棚の脚元に、微かな擦れ跡がある。最近動かされたような痕跡。


「この棚、動かした跡がありますが」

「それは……掃除のときに少し動かしただけですよ」


教師の声が、わずかに揺れる。

クラリスは、棚の側面を指差した。


「会長、動かしてみてください」


セシルが棚に手をかけようとした瞬間――


「それは教師の仕事です。君たちはもう帰りなさい」

補習教師が、やや強い口調で制止する。その声には、焦りが滲んでいた。


そのとき、扉が乱暴に開いた。

「チッ……人がいたんですか」


巡回担当のスケベ教師が、女子生徒を連れて入ってきた。

彼の顔には、明らかに不満が浮かんでいる。

女子生徒は、どこか怯えたような表情で、彼の後ろに立っていた。


クラリスは、眉をひそめる。このタイミングで……間が悪すぎる。

いや、でもスケベ教師に注目した今のうちに……!

クラリスがセシルへ視線を向ける。

「セシル、お願い!」


セシルが頷き、力を込めると棚がぎしりと音を立てて動いた。




その背後に、ぽっかりと空いた穴が現れる。

壁の一部が崩れ、人が通れるほどの隙間ができていた。


「……これは」

全員が息を呑んだ。


補習教師が、顔を強張らせる。

「そ、れは、ただの……古い構造です!危険ですから、入ってはいけません!」


クラリスとセシルは、無視して穴の中を覗き込む。

奥には、薄暗い空間が広がっていた。そこに誰かが横たわっている気配。


クラリスは、懐中魔道灯を取り出し、穴の中へと足を踏み入れた。

セシルも、黙って後に続く。


中には、五人の生徒が眠っていた。

顔色は悪くないが、反応はない。

静かに、深く眠っているようだった。


「……全員、失踪者です」


クラリスは、震える声で言った。


補習教師が、後ろで何かを叫んでいる。だが、セシルは振り返り、冷たい声で言った。

「あなたが、彼らをここに閉じ込めていたんですね」

「違う! 私は……妻を……妻を蘇らせるために……!」

教師の声は、狂気を孕んでいた。


スケベ教師は手柄を立てるチャンスだと頭を切り替える。そして、補習教師を取り押さえ、魔道具で学院側に連絡を入れてくれた。


クラリスとセシルは、静かに生徒たちの様子を確認していた。彼らは、ただ眠っている。何も知らずに、暗い場所で、ずっと。

このままここに居たら、どんなことをされていたのだろうか……ゾッとする。


セシルは、クラリスの肩にそっと手を置いた。

「クラリスが見つけたんだ。君が、彼らを救った」


クラリスは、少しだけ頷いた。

その手の温もりが、今は心強かった。



夕方、生徒会室。

窓の外は茜色に染まり、静かな時間が流れていた。


クラリスは、報告書を書き終えようとしていた。

隣では、セシルがすでに書き終えた報告書を手に、彼女の机に近づいてくる。


机に手をつき、報告書を覗き込む彼。

また、距離が近い。頼むから。心臓の音が彼に聞こえてしまいそうだから近寄らないでほしい。


クラリスは顔をそむけながら言った。

「また近いです。会長」


セシルは、彼女を見つめて微笑む。

「あの時は名前で呼んでたんだからセシルって呼んでもいいんじゃない?」

「近いからわざと距離をとってるんです」


クラリスの声は、少しだけ震えていた。

セシルは、くすくすと笑った。


「ねぇ、もう少しだけ近づいてもいい?」

「だめです」

「報告書の見せあいっこだよ」

「セシル……それはズルくないですか?」


そのやりとりに、二人だけの静かな笑いが生まれる。

穏やかな日常が、ようやく戻ってきた。

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